第9話「真っ直ぐ前へ」
玖
奏=銀色の特甲姿――背の羽を煌かせ宙を舞う。
蝋人形館の三階――『世界のセレブ』コーナー/パーティーホール=椅子やテーブルでバリケードを作り、ハリウッドスターや大物アーティスト人形と一緒に篭城したスキーマスク野郎ども。苛烈な反撃――〝ここに爆弾があるよ〟〝近づく奴は許さないよ〟分かり易すぎる敵の意図――おそらく今なかでは建物ごと派手に吹っ飛ぶために絶賛作業中――急がないとキケンが危ない!
「もうっ! 二人とも早く助けに来なさいよぉ!」
壁から不用意に顔を出したマスク野郎にニードルガンを浴びせつつ、愚痴が零れる――と、ふいに止む銃撃/バリケードの向うから突き出される筒状の物体――
「ちょっ、嘘でしょ――っ!?」
逃げる間もなく射出されるロケット弾――その直前/何かが両者の間に飛び込んだ――着弾/目を見張る奏――眼前に展開される
「奏ちゃん。だ、大丈夫……?」鳴=桃色の特甲姿――
「鳴、ナイスタイミング。愛してるぅ♪」「え、えへへっ……」気弱で頼れる仲間の登場――形勢逆転/好機を逃さず一気に攻める。
崩れたバリケードからホールに突入する奏+鳴――中央に設置された爆弾/それを取り囲むスキーマスクの集団――一人が爆弾を操作/残りが半狂乱に銃を乱射――鳴が防ぐ/奏がニードルを放つ――超伝導型
「どうやら片付いたみたいねぇ」奏=羽で周囲を探査しながらホッと一息。「そういえば、響はどうしたのかしら?」
「二階では会わなかったよ……よ?」鳴=プスプスと煙を立てる炭化した死体と、フロアに転がるバターみたいに溶けた蝋人形の臭いに鼻をつまみながら、キョトンと首を捻る。
「なぁ~に? あの子、イの一番に突撃しといて何を手間取ってるの――」ピタッと奏の動きが止まる――その脳内の視覚野に送られる信号=〈
《ちょっと、響。どぉーしたのよぉ!?》
《響ちゃん。大丈夫、大丈夫っ!?》
《ティーゲル男が出現――気をつけて下さい。敵は園内の作業員にも紛れ込んでいます》
響の
「――こちらでも確認した。俺たちも現場に到着したところだ。すぐに掩護の部隊を回す。支援を待て」
本来は車両通行禁止なハウアプトレー通りを
さらに駅前の大通りから駆けつける車両の群れ――パトカー/消防車/レスキュー車/BVTの輸送車/TV中継車――続々と集結する治安関係者+マスコミの人間たち=騒然とするプラーター地区。
さらに響。《ティーゲル男は体中に爆弾を身につけています。銃による攻撃は、誘爆の危険性あり――また、こいつが爆発すると、この遊園地ごと吹き飛ぶそうです》
「まさか――連鎖式爆弾!?」指揮車両の摩耶=息を呑む。「一つの信管が起動することで、信号を受けた他の信管も連鎖的に点火する爆弾よ。もし本当なら、敷地内の至る所に爆弾が仕掛けられているはずだわ」
「奴らの狙いはそれか」ヴィーラント=苦々しく。「これはこの都市そのものへの攻撃だ。プラーターは都市の象徴ともいえる場所の一つ――もし今ここで連鎖爆発が起こったら、その被害は甚大だ」
奏。《そんな……どうすればいいのよぉ?》
鳴。《うっうっ……このままじゃ、みんな爆発しちゃうの?》
《――他の方々は敵から市民のみなさんを守って下さい。ティーゲル男は私が倒します》
決意を秘めた響の宣言――驚く奏+鳴。
《ちょっと、何言ってるのよあんたは!》《ひとりじゃ危ないよ、危ないよ?》
それらの通信を聞きながらヴィーラント=腕を組み/引き金を絞るように鋭さを増す狼の目が現場を睨む――それから重々しく口を開く。「
「やってみせます」響=立ち上がりつつ応える――蝋人形館の入り口から現れるティーゲル男=倒すべき敵/その姿をしっかりと捉える。
《よし。ならティーゲル男はお前が確保しろ!》ボス狼の鋭い指令。《
《
《もうっ、響。しっかりやんなさいよぉ》《き、気をつけてね……響ちゃん》
「――はいっ」仲間たちの声援を背に受けて、ティーゲル男と対峙する。
腰を落とし、静かに拳を構えるティーゲル男=戦車のごとき装甲に包まれた機械の両腕――まさに
それに対する響――封じられた両腕の
響VSティーゲル男――そのリターンマッチ。
数メートルの距離をおいて睨み合う両者――先に響が動く/果敢なダッシュ――ティーゲル男の左ジャブ/頭を小刻みに揺らしながら掻い潜る――じれた相手の大砲=砲弾のような右ストレート――頭を掠める/構わず相手の懐に潜り込む――がら空きになった相手の脇腹に渾身のボディーブローを叩き込もうとした矢先、眼前に迫りくる鋼鉄の塊に愕然となった。
ティーゲル男のショートアッパー――待ち構えた一撃/伏せる虎が満を持して繰り出した凶牙――相手の拳と自分の体との間に、強引に腕の機甲を捻じ込む――辛くもガード/片腕を潰されるも、自ら後ろに飛んで衝撃を緩和。
休む間もなく襲いくるティーゲル男――とっさに横に転がって逃げる/直前まで響がいた空間に突き刺さる
跳ね起きて距離を取った――その様子を静かに覗うティーゲル男――まるで虎視眈々と獲物を見定める野獣そのもの。逃げたらやられる――少しでも隙を見せたら、その鋼鉄の
破損箇所を再転送/再び拳を構える――自分よりはるかに長い相手のリーチを見極めつつ、また一気に踏み込もうとしたところへティーゲル男の右腕が飛んでくる――その腕/フルスイングで迫る鋼鉄の拳が、突然目の前で伸びた!
履帯のような装甲に覆われた腕が、蛇腹のように展開――倍以上の長さになったそれが、血に飢えた猛獣の爪牙のように襲い掛かってきた。
理解よりも本能で危機を察した響――とっさに頭を庇う/庇った両腕が弾き飛ばされる――なおも突き出される虎の牙に、抗磁圧の見えないヘルメットすら噛み砕かれて、左の《
激しい衝撃――響の体と意識が同時に吹っ飛ばされる/地面を転がる/ぐらぐらと揺れる視界――目の前で火花が散った。
込上げる胃液の酸っぱさ/焼け付く鉄の匂い――地べたに這いつくばる自分。カチリッと頭の奥で何かの音が響く――そして開かれる記憶の扉/虚無の暗闇/封じられた過去。
甦るヴィジョン――事故の光景/両親が炎に包まれてゆく様を見つめ、ただ地面に這いつくばっていた自分。
さらに甦る記憶の奔流――手足を機械化された後も、ただ地面を這いつくばっているだけだった。
何も出来ない自分。
〈
両親を失い、無理やり国から機械の手足を与えられた――希望を失った世界――それはまさに生き地獄に放り込まれたに等しい、受け入れがたい世界だった。
だから――響は生きることを諦めた/世界を拒絶した/捨てようとした。
その端的な反応――与えられた機械の手足が自分自身の一部であると認識出来ず/生きるのに必要な現実感覚を失った心と体が機能を失い、動くことをやめた。
動かない手足/動けない自分――緩衝材が張り巡らされた施設の床をズルズルと這いながら無為に過ごす日々――このまま自分はゆっくりと虚無に飲み込まれるのだと思った。
現にここではそのように、新たな手足を受け入れることが出来ずに動くことを――生きることをやめてしまう子供も多くいた。自分もそうした子供たちと同じように生ける屍と化して、やがては虚無に還るのだと。
諦観=それでいいと思った/それがいいと思った――この闇を受け入れようと。
しかし、ある日――闇に沈もうとしていた響の心に――光が差した。
響はあの人に出会った。
機械化児童専門の教育・医療・研究・育成施設=〈
その実態=機械化された労働力を欲する各機関からのスカウト――大人たちによって用意された作文が読み上げられるだけの、くだらない行事。
その日、響たちの〈初等女子クラス〉へとやってきたのは、とある
黒髪の先輩/その職業=都市の憲兵隊に所属する特甲児童。
それを噂する子供たちもいた――有名なMPBの特甲児童/影の問題児としても知られた少女/その施設時代に起こした喧嘩・喫煙・脱走・数々の問題行動=語り継がれる伝説――〝この人なら何かやってくれるんじゃないか〟〝ただ大人たちの言いなりになるだけでなく、すごいことをやらかしてくれるんじゃないか〟という淡い期待と願望。
だが、それもすぐに霧散した――子供たちの前に立つ黒髪の少女=当たり障りのない朗読/無難な言葉で飾られただけの文章――ただ事務的にそれらを読み上げる少女の姿に、何かを期待していた子供たちは落胆の色を浮かべた。
その光景をぼんやりと眺めながら、響は心底くだらないと思った。
期待するから裏切られる。この世界は望みを抱いても、いいことなんて一つも起こらない。そんな世界を這いつくばって生きていくことに、意味なんてないじゃないか――。
全てを諦めた響の瞳が、虚無に染まろうとしたとき――出し抜けに、黒髪の少女と目が合った。
(生きろ――生きろ――生きろ)
少女の黒く澄んだ瞳――何者にも染まらない、純然たる
そして――響は自分を貫くかつて経験のしたことのない感覚に、圧倒されていた。
(生きろ――諦めるな)少女はその眼差しで訴えかけていた。(
その人の眼差し/姿/存在そのものに――響の心が/その魂が/震えていた。
感動・感銘・共感――それらを越えた何かが響の中に芽生えていた。
それが何かは分からない。その時の自分にも、今の響にもうまく説明出来ない何か――けれど/確かに/その瞬間――響はその少女からそれを受け取ったのだ。
(希望があるから生きるんじゃない。生きていることが最後の希望なんだ)
気がつくと、一度は動くことをやめたはずの自分の手足が/生きることを捨てようとした心と体が――再び動き始めていた。
必死に手足を動かした。慰問会の最後に行われる握手――操縦の覚束無い足取りで/どんなに無様でも/自分の力で立ち上がり/お互いに機械の手を伸ばし――しっかりと握り合った。握り合ったまま、じっとその人を見つめた。言葉に出来ない想い――それを相手に伝えたくて。
その人も響を見つめ返してくれた。
(あたしはあんたに何もしてやれない)――手を強く握りながら、無言で見つめる強い意思を宿した瞳――(でもあたしは、あんたが生き抜けることを信じてる。願ってる。祈ってる。心から)――自然と心の奥へと伝わってくるもの。
涙が滲みそうになった――でも必死に堪えた。今の自分には、この人から受け取ったものをまだ言葉にすることが出来ない。それが何なのかも分からない。
だから思った/この人のように強く
受け取ったものを心から零れ落としてしまわないように/捨ててしまわないように。
ああ――そうだ。
そのために、私は特甲児童になったんだった。
あの人から受け取ったものが何なのかを知るために――あの人のように強く
それを今、思い出した。
カチリッ――頭の奥で音が響く。
再び現れるヴィジョン――幻の中で響を見つめるあの人の姿が、別の少年に重なる。
〝全ての出来事には意味がある〟――ならば、あの出会いこそ今の響を形作る、掛け替えのない欠片だ。それら様々な出会いが、響という存在を形作っている。
それは決してただの継ぎ接ぎなんかじゃない――それを簡単に捨ててしまうことなど、出来るはずがない。
そう――本当に諦めない強さとは、決して捨て去ったりしないことなのだ。
捨ててしまうことがなければ、例え一度は諦めてしまった夢でも、また手を伸ばすことが出来る。また取り戻すことが出来る。
ブドウの木へは、何度だって手を伸ばすことが出来るのだ。
生きている限り――願いを捨ててしまわない限り/例え、今日諦めてしまったとしても――また明日手を伸ばすことが出来る。そして手を伸ばし続けていれば、やがて/いつの日か――きっと掴み取れる時がくる。
生きていることは最後の希望だ――生きている限り、希望は希望であり続けるんだ!
カチリッ、カチリッ、カチッ――心の中で何かが噛み合った。
響を支える見えない歯車――今の自分を構成する大切な
目の前に立つあの人の影が、響に向かって手を差し伸べる。
足を前へと踏み出した/しっかりと大地を踏み締めた。
差し出された手へと、自分自身の機械の手を伸ばす――。
掴んだ/握った――強く、強く――大切なものを/その想いを/しっかりと握り締めた。
その手を掴み取った瞬間――響は再びアスファルトの地面に立ち上がっていた。
風が/音が/現実が――世界が戻ってくる。
目の前を、虎が歩いていた――ティーゲル男=血走った目/獲物に止めを差す瞬間を待ちわびる目――その口元が醜く歪む/血と硝煙が作り出す破壊の虚無に飲み込まれた者の笑い=獣の笑顔。
ああ、この男はとっくに心を捨ててしまっている――この都市もそこに住む人たちも、自分と同じような虚無に引きずり込もうとしている――闇の底まで転げ落ちてしまった己を、獣の仮面と憎しみの炎で継ぎ接ぎにした、極めつきのクソッタレ野郎だ。
ふざけるな。そんなことはさせてたまるか。この私がやらせるかっ!
怒りで恐怖を抑え込む――
猛然と駆ける――ただ前へと進むだけの
鋼鉄の腕が宙をかく――その下でにわかに輝き/幾何学的なエメラルドの光に包まれる響の姿――光に消える両脚。
部分還送=特甲と共に両脚を外したことで、残された体が重力に従って落下――普通の人間には不可能な/予備動作なし/予測不能の回避手段=特甲児童だから出来る荒業――
ティーゲル男の攻撃を完全回避――相手の虚を突いた。
どうだ、特甲児童を舐めるなっ=声なき咆哮/快哉を上げる響――両脚を再転送しながら、頭上を通過する敵の腕=展開した装甲と装甲の隙間へと、左腕の機銃を押し込む――
右腕が半ばから千切れ飛ぶティーゲル男――驚愕に目を見開くその顔に、渾身の右ストレートを叩き込んだ。
ど真ん中へクリーンヒット――ぐしゃりと音を立てティーゲル男の顔面が潰れる/噴き出す鼻血/折れた歯が弾け飛ぶ――そのまま白目を剥いて意識を失い、どっさりと地面へ倒れ込んだ。
「
血の泡を吹いて倒れるティーゲル男を見下ろし、呟く響。
その瞬間、周囲から歓声が巻き起こった。
驚いて顔を上げる――封鎖された現場を取り囲む治安関係者/マスコミ/野次馬――さらには救助された一般客やレスキュー隊の面々までが、一斉に手を叩き喝采を上げていた。
少し呆気に取られながら辺りを見渡す――ふと、観覧車から手を振る少年が目に入る/周りの歓声に負けないほど声を張り上げる静馬――思わず恥ずかしくなって俯きながら、響は自分の口元が自然と緩むのを感じていた。
「やれやれ、どうやら無事に確保できたみてえだな」
ヴィーラント=腕組みしつつモニターを見やる。通信官の報告――主犯格ティーゲル男を確保/
事件の終息に、指揮車両内にも安堵した空気が流れる。
「この後の処理が大変よ、ヴィーラント。上層部へどう報告するか……頭が痛いわ」額に手を当てる摩耶に、ヴィーラントが鷹揚に答える。
「まあ、やっちまったもんは仕方ねえだろう。責任を取るのも大人の仕事だ」
「はいはい。大人は辛いものね」処置なし――と諦めたように肩を落とす摩耶。その肩をポンッと叩きながら、ヴィーラントが席を立つ。
「ちょっと、どこに行くつもりなのかしら?」
「何……野暮用だよ。すぐに戻る」
ひらひらと手を振り車両を降りるヴィーラント――それを見送り、残された摩耶は顔をしかめた。「全く、うちの副長には困ったものね」
静穏な車内に、一際大きなため息が木霊する。
「あの……BVTからティーゲル男の引渡し要求がきています」通信官の一人が気まずそうに報告――摩耶=きりりと表情を引き締め、モニターに向き直る/魔女的な笑み。
「彼らの要求には逆わらず、犯人はBVTに引き渡します。さあ、私たちはあの子たちを迎えに行ってあげましょう」
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