第2話 洗礼

 ぎゅっとつぶっていた目を開けると、そこは渋谷の雑踏だった。


「え? あ……やだ、部屋着のまま。それに、裸足なんだけど!」


 思わず赤くなってしゃがみ込むが、周囲の人々は、紗子を気にする様子もなく、どんどんと進んでいく。

 皆、道の小石のように紗子を避けていくので、見えてはいると思うが、一瞥いちべつする様子もない。

 この程度の格好は、渋谷では目立たないということだろうか。奇異の目で見られるのも辛いが、ここまで気にされないと、世界から無視されているような感覚におちいって、これはこれで落ち込む。

 しばらくの間、恥ずかしい気持ちと戦っていたが、全く気にしない周囲の人々を見ていたら、段々と、どうでもいい気持ちになってきた。

 気を取り直して、とりあえず立ち上がる。


「あ、……スマホは?」


 こんな渋谷の雑踏にいきなり放り出されて、スマホまで無かったら、生きていけない!

 思わず、血の気が引く。最後にスマホを持っていたのはいつだったか、懸命に思い出す。


「確か……うっかり、ウィルスメールみたいなの開けちゃって、その後、……」


 スマホが強く光ったのに焦ってしまって、落とした気がする。絶望的な気持ちになるが、祈るような想いでポケットを探る。


「あれ? ……あった!」


 ここに入れた記憶は無かったが、なぜかズボンのポケットから、スマホが見つかった。疑問は残るが、見つかったのだからいいことにしよう。

 とりあえず、母親に電話する。着替えと靴が無いと、動くこともできない。八王子の家からだと時間はかかるが、背に腹は変えられない。

 ……それにしても、夏でよかった。風邪をひくような季節じゃないことに感謝しつつ、スマホを鳴らし続ける。


「……もう! お母さんは、肝心な時に役に立たないのだから!」


 いつまで鳴らしても出てくれない母親に、怒ってスマホを切る。不安な気持ちがどんどん高まって、思わず爪を噛んだ。

 爪の形が悪くなるからやめなさいと、母親からは言われるが、どうしてもやめられない癖だ。


「もういいや。とりあえず、呟こう……」


 他に出来ることも思いつかないので、現状をSNSに呟くことにする。信じてもらえるとは思わないが、ネタとして面白がってはくれるだろう。

 とにかく、不安な気持ちを誰かと共有したい。誰かに笑ってもらえれば、不安が薄らぐような気がした。


「……なんで、つぶやくボタン押しても反映されないの?」


 スマホの通信状態を確認するが、特に問題はないようだ。実際、他の人のつぶやきは、タイムライン上に流れている。

 むきになってボタンを連打するが、効果はない。暗い気持ちになって、地面にへなへなとへたり込んだ。


 そのとき、ふと、頭をつつかれた気がした。


「え?」


 思わず仰ぎ見ると、見たこともない、鳥のような生き物が、髪を突いていた。鳥と思ったが、コウモリかもしれない。

 だが、ここまで鮮やかなパステルピンクの生き物を見たのは、初めてだ。顔もなんとなくポップな造りだ。

 思わず見入ってしまうが、暫定名コウモリは、さっきより強く頭を突き出した。


「え? やだ、ちょっと、やめてよ」


 手を振り回して抗議するが、やめてくれる様子は無い。それどころか、どこから現れるのか分からないが、2羽、3羽と数が増えてきた。

 半ばパニックになりかけたところで、1羽が一際強く突いてきて、血がポタリと手のひらに落ちた。


 -嫌だ!


 焦って、強く、そう思った。頭は真っ白なのに、身体が勝手に動く。地面に手をついて、足を高く蹴り上げる。そのまま、遠心力を利用した鋭い回し蹴りが、コウモリに次々とクリーンヒットする。

 コウモリたちは、衝撃を受けると、たちまち光の粒となって消えていく。

 回した足の勢いを消すために地面に転がる。肩で息をしながら、しばらく、コウモリたちが消えた空間を呆然と見つめる。

 今、私、なにをしたの? 無意識に、怪我をした頭を撫でながら考えた。


「あれ?」


 怪我をしたはずなのに痛くない。血で汚れたはずの手のひらを確認すると、なぜか綺麗なままだった。

 不思議に思いながらも、脅威が去ったことにホッとして、息を吐いた。

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