第2話 初夏の空。

 『あの日』からしばらくして僕はこいのぼりについて詳しく調べてみた。

 本当に莉沙が言っていた内容とほぼ一致する伝説があった。

 僕はどうしてもそれを伝えたくて、雨になるのを暗い暗い部屋の中で待っていた。何もできないこんな日々に終わりを告げてみたかった。

 卯月下旬の空は夏と言っても過言でないほど暖かいらしい。

 それも昨日テレビの中の作り笑いを浮かべた女の人が言っていた。

 そんな中に僕は行くことができない。

 伝えたいのに、伝えることができない。

 僕はなんて惨めなんだろう。




 「優くん、いますかあ!」

 突然だった。

 ある土曜日の朝、急に僕のことを呼ばれて、雨音もしていないのに、ワンピース姿の女子が玄関に立っていた。

 思い当たるのは一人しかいない。

 「り、莉沙・・・!どうしたの」

 「いや、優くんも暇かなーって思って」

 暇だけど。

 「・・・え?」

 僕はその言葉に間抜けな反応をしてしまった。

 「ふふ、私もなんか暇だし、一緒に話したり、勉強したりしたいんだよね。せっかく仲良くなったしどう?」

 迷惑だった?と聞かれて首を振った。

 「・・・どうぞ」

 僕はドアを開けて、莉沙を入れた。

 「お邪魔します」

 莉沙の声は落ち着く。

 なんていうか、いろんな人が言う、『お母さん』ってものみたいで。

 僕はそのことを知らない。

 その温もりも、愛も、すべて、知らない。

 でも、莉沙はなんでも知っていた。

 「優くんって一人暮らし?」

 「・・・そう、だよ」

 莉沙はソファに腰掛けて、微笑んだ。

 「すごいね。私も親戚のおばさんと二人なんだけどうまくいかなくて」

 それにどう答えたらいいのかわからなかった。

 莉沙にもうまくいかないことなんてあるんだ。

 当たり前か、人間だし。

 「お母さんとかは、どこにいるの?」

 「・・・死んだ、と思う」

 「・・・なんかごめんね!無神経で」

 莉沙のそういう所に興味を惹かれたのは言わない。

 死んだと確信したわけではないけれど、最近連絡も途絶えたし、母に関してはあったことすら記憶にない。

 「私もさ、実質一人だし。いろいろ助け合いたいな〜なんて」

 助けを求められているわけでもなく、同情して欲しいようでもなく。

 莉沙は僕に提案していた。

 「私はね、もう死んでもいいと思っているんだよね。私の存在を受け入れられて、私が自由でいられて、私が素直に笑っていられる場所が欲しいんだよね」

 莉沙の口から紡がれる言葉は僕と同じような考え方だった。

 だから、たった何日か会っただけなのに安心していられるのだと思う。

 「・・・じゃあ・・・僕、のところ・・・いつでも来てよ」

 莉沙は大きく目を開いた。

 僕だって自分でも何を言おうとしたかわかっていなくて。

 でも僕は、もう莉沙にそんな顔をさせたくなかった。

 「・・・一人、じゃない」

 「・・・優、くん」

 僕は莉沙の目を見つめた。

 莉沙の目から涙が溢れた。

 僕のせいなんだ、と思って

 「・・・う・・・あ・・・そ、その、僕は」

 必死になって変に言い訳しようとした。

 「ありがとう・・・!」

 莉沙の笑った顔は、どうしていつも僕の心を和ませてくれる?

 「優くん、私今、倖せだよ」

 倖せ。

 僕も莉沙と巡り合えた運命に、感謝してる。

 「私と、最期まで一緒にいてほしい」

 その言葉にどんな意味があるのか。

 僕にそれがわかるのはもうすこし先のお話。



 

 それから僕たちは毎日のように会った。

 今は芸能人のスキャンダルとか、不倫とか、芸能界は荒れているらしい。

 でも学校は山田が怒られたり、先生は山田の成績をがくんと下げて見せたり、といいこと(?)だらけらしい。

 莉沙の話はすごく面白くて、飽きない。

 僕も莉沙には話せる。

 例えば今までどうやって生きてきたか、とか。

 雨の日以外外に出ないから買い物も行けない、とか。

 今思い返せばなんてくだらないことを話していたのだろうと思った。

 僕に晴れた空を見せてくれたのも莉沙で、写真の中の青空は、この暗い部屋を通り越した、僕も見たことのない外の世界だった。

 


 それから3日後。

 確か、5月4日。

 こいのぼりが揺らいだ、曇天の下。

 急な話だった。

 「優くんは、死にたい?」

 突然、いつものようなトーンではなく、うつむいて表情は見えないものの、莉沙はいつもよりもずっと重く聞いた。

 「・・・どうしたの」

 僕の声に重なるように莉沙は明るい顔を取り繕って言った。

 「なんてね!私最近病んでるのかな」

 「死んでいいと思ってるよ。僕」

 僕は思ったこと、そのまま言ってしまった。

 莉沙は驚いた表情で、僕の方を見て、本当?と聞き返した。

 「・・・僕は、もうやり残し、ないし」

 「ねえ」

 涙ぐんだ声、響く。

 莉沙の目は真っ直ぐで。

 僕に届かないくらい、静かに、口元は緩んでいた。



 「私と一緒に、龍になろう?」




 龍になる。

 あのこいのぼりの伝説のことなのか、とすぐにわかった。

 つまりは、滝を登ろう、ということ。

 そうでなくても、できもしないことを一緒にしよう、ということ。

 僕の答え?

 そんなの、ひとつでしょう?

 『私と、最期まで一緒にいてほしい』

 その意味をようやく理解した。



 「いいよ。・・・明日、一緒に、逝こう」


 「・・・ありがとう」



 莉沙はどうして、僕に付き合ってくれるのだろう。

 僕は莉沙を何も知らないんだ。




 

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

こいのぼり 霜月 楓奈 @siromaou

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ