第19話「最後の晩餐」
玖
もうすぐ午前零時――まもなく日付が変わる。
そんなことを思いながらPDAの画面を見つめる――待受画像=ネプチューンの泉での記念写真――仲間たちの笑顔。つい先日の出来事のはずが、遠い昔のことみたい――
そこで壁に矢印を書き終えた藤波が声をかけてくる。「よし。出発するぜ、嬢ちゃん」
「う……うん」そっと画面を閉じる/感傷を振り払うようにPDAをポッケに仕舞って、立ち上がる。必ず仲間のもとへ帰る/みんなのもとへ――それだけを信じて。
地下道を進む二人――次々と壁に浮かぶ印――導かれるように枝道を曲がる。
「大丈夫か、嬢ちゃん?」藤波が振り向く。「怖いんなら手、握っててやるぜ?」
「藤波さんは怖くないの……ないの?」
「オレの左目はちょいと特別なのさ」得意げにウィンク=その虹彩が夜行性の動物みたいに赤く光る。「フクロウ並みに夜目が利くし、多少なら赤外線だって見えるぜ。こうした暗闇や夜戦には便利なんだが、光に過敏なせいで、今じゃすっかり夜型人間さ」
驚き+合点――機械化される際に強化された生体義眼=藤波が闇の中でも正確な射撃を披露したり、ろくに足元も見ずに暗がりをスイスイ歩いていた謎が解明。
〝なんてことないさ〟といった調子で歩き出す藤波――へらへらした態度の奥に隠された強さに、やっと気づいた。例え社会からこぼれ落ちても、必死に足掻き続けた者の強さ。
誰かを怨んだり、世界を呪ったりせず、自分の進むべき道を探し続ける心の強さ。きっとこの人は、今も抗い続けているのだ。己の進む正しい針路を求める船乗りのように。
無意識に手が頬の絆創膏に触れていた――そこでふと連想=〝昔ある奴から教わった〟。
「この
何気ない呟き――特に他意はなかったのに、露骨に藤波がむせた。「べっ……別にあの女とはそんなんじゃねーって。ほら、あれだ。前に話したろ? 〈
あからさまに語尾が萎む――ニヤニヤして
「あ~……」二の句を失う――形勢不利と見るや、途端に黙秘――いそいそと先を急ぐ。
「ねーねー。二人はどんな関係だったのかな、かな?」黙秘権を認めず――腕を引っ張り更なる追求をしようとしたところで、急に相手が立ち止まる。「……どうしたの?」
〝ひょっとして怒らせた?〟と思ったが違った――藤波が無言で顎をしゃくる。
ライトに照らされた先――トンネルの突き当たりに、一枚の扉が姿を現していた。
「どうやら、ここがゴールらしいぜ?」声を低める藤波――おチャラけた空気が霧散。
腰から抜いた
〝開けるぜ?〟藤波が目で合図――鳴が固唾を飲んで見守る中、ゆっくりと扉を押し開く。
錆び果てた扉――かなり頑丈そうな造り――警戒心を強めながら、足を踏み入れた。
「――――」
目の前に広がる光景に、揃って呆気に取られる。
眩い照明/ソファ/
一瞬ここが地の底だと忘れそうになる――本当に不思議の国へ迷い込んだ気分。
「なんなの……この部屋?」それ以外に言葉が出てこない――テーブルに並ぶ
「TVのドッキリにしちゃあ、悪趣味だな……」藤波=冗談めかしたその声が固まる。
部屋の奥――壁に描かれたモザイク画=レオナルド・ダ・ヴィンチ『最後の晩餐』。
「素晴らしいだろう。偽りの繁栄に溺れたこの都市に、相応しい絵だと思わないかね?」
ふいに部屋の奥から声――ビックリし過ぎて心臓が止まるかと思った。
「ようこそ、招かれざる客たちよ」物影から一人の男が姿を現す――仕立てのよいスーツ/手に髑髏の杖/顔をすっぽりと覆うコウモリの
「――では、フレーダーマオスは元BVTの人間だと?」
合流した捜査隊A班+B班=地下を走る軍用機体――荷台で大須が眉をひそめる。
《そうだ。ルナール・ファルケ、四十三歳。かつてはBVTの実行部門に所属し、そこの第二機甲部隊で戦術顧問を務めていた男で、爆発物処理のプロフェッショナルだ》
呆れたように天を仰ぐ。「なんと……現場嫌いで有名なBVT上層部が、その前線での直接指揮という建前作りのためだけに設けていたという、あの部署ですか?」
隣で首を傾げる響=素朴な疑問。「BVTに機甲部隊なんてあったんですか?」
「昔はあったのよ。不祥事続きで部門ごと潰れたって話だけど」奏=並走するように飛行しながら注釈。「指揮統括を名目にした横やりで、返って捜査を混乱させていたそうよ」
《その部門が消えた原因が、六年前に起こった〈政府高官暗殺事件〉だ》
「聖週間の真っ只中に、内務大臣を含む十一名がテロによって死亡した事件ですね」大須=声のトーンを落とす。「当時、自分は海外派兵で国内にいませんでしたが……ガブリエル隊長とヴォルフ副長のお二人は、国連都市でその渦中に居合わせたと聞いています」
衝撃の事実――響+奏=思わず顔を見合わせる。
《実際に事件を解決したのは、公安の連中だ》副長=〝もう過去の話だ〟とでも言いたげ。《俺たち
大須=仰天。「まさか――その突入を命じたのがファルケだった?」
《 そのまさかだ。失態を重ねたBVTには、事件の責任を取らせる生け贄が必要だった。書類上は自ら辞職したことになってはいるが、ようはトカゲの尻尾きりだ》
響=目をすがめる。「クビにされた腹いせに、報復を企てた訳ですか」
奏=冷淡に切り捨て。「いかれた連中の事情なんて、知ったこっちゃないわぁ」
《だが、これで一連の事件が繋がった。自爆テロも地下鉄の死体も、全て奴の仕業だ》
「聖週間を舞台に、六年越しの復讐劇が開幕したと。そのためにかつての同胞をも利用し、用ずみになった時点で口を封じた。しかし――昨夜の爆弾騒ぎには何の意味が?」
大須の疑問――二号車の摩耶が答える。《ブラフに使われた塗装剤が〝ヒント〟だったのよ。発見された塗料が、六年前の事件で爆破された製造所で生産されたものだと判明したわ》
「自己顕示欲が強い犯人ですね」理解不能といった響――それに大須も同意。「わざわざ手掛かりを残すとは……このコウモリは、ただ巣穴に隠れているつもりはないらしい」
再び副長。《……これだけ用意周到な敵が、ただの復讐のみで動いているとも思えねえ。この件にはまだ裏がある。なんとしても、地下に潜むコウモリを狩りたてろ》
あまりの異様さに悲鳴すら忘れ、茫然と立ち尽くす――庇うように藤波が前に出る。
「あんたが
皮肉を返す――その間も抜かりなく周囲を確認/伏兵を警戒。
「安心したまえ。ここには君たちの他に誰もいない」コウモリ男が低く嗤う。「何なら、そちらのお嬢さんの力で確かめてみるといい」仮面から覗く暗い双眸が、鳴を見据える。
深い
「EI兵器を操ってたのはお前だな」藤波が拳銃を構える。「手下や人形どもに働かせて、自分は地下のスィートルームで高みの見物とはいい身分だな。どうせなら、もっと安全な場所に案内してやるぜ? 例えば、レオーベンの
「私はすでに、我が身を捧げているとも」突きつけられた銃口を愉快そうに見つめる。「この偽りの都市を正しき姿へと律することが、私に与えられた使命であり、存在理由であると気づいたのだ。
コウモリが芝居がかった仕草で両手を広げる/ひるがえるスーツ/いつの間にかその手が拳銃を握っていた。「もとよりお前たちは、ここで永遠の眠りにつくのだからね」
鳴と藤波が息を飲む――嘲笑うかのようにコウモリ男が撃鉄を起こした。
銃声――。
MSE一号車――ヴィーラント=目まぐるしく変化する戦術モニターを睨む。
画面に新たな通信ウィンドウ=二号車にいる摩耶。《ちょっといいかしら、八雲?》
「成人前の名で呼ぶな」片眉を上げて不平を示す。「――何かあったのか?」
ため息一つ。《先ほどマスターサーバーの監視するネットワーク上に、新たな仮想空間と共に膨大な暗号化データが発生したわ。例の情報監督官のIDを元に解析を進めているところだけど……その中に妙なデータが交ざっているの》
「妙なデータだと……どういうことだ? 」
《今の段階では特殊な科学技術に関係した何かとしか言えないわね。詳しく探ろうとした途端、〈
「敵の仕掛けたウィルスプログラムか」わずかに
《――確かにあそこなら、古今東西あらゆる兵器データが保管されているけど……大丈夫かしら? また上から睨まれるわよ?》
「こっちはすでに軍の回線を間借りしてるんだ。今さら気に病んでも遅い」
《毒を食らわば皿まで、ってことね》処置なしと肩をすくめる。《開発局の先輩に頼んでデータを回してもらうわ。でも、この貸しはマティーニ一杯じゃ割に合わないわよ?》
「次はディナーでも
《……はいはい。全く、人をその気にさせるのが上手だこと》呆れ顔で通信アウト。
しばしモニターを見つめるヴィーラント――ふと何かに気づいたように顔を上げる。
夜の闇に沈む街に、振り続ける雨――どこか遠くで春雷が鳴る――まるで人の愚かさを嘆いた神々が、低い唸りを上げているかのように。
それは一瞬の出来事だった。
コウモリ男の握る銃が凶弾を撃ち出す直前――藤波が鳴を突き飛ばした。
そのまま少女を庇うように体を覆い被せる――銃声――もんどり打って地に倒れる。
だが藤波――倒れた勢いを利用し前転/素早く態勢を立て直す=すぐさま反撃に転じる。
鮮やかに
九ミリ拳銃から硝煙が立ち昇る――文字通り精鋭の名に恥じぬ離れ業。
コウモリ男が後ろへ崩れ落ちる――同時に、藤波が苦しげに片手をついた。
「藤波さんっ!」慌てて駆け寄る――強気に笑う藤波。「心配すんな。ただの掠り傷だ」
言葉とは裏腹に苦悶に顔が歪む――抗弾ベストに覆われてない右脇下が真っ赤に染まる。
「そ……そんなはずないじゃないっ! 血がいっぱい出てるもん!」血相を変える鳴――呻く藤波を気遣いながら、肩に担いでソファへ運ぶ――手近な布=テーブルクロスを強引に引き裂いて、傷口へ押し当てる――上品なシルク布が、すぐ
「どうしよう、どうしよう……。血が止まらないよぉ……」
動転する鳴/蒼い顔で藤波が呟く。「慌てるな、嬢ちゃん。こんくらいの、怪我――」
出し抜けに嗤い声――驚愕に二人が凍りつく――呆然と声の主を見つめる。
「失礼……晩餐の余興にしては愉しませてもらったよ」まるで歯車が狂ったような嗤い。
何事もなかったように起き上がるコウモリ男――その銃痕の空いた覆面がずり落ちる。
コウモリ男の頭――無毛/額の後ろ・耳の後ろ・後頭部全体が抉り取られたように消失=人工皮膚で覆われた傷痕――まるで塀から落っこちて潰れた
そのおぞましさに悲鳴+呻き。「ひうっ!?」「な……なんなんだ。お前は――?」
戦慄におののく二人――脳のない男が嗤う――さもおかしくて堪らない、というように。
「言っただろう? すでに私はここにいない」なおも嗤い続ける。「腐敗したBVTの犬に過ぎない者どもには理解できぬだろう。我が魂はすでに、大いなる意志の裡に在る!」
大仰に左手の杖を掲げる――黒魔術の儀式を見ているかのような現実離れした光景。
にわかに激震――豪奢な調度品が崩れる/倒れる柱/落ちる天井/土砂が押し寄せる。
「ふ、藤波さんっ!?」「何が起こって――」轟音に欠き消される叫び――崩壊する地下に木霊する嗤い声――そして闇の奥から、ソレが姿を現した。
地下を進む軍用機体――荷台で響が声を上げる。「ストップ――止まってくださいっ」
《スズカA~停止しま~す♪》訓練された猟犬みたいにピタッと停車する一号機――壁の一角を、ヘッドライトの灯りが照らし出す。「見てください。そこに矢印があります」
巨体を乗り出し大須が確認「……間違いない。これは藤波の残した
期待を込めて訊く。「じゃあ、これを辿っていけば――」
頼もしく首肯。「ああ。きっと、ローゼンライエ隊員も一緒に違いない」
にわかに希望が湧く――勢いよく発進したところへ、ふいに地鳴りのような震動がきた。
緊迫するMSE一号車内――通信官たちの矢継ぎ早な報告。「
「敵が大規模な破壊活動に移る前兆かもしれん。変化を見逃すな!」ヴィーラントの一喝。
そこに新たな報告――摩耶=切迫した表情。《 大変よ! 非常に不味い結果が出たわ》
「何が分かった?」端的に訊ねる――珍しく言い淀む。《……これを見てちょうだい》
解析データ――過去の事件との比較・類似・符合――それらに基づいた、とある推測が次々と表示されるにつれ、狼の目が烈火のごとき殺気を放つ。「……これは確か?」
その眼光に思わず怯む――すぐ平静を取り戻す。《〈
「あの〝悪魔の兵器〟が甦るだと……っ」マイクを握る左手がミシリと音を立てる。
夜空に一つの雷鳴が轟く――さながら災厄の
光の届かぬ暗闇で、ソレは目覚めた。
戸惑いは数瞬、すぐソレは
そこにはもはや、一欠片の迷いも介在せず。
あるのはただ、与えられた役目を全うすればよいという単純な理解。
己が
新たな器に光が宿る。あらゆる暗闇を見通す最新式の探査装置が作動。
それは船乗りを導く光のように、あるべき針路を示し、確かな道しるべとなる。
やがてソレは鋼鉄と化した四肢の間接を唸らせ、ゆっくりと動き出した。
さあ、ゆこう――混迷を極める都市へ、今こそ迷いなき変容をもたらすために。
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