第7話「大観覧車」

     漆

 

 第二区――プラーター遊園地。

「さあ、次は何に乗りましょうか?」楽しげに笑う響。

「……えっと」静馬=蒼ざめながら。「響ちゃん……少し休まない?」

 響=〝なぜ?〟といった感じに小首を傾げる――心なしか元気がないように見える少年。

 疑問=さっきまであんなに楽しそうにしていたはずなのに、どうしたのだろう――そう思いながら、自分たちが遊んでいたアトラクションを振り仰いだ。

 そびえ立つ鉄骨の塔――四方八方へ伸びる支柱/クレーンのように吊るされたロープ/その先に繋がれる二人掛けシート。高さ百十七メートル/ギネスブックにも掲載されたことがある筆頭アトラクション=世界最高の高さを誇る回転ブランコ――プラーター・タワートゥルム

 塔に繋がれたブランコが、遠心力によって縦ではなく横にぐるぐると回転/その速度=時速六十キロ――にも関わらず、身を預けるのはベルト+シートのみ――文字通り空を飛ぶようなスリリング+絶景を楽しめる逸品。

 あまりにも面白いものだから、つい連続で三回も乗ってしまった。

 思案=ひょっとして彼は体調でも悪いのだろうか?――拷問器具のような絶叫マシーンに何度も付き合わされたせいで、気分が悪くなったとは思いもよらず――ただ何となく、少年に無理をさせてしまったらしいことを察する。

「そうですね。少し喉も渇きましたし」ちょっと反省/素直に同意を示す――その途端、明らかな安堵を浮かべる静馬。「じゃあ何か飲みながら、あれに乗らない?」

 その指差す先――ゆっくりと回転する巨大な円形の物体/プラーター名物、大観覧車リーゼンラート

「ええ、いいですよ」こくりと頷く/くすりと、自然に笑みが浮かんだ。

「じゃあ、行こうか」嬉しそうな静馬――まるで空から舞い降りた天使に祝福を受けたかのよう――『幸福ファウスト』というタイトルを付けて、そのまま永遠に時が止まってしまいそうなほどに顔が蕩ける。

 響=たった今自分の魅せた笑顔が、名うてのスナイパーシャルフシュッツェが放った弾丸のように少年の心を的確に撃ち抜いた――などとはつゆ知らず。

 ころころ変わるその様をただ不思議がりつつ、少年が元気を取り戻してくれたことに安心を覚えていた。


 遊園地プラーター内をうろつく少女二人=奏&鳴。

「ねー、奏ちゃん。次はどこを周ろうかな……かな?」鳴=出店で買ったアイスをペロペロ/相方の袖を引っ張る。

「ちょっと、静かにしてっ」コルク銃を構える奏=レトロな射的場に並ぶ景品を品定め/舌なめずり。「見てなさいよ……とりゃっ!」

 見事な立位姿勢/華麗に三連射タン・タン・タン――景品を素通り/奥の壁に命中トレッフェン!――跳ね返ったコルクの弾が、床をころころ。

「ちょっとぉ!? 照準が狂ってるんじゃないの、これぇ?」奏=残念賞の飴玉を受け取り不貞腐れる――鳴がその手を取る。

「ねえねえ、奏ちゃん。あのポップコーンが食べたくない……ない?」

「あんた……そんなに食べて太っても知らないわよぉ?」隣の出店へと歩き出す鳴/それに付き合う奏――なんだかんだ楽しんでいる二人。

 そして当初の目的/響たちの行き先――そのどちらもすっかりと見失っていた。


 大観覧車――歯車のような骨組みが回転/ゆっくりと上昇するゴンドラ。

 市電車両シュトラッセンバーンみたいな箱の内部=一度に十人以上乗ることができる広い空間――中央に設置された木製ベンチに並んで座る/他の乗客はなし。

 手に紙コップ――響=ファンタグレープ/静馬=ペプシコーラ。

 窓ガラスからミリオポリスの街並みを鑑賞――青い空/キラキラ輝くドナウ川/パノラマに広がる建物の群れ――そして、その中でも一際目を惹く巨大な塔。

「ここからだと〈ヴィエナ・タワー〉もよく見えるね」

 静馬=街の一角を指差す――第二十一区フロリズドルフ=別名〝超高層ビル特区〟の高層ビル群/その中心に高くそびえる巨大な超高層ビル/完成を間近に控えた都市の新たなるランドマーク〈ノイエヴィエナ・タワー〉。

「僕たちが小さかった頃にはただの廃墟だった場所が、今はああしてこの都市のシンボルになってる――すごいよね」

 素直に感動を表す静馬――かつてミリオポリスを襲った災禍によって一度は倒壊し、その後、多大な尽力によって再建された巨大なタワー――この都市の復興の証であり、新たな未来を象徴する建物の威容に、心を躍らせている。

「そう……ですね」それに対し響は、自分の中に言いしれない想いが甦るのを感じていた。

 かつて同じような光景を観たことがあった――山の上の展望台/眼下に広がる街並み/無邪気に笑う幼い自分――その隣に父と母の姿。

 あの時も、こうやって都市を見下ろしていた/一緒に巨大な塔を眺めていた。

 失われた光景――都市から消えたタワー/事故によっていなくなった両親。

 しかし――壊れた建物は、こうして再建することができる。元に戻すことができる。

 だが/しかし――人はそうではない。失われた命が戻ってくることは、二度とない。

 では――

 体の半分を失い、機械の手足と人工臓器によって生かされている――まるで今の自分は、かつて響と呼ばれた少女の残骸を継ぎ接ぎにして作り直した人形のようだ。

 そんな自分がこうして普通の少年と過ごしている――それも遊園地で遊び、二人仲良く観覧車に乗っている。

〝まんざらでもないんじゃなぁい?〟〝お似合いだと思うよ?〟――仲間の声が甦る。

 そんなはずはない。継ぎ接ぎの人形が幾ら人の真似をしたって、同じになんてなれない。

「……響ちゃん?」怪訝そうに静馬が眉をひそめる。

 紙コップから零れる赤紫色の液体――いつの間にか強く握り締めていた――容器を伝いポタポタと床に落ちる、血のように赤い液体/ほのかに漂う甘い香り――甘く/芳しい/――しかし、それは間違いなのだ。

 たわわに実ったブドウ/芳醇な果実フルフト――それは時に、甘く切なく人を誘う。

 だが――その果実には決して手が届かない/いくら手を伸ばしても掴み取れない――そして/さらに――例え手にしたところで、甘い汁をもたらすとは限らない。

 なぜなら、。甘い香りで誘惑し/期待を抱かせ――それを裏切り/酸っぱさと失望で生きることの辛さを思い出させる。

 だから、騙されてはならない。

 このどうしようもない世界を生き抜くため、甘い誘惑の裏に潜んだすっぱいブドウの罠に陥ってはいけない――なぜなら/何よりも人の心を傷つけ、意思を挫かせる瞬間とは、願いが失われるその瞬間ときに他ならないからだ。

 希望を捨て・期待を抱かない――それが私の処世術/響の生き方。

 なのに/なぜ――彼と一緒にいると、自分はそれを忘れてしまうのだろう?

 どうして――彼は、こんな無様な継ぎ接ぎの自分なんかの側にいてくれるのだろう?

「静馬さんは……どうして、私と一緒にいてくれるんですか?」気づけば声に出していた。「私なんかといて、楽しいんですか――?」上目遣いで相手に詰め寄った。

「う、うん……楽しいよ」静馬=赤面/自分を真っ直ぐ見つめる少女にドギマギしながら、恥ずかしそうに続ける。「今日は響ちゃんと一緒にプラーターを周れて、本当に嬉しいんだ」耳まで赤くなりながら真剣に答える――それから響を見て、ギョッとなった。

「いいえ、そんなはずないです……」消え入るように呟く響――目が潤む/涙が零れそうになる――止まらない。「私なんかと一緒にいても……楽しいはずないですっ」

 勝手に言葉が溢れ出す/制御出来ない己の感情――なんだろう/なんなのだろうこれは。まさか自分が――こんなことで泣きそうになっているなんて。

 動揺と羞恥で頭が混乱する――思考がまとまらない。彼が自分をどう考えているのか、知りたい。(知りたくない)――彼と一緒にいると心が安らぐ。(胸が締め付けられる)――自分は相手をどう想っているのか。(相手からどう想われたいのか)――まるでいくつもの感情が渦を巻いて、自分を飲み込もうとしているかのよう。

 制御不能な感情/操縦のきかない心――ならばそんなもの、? かつて、――。

 そんな考えが頭を支配しようとした時――ふいに/響の手を温かな感触が包み込んだ。

「そんなことないよ」声に顔を上げる――気づけば、静馬に手を握られていて/正面から見つめられていた。「僕にとって響ちゃんは大切な人だから……こうして一緒に過ごす時間も、とても大切なんだ」

「う……嘘ですっ!」堪らず否定――ドキドキ・ドキドキ/早鐘を打つ心臓――その音が今にも相手に聞こえてしまいそうで――ドキドキ・ドキドキ/怖れるように顔を背けた。

「あなたはただ私に同情してるだけです! 私が鈴鹿の友だちで、たまたま同じような境遇だったから、可哀想に思ってるだけの癖にっ……!」

 自爆的思考=その暴走/自棄への欲求――相手にこの動揺を悟られるのが怖い/ならばいっそ嫌われてしまえ/そうすれば楽になれる/楽になれると思い込もうとする。

「たまたま側にいただけで、軽々しく私の中に踏み込んで来ないで下さいっ」

 まるで癇癪を起こした子供みたいだ――僅かに残った頭の中のどこか冷静な部分がそう訴えるものの、荒潮のように押し寄せる感情の波を止めるすべはなく――涙を湛えた瞳で相手に向かってグイッと身を乗り出しながら、ひたすら口一杯に罵っていた。

「ただの好奇心や同情なんかで側にいられても――迷惑ですっ!」

 その言葉に静馬が動きを止める/淋しそうに顔を伏せる――凍りつく時間/氷像のように固まる二人――まるでこのゴンドラの中だけ世界が静止したかのような静寂。

 相手を傷つけたのが分かった――でも、もう遅い/手遅れだ――いずれにせよ遠からずこの少年は響の前から去るだろう――それから距離を置いて遠巻きにするだけで、二度と近寄ってこようとしなくなるに違いない。これでもう終わり/それでいい――このまま側にいて傷つけ合うよりも、いっそ離れてしまった方がいいのだ。

 だが/しかし/そのとき――諦観に身を委ねようとした響に、温かな光が差し込んだ。

」静かに告げる静馬――その瞳が宿す輝き=温かな青葡萄色の目マスカットグリーン――真っ直ぐ見つめられながら、ぎゅっと手を握られた――凍った心さえ優しく包み込むような少年の手/伝わる温もり――無意識に鼓動が高鳴る――でもさっきまでの息苦しさはなく――代わりに胸のうちが、ポゥッと火が燈ったように熱くなるのを感じた。

「この世に偶然なんてないんだ。全ての出来事には何かの意味がある」静馬――頬を赤らめながら/でも力強く。「だから……僕たちが出会ったことにも、きっと意味があるよ」

「て、適当なことを言わないで下さい」知らずに涙が溢れた/それを堪えるのも忘れ――むずかる赤ん坊のように、泣きながら問いかけた。「あなたは私がこんな体になったことにも、意味があるっていうんですか?」

「うん」静馬の即答――あまりのことに、響の方が呆気にとられた。

「響ちゃんのこの手は、他の誰にも出来ない何かをするために、神様が与えてくれたものなんだ」気弱な少年が/心の底から信じているというように/精一杯力を振り絞って続ける。「きっと、この手はみんなを……

「なっ……、なんですかそれは――――っ」今度こそ本当に言葉を失った。

 世界を守る――突拍子のなさに怒りも悲しみも吹き飛んで、ただ呆然とした。

 思わず相手の顔をまじまじと眺めてしまう――たかが十三歳の女の子に向かって何を言ってるのだろうこの人は。自分の言葉を理解しているのだろうか――幼くして手足を機械化された少女に向ける言葉が、哀れみでも慰めでもなく――その運命を課した、このどうしようもない世界を守れだと? その意味が分かっているのか?

 しかし――彼の真剣な目を見れば、静馬が決して冗談やその場の思いつきで喋っている訳ではないと理解できる。それが自然と伝わってくる。

 混乱+困惑=思考停止に陥った頭の片隅で、何かがと音を立てる感覚。

 その響きと共にかすかに脳裏を過ぎる光景――(あたしはあんたに何もしてやれない)――手を強く握りながら無言で見つめる、強い意思を宿した瞳――(信じてる。願ってる。祈ってる)――扉の奥に封じられた記憶のリバイバル。

 そのヴィジョンが鮮明に甦ろうとした刹那――唐突な電子音がそれを遮った。

 ――小鳥が鳴くような着信音――響+静馬=ハッなって同時に音の発生源を取り出した。

 二人のPDAケータイ――ブラックアウトしていたはずの画面が再起動/自動的に空間投影される画像――同時に場違いに明るい声が、けたたましく囀り出した。

《ピンポォン、ピーンポォーン。緊急コードォ、だよー。ただいまマスターサーバーの解析によるー、特定地区での危機レベルが増大ちゅうー。計画された犯罪の可能性がちょー高い感じだよー》画像内で慌しく動き回る鈴鹿アイコン――やたら間延びした声=接続官コーラスが使う擬似人格AIの特徴。

「……何これ?」唖然とする静馬――響=驚きつつ説明。「おそらく鈴鹿の代理AIです。でも、いつの間に私たちの端末に侵入して……まさか、今朝のメールに仕込まれていた? ……いえ、それよりも計画された犯罪って――」

 二人が目を見張る中、再起動したPDAがさらに陽気にメッセージを再生。《予想される襲撃地点はー、だよー。付近におられます住民の皆様はぁー、速やかに避難してねー》プツンッ=通信アウト/投影画像が消失――待機画面に戻る端末。

 響+静馬――思わず目を見合わせる/言葉もなく数秒が経過――そして二人がショックから目覚め、ようやく事態を把握したところへ――がくんっ! と衝撃。

「きゃっ!?」「うわっ!?」ぐらりと揺れるゴンドラ/地上に到着することなく四分の三回転した位置で停止=沈黙。

 静止した観覧車――地上数十メートルの高さに取り残された二人のもとに、遅れて地上からの悲鳴+銃声が届いた。

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