第5話「すっぱいブドウ」

     伍


 BVT支局ビル十八階――女性隊員の寮=響の部屋。

「……それ以上近づいたら、?」

 ベッドの上でお気に入りのクッションを抱きながら、響が据わった目を向ける。 

「もう、そんなに拗ねなくてもいいじゃなぁい」「とっても似合ってたよ……たよ?」

 奏+鳴の弁解――響=ジロリと疑いの眼差し。

 シャワーを終えた後、さっそく明日の服装選びを始めた三人――なぜか途中から奏&鳴プロデュースによる響の個人ファッションショーが開幕。二人のおもちゃと化した響――さんざん弄くられ、すっかりご機嫌ナナメに。

「服なんて、別にいつもと同じでいいじゃないですか?」

 奏=憤慨。「いい訳ないでしょぉ? あんたも女の子なんだから、デェートの時くらい可愛い格好しなきゃダメよぉ」

 響=溜息/明日の約束――ウェルナー兄妹と一緒にプラーター公園で遊ぶこと。

 しかし、それは静馬鈴鹿に家族サービスする場であって、響たちはただ同行するだけのオマケなはず――それがなんでになるのか、さっぱり分からない。

「なんでそこまでデートにこだわるんですか……」根本的な響の疑問。

「だって、その方が面白いじゃなぁい」さも当然といった答えが返ってきた。

 奏=享楽主義者/その論理を超越した見事な帰結に、がっくりくる。「……そういうのは、やめて欲しいです」

「とか言ってぇ~、響もまんざらでもないんじゃなぁい?」奏=くすくす/まるで不思議の国のチェシャ猫のような笑い――果てしない疲労感/やんわり否定しようする――と、今度は鳴。「あの……お兄さんと響ちゃん、結構お似合いだと思うよ、よ?」

」思わずキツイ声が出た。「彼は男の子なんです。とは違うんですよ。デートだとか、お似合いだとか……?」

 ますますクッションを強く抱きしめる――壁に寄り添うように身を縮ませる/彷徨さまよう瞳。まるで巣穴から顔を出した子ギツネが、外の世界を怖がって怯えるかのよう――そんな響の姿に、奏+鳴が黙り込む/バツが悪そうに目をそらす。

「まあ……それならそれでいいんじゃなぁい」「うっうっ……ごめんね、響ちゃん?」

 響=無言/そのままパタンッと横になる/頭から布団を被る――巣穴に篭った子ギツネの拒絶姿勢/ぼそぼそと。「……もう、とっくに就寝時間ですよ」

「そうね。奏もそろそろ寝ようかしらぁ」「おやすみなさい響ちゃん」二人が部屋を出てゆく/ドアの閉じる音――それきり静かになる室内=おとずれる静穏――そして、静寂。

 ――自分で言ったその言葉が、頭の中に木霊する。

 そう、響たちは普通の子どもたちとは違う――。

 機械化された手足――高性能な機械化義肢を与えられる代わりに、国家のため労働を義務付けられた機械化児童――その中でも手足のを高く評価された者が〈特甲〉を与えられ、都市の治安に従事している。

 もちろん、超少子高齢化の影響で十一歳以上の全ての児童に労働の権利が与えられた現在のこの国オーストリアでは、機械化の有無に関わらず自らの意思で未成年労働者となる者も多い。

 しかし、自分で進むべき道を選ぶことができた者とそうでない者とでは――違うのだ。手足が機械であるというだけで、響たちは同年代の多くの子どものように学校に通うこともなく、国家のために働く道しか選ぶことが許されなかった。選ぶすべとてなかった。

 人生とは本質的にどうしようもないことの連続であり/それはこの世界そのものがそうなっているからで――すなわち、誰にもどうしようもないのだ。

 故に響の人生は、そんなどうしようもない出来事の連続だった。

 まどろみ=意識が眠りへと沈みゆく中――響はその奥に広がる過去の扉を開いていた。


 幼い頃――響は母親と二人、郊外の小さなブドウ農園で暮らしていた。

 母と娘――世間から身を隠すような慎ましい生活。

 しかし響にとって、貧しくともそれは穏やかで不満のない日々だった。

 そんな生活に変化――六歳になった響のもとへ、ある男が現われた――/初めて明かされた父の存在――そこで響は、自分の出生にまつわる秘密を知った。

 父=資産家であり生粋のオーストリア人。

 母=の血を引くハーフ/移民の娘。

 二人は、父が参加していた移民労働者の支援活動を通して知り合った。

 当時、世界では国土を追われた日本人難民が問題になりつつあり――また汚染された土地の民族として、諸外国で暮らす日本系移民全体への差別的な風潮が生まれていた。

 すでにミリオポリスの市民権を得ていた母もまた、差別の対象だった。

 移民支援団体に所属する父――そんな母の生活を援助/職を斡旋――後見人に。

 母――恩人である父に深い感謝を抱く――その頃すでに父は既婚者であったが、名家のしきたりで決められた婚姻相手との仲は冷めていた――満たされない男女/二人はお互いの寂しさを埋め合うように惹かれ合い――そして、に落ちた。

 世間から隠れて逢瀬を重ねる二人/そこに訪れる転機――母の

 身篭ったことを知った母は、何も告げずに父の前から姿を消した――母は父を深く愛し、それ故に自分とお腹の中の子が相手にとってどれだけの重荷となるかを理解していた。

 だが、父は母を決して忘れたりしなかった――そして/ようやく見つけた愛する女性が、娘と共に郊外でひっそりと暮らしていると知るや――迷うことなく迎えに訪れたのだ。

 母は涙した/父も泣いていた――響も一緒になって、巡りあった親子は抱擁を交わした。

 それから響にとって、とても幸福な時間ときが流れていった。

 月に一度、母子のもとを訪れる父――母の笑顔/優しい父/幸せが空間を満たしていた。

 ――そしてある日/その幸せは卵の殻のようにあっけなく、文字通り砕け散った。

 響、七歳――その日、三人は父の車でお出掛けをした――ウィーンの森/丘の上のレストラン/初めて親子三人で囲む、暖かな食事。

 父は言った〝これからは三人で一緒に暮らそう〟――今の妻に全てを打ち明け離縁し、その上で母との再婚を考えていた父――〝この先どれだけの困難が待ち受けようと、二人のためなら乗り越えられる。後悔などしない。本当の家族になろう〟。

 母=父の想いを受け入れた/幼い響=単純に喜んだ――父母の決意も理解できず/ただこれからは三人でずっと一緒に暮らせるのだと――この幸せは永遠に続くのだと信じて。

 それから親子でカーレンベルクの山に登った――山の上の展望台/これから一緒に暮らすことになる都市を眺める――父も母も笑っていた/響も笑っていた。

 そしてその帰り道――悲劇は起こった。

 高速道アオトバーン――楽しかった一日の余韻にひたりながら、後部座席でうとうと安らかな眠りに誘われていた響――そこに突然/聞いたこともないに叩き起こされた。

 タイヤとアスファルトが擦れる耳障りな音――三人の乗る車の前で、大きなトラックが車輪を激しくスリップさせながら、今まさに横倒れになるところだった。

 母の悲鳴――何かを叫びながら必死にハンドルとブレーキを操作する父。

 次の瞬間――それらをシートの間から見つめていた響の体は、宙へと投げ出されていた。衝撃――フロントガラスが砕け散り、慣性の法則に従って、響は車の外へと放り出された――幼い少女の肉体はアスファルトに叩きつけられ、手足とアバラが砕け、砕けた骨が肉と内臓を突き破りズタズタに切り裂いた。

 それでも、結果的に響は助かった。

 そして暗転の後――目覚めた少女が目にしたものは、この世の地獄といえる光景だった。

 それはまさに地獄だった――先頭のトラックが横転し、その荷台に父の車が下敷きになり、それを更にプレス機で押し潰すかのように玉突きになった後続車の群れが折り重なって、全てがグシャグシャの鉄の塊となっていた。

 まるで鉄塊で編まれた醜いオブジェ――それらが炎に燃えゆく様を、身動きすら取れず地に這いつくばりながら、朦朧もうろうとする意識の淵で、ただ見つめていた――潰れた車内で、父と母が寄り添いながら炎と闇に飲み込まれてゆく様を、ただ見ていた。

 死傷者十数名に及ぶ大事故――その唯一の生存者となった響=救助後に〈子供工場キンダーヴェルク〉で肉体を機械化され、労働児童育成コースへと送られた。

 しかし肉体は修理なおされても、幼い心の傷が治ることはなかった。

 新たに与えられた機械の手足――だが、歩けるようになったところで、もう父と母に会うことは出来ない――大好きな父母と食事をすることも/同じ景色を眺めることも/笑い合うことも出来ないのに、今さら手足の操縦を覚えたところで、何の意味があるのか?

 ろくに操縦できない手足を動かし、施設の床をズルズルと弱々しく這いずる日々。

 何を信じて生きてゆけばいいのか――それすら分からずに/ただ生きるしかなかった。

 そしていつしか手足の操縦を覚え……その技術を評価された響――教官たちの薦めるままに専門職コース入り=治安組織の訓練学校へ。

 初めは治安組織の花形たるミリオポリス憲兵大隊MPBへの入隊を希望――しかし、叶わず/その後、BVT特殊部隊からオファーがあり承諾――海のものとも山のものとも分からぬ新設部隊=〈ミリオポリス特捜機動隊MSE〉への配属が決まる。

 夢も希望も、もう関係なかった。希望があれば絶望もある。は表裏一体であり、期待した分だけ裏切られる。

 響は理解した――例えるなら人生とは、喜びと悲しみが波のように繰り返される大海原のようなものであり、どちらかの波が大きければ、また反対側の波も大きくなるのだと。

 そうして散々に人生という荒波に揉まれた少女は、未来に希望を抱かず/しかし絶望もせず/ただすべを学んだのだ。

 ――それはまた、ある意味この都市そのものでもあった。

 たびたび市民の格差が問題視されるミリオポリスでは、富める者が豊かに近代生活を謳歌する一方、貧しい者たちは路地裏に座り込んで電気もガスもない生活を送っている。

 また民族による差別が問題視されるミリオポリスでは、ドイツ系市民が安全な都心部で暮らすのとは対照的に、移民たちは特定地域に押し込められ、掃き溜めとなったスラム街ではつねに疑心と不安による犯罪が多発している。

 さらに国による福祉が問題視されるミリオポリスでは、社会的弱者となった老人たちの福祉予算を削って様々な都市開発が進められる反面、身体に障害を負った子どもたちを機械化することで優れた労働力とし、それらに従事させている。

 そうしたこの都市のあり方が問題として取り沙汰される機会はあっても、誰も本気でなんとかしようなんて考えていないのだ。なぜなら、誰もがそうした出来事をどうしようもないと諦めて、

 ――だって仕方ないじゃない? この世界はそういう風に出来ているんだもん。

 だから響も期待を抱くことをやめ、ただ目の前にある現実を受け入れる道を選んだ。

 例えば――仮にあの少年=静馬が響に好意を持ってくれている/あるいは――彼の妹と同じような境遇である自分に同情しているのだとしよう。……で、それが一体何になる?

 いずれにせよ――彼と響では生きる世界が違うのだ。

 国家の尖兵として、犯罪者と日夜戦いを繰り広げるの特甲少女。

 裕福な家庭に生まれ、同年代の仲間たちと充実した学校生活を送る少年。

 両者の生きる世界は、決して交わることはない。

 いうなれば自分は一個の弾丸クーゲルだ――国家という巨人が仇なす敵に向かって撃ち放つ弾丸――人の形をした道具存在/継ぎ接ぎだらけの人間兵器メンシェン・ヴァッフェ

 そんな自分が、今さら普通の少女みたいな人生など送れるはずがない。

 すっぱいブドウサワーグレープスだ――たわわに実ったブドウ/甘い香りで誘うそれは――しかし、その実、

 この世界はそんな負け惜しみサワーグレープスに満ちている。

 ――期待するから裏切られる/幸せを望むから、苦しみが深くなる。

 ならば最初から期待しなければいい。どうせ酸っぱいと分かっているなら、そんなもの

 さっさと諦めてしまえば、無駄に苦しむことはない。

 つまらない希望を抱いて諦め悪くあがいている方が、よっぽど負け犬サワーグレープスじゃないか。

 ――だから、この世界に満ちるすっぱいブドウの罠に騙されてはならない。

 それこそが、響がどうしようもない人生で見い出した生きるすべ――唯一の処世術なのだから――。

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