第5話 199X年冬~摩周高校3年生・萩野目洋子18歳⑤
この時、湯川温泉の電話が鳴った。
「おや?何だろう?ちょっと失礼するよ」
そう言うと駅長さんは立ち上がり電話を取った。
「はい、こちらは湯川温泉駅ですけど・・・はいい?・・・はい・・・はい・・・了解しました。状況が分かり次第また連絡ください」
そう言うと駅長さんは電話を切った。何か大声を出して慌ててたみたいだけど、何かあったのかなあ?
「あのー、駅長さん、何かあったんですかあ?」
「おお、何かどころではないぞ。釧路発の汽車が南摩周の駅を発車した後にシカと衝突したらしいが、どうもそのシカを巻き込んだらしくて立ち往生しているようだ。救援の者が車で中摩周から向かってるが昨日の大雪で現場に行くのに手こずりそうだから、この駅に到着するのがかなり遅れそうだぞ」
「えー!たしかその汽車がこの駅で折り返して釧路行になるんですよねえ。ただでさえ遅れてるのにこれ以上遅れたらコンサートに間に合わなくなるかもしれないよー」
「うーん、そこはどれだけ早く動き出すかで決まると思うけど、現段階では何ともいえないなあ。ところで君の方は大丈夫なのか?」
「すみません、そこの時刻表を借りてもいいですか?」
「ああ、いいよ」
「失礼します」
そう言うとあいつは分厚い時刻表を慣れた手つきでめくり始めた。まあ、青春18きっぷを2枚も使って旅をしているから、時刻表の取り扱いにも慣れているんだろうな。
「・・・元々その電車は湯川温泉駅で15分ほど停車してから折り返すダイヤですよね。30分遅れで湯川温泉に到着して、仮に5分で折り返したとしても20分遅れで運行になるから『おおぞら』にギリギリ間に合う程度です。さすがに10分くらいなら『おおぞら』も接続待ちするだろうけど、20分、30分の遅れだと定刻で発車します。しかもその次の『おおぞら』では『はまなす』に接続できないです」
おいおい、本来なら大ピンチの筈なのに全然慌てる様子がないぞ。むしろクールな口調で話しているけど、緊張感という物がないのかあ?それとも、あえてこっちを心配させないように気遣っているのか?ただ、やっぱりあいつの間違いを指摘してやりたい!でも、今はそんな事を言ってる場合ではないぞ!私も結構ヤバい状況だ。
「うーん、タクシーを手配するかね?」
「いや、仮に手配すれば間に合いますが財布が持ちませんよ。それに、JRの規定でJR側がタクシー代金を負担できないはずですよ」
「そうなんだよなあ。不謹慎な話だが故障で立ち往生して全線運休になればタクシーの代行を使えるが、現状では無理だからなあ。釧路へ行くバスはないから普通は汽車しか手はないけど、それにたしかに釧路までタクシーを走らせたら万単位になるから学生には厳しいな」
うえーん、私だってお金があればタクシーを使いたいよー。でも、そんなお金がないから今日だって汽車で釧路に行く事にしたんだし、それにお父さんが帰ってくるのは夕方、お母さんは夜になってからだから頼めない・・・どうしよう。
うー、無理を承知でお姉ちゃんに・・・お姉ちゃんも大学が冬休みで今日は家に帰ってきているし免許も持っているから頼めば・・・いや、仮にお姉ちゃんがOKしても車が無い。今日だって私をこの駅に送っていく為にわざわざ朝はお母さんがお父さんを先に職場まで送って昼前に私を駅まで送ってくれたんだ。夏なら自転車を使って車を取りに行けば間に合うだろうけど、今は冬はだから歩いていくのは酷だ。
でも、もう頼れるのはお姉ちゃんしかいない。とりあえず電話してみよう!
私は立ち上がると一度駅舎から出て、駅前にある電話ボックスに入ってから公衆電話にテレカ(作者注①)を入れた。
『プルルルー、プルルルー、プルルルー』
(・・・まだかなあ。もしかして中学校の同級生の家に出かけてたりして・・・)
『プルルルー・・・もしもし』
「あ、お姉ちゃん、私よ」
『あらー、洋子じゃあないの、どうしたの?チケットを忘れたから電話してきたの?』
「そんなバカな事はしないわよ!そうじゃあなくて、実はかくかくしかじかで、このままだとコンサートに間に合いそうもないのよお!」
『えー!困ったわねえ。それで、まさかと思うけど姉にタクシー代行をやれと言いたいの?』
「・・・ホントはそう言いたいけど、車が無いでしょ?」
『あるわよ』
「はあ?マジ?」
『でもねえ・・・』
「えー、あるなら送ってよー」
『あのねえ、あるといえばあるけど、ないといえばないのよねえ』
「意味が分かんない・・・どうでもいいから送ってよお」
『うーん・・・まあ、ここはお姉ちゃんにまっかせなさーい!あんたは何も心配しなくていいから湯川温泉駅で待ってなさーい』
「え?お姉ちゃん、どういう意味?」
『ガチャリ・・・プープープープー・・・』
作者注①
テレホンカードのこと。公衆電話で使用できるプリペイドカードである。
1990年代の後半からは携帯電話の普及により公衆電話そのものの利用が減少した事により、テレホンカードの販売は現在はほぼ中止されている(緑色の公衆電話で使う事は現在でもできる)。
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