第二章「ウサギとカメのロンド」

第11話「はじまりのベルが鳴る」

 あるところに足のはやいウサギさんと足のおそいカメさんがいました。

 ある日、足のおそいカメさんはこう言いました。 

「ウサギさん、ウサギさん。山のふもとまでかけっこで勝負をしましょう」

「いいですよ、カメさん」

 ウサギさんは負けるはずがないとおもっていたので、受けてたちました。

 かけっこがはじまり、ウサギさんはカメさんを大きく引きはなします。

 安心しきったウサギさんは、ゴール前で居眠りをはじめてしまいました。

 お昼寝から目を覚ましたウサギさんが、寝ぼけまなこでゴールを振り返ると。

 そこにはすでに、ゴールしたカメさんが笑っているのでした。

 ――こんな出来事が、あったんだって……だって。


    壱


(たいへん、たいへんだ)

 いつものように騒ぎたてる心――ふうーっと大きく深呼吸/すーはーすーはー。

 河川を吹き抜ける風が運ぶ、新鮮な春の空気――それを機械化された心肺が規則正しく取り込んでゆく/大丈夫だよ……大丈夫だよ……

 辺りを埋める人の波/色とりどりのシャツ/軽快な音楽/賑やかな人の声。

 眼前に広がる光景を眺め、目を回すウサ耳の少女――メイ・ディオナ・ローゼンライエ。

 桃色おさげの髪+ウサ耳リボン/気弱な青い瞳ブルー/黒に赤いラインが入った小隊の制服/特殊部隊員の証でもある真っ赤なベレー帽/白い手袋/桃色のフリルスカート――胸元に〈ミリオポリス特捜機動隊MSE〉の部隊章&〈飍〉ラーゼン小隊の徽章=入念にコーディネイトされた正装――か弱さと可憐さに少女的ファンシーな愛らしさをミックスしたような立ち姿。

「うっうっ……。人がいっぱいだよ……だよ?」

 装甲車の上――ウサギのぬいぐるみをギュッと抱き締め、おずおずと感想を述べる。

 それに同意する呟き。「確かに……みなさん、よく集まってますね」

 右隣の装甲車=無表情に佇むサイドテールの少女――ヒビキ・アルトリカ・バルツァー。

 蒼い髪+サイドテール/理知的な灰色の瞳アッシュ/ベレー帽/同じくほぼ完全装備な制服――なぜか灰色のプリーツスカートの下に、そこだけ規定外の黒スパッツを着用/それ以外は教本通り――冷静と凛々しさに健康的スポーティーな魅力をトッピングしたような立ち姿。

 さらに届く投げやりな声。「どうだっていいわよぉ。もう、肌が焼けちゃうじゃない」

 左隣の装甲車=憤然と仁王立ちする銀髪の少女――カナデ・アンネリーゼ・シュタルケ。

 長い銀髪+羽の髪飾り/切れ長な琥珀の瞳アンバー/ベレー帽/ベージュ色のタイトスカート/黒いタイツ/着飾った制服の胸元を大胆に開き、年齢に似合わぬプロポーションの良さをアピール――したたかな自信に蠱惑的コケテッシュな色気がブレンドされたような立ち姿。

 三人娘――自分たちの置かれた状況に、揃って

「うっうっ……恥ずかしい」「やってらんないです」「日傘くらい用意してよねぇ」

 休日をぶち壊す警備任務――MSEエムエスエーの装甲車×三をお立ち台にして、ただいま立哨中。

 ミリオポリス第二十二区ドナウシュタット――ドナウ川/新ドナウ川に挟まれた中州=ドナウインゼル

 その一角を埋め尽くす人・人・人――色とりどりのテント/ステージ/飾り付け。

 トドメに蝟集いしゅうする人々の頭上に踊る横断幕=『美しき青きドナウを守る市民大会』。

 元は環境問題を訴えるチャリティーイベントに、市内のTV局や各企業がこぞって協賛。

 それに〝これは有権者へアピールする絶好のチャンス〟と考えた各政党が広報車を派遣。

 さらに〝俺たちの意見をアピールする絶好のチャンス〟と考えた各市民活動団体が参戦。

 瞬く間に規模が膨れ上がり、環境キャンペーン・企業広告・選挙広報・政治デモなどのシュプレヒコールが乱れ飛ぶ、とってもカオスなイベントに。

 今日が聖週間の始まりでもある〈枝の主日パルム・ゾンターク〉だったことが災いして、予定されていた管区警察だけでは警備に要する人員が足りず、待機中のMSE隊員も急遽きゅうきょ召集――かくしてめでたく〝会場の隅っこで罰ゲームのごとく立たされる三人娘の図〟が完成。

 鳴=うるうる。「本当なら今日はお休みだったのに……」

 響+奏=同意/憤慨。「全くです」「もう! コスメグッズの特売日だったのにぃっ」

 そこに通信=副長の叱責。《蒼風アッシェ銀風ズィルバー桃風ローザ! 少しはシャキッとしろっ。市民の見ている前で恥を晒すなっ!》まるで廊下に立つ生徒を叱るような怒鳴り声。

 三人娘=ひそひそ。「無理やり連れて来られたのに……ヒドイよね、ね?」「こっそりと監視してるなんてズルイです」「自分はクーラー効いた車内にいる癖にねぇ」

《……何か言ったか?》ドスの利いた声/ホラー染みた残響エコー付き=暗号化フィルタの影響。

「はい副長ぉ。奏たち、真面目に立哨してまぁ~す」奏の即答=適当に流しつつ仲間へアイコンタクト――〝うるさいから無線通信かざぶえで話すわよ〟の合図=反省の色なし。

《なんでこんなお祭りに大勢集まってくるのかしら? こっちはいい迷惑よ》

 無線でも愚痴を零す奏――小首を傾げる鳴。《でも、みんな楽しんでるみたいだよ?》羨ましそうに会場を見渡す。《なんだか、不思議の国のお茶会マッド・ティーパーティに似てるかも……かも?》

 頷く響。《そのうち〝なんでもない日おめでとうベリー・メリー・アンバーズデイ・トゥユー〟って歌い始めそうですね》

 出店や野外ステージに交じって、嫌でも目立つプラカード――『河川の再開発反対』『公共事業の仕分反対』『増税反対』『福祉予算の削減反対』『人種差別反対』『難民反対』。

 市政や国の政策に反対する団体に反対する団体が主張する意見に反対する団体たち。

 頭がこんがらかる/本人たちも分かってなさそう――反対ばかりで疲れないのかな? 

 答えなき問いかけ/プラカードが咲き乱れる会場――各所に政治広報車/スタッフが無料配付する政党グッズに群がる市民や観光客――〝どうでもいいから楽しんでやるぜ!〟といったたぐいの、溢れんばかりのお祭り根性――興味深そうに鳴の瞳がキョロキョロ動く。

《あれ、あそこでぬいぐるみ配ってるよ?》

 鳴=指差す方向に広報車――釣られてそちらを眺める響。

《社会党ですね。配ってるのは、確かイメージキャラクターの……》

《エドくん人形ね》興味なさげに答える奏。《選挙に向けて人気取りしたいんでしょ》

《えっと……あっちの変なのは?》別の方向を指す――広場の反対側に広報車/党名入りボールペンを配るテント/閑散とするスペースに謎の未確認生物UMAを発見。

《あれは確か国民党ですが……なんですか、あの怪しい着ぐるみ?》

 言葉に詰まる響――代わって応じる涼しげな女性の声。

《自称ドナウ川の非公式マスコット、〝ワニの妖精ドナッシー君〟よ。いま話題のゆるキャラなんですって》補佐官の摩耶マヤ=ごく自然に会話に参加。《お喋りもほどほどにね。また副長の雷が落ちるわよ?》やんわりとたしなめる。

 無駄口の常習犯である三人娘――担当医兼お姉さんポジションでもある摩耶の言葉に、渋々従う。《はい、摩耶センセー》《真面目にやればいいんでしょ》《了解ヤーです……です》

休暇オフが潰れてガッカリする気持ちも分かるけど、これが私たちの仕事なのよ》優しく諭す=飴と鞭。《頑張ったら、後でシフトを調整してもらえるよう進言してあげるわ》

《ホント……ホント?》予期せぬ幸運を素直に喜ぶ鳴――響+奏=すかさず交渉。

《聖木曜日の獅子祭に行きたいです》《奏、聖水曜日の夜は予定があるのよねぇ》

 ここぞとばかりに休暇を要望――摩耶=苦笑。《はいはい。きっと勤務態度が良ければ隊長や副長も納得してくれるわ。そのためにも、今はしっかりと任務をこなしなさい》

 巧みな心理誘導――隊員たちのカウンセリングも務める才媛/その見事な交渉術。

 すっかり乗せられた響+奏=ピシッと背筋を伸ばす/その様子に鳴=気後れ。

《うっうっ、私だけ予定がないよ……ないよ?》ぬいぐるみを抱き締め、うるうる。

 見る者のを大いに刺激する小動物的ポーズ――撃ち抜かれる響+奏=きゅん♡

《そ、そうですね……復活祭オステルンにみんなで遊びに行くのはどうですか?》

《いいんじゃないかしらぁ? どこに行くかは、後で相談しましょう》

《えへへ……。みんなでお出かけなんて……楽しみだよね、だよね♪》

 三人娘のコント的会話――大人たちからすれば〝部隊の規律を乱すただの問題行動〟に過ぎなくとも――鳴はこうして仲間同士、楽しくお喋りするのが好きだった。

 みんながそばにいてくれる――それだけで焦りや不安が消えてなくなっちゃう不思議。

 ポカポカ/心地良い気分――それを噛み締め、春の空気を胸一杯に深呼吸――

(たいへん、たいへんだ)――ふいに言い知れない胸騒ぎが、激しく鳴り渡った。

 高鳴る動悸――/音が鳴る――何かを探すように視線が動く/会場の向こう――ドナウ川を横断するライスヒ橋/橋の上を走る車の群れ/

 透明な瞳でそれを見つめる――遅れて響と奏も気づく。「鳴?」「どうかしたぁ?」

 そこに副長からの通信。《本部より緊急指令、2・2ツヴァイ・ウント・ツヴァイだ!》

 呆気に取られる響+奏――コード2・2=計画された犯罪の判明/MSEへ出動命令。

 緊迫する副長の声。《複数のグループによる通信を〈憲法擁護テロ対策局BVT〉が傍受した。敵性車両がこちらへ接近中――過激派に扇動された、馬鹿どもが来やがったぞっ!》

 橋上――インターチェンジを猛スピードで降りて来る複数の車両群。

 摩耶の補足。《停車勧告を無視して進入する車両を確認。先週行われた労働デモに触発された、新興右派グループ御一行様よ。狙いは島内に集まった政党広報車でしょうね》

 弾かれたように身構える三人――脳内チップを通して本部のデータベースにアクセス。

 襲撃情報――先日、旧市街で行われた/それにプッツンきた白人系グループを新右派団体が〝デモを許可した〟とあおる/まんまと乗せられ襲撃を決行/間抜けにも実行メンバーをネットのSNSで募集――実行する前に計画がバレバレ。

 その間にもこちらへ接近する車両群――先頭の偽装バス=車体側面に市内の観光会社のロゴ/窓からチラチラと覗く自動小銃――はた迷惑な思想テロリストの到来。

 副長の鋭き指令。《蒼風アッシェ! 銀風ズィルバー! 桃風ローザ! 〈飍〉ラーゼン小隊、風のごとく突撃せよアル・シュツルム・ヴィント!》

 号令――装甲車の屋根を蹴り、颯爽と宙に身を躍らせる三人の少女たち。

「転送を開封かいふう

 三人娘の体が、エメラルドの幾何学的な輝きに包まれる。

 風鳴りのような音を発して、輝きのなかで通常の機械化義肢ぎしが分解/置換――サーバーから転送された〈特甲トッコー〉へと変貌。

 鳴――手足を包む薄桃色の機甲/頭にロップイヤー型のヘッドセット/お尻にぴょこんと可愛らしい尻尾のような丸いバーニアユニットが出現=点火ブースト

 桃色の跳躍――()装甲車/広報車/ステージ/アイスクリームの移動販売車の屋根を次々とホップ・ステップ・ジャンプ――群集を飛び越え、広場の入り口へと着地。

 左腕に甲羅のような円形盾が出現/さらに脚部のパイルバンカーで体を地面に固定――突っ込んでくる大型バスから逃げ惑う人々を守るように盾を構える。

「うっうっ……。無謀運転は事故のもと……っ」

 鳴=堅牢な小隊の防衛手ディフェンダー/半べそ姿で立ちはだかる――その特甲=円盾+《飾り耳オーア》に備えられた抗磁圧こうじあつ発生器が機能を発揮――強大な力場が、不可視のシールドを形成。

 ウサ耳少女VS暴走バス――鳴を中心に展開された半球状の障壁がバリケードとなり、重さ十数トンの質量を正面から受け止めた。

 轟音――暴走バスと少女の正面衝突/空間に生じる激しいスパーク。

 衝撃――バスのバンパーが砕ける/陥没する地面/アスファストに地割れのような亀裂。

 拮抗――鳴の体が数メートルほど後退/脚が地にめり込む――しかし、

 停止するバス――恐るべき機械仕掛けの底力――自身の数百倍もの質量を抑え込む。

「安全運転しなきゃ……ダ・メ・だ・よォォォ――ッ!!」

 鳴がバスを押し返す――歪む車体/バランスを崩し横転/砕け散る窓ガラス。

 車窓から転がり落ちるように飛び出すテロリストども――逃げ遅れた数人が車内で昏倒。

 敵の怒号=白煙を噴くバスを尻目に小銃を構える十人――そこに鋭い銃撃が襲来。ダダダダ・ダダダダ・ダダダダッ

 響――シャープな蒼い機甲/尖った耳状のヘッドセット/両腕の超伝導レール式マシンガン/腰部の尻尾バランサーで姿勢制御――俊敏な走りで人垣+障害物をジグザグに避け、速攻&速射ラン・アンド・ガン

一人アイン二人ツヴァイ三人ドライ――」迅速な制圧――反撃する間もなく手足を撃ち抜かれた男たちが次々と地に倒れる――疾走しながら赤熱した銃身+弾倉を強制排出/リロード。

「弾切れだぞ」「今だ、やっちまえ」「このクソガキがっ」ここぞとばかりに敵が銃を乱射。

 敢えて回避せず――抗磁圧のヘルメットが敵弾を反らすに任せる。

 そのまま真っ直ぐに敵の一人へ突撃――懐に飛び込む/勢いよく拳を振りかぶる。

 腕と一体化した銃身がクルリと回転/銃底部に装備された電撃器が起動――ばんっ!

 紫電を纏った電撃拳スタンナックルが敵に――一撃で頭蓋を打ち砕かれた男が宙を舞う。

 再び前を向く銃口――撃つ・打つ・撃つダダダダッ・ダンダンッ・ダダダン!/さらに三人が戦闘不能に――そこで最初に宙へ打ち上げられた男の体が、ようやくバスの上へと盛大に落下した。

 響=小隊の冷静な攻撃手フォワード/犯罪者どもへ容赦なく叩きつけられる、猛烈な弾丸旋風。ダダダダダダダダダダダダダッ!

 一陣の風となり地を駆ける――敵が慌てて反撃/それを鳴がガード/響が撃ち返す。

 少女らがもたらす局所的破壊の暴風雨――戦闘開始から数分で半壊状態に陥る敵集団。

 運よく難を逃れた二人の男/〝あんな化物の相手なんてできるわけねーよ〟とばかりにたまたま近くにあった車両に駆け込む――持ち主が逃げ放置されたホットドッグの販売車――無我夢中で運転席と販売ブースにそれぞれ飛び込む。

 ソーセージを床に叩き落し小窓から顔を覗かせた男が、運転席の仲間に「早く逃げろ」と喚く――ふと何かに気づいたように、ケチャップまみれの顔で空を見上げた。

「はぁい、おじさん。奏にもを奢ってくれないかしらぁ?」

 呆気に取られた男の顎がかくんと落ちる――販売車の屋根に落ちる影/太陽を背にして空に浮かぶ、羽の生えた銀髪の少女。

 奏――流麗な銀色の機甲/触角のようなヘッドセット/背に輝く羽で空中にホバリング。

「でもぉ……どうせなら、火傷ヤケドしそうなくらい熱々ホットがいいわ♪」

 たのしげに目を細める――両腕が弦楽器ハープのように展開/妖艶に液状金属製フリュスヒィメタルのワイヤーを爪弾く――奏でられる電磁波の旋律――その信号を受け、販売車の屋根・車体・レジ棚――すでに至るところに射ち込まれていた超伝導電撃針テーザーニードルが起動。

「さ~あ。歌ってあげましょ、レンジDEチンッ♪」弾ける放電/車両ごと中の男たちが熱々の黒こげに――さらに広場のあちこちで悲鳴――電撃のトラップが敵を翻弄。

 奏=小隊の狡猾な司令塔プレイメイカー/抜かりない撹乱戦術――その術中に嵌るテロリスト。

 分断された敵をMSE隊員が次々と狙撃――警官隊・警備隊と連携して一般人を退避/戦闘エリア前に円陣防御バリケードを敷いて、後続の敵をただちに包囲する。

《手応えのない敵ね……復活祭の卵探しエッグハントの方がよっぽど歯応えあるわぁ》

 無線通信による駄弁だべり――その間も軽快に犯罪者と血と硝煙のワルツを踊る三人娘。

《知ってますか? 赤いイースターエッグオスターアイを見つけると、幸運が訪れるらしいですよ》

 響=戦場を疾駆/銃撃・打撃・電撃の三拍子/流れ弾をばら撒く馬鹿を優先して排除。

《赤く染まったなら、もう、そこらじゅうに転がってるわね》

 奏=戦場を飛翔/羽の探査によるサポート/敵の増援をテキパキあしらい連携を寸断。

《いいなぁ。真っ赤な卵をみんなで見つけられたら、素敵かも……かも?》

 鳴=戦場を跳躍/盾で仲間を守りカバー/自ら囮になって、敵を群集から遠ざける。

 転倒したバスを盾にしぶとく応戦してくる相手にミドルキック――脚のパイルバンカーで敵を車体に文字通り――脚をひっこ抜いた鳴が、ハッとその音に気づいた。

 ――時を刻む秒針の音/

(たいへん、たいへんだ。さあ、急いで)警鐘を鳴らす騒がしい声。(

 急かされるように周りを見る――ドナウ島の広場/河岸に転倒したバス/戦う仲間/次々と倒される敵――ううん、違う。多分、

 さらに首を巡らせる――逃げ惑う観光客・市民団体/誘導する警備スタッフ/飛び交うカラー風船――春先の芝生に転がる飲食物・グッズ・雑多なゴミ――蹴り倒された看板・プラカード――無造作に脱ぎ捨てられたイースターバニーオスターハーゼの頭。

 戦場となった広場から避難する人々――着ぐるみの頭を脱いだアルバイトらしき青年が群集の中で右往左往している――チッチッチッチッ/その瞬間――鳴は走り出した。

 バイト青年――人波に押され封鎖線の外へ――その先に未来党の青い広報車。

 ふいに青年が懐からを取り出す――その手に握られるエッグスタンドを上下に重ね合わせたような球体――=まるで不幸を呼ぶ

 何かを叫びながらそれを掲げる青年――ワッと群集からどよめき/たちまちパニックに。

 震える青年の指先が、手榴弾のピンに伸びる――酷く緩慢な動作/けど、間に合わない。

 ダーンッ! と轟音/一斉に身を伏せる人々――だが、予期された爆発は起こらず。

 MSE隊員による掩護フォロー=装甲車の屋根から〈瑞雲〉ヴォルケン分隊の射手が見事な狙撃を披露――肩を撃たれた青年が手榴弾を取り落とし地に転げる――別の隊員が急行/制圧しにかかる。

 だが――チッチッチッチッ/。「ダメだよ……!」

 先行する隊員を追い抜いて、鳴は一心不乱に青年に飛び突く――――暴れる青年を機械仕掛けの腕力で押さえつけ、急いで着ぐるみの胴体を引き裂いた。

「ひっ……!?」怯える青年/涙と泥と血に染まりグシャグシャの顔――その下/裂けた着ぐるみの内側から覗く、胴に巻き付けられた

 駆けつけた巨漢の隊員――息を飲む。《自爆する気かっ!? なんということを……》

 副長の怒号。《クソったれシャイセ! すぐにBVTの処理班を――》

 摩耶の悲鳴。《爆弾から信号を感知! 遠隔操作でいつ起爆されるか分からないわっ》

 緊迫する通信――それらをどこか遠くに聞きながら、鳴は透明な瞳で青年を見つめる。

 奇妙に歪んだ顔――己の運命を悟った者の眼差し――そこに宿る、

(さあ、急いで。?)

「うっ……」追い立てられるように鳴は青年の体を抱えると、そのまま猛然と走り出した。

《鳴っ――!?》《アンタ、何やってるのよぉっ!?》

 仲間の声――だが、それよりも鳴は己のうちより聞こえる声から逃げるのに、必死だった。

 いつも鳴の心を急き立てる、時計ウサギクロックバニーのささやきから――

(急がないと、たいへんなことになるよ。

 チッチッチッチッ/怖い・怖い・怖い――恐怖に怯え、猛獣から逃げるウサギのように広場を駆け抜け――青年を抱えたまま、勢いよく川へ飛び込んだ。

 爆発の直前――青年から身を離した鳴は、手足を亀のように折り畳み、衝撃に備える。

 ! 間欠泉のごとき盛大な水柱――飛沫が土砂降りの雨となって辺りに降り注ぐ。

 吹き飛ばされた鳴の体が弧をえがく――飛び散る破片に肩や脇腹の皮と肉を抉られる。

 しかし――抗磁圧のヘルメットが頭部を保護し、機械の手足がになることで、重要な臓器が傷ついたり、爆圧で内臓が破裂するといった最悪の事態には至らず――そのまま数十メートルほど宙を舞い、まりのように芝生の上に投げ出される。

「がぁはっ……はぁ……はぁっ」咳き込むように息を吐く――着地の瞬間、最大になった抗磁圧のヘルメットが空気まで遮断したため、一時的な酸欠状態に/すぐ側に半ばからもげた自分の右腕と左脚が転がっている/荒い呼吸を繰り返し、他に異常がないか確かめる。

 爆発前に痛覚をオフにしたことで痛みなし/大きな骨折や打撲もなし――大丈夫。

 ずぶ濡れ姿で転がったまま、ふうーっ、ふうーっ、と深呼吸。

「鳴、大丈夫ですか!?」「ちょっとぉ、アンタ平気なの!?」

 駆けつけた仲間に助け起こされる――安心した途端、せきを切ったように涙が溢れ出した。

「あの人も泣いてたの。助けられたはずなのに……」しゃくり上げながら嗚咽おえつを漏らす。「うっうっ、何も、できなくて……」涙に濡れる少女を、仲間たちが優しく抱き締めた。

「分かっています。鳴はエライです」響=そっと頭を撫でてくれる。

「アンタにしては、上出来だったわ」奏=顔や髪に付いた泥を払ってくれる。

 仲間の温かさ――さらに涙が溢れる/――飛んできた何かが、泣き顔を直撃した。

 と音を立て、鳴の顔が真っ赤に染まる――どろりとっぺたを滴る赤い液体/愕然となりながら、唇に入ったそれを舐めとる――紛れもないケチャップの味がした。

「えっ……、えっ……?」

 呆然とする三人――そこに激しい罵倒の声。「!」「危うくこっちまで巻き添えだったじゃねえかっ!」「機械混じりパッチワークスのガキどもが、!」

 宙を舞う空き缶・タマゴ・生ゴミ・小石――物と一緒に投げられる悪罵あくば――興奮状態に陥った群衆が、広場にいる治安組織の人員や警備陣に、

 想像を越えるパニック――何も出来ず――ただ身を寄せ合い、立ち尽くす少女たち。

《全隊員、至急車両に戻れっ。ただちにこの場を撤収するぞっ!》

 怒れる副長――それを意識の外で聞きながら、しかし、鳴は青い瞳が真っ赤になるほど泣き腫らした目で――幻を見ていた。心の穴奥へ走り去る時計ウサギ――消え去る間際、こちらを振り返ったウサギの赤い眼と、確かに目がった。

(ほら、やっぱり……たいへんなことになったよ)

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