第10話「明日へと響く風」
拾
晴れ渡る青空のもと――喧騒に包まれるプラーター遊園地。
爆弾の回収にあたる特殊部隊員/建物を消火する消防隊/負傷者を運ぶレスキュー隊/救助される人々/遠巻きに囃し立てるマスコミ+野次馬。
広場の銅像前に座り、響はそれらをぼんやりと眺めていた。
そこにやってくる仲間=鳴、そして奏。「やったね響ちゃん」「まあ、アンタにしては頑張ったわよねぇ」
「全く、とんだ一日でした」頷き返すも、ジッと遊園地の一角から目を離さぬ響――その様子に二人が気づく。
響の見つめる先=停止した観覧車――ゴンドラ内に取り残された人々を助けるため復旧作業中――その中にいる少年を待っているのだと察する二人。
「奏ちゃん。私たちお邪魔みたいだよ……だよ?」「そうねぇ~、お邪魔みたいねぇ~」
「ち、違います。私はただ、彼に言いたいことがあって――」
響が躍起になって反論しようとしたとき――観覧車の方から歓声が聞こえてきた。
その場に集まった人々が振り返る――ゆっくりと動き出す
この都市がウィーンと呼ばれていた時代から、そのシンボルであった巨大な歯車の姿――それはいつの世も変わらずに、今もこの都市と共にあり続けている。
「ほら、ボサッとしてないで早く行きなさいよぉ」「ね、ね? 行ってあげて?」
「……はぁ。分かりました、行きますよ」仲間に背を押され、響はおずおずと歩き出す。
観覧車の下に集まる人の群れ/救助された人間の中から、一人の少年の姿を見つける。
「あっ……」どう声を掛けたらいいのか分からずにいると、少年の方もこちらに気づいた。
「響ちゃん!」柔らかな笑みを浮かべる少年=静馬が駆け寄ってくる。
その屈託のない笑顔にドキッとする――なぜこんなにも動揺しているのか分からず――何となく悔しくて、ワザと素っ気無い態度で応じる。「静馬さん。ご無事で何よりでした」
「響ちゃんたちのお陰だよ。ありがとう、僕たちを守ってくれて」
「守ったといっても、世界よりずっと小さな遊園地だけですけどね」面と向かってお礼を言われるくすぐったさを誤魔化すように、さらにツンッとして答える。
けれど、静馬はそんな響の態度を気にすることもなく――おもむろに両手を掴まれた。
「この遊園地だって、僕たちの生きる世界の一部だよ」握った手に力を込め優しく微笑む。「響ちゃんはそれを守ってくれたんだ。だから……ありがとう」
ふい打ち――何の意図もない感謝の気持ちがストンッと胸の奥に入り込んできた。
考えてみると、今まで他人からこんな風にお礼を言われたことなどなかった――どこに行っても厄介者扱いされるMSE/お荷物扱いの響たち。
でもこの都市には、こうして自分たちを信頼してくれる人がいる――その事実だけで、心が晴れやかになる/今日一日の疲れさえも吹き飛ばすような心地良い気分が湧いてくる――それはもしかすると、とても素敵なことなのかもしれない。
頬を赤らめながら、静馬の澄んだ
不覚にも頭がボーっとしかける――そこに声。
「うわぁっ。キ、キスとかしちゃうのかな……かな?」「シーッ、静かにしなさいよぉ」
慌てて握り合っていた手を離す/直立不動の姿勢で横を向く/その視線の先――物陰から様子を
「ふ……二人とも、いつからそこに……?」響=恐る恐る訊ねる。
「こう……二人でギュッと手を握り合ったあたりかしらぁ?」奏=あっけらかんと。
「あのあの……続きはしないのかな、かなっ!」鳴=何かを期待するような眼差し。
「し、知りませんっ!」顔を真っ赤にしてツンッとそっぽを向く/急いでこの場を離脱しようとする。「それでは静馬さん。また会いましょう」
「あ……待って響ちゃん――」静馬=慌てて歩き去る少女を追いかけようとしたところへ――どーん! と鈴鹿が登場。「お兄ちゃん、無事だったんだ~。よかったね~♪」
妹の抱擁=強烈なタックルに悶える静馬。「あうぅ……響ちゃん……」伸ばされた手が虚しく宙をかいた。
「見た目はいいのに……やっぱり残念ね」「……残念だね~」奏+鳴=しみじみ。
遊園地の外に停車したBVTの護送車――拘束された男が護送官たちに連行されてゆく。
「――カスパール・ヴィットマン」
名を呼ばれ〝ティーゲル男〟――カスパール・ヴィットマンが顔を上げた。
護送車の扉の前に立つ、黒に赤いラインの制服を着た男――MSE副長ヴィーラント。「やはり、あんただったか」
ヴィットマンが唇を歪める。「……なぜ俺だと分かった?」
「BVTの対応がやけに早かったんでな。オマケにいつもは上から指図するだけの連中が、直接捜査するとまで言い出した。どうやらBVTには〈ヴァイスシュベルト〉を自分たちで捕まえなくちゃならねえ理由があるようだ――そこまで考えれば後は簡単だったぜ?」
「ふん、BVTの〈
「ああ。BVTが管理する〈
「……だろうな。フランクをはじめ、あの場にいた男たちのほとんどはその身を国家に捧げることとなった」過ぎ去りし日に思いを馳せるように、ヴィットマンが瞼を閉じる――再び開かれる両目/そこには暗き炎が宿っていた。
「だが、そいつらにこの国が何をしたか分かるかっ? 国家のために死んでいった者たちは殉職者としてではなく罪人として埋葬され、生き残った者は裁判にかけられ牢屋へと放り込まれた。奴らは〈特憲〉の誇りに泥を塗り、死者を貶めたのだぞっ」
激しい憎悪を燃やす瞳――それを真っ向から睨み返すヴィーラント。
「そうして〈特憲〉を追われたあんたは、何年ものあいだ就職を禁じられ、すっかり身を持ち崩して、そのツケを自分以外の人間にも払わせてやろうって考えた訳か?」
「この国とこの都市にだ。腐りきったBVTと共にこの都市を斬って捨てる――そのための〈
「そのために罪もない市民を巻き込んでか? あんた、どうやら落ちるトコまで落ちたみてえだな?」
「それは貴様も同じだろう。あの日、国際空港にいた俺は犯罪者となり、国連都市にいたお前たちはガキどものお守りときている。まさに〈特憲〉の誇りも地に落ちたものだ」
ヴィットマンが嘲笑う/それをヴィーラントの眼光が射抜いた。
「一緒にするんじゃねえよ」装填された銃のように鋭さを増す瞳/その奥に燃える静かな〝怒り〟という名の弾丸を宿した狼の眼差し。
「俺たちは自分のツケを他人に背負わせようなんてしなかった。落ちるトコまで落ちても、誇りを捨てなかった。悪いがこっちはあんたほどこの都市に絶望しちゃいなければ、今の境遇を呪ったりもしてねえんだよ。勝手に世界に絶望して自分から誇りまで捨てちまったのは、あんた自身だ。あんたは自分から闇の底に転げ落ちたんだ」
狼に睨まれて、虎が気圧されるように射竦んだ。
低く唸りながら力なく肩を落として連行されていくヴィットマン――牙を折られ、すでに誇り高き戦士でも、闘争の獣ですらなくなった男――もはや墓地の屍を漁る亡者のように腐り果てた、哀れな姿がそこにあった。
護送車の扉が開く――鋼鉄で作られた棺桶のようなその空間に、哀れな男が飲み込まれてゆく様を、ただ黙して見送るヴィーラント。
固く扉が閉ざされる――その僅かの間に、ヴィットマンのささやきが聞こえた。
「これで勝ったつもりでいるなら、それは間違いだ。この都市の抱える闇は果てしなく深い。いつか必ず、それを思い知る時が来るだろう」
死臭すら漂う亡者の叫び――世界の全てを腐らせ闇の底へと引きずり込もうとするかのような怨嗟の声を残し、護送車が走り去ってゆく。
その纏わりつくような腐臭を振り払うように、ヴィーラントは懐から煙草を取り出すと、左手に握ったライターで火を付けた。
紫煙をくゆらせ、スパーッと息を吐き出す/風が煙と共に瘴気を吹き飛ばしていく――それを眺め、男は静かに呟いた。
「俺たちは種を蒔いた。
ライターを握る左手――機械化されたその腕を強く握り締め、ヴィーラントは踵を返し歩き出す。
プラーターに風が吹き抜ける。
ずんずんと広場を進む響――そこに奏+鳴が追いつく。
「あ~あ、今日は疲れたわぁ。奏、帰ってシャワー浴びたぁい」「うっうっ……私はお腹空いちゃったかな……かな?」
ホンのさっきまでテロリストと戦っていたというのに――緊張感もへったくれもない仲間たち。でも、それが心地好い。
「では、キョーバシ
「あ、それいいわねぇ。どーせなら、副長のツケにしましょうよぉ~」奏の悪ノリ。
「あのあの! 私は
三人で笑い合う――いつもと変わらない会話/仲間と共有するいつもの空気。
どうしようもない人生で、響が見つけた大切ものたち。
仲間だけではない。他にもたくさんの人たちと出会い、今の自分はここにいる。
あれこれと騒ぎながら、後からついて来る静馬+鈴鹿/指揮車両の前で出迎える摩耶+MSEの隊員たち/その向こうから歩み寄る副長ヴィーラント。
響という存在を形作る人々/そのつながり――それが私の住む世界だ。
あるいはあの人もそうだったのだろうか?
何かのためでなく/誰かのために――任務・義務・使命、そうした何か大きなモノのためでなく――自分が守りたいと願う者のために/それを守ろうとする自身の意志に従って――戦っていたのだろうか。
きっとそうだ――だから、あの人はあんなにも強かった。
悩み・苦しみ・傷ついても――決して倒れず・諦めず・前へ進み続ける。そんな強さを持っていたのだ。
いつか自分もそんな風に
だって――生きている限り、希望はそこにある。
私はこうやって、前へと手を伸ばし続けることが出来るのだから――。
蒼く晴れ渡る空――風に流れる雲を追いかけるように/空に向かって手を伸ばす。
ここは
私の生きる世界――ここは私の都市だ。
そんな実感と共に、響は自分の中にストンッと何かが舞い降りるのを感じていた。
自然と心の中に生まれた
「――な~んか、世界とか守りたい気分です」
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