第19話「最後の晩餐」

    玖


 もうすぐ午前零時――まもなく日付が変わる。

 聖木曜日グリューン・ドナスターク――あるいは〝足洗の木曜日〟/最後の晩餐でキリストは弟子たちに食事を振る舞い、一人一人の足を洗ってあげた。〝他者の足を洗う行為〟は親愛の証だったから。これから磔にされる己の運命を前に、一体どんな気持ちだったんだろう。

 そんなことを思いながらPDAの画面を見つめる――待受画像=ネプチューンの泉での記念写真――仲間たちの笑顔。つい先日の出来事のはずが、遠い昔のことみたい――

 そこで壁に矢印を書き終えた藤波が声をかけてくる。「よし。出発するぜ、嬢ちゃん」

「う……うん」そっと画面を閉じる/感傷を振り払うようにPDAをポッケに仕舞って、立ち上がる。必ず仲間のもとへ帰る/みんなのもとへ――それだけを信じて。

 地下道を進む二人――次々と壁に浮かぶ印――導かれるように枝道を曲がる。

「大丈夫か、嬢ちゃん?」藤波が振り向く。「怖いんなら手、握っててやるぜ?」

 躊躇ためらいがちに右手を差し出す――さっきから相手に頼りっぱなしなようで気が引ける。

「藤波さんは怖くないの……ないの?」

「オレの左目はちょいと特別なのさ」得意げにウィンク=その虹彩が夜行性の動物みたいに赤く光る。「フクロウ並みに夜目が利くし、多少なら赤外線だって見えるぜ。こうした暗闇や夜戦には便利なんだが、光に過敏なせいで、今じゃすっかり夜型人間さ」

 驚き+合点――機械化される際に強化された生体義眼=藤波が闇の中でも正確な射撃を披露したり、ろくに足元も見ずに暗がりをスイスイ歩いていた謎が解明。

〝なんてことないさ〟といった調子で歩き出す藤波――へらへらした態度の奥に隠された強さに、やっと気づいた。例え社会からこぼれ落ちても、必死に足掻き続けた者の強さ。

 誰かを怨んだり、世界を呪ったりせず、自分の進むべき道を探し続ける心の強さ。きっとこの人は、今も抗い続けているのだ。己の進む正しい針路を求める船乗りのように。

 無意識に手が頬の絆創膏に触れていた――そこでふと連想=〝昔ある奴から教わった〟。

「この絆創膏おまじないって、藤波さんが昔好きだった人の真似だったりするのかな……かな?」

 何気ない呟き――特に他意はなかったのに、露骨に藤波がむせた。「べっ……別にとはそんなんじゃねーって。ほら、あれだ。前に話したろ? 〈子供工場キンダーヴェルク〉で酒や煙草を横流ししてるうちに、なんとなくつるんでたりしただけで……ただの古い知り合いさ」

 あからさまに語尾が萎む――ニヤニヤしてく。「へえ。だったんだね、ね?」

「あ~……」二の句を失う――形勢不利と見るや、途端に黙秘――いそいそと先を急ぐ。

「ねーねー。二人はどんな関係だったのかな、かな?」黙秘権を認めず――腕を引っ張り更なる追求をしようとしたところで、急に相手が立ち止まる。「……どうしたの?」

〝ひょっとして怒らせた?〟と思ったが違った――藤波が無言で顎をしゃくる。

 ライトに照らされた先――トンネルの突き当たりに、一枚の扉が姿を現していた。

「どうやら、ここがゴールらしいぜ?」声を低める藤波――おチャラけた空気が霧散。

 腰から抜いた九ミリ拳銃グロック18Cの弾倉を手早く確認/扉に張りつく――張り詰める緊張感。

〝開けるぜ?〟藤波が目で合図――鳴が固唾を飲んで見守る中、ゆっくりと扉を押し開く。

 ――かなり頑丈そうな造り――警戒心を強めながら、足を踏み入れた。

「――――」

 目の前に広がる光景に、揃って呆気に取られる。

 眩い照明/ソファ/絨毯じゅうたん/調度品/観葉植物=高級ホテルのロビー並みに豪華な空間。

 一瞬ここが地の底だと忘れそうになる――本当に不思議の国へ迷い込んだ気分。

「なんなの……この部屋?」それ以外に言葉が出てこない――テーブルに並ぶ高価たかそうなワイン/グラス/まるでここで晩餐会でも開いていたような有様――背筋がゾッとした。

「TVのドッキリにしちゃあ、悪趣味だな……」藤波=冗談めかしたその声が固まる。

 部屋の奥――壁に描かれたモザイク画=レオナルド・ダ・ヴィンチ『最後の晩餐』。

「素晴らしいだろう。偽りの繁栄に溺れたこの都市に、相応しい絵だと思わないかね?」

 ふいに部屋の奥から声――ビックリし過ぎて心臓が止まるかと思った。

「ようこそ、」物影から一人の男が姿を現す――仕立てのよいスーツ/手に髑髏の杖/顔をすっぽりと覆うコウモリの覆面マスケ=まるで仮面舞踏会マスケン・バルから抜け出してきたかのような出で立ち――恭しく一礼。「我がの来賓として、歓迎しよう」


「――では、フレーダーマオスは?」

 合流した捜査隊A班+B班=地下を走る軍用機体――荷台で大須が眉をひそめる。

《そうだ。ルナール・ファルケ、四十三歳。かつてはBVTの実行部門に所属し、そこの第二機甲部隊で戦術顧問を務めていた男で、爆発物処理のプロフェッショナルだ》

 呆れたように天を仰ぐ。「なんと……で有名なBVT上層部が、その前線での直接指揮というのためだけに設けていたという、あの部署ですか?」

 隣で首を傾げる響=素朴な疑問。「BVTに機甲部隊なんてあったんですか?」

「昔はあったのよ。不祥事続きで部門ごと潰れたって話だけど」奏=並走するように飛行しながら注釈。「指揮統括を名目にしたで、返って捜査を混乱させていたそうよ」

《その部門が消えた原因が、に起こった〈政府高官暗殺事件〉だ》

「聖週間の真っ只中に、ですね」大須=声のトーンを落とす。「当時、自分は海外派兵で国内にいませんでしたが……ガブリエル隊長とヴォルフ副長のと聞いています」

 衝撃の事実――響+奏=思わず顔を見合わせる。

《実際に事件を解決したのは、公安の連中だ》副長=〝もう過去の話だ〟とでも言いたげ。《俺たち特憲コブラは後手を踏んだ挙句、ろくな仕事もできなかった。なかでも最悪だったのが、捜査中の敵施設が。突入した機甲小隊は、建物ごと吹っ飛ばされた》

 大須=仰天。「まさか――?」

。失態を重ねたBVTには、事件の責任を取らせる生け贄が必要だった。書類上は自ら辞職したことになってはいるが、ようはトカゲの尻尾きりだ》

 響=目をすがめる。「クビにされた腹いせに、報復を企てた訳ですか」

 奏=冷淡に切り捨て。「いかれた連中の事情なんて、知ったこっちゃないわぁ」

《だが、これで一連の事件が繋がった。自爆テロも地下鉄の死体も、全て奴の仕業だ》

「聖週間を舞台に、六年越しの復讐劇が開幕したと。そのためにかつての同胞をも利用し、用ずみになった時点で口を封じた。しかし――昨夜の爆弾騒ぎには何の意味が?」

 大須の疑問――二号車の摩耶が答える。《ブラフに使われたが〝ヒント〟だったのよ。発見された塗料が、六年前の事件でだと判明したわ》

「自己顕示欲が強い犯人ですね」理解不能といった響――それに大須も同意。「わざわざ手掛かりを残すとは……このコウモリは、ただ巣穴に隠れているつもりはないらしい」

 再び副長。《……これだけ用意周到な敵が、ただの復讐のみで動いているとも思えねえ。。なんとしても、地下に潜むコウモリを狩りたてろ》


 あまりの異様さに悲鳴すら忘れ、茫然と立ち尽くす――庇うように藤波が前に出る。

「あんたがコウモリ野郎フレーダーマオスか? 自ら進んで磔になる準備中とは、用意がいいじゃねーか」

 皮肉を返す――その間も抜かりなく周囲を確認/伏兵を警戒。

「安心したまえ。ここには君たちの他に」コウモリ男が低く嗤う。「何なら、そちらのお嬢さんの力で確かめてみるといい」仮面から覗く暗い双眸が、鳴を見据える。

 深いうろの目=全てを穴の奥へ捨ててしまった者の――全身に怖気が走った。

「EI兵器を操ってたのはお前だな」藤波が拳銃を構える。「手下や人形どもに働かせて、自分は地下のスィートルームで高みの見物とはいい身分だな。どうせなら、もっと安全な場所に案内してやるぜ? 例えば、レオーベンの監獄室スィートルームとかにな」

「私はすでに、を捧げているとも」突きつけられた銃口を愉快そうに見つめる。「この偽りの都市を姿が、私に与えられた使命であり、存在理由であると気づいたのだ。天譴てんけんの翼を得た私に、お前たちは――」

 コウモリが芝居がかった仕草で両手を広げる/ひるがえるスーツ/いつの間にかその手が拳銃を握っていた。「もとよりお前たちは、ここで永遠の眠りにつくのだからね」

 鳴と藤波が息を飲む――嘲笑うかのようにコウモリ男が撃鉄を起こした。

 銃声――。


 MSE一号車――ヴィーラント=目まぐるしく変化する戦術モニターを睨む。

 画面に新たな通信ウィンドウ=二号車にいる摩耶。《ちょっといいかしら、八雲?》

「成人前の名で呼ぶな」片眉を上げて不平を示す。「――何かあったのか?」

 ため息一つ。《先ほどマスターサーバーの監視するネットワーク上に、新たな仮想空間と共に膨大な暗号化データが発生したわ。例の情報監督官のIDを元に解析を進めているところだけど……その中に妙なデータが交ざっているの》

だと……どういうことだ? 」

《今の段階ではとしか言えないわね。詳しく探ろうとした途端、〈キョウ〉から土砂降りのような警告が来たわ》

「敵の仕掛けたウィルスプログラムか」わずかに瞑目めいもく――すぐに燃える闘志をたぎらせる。「該当項目を、と照合することは可能か?」

《――確かにあそこなら、古今東西あらゆる兵器データが保管されているけど……大丈夫かしら? また上から睨まれるわよ?》

「こっちはすでに軍の回線を間借りしてるんだ。今さら気に病んでも遅い」

《毒を食らわば皿まで、ってことね》処置なしと肩をすくめる。《開発局の先輩に頼んでデータを回してもらうわ。でも、この貸しはマティーニ一杯じゃ割に合わないわよ?》

「次はディナーでもおごってやるよ」真顔で応じる――摩耶が一瞬、意表を突かれた顔に。

《……はいはい。全く、人をその気にさせるのが上手だこと》呆れ顔で通信アウト。

 しばしモニターを見つめるヴィーラント――ふと何かに気づいたように顔を上げる。

 夜の闇に沈む街に、振り続ける雨――どこか遠くで春雷が鳴る――まるで人の愚かさを嘆いた神々が、低い唸りを上げているかのように。


 それは一瞬の出来事だった。

 コウモリ男の握る銃が凶弾を撃ち出す直前――藤波が鳴を

 そのまま少女を庇うように体を覆い被せる――銃声――もんどり打って地に倒れる。

 だが藤波――倒れた勢いを利用し前転/素早く態勢を立て直す=すぐさま反撃に転じる。

 鮮やかに二点射タタンッ――完璧な膝射姿勢ニーニングから放たれた二発の銃弾が、寸分違わず同じ軌道を描いて、悪趣味な覆面ごとコウモリ男の穿

 九ミリ拳銃から硝煙が立ち昇る――文字通り精鋭の名に恥じぬ離れ業。

 コウモリ男が後ろへ崩れ落ちる――同時に、藤波が苦しげに片手をついた。

「藤波さんっ!」慌てて駆け寄る――強気に笑う藤波。「心配すんな。ただの掠り傷だ」

 言葉とは裏腹に苦悶に顔が歪む――抗弾ベストに覆われてない右脇下が真っ赤に染まる。

「そ……そんなはずないじゃないっ! 血がいっぱい出てるもん!」血相を変える鳴――呻く藤波を気遣いながら、肩に担いでソファへ運ぶ――手近な布=テーブルクロスを強引に引き裂いて、傷口へ押し当てる――上品なシルク布が、すぐ緞帳どんちょうのような赤黒さに。

「どうしよう、どうしよう……。……」

 動転する鳴/蒼い顔で藤波が呟く。「慌てるな、嬢ちゃん。こんくらいの、怪我――」

 出し抜けに――驚愕に二人が凍りつく――呆然と声の主を見つめる。

「失礼……晩餐の余興にしては」まるで歯車が狂ったような嗤い。

 何事もなかったように――その銃痕の空いた覆面がずり落ちる。

 コウモリ男の頭――無毛/額の後ろ・耳の後ろ・後頭部全体が=人工皮膚で覆われた傷痕――まるで塀から落っこちて潰れたハンプティ・ダンプティフンペルケン・プンペルケン

 そのおぞましさに悲鳴+呻き。「ひうっ!?」「な……なんなんだ。お前は――?」

 戦慄におののく二人――――さもおかしくて堪らない、というように。

「言っただろう? すでに私は」なおも嗤い続ける。「腐敗したBVTの犬に過ぎない者どもには理解できぬだろう。我が魂はすでに、!」

 大仰に左手の杖を掲げる――黒魔術の儀式を見ているかのような現実離れした光景。

 にわかに激震――豪奢な調度品が崩れる/倒れる柱/落ちる天井/土砂が押し寄せる。

「ふ、藤波さんっ!?」「何が起こって――」轟音に欠き消される叫び――崩壊する地下に木霊する嗤い声――そして闇の奥から、が姿を現した。


 地下を進む軍用機体――荷台で響が声を上げる。「――止まってくださいっ」

《スズカA~停止しま~す♪》訓練された猟犬みたいにピタッと停車する一号機――壁の一角を、ヘッドライトの灯りが照らし出す。「見てください。そこに矢印があります」

 巨体を乗り出し大須が確認「……間違いない。これは藤波の残した道しるべマーキングだ」

 期待を込めて訊く。「じゃあ、これを辿っていけば――」

 頼もしく首肯。「ああ。きっと、ローゼンライエ隊員も一緒に違いない」

 にわかに希望が湧く――勢いよく発進したところへ、ふいに地鳴りのような震動がきた。


 緊迫するMSE一号車内――通信官たちの矢継ぎ早な報告。「第十九区デュープリング方面の地下より、」「これは自然発生的なものではありません」「震源地周辺の――偽装の形跡は無しですっ!」

「敵が大規模な破壊活動に移る前兆かもしれん。変化を見逃すな!」ヴィーラントの一喝。

 そこに新たな報告――摩耶=切迫した表情。《 ! 非常に不味い結果が出たわ》

「何が分かった?」端的に訊ねる――珍しく言い淀む。《……これを見てちょうだい》

 解析データ――過去の事件との比較・類似・符合――それらに基づいた、が次々と表示されるにつれ、狼の目が烈火のごとき殺気を放つ。「……これは確か?」

 その眼光に思わず怯む――すぐ平静を取り戻す。《〈キョウ〉も解析結果を肯定しているわ。またこちらの推測を裏付けるように、地下で特徴的なノイズパターンが発生するのを確認。……どうやら敵は、

「あの〝悪魔の兵器〟が甦るだと……っ」マイクを握る左手がミシリと音を立てる。

 夜空に一つの雷鳴が轟く――さながら災厄の序曲プレリュード


 光の届かぬ暗闇で、は目覚めた。

 戸惑いは数瞬、すぐおのが目的を理解する。

 そこにはもはや、一欠片の迷いも介在せず。

 あるのはただ、という単純な理解。

 己が存在理由レゾンデートルを証明するすべ。純化された、この世でもっとも純粋で純白なる真理。

 新たな器に光が宿る。あらゆる暗闇を見通す最新式の探査装置が作動。

 それは船乗りを導く光のように、あるべき針路を示し、確かな道しるべとなる。

 やがては鋼鉄と化した四肢の間接を唸らせ、ゆっくりと動き出した。

 さあ、ゆこう――混迷を極める都市へ、

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