第4話 199X年冬~摩周高校3年生・萩野目洋子18歳④

「あのー、お兄さんは旅行の途中ですかあ?」

「ん?俺か?うーん、いわゆる貧乏旅行だ。だからユースホステルと夜行列車、鈍行を乗り継いで、『青春18きっぷ』を2枚使って年末からあちこち行った最後にここに来たんだけど、最後の最後で予定が狂ったのは誤算だったなあ。こんな事なら逆回りにしておけばよかったけど、今さら言っても始まらないから諦めるよ」

「それであんな大きな鞄をもっていたのか。わしは最初に君を見た時にはどこかのフリーカメラマンかと思ったけど、青春18きっぷを見せたから『あれ?』と思ったくらいだよ。ところで、さっき『誤算』と言ってたけど本当ならどうするつもりだったんだい?」

「本当は昨日の午後の網走発の電車でここの駅で降りた後は、夕方のこの駅と電車の風景を撮って、その後は釧路に行って急行『まりも』(作者注①)で千歳ちとせへ行って、そこから電車を乗り継いで函館はこだてから快速『海峡かいきょう』(作者注②)と『ムーンライトえちご』(作者注③)で東京へ帰る予定でした。ただ、昨日の運休で予定が狂っちゃったから仕方なく網走のユーユホステルに朝から缶詰ですよ。だからやむを得ず運転再開直後の網走発釧路行きの電車でこの駅まで来て、さっき発車した網走行きの電車と駅舎を写真に収めた後は、この次の電車で釧路へ行って特急『おおぞら』(作者注④)と急行『はまなす』(作者注⑤)で青森に行き、あとは鈍行で盛岡へ行ってそこから新幹線で帰る事にしました。だけど正直結構痛い出費ですよ。まあ、この後に絶対に外せない用事があるから仕方ないですね。さすがに飛行機に乗るだけの金はありませんから、これがギリギリの選択ですね」

 ちょ、ちょっと待って!この人、とんでもない間違いを平気で言ってるぞ!!私としてはそれを見逃す事は断じて許せなーい!ぷんぷーん!!

「君は東京に住んでるのかね?」

「はい、そうですよ。大学4年です」

「おー、学生さんだったのか。どこの大学?」

「俺は早生田ですよ。森崎乳業に内定してますけど、配属先は出来れば北海道を希望したいと思ってます」

「珍しいな、わざわざ内地の人間が北海道を選ぶなんて・・・君の彼女がこっちの人だから北海道を希望してるのかな?」

「違いますよ、彼女はいませんよ。ただ単に都会が嫌いになっただけです。正直に言うけど俺は都会の雑踏はもうコリゴリだから可能ならば北海道、あ、東北でもいいですけど、都会じゃあない場所にある工場に配属される事を希望したいって事です。俺は二男坊だから親は俺の就職先も配属先も好きにしていいって言ってましたから。それに北海道の方言のいくつかは雑誌に載ってたので内地という言葉の意味が分かっただけですよ」

「へえ、今時の若者は都会へ行きたがるのに珍しいな・・・おーっと、お湯が沸いたからお茶にしよう」

 そういうと駅長さんは私とに緑茶を出してくれた。そういえば以前にも何度か緑茶を出してくれたことがあったけど、わざわざ静岡から直接仕入れていた緑茶だったとは知らなかった・・・うちでは番茶が当たり前だから珍しいなあって思っていたけど、そういう事だったんだあ。

 うーん、やっぱりいい香りだなあ。結構いい茶葉を使っているのかな?それとも、元々おいしいお茶なのか、駅長さんの入れ方がいいのか、どっちなんだろう?

「・・・そうそう、そういえば洋子ちゃんは昔は東京に憧れていたけど、今でも東京に憧れているのかな?」

「えっ?え、え?まさか私に振られるとは思ってなかったから答えの準備が出来てなかったです・・・うーん、昔は都会に憧れてたのは事実ですけど、今はもうどうでもいいやって思ってます。さすがにこの年になって『アイドルになりまーす』って言うのも変ですし、逆に今となっては封印したい黒歴史そのものですよ、ハハ、ハハ」

 ちょっとー、駅長さーん、マジでもう私は東京は諦めましたよ。それに・・・正直に言うけど、たしかに私は可愛いけど炊事洗濯掃除は全然ダメ・・・こっちの女子力はゼロに近いからなあ。今となっては歌の練習をするんじゃあなくて料理教室に行けばよかったなあって後悔している位・・・。

 それにしても、なんまらムカつく事を言ってたけど、いまだに訂正しないなんて腹立たしい!絶対に摩周では、いや、網走や釧路でもあり得ない話を平然と言って訂正すらしないなんて、マジで注意したいぞ!結局はも都会人って事だよなあ、ぷんぷん!


“ジリジリー、ジリジリー”




作者注①

昭和26年(1951年)函館駅~釧路駅間の夜行急行に「まりも」の名称を与えられた。昭和43年(1968年)に札幌駅 ~釧路駅間の昼行列車「狩勝」に統合されて一度は廃止されたが、昭和56年(1981年)石勝線の開業により札幌駅 ~釧路駅間の急行列車として復活し、昭和60年(1985年)に昼行が、平成5年(1993年)に夜行が特急「おおぞら」に吸収される形で消滅。

ただし、平成13年(2001年)に昼間の特急「おおぞら」が「スーパーおおぞら」に統一された事で、夜行の特急「おおぞら13号」「おおぞら14号」が特急「まりも」として再度復活したが平成19年(2007年)に臨時列車化され平成20年(2008年)に廃止された。寝台車も連結されていたが普通車自由席もあったので、若者を中心に重宝されていた。

特急「まりも」は北海道最後の夜行特急列車でもある。


作者注②

昭和63年(1988年)3月13日の海峡線(津軽海峡線)開業に伴い青函連絡船の代替および津軽海峡線内の地域輸送列車として運行を開始した。平成14年(2002年)12月1日の東北新幹線八戸延伸開業により特急「白鳥」・「スーパー白鳥」にその役目を譲り、特急「はつかり」・「スーパーはつかり」と共に廃止された。

快速「海峡」はJRにおける客車を使用した最後の定期普通列車でもある。

蛇足だが、平成10年(1998年)3月からは、吉岡海底駅に「ドラえもん海底ワールド」と銘打つ同作品の展示スペースが設置され、同駅に停車する快速「海峡」は「ドラえもん海底列車」として運行されていた。


作者注③

昭和51年(1986年)に運転を開始した夜行快速列車。全車指定席でグリーン車も連結されていた。下り列車は新宿を23時台に発車し新潟駅に早朝5時前に、上り列車は新潟駅を23時台に発車し、新宿に早朝5時過ぎに到着するダイヤになっていて「青春18きっぷ」でも乗車出来たので重宝された。

ただし、平成21年(2009年)に臨時列車化され、平成26年(2014年)以降は運転されていない。


作者注④

特急「スーパーおおぞら」が登場するのは平成9年(1997年)3月のダイヤ改正で振り子式気動車特急車両のキハ283系が導入された時から。

平成13年(2001年)からは昼の特急は全て「スーパーおおぞら」に統一された。


作者注⑤

津軽海峡線(青函トンネル)開通に伴い廃止された青函連絡船の深夜便の代替として、昭和63年(1988年)3月13日に運行を開始した。普通車自由席、普通車指定席、寝台車の他に、カーペット敷きの車両(指定席扱い)も連結されていた。

JR最後の「定期運行を行う急行列車」であり、「青函トンネルを通過する最後の定期夜行列車」でもあったが、北海道新幹線の開業に伴い平成28年(2016年)3月で廃止された。

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