第95話 終着したもの


「なんだ、ここは……」




 そこは今まで見たことのない新世界。


 絶対神アルケテラーのいる神域。

 それをレヴォルは漠然と神々が住むに相応しい光と水と緑に満ち溢れた楽園のような物だと考えていた。

 だがレヴォル達が辿り着いたそこは楽園とは真逆の、暗黒と濃霧と廃墟で構成された地獄か冥界、もしくは地底人の王国とでも形容すべき、空想的でありながら人の気配の喪失した、混沌とした未知のみを映す新世界だった。

 数多の建造物が乱雑に聳え立っているにも関わらず閑散としていて、風の音も空気の匂いもしない、全てが滅びた後の濁った終末感だけが感じられるような、そんな古びた空虚さだけが四人を包む。




「どう?、笑えるでしょう、私達が目指した「未来」がこれだっていうのならば、それほど皮肉で滑稽な結末は他に無いのだから」


 モリガンは悟ったようにそこで真実を告げる。

 静寂の中に告げられた真実は死を告げるように残酷だった。

 彼女の瞳に宿す絶望、それが何なのか、レヴォルはそこで理解した。


「未来だと、まさか、ここが未来の世界だとでもいうのか!?」


「いいえ、ここは特異点、現実に非ず、故に過去からも未来からも影響を受けない、時の止まった異界、観測者ゲイザー想区ほしの紡ぐ物語を観測する為だけの場所、刹那から切り取り静止した神域、ただこの世界の街並みは、収束すべき結末の姿を表しているという事」


 つまり全ての「物語」の結末は、この未来に収束するという話だった。

 永遠に継続する歴史が無いからこそ、ある一点で物語は「繰り返しループ」を行い、永遠に語り続けられるのだから。


「……意味が分からない、人類が一度滅びているのだとしたら、だったら俺達は一体なんなんだ」


 眉唾ものの真実を無理矢理飲み込んで、レヴォルはどうして神は滅びた後に自分達を再び作ったのか、そんな疑問を口にする。


「全ては符号よ、何故物語が必要なのか、何故教訓が必要なのか、何故創造主が産み落とされたのか、「繰り返し」とは何なのか、それが神の娯楽や暇つぶしの為にある物では無いのだとしたら、ナンセンスではなく全ての符号に意味があるのだとしたら……あなたなら何のためなのか分かるでしょう」


 滅びと再生、そしてこの世界が模倣コピーによって創造された物だというのならば、導かれる答えは多くない。

 要するに引き算の消去法だ。

 争いを生む自由を否定し、人間らしさを抹消する。

 そして盲目的な信仰によって秩序を作り出す。

 世界は繋がっているように見えて人々の屍である『沈黙の霧』に閉ざされていて。

 運命に逆らうものはカオステラーの庇護無くしては世界から消される。

 それらのことわりが、この結末と繋がっているのだとしたら。


「……神の手で一から生み出された新人類、争いの無い世界を実現させる為に思想や意識を改変された存在、そんな所か」


 神を戴く事で進歩も革新もない、信仰による予定調和の恩寵を享受するだけの停滞した存在。

 それこそがもっとも闘争や破滅といった人間同士の争いから離れた存在なのだろう。

 破滅からもっとも遠い存在、つまりこの『結末』から遠ざけられた物語。

 国家である想区の垣根を不可侵にする事で、人の手による終末戦争を封じ、世界平和を実現したという訳だ。


 『グリムノーツ』、その物語によって綴られた世界とは、この宇宙に存在する『可能性』の一つに過ぎないという事。


「そう、神は運命を操る事で、人類同士の争いによる「滅び」から、人類を救おうとしていた、それが私達が運命に従わなくてはならない理由よ、どう?知らなきゃ良かったでしょう、こんな残酷な真実なんて」


 運命を壊し世界を変革したいレヴォルにとって、神の作り出した運命という秩序が一体どういう

物なのかを真に理解するという事は、紛れもなく知らなければ良かった真実だ。

 レヴォルが世界を変革し、変化を望む事、それは繰り返された予定調和であると同時に、どうしようもない滅びへと向かう原罪の発動となる。

 この世界の真の「繰り返し」とは、『災厄』の復活や、『グリムノーツ』の再現の果てに、この終末の滅びへと収束する。

 それがこの世界の人類に科せられた、原罪として与えられた悲劇なのだろう。


 運命を憎むしかなかった不幸な人達、全ての可能性を摘まれて繰り返しの地獄に落とされた魂達にとっては、この真実は神を憎むことさえ許さないような、どうしようもなくままならない理不尽だった。





 だけどそんな理不尽、今更屈する事があってなるものか。


 痛みも苦しみも悲しみも、全部自分の心に刻み込んであるから、だからもう迷わない。


 自分の心に従うと決めたから。


 全ての人を救いたいと願うから。


 だから。




 もうレヴォルはもう立ち止まったりしない、一度神を倒すと決めた以上、茨の道の先が、どれだけ罪深いものだったとしても、肉を溶かし魂さえも焼く煉獄だったとしても、その意思こころは揺るがなかった。

 たとえこの手で世界を滅ぼす事になろうと、己の行いがただの徒労に過ぎない物になろうと、今この一時を衝き動かすレヴォルの理想だけは、何人たりとも侵す事が出来ない輝きを放っていたからだ。


 その意思だけは誰にも壊せない。




「人間が滅びるのも、世界が滅びるのも、神様が決めた事だから仕方がないって思うかもしれない、神様が決めたことの方がずっと幸せだって思うのかもしれない、だけど、俺はそれでも足掻くさ、愚者らしく、賢い選択だけが正しいとは言わせない為に、だから俺の物語の結末は、神様に決められた物じゃない、自分で決めるんだ」


 レヴォルは自分おれの物語を生きている。

 だから神様の与える救済なんて最初から求めていないから、レヴォルはそれでも運命かみを「否定」する事が出来るのである。

 この極限まで理不尽を突き詰めたような悲劇にだって屈しない。

 小の虫を殺して大の虫を生かす、そんな残酷な取捨選択を神様が代行してくれているおかげで世界に平和が保たれているのだとしても。

 弱者を救う事すら許されない今の世界を、人間が人間らしくもっとも美しく生きる術を奪われた今の秩序を、認めてはいけない、否定しなければならない。

 人を傷つけて手に入れた地位と財産よりも、茨の道の最果てにある空っぽの宝箱にこそ夢と希望が詰まっていると言い張る為に。

 神様が物語こそが宝だと、運命による秩序こそが最も貴いものだというのなら。

 レヴォルは人生こそが宝だと、自由による闘争、そこから無限に交わる軌跡こそが貴いものだと証明する。

 まやかしの、偽りの、選ばれた人間だけに与えられる光を消して。

 ちりすらも輝かせる本物の光を求めて地獄の果てまで旅を続けるのだ。




「運命の先、未来の扉を開く者、贋作でも借り物でも無い紛れ無いオリジナル、新たなる「人間愛」を世界に証す存在、なるほどね、確かにその物語は、貴方にしか背負えないわ、だから貴方は選ばれし者ではなく「選択する者」、救世主でも救えない世界を変革する革命児、だったら塗り替えて見せなさい、「世界」という物語を」


 レヴォルの覚悟を聞いたモリガンは満足し、それで緊張が切れたかのようにモリガンの体は霧散していく。

 存在の消滅、それは接続したヒーローが消える時と同じ光。

 モリガンの存在がここから消えるという事。

 そしてモリガンと同じくレイナもまた、体が透けていて、下半身から消滅していた。

 


「!?、どういう事だ、どうしてここで二人が消えるんだ!」


「例えるならここはゴール地点、結末を迎えるべき場所、だからここに来るためにはしかるべき手順を踏んで、を持つ必要がある、だけど私達はジャバウォックの「次元越え」を「創造」の力で強化して、私の持つ「えにし」を使って無理矢理ここに来た、筋書きを大きく損なう「創造」には世界の排斥力が働く、当然の摂理よ」


 創造の使用には反動があり、それを上手く調和される事で巫女は創造を扱う事が出来るが、本来は失敗すれば不発となるそれを強引に発動させた、それは外側にあるミュトスという水を強引に引き込んで体を満たすような行いであり、無理矢理に結果だけを得た代償として、巫女が己の命を引き換えにしたという訳だ。


「……当然の摂理か、それで、消えた君たちは何処に行くんだ」


「さぁね、ここは世のことわりから外れた特異点という異界、故に死という概念すらも超越する訳だけど、そこから除外されたとしたら縁なんて関係ない、恐らくは誰も知らない異界を永遠に彷徨う事になるのでしょう」


 帰るべき場所も、探す相手も、目指す所も無く、行く宛ての無い次元を永遠に彷徨う事。

 それは一種のシャドウのような存在であり、何の足跡も残らない空虚な旅路。


 それがレヴォル達をここに連れて来た事に対する対価であり、混沌を司る創造主としてこれまでに想区の人間の運命を弄んだ二人の贖罪であった。

 故にこの対価は必要な物、それを打ち消すにはもっと大きな十字架を誰かが背負わねばならない。

 だけどそんな救済を、二人は求めていない。


「貴方が「解放」を望んだ瞬間から、誰かが永遠に「束縛」される対価を要求される、それが世界の摂理、そしてその相手が私になるのも必然、だけどね、私は貴方の、愛と理想を信じる王子様が現実に傷つき、愛を裏切る姿を見る事が出来た、私を裏切ってくれた、だからもう、解放されているから、この胸に未練はもう無い、だから、これでいいのよ」


 モリガンの内に燻る、決して言葉には出来ない想い。

 それはレヴォルから裏切られる事でしか、けじめをつける事が出来ない物だったから。

 だからモリガンは、レヴォルからを得られないと理解していたから、この結末を望んでいた。

 最初からこの流浪のモリガンは絶望していて、どこぞの魔女のように未来への希望なんて持っていなかったから。

 自身の内に秘めた想いとともに破滅させる事を、ずっと待ち望んでいたのであった。


 だけど当然、そんな結末をレヴォルは許さない。


「……いい訳無いだろう、こんな結末、絶対認めない、お前の事は絶対、俺の全てにかけて、救いに行くから」


「……ふん、どうせ私が不老不死だから後回しにされて、結局最後まで助けに来ないのが目に見えているわ、いいわよ別に、あなたが助けに来る前に自分で助かるから、だから貴方の救いなんていらないわ」


 博愛主義のレヴォルにおける自分の優先順位が、一番になる事を諦めていたモリガンはそっけなく跳ね除ける。

 レヴォルを信じるにはモリガンが今日まで彷徨した年月が長すぎた。


 だが、そんな諦観や負い目を、レヴォルは感じても尚、モリガンに手を伸ばすことを諦めたりはしない。


「……今まで君をどれだけ待たせていたのは分からないし、今日会ったばかりの俺が言える義理ではないが、必ずモリガンを救う、俺には出来ないかもしれない、だが世界を救ったら必ず君を助けに行く、だから待っていてくれ」


 レヴォルにとってエレナが、そしてモリガンが特別な存在である事。

 それはここにいるモリガンの縁が証明している。

 だから見捨てられるわけが無い。


 調律の巫女に、ジルドレに、白雪姫。


 レヴォルはこの想区で自分より遥かに生きる人達を見て、その果てしない想いを知った。


 そして同時に、どれだけ時を重ねても、決して色褪せる事の無い一つの真理に辿り着いた。


 真実の愛に至るまごころ。


 それは世代を超越して相手に届く唯一無二の魔法。


 モリガンを悪役でもなく、魔女でもなく、一人の少女として見ているからこそ、レヴォルはモリガンを見捨てない。


 特別な存在以上に特別な愛を、レヴォルは与えようとするのである。





「いらないと言っているのに、最後まで綺麗事で希望を持たせようとするなんて、本当にあなたは、罪深い人間ね、偽善を押し売りするのは反吐が出るわ」


 モリガンは決然と拒絶するが、それでもレヴォルは蘇生を試みるように説得を続ける。

 偽善のような綺麗事だとしても、その言葉に嘘は無く、その想いに偽りなどないのだから、きっと届くと信じているから。

 その偽りの無い想いを、飾ること無く全力で相手にぶつける事ができるのだ。




「希望を持って何が悪い、夢を語って何が悪い、希望を持っている人間だけが、自分を偽らずに生きていけるんだ、本物の人生を生きていけるんだ、今の俺は自分の願いを偽ったりしない、だから俺は、君に生きていて欲しい、幸せになって欲しい、だから絶望するな、諦めるな」


「私なんかの幸せを願うなんて、やっぱりあなたはおかしいわ……、私にはそんな資格無いのだから」




 モリガンの本質。


 操っていた本体である「お月様」とは、『グリムノーツ』における絶対悪となる悪役だ。

 お月様とは物語の締めに倒されるべき悪役となるに相応しい役割を与えられて、その為に悪事を行う、純粋なる悪の象徴だった。

 そしてこの流浪のモリガンはお月様と別れた後では無く、本質的にお月様と近かった時の、エレナとは完全に乖離していた時の存在だ。

 故に創造によってエレナと統合されること無く、贖罪をする為に輪廻生の理から外れて「流浪のモリガン」として生き存えてきた。

 故に彼女にあるのは役割という名の贖罪だけ。

 最初のエレナとしての記憶はほとんど摩耗し擦り切れて、自分が何者だったか、今の自分が何者なのか、そんな確固とした自我も持たずに、悠久の時を流されて生きた存在だった。

 誰にも理解されず、誰からも必要とされない、世界の理から外れた、役割という惰性に流されるだけの亡霊。

 生きる価値が無いからこそ永遠を生きる嫌われ者の魔女。


 だけどその役割の重さは犯した罪の重さの代償だ。


 たとえどれだけ重い咎を背負っても他人から同情される資格なんて無い。


 それでもモリガンは彼だけは自分を見捨てない事を知っていた。


 そしてそんな彼に自分の十字架を背負わせる事だけはさせたくなかった。


 だから彼女は、たとえ永遠に続く懲役だろうと、自ら終わらせる方を選ばなかった。


 自分という闇が濃くなればなる程に、の物語は光り輝く。


 自分の十字架を背負わせて彼の存在を汚す事だけはしたくなかったから。


 だからモリガンはレヴォルを受け入れてはいけない。


 拒絶しなければならない。


 それがモリガンの悪役として唯一果たすべき矜恃だった。


 でも。





「おかしくなんてない、たとえ君がどれだけの大罪を犯そうと、この世のどこかには、悪人すらも救う世界が無ければならないんだ、悪人が救われないなら、悪人が一生悪人のままなら、悪人は生まれる事も許されず、更生する事も出来ないじゃないか、だから俺が許す、


 それは仏教の「悪人正機」とはちょっとだけ意味が違う。

 悪人正機のように生前の救済では無く、死という平等な結末を与える意味での救済、つまり、「相応しい死」を迎えれば、全ての罪が許されるという事。


 レヴォルのその言葉を聞いて、モリガンはなぜ今日まで自分が生かされてきたのか、腑に落ちる理由を見つけた。

 それは主役を引き立てる影としての役割である前に、自分の夢だったからだ。


 それは。


 今は亡き師や姉達が目指した場所。


 むかし自分が夢見た理想郷。


 悠久の時を経ても朽ちることなく、全ての命はそこに安息を得る。


 それが私の、一番最初の結末。


 思い出した。


 かつてモリガンだった自分が本当に欲しかったもの。


 万象の想区の主役となって手に入れたかったもの。


 それこそが真理。


 自分を一人残して消えていった者達と、もう一度会える約束の場所。


 それを叶えてくれるのが、目の前の少年だったのだ。


 それこそがモリガンの「大いなる救済」という結末。


 エレナのおほしさまであり、『想いの果てる場所』。


 長い眠りの果てに、モリガンは悪夢からようやく目覚めた、解放された。







「……そう、あなたの願う場所はだったのね、人々が夢見し幻想の城こそ我らの理想の終着点アヴァロン、私が一番欲しかったもの、だから私はずっとあなたに焦がれていたという事か……」



 いつか聞かされた話。

 グリムノーツのエレナではなく、アーサー王の姉であるモーガンの姉妹、その代役として生まれたエレインだった頃に、聞かされたお話。

 アーサー王物語という悲劇を、アーサー王の死という結末を、全てを救済する約束の場所。


 そう、そこに辿り着けると思ったから、魔女になって永遠に生きる事を恐れなかった。


 全て取り返せると信じていたから全てを壊す事が出来た。


 一番大切なそれを、どうして今日まで忘れていたのか、恐らく、それこそ私が魔女になる呪いだったのだろう。


 私の王子様にしか解けない、そんな他愛の無い呪い。





「思えば長い悪夢ゆめだったわね、……だったらそこに辿り着く為に、あなたの想像剣イマジンソードで、祝福をしてくれるかしら」


 全てに絶望していた筈のモリガンは、刹那に夢見たその瞬きを瞳に宿してレヴォルを見据える。


 今目の前にいる彼こそが、正真正銘私の救世主だと知ったから。


 だから後は全て彼に委ねてしまおうと思った。


 レヴォルはモリガンの意図を読み取って、言われた通りに自身の想像剣をモリガンに突き立てた。


 それによりモリガンは全ての役割から解放されて、魔女でもエレナでもなんでもない、ただの少女エレナへと生まれ変わる。


「ふふ、贋作のあなたにほだされてしまうなんて、結局わたしもただの贋作、特別でも何でもない、とるに足らない存在だったという事ね、ねぇ、


 エレナは贋作でも本物でも無いレヴォルの名前を呼んで、懐からある物を渡した。


「これは約束の証、必ず迎えに来てあなたの世界に連れて行ってよね、約束だから」


 エレナが渡したのは骨董品の懐中時計だった。


 それは布告役としての役割を担う象徴シンボル


 冒険の始まりを意味するもの。


 特別な時間のプロローグ。


 夢で会った友の形見だ。



「分かった、必ず迎えに行って、今度は二度と、離さない」



 二人が目指す場所は遥か遠く、夢の果てに望む楽園だ。

 その再会が訪れるのは来世、来来世よりも遠いが、その約束は決して消えることは無い。


 手も握らず、肩も抱かず、ただ言葉と視線を交わしただけの味気ない逢瀬だったが、二人にとっては、体の触れ合いよりもっと濃密な約束を交わしたのだ。

 それ以上の関係性こそが野暮ったい。


 同じ夢を見る二人にとっては、「さらば」の一言さえ不要なお節介だ。


 それは一日にも満たない刹那の間の出来事。


 だけど同じ夢を見ている二人は距離も時間も超越して繋がっている。


 だからこそ理解を超えて、二人は互いを愛し合えるのだ。


 それは友人とも恋人とも家族とも違う、全てを超越した愛。


 信仰や、陶酔に似た、しかし服従でも依存でも無い、無条件に相手を受け入れ、認めるもの。


 そんな特別な相手など、世界中探しても他にはいないから。


 だから、これで十分だった。


 くすりと最後に小さく笑って、エレナはそれ以上何も言わずに静かに消滅した。







「……ごめん、君を、幸せにするって約束したのに、僕が壊してしまった」


 時を同じくして消滅するレイナに、エクスとなった渡り鳥が駆け寄る。

 エクスがレイナを幸せにできる方法は、世界を見捨ててレイナを連れて逃避し、世界が滅びる日まで逃げ続ける事だけ。

 そしてそれはかつての約束でもあった。


 だけど。


 そんな選択では、自分も彼女も、誰も納得しないと思ったから、皆が救われる道を選んだ。

 カオステラーであり魔女となったレイナに、光へと帰る道が無いことを知っていたのに。

 だからこれは全て、エクスの選択の代償なのだ。


 恋人では無く英雄になる事を選んだ故の犠牲なのだ。


「……あなたは、渡り鳥さんなのね、一番最初の、私が一番会いたかった、だったら私は、これで満足よ、他には何もいらないわ」


「でも僕は、待たせた分だけ、君が苦しんだ分だけ、沢山のものを君に渡したかった、君のあまりにも報われない運命を、……僕は変えたかったんだ」


 このレイナの運命は幼い頃より「災厄のルイス」に傀儡とされ、エクスの試練の為にファムの恋敵として引き立て役にされて、そしてただ一つの願いを引き金にカオステラーとなり、百年も待たされた。

 あの時エクスが空白の書の持ち主でありながら運命を持った人間を救った報いを、彼女は一人で受けたのだ。

 

「私は今、幸せよ、全身で、幸せを感じている、あれからね、百年も経ったのよ、百年経つ内に、家族が死んでも、何を失っても、何も感じなくなっていた、心が老いて、光も闇も、善も悪も分からなくなっていた、そんな私が今、こうしてあなたの声を聞けただけで、幸せで、全てを取り戻したみたいに、満ち足りている、だから私は今、世界で一番幸せよ」


 彼女が求めていたのは愛する人と結ばれて、添い遂げたり心中する「永遠の愛」みたいな古典的な典型では無い。

 恋のような、一瞬の、激しく燃え上がる情熱でもなく。

 ただ一時にその眼差しを、声を、もう一度聞きたいという、ありふれていてささやかなものだ。

 彼女の心が若返っても、彼女の体が若返る事はない。

 モリガンに供給した事によりカオステラーの因子と莫大なミュトスを失った彼女の現実として、止めていた時間が動き出し、とっくに来るはずだった天寿を迎える。

 彼女の体は急速に嗄れて老いていた。

 創造の代償で世界から排斥されるまでもなく寿命が尽きて死ぬ。


 だから最初から「続き」なんて無かった。


 最初から終わっていて、終わらせるだけの恋だったのだから。


 それが魔女になったものの宿命。


 魔女には、相応しい結末だった。






 エクスは彼女を救う為にここに来た。


 彼女を幸せにする為にここに来た。


 だけど世界は、それを許さない。


 悪徳の栄えが成立するような、悪人が自分の願いを叶えて結末に至る事は、神がそれを許さない。


 正しい者だけが生かされる世界だから。


 天網恢恢疎にして漏らさず。


 調律や再編で罪をされた者以外には、救いの手は差し伸べられない、存在する事さえ許されない。


 そんな事、エクスは誰よりも理解して知っている。


 知っているからこそ抗うと決めた。


 なぜなら。





 ―――その胸に燃える炎はかつて夢見た希望や仲間との約束では無く、世界を焼き尽くす野望の劫火なのだから。





 だからエクスも、この運命を認めない。


 英雄でありながらも、運命に抗い世界に反逆する。





「……実は僕には、秘密があるんだ」





「やめて、これ以上残酷な真実なんて聞きたくないわ」


 レイナにとってはここが結末で、後は消えるだけ。

 そこから先なんていらないし、見たくもなかった。


 同じ時を過ごしていけないのなら、共に並んで歩いていけないのなら、それは辛く苦しい悲劇にしかならないし、今この瞬間よりも美しい結末にはならないから。


 既に老いて死にゆくだけの自分が求める愛など一つも無いのだから。


 だから今この瞬間の幸福だけを抱いて、綺麗に死ぬ事だけが望みだ。


 でもエクスはそれを許さない。


 なぜならここにいるエクスは正真正銘、「彼女一人だけ」の王子様だったから。




「僕はエクスであり、そして、『災厄の王』、プロメテウス」


「災厄の……王?」


「あそこにいるモリガンと同じ、贖罪の為に永遠の中に組み込まれて、再演ループの中にあって唯一継続した自我を保っている存在、エクスと同じ魂でありながら、別の人格として切り離された、この世界の倒すべき悪役、その役割を担う者」


「災厄……悪役……、でもあなたは渡り鳥さんで、そんな風には見えないわ」


 モリガンが罪人となるなら当然プロメテウスも罪人として罰を受ける。

 二人は終末が近づいているにも関わらず無限に膨張し拡大する世界の中で、未来の途絶えた想区の剪定と剪伐をする事を役割として、永遠の中に組み込まれたのであった。

 世界を延命させる為とはいえ、その役割は守護者からは程遠い悪役の汚れ仕事。

 それを永遠に繰り返す中でモリガンは自我を摩耗させて、かつての望みを忘れてしまっていたが、ここにいるプロメテウスはエクスの頃の面影を無くしてなどいなかった。





「……だって僕には、君がいたから」




「……え?」




「プロメテウスにも、モリガンにも、自分を想って大切にしてくれる人はいない、紛うことなき悪役で、本体からすれば影法師ですらなく、消し去りたい忌み子なのだから、だから僕らは世界から認識されず、誰かの記憶に残る事も無い、だけど」


 エクスは自身をここに呼んだ強い縁を、想いを繋ぎ止めるように胸に手を当てた。


「君が……いたから、「の大切な人のレイナ」ではなく、そして「を知っているレイナ」である君がいたから、だから僕は果てしない輪廻の中にいてもずっと、君に呼び出される日を待つことが出来た」


 プロメテウスのモリガンの決定的な違い、それはこのプロメテウスが渡り鳥の想区のエクスだったという事。

 つまり、この想区で渡り鳥として試練を受けたのはエクスではなく、「プロメテウスになる前のエクス」の魂だった訳である。


 万象大全により生まれた渡り鳥の想区のエクスの物語、それは本体であるエクスにとって不要な物語である為に、プロメテウスの過去の物語としてエクスの記憶は取り込まれたのだった。


 本来エクスとレイナは『グリムノーツ』の結末として結ばれる運命にある。


 だが、この想区のレイナは違う。

 この想区にいたエクスは「渡り鳥」の役割を与えられた英雄であり、それはつまり最初からプロメテウスになる事を定められていたという事。

 そしてプロメテウスは未来の存在だから、『語られぬ英雄達』の台本には存在しないから、このレイナの運命の書にはエクスの名前は無い。


 故に二人の関係性は、お互いの大切な人が運命の縁で定められていない異端同士であると同時に、同じ世界、時間軸に生きる事が出来る唯一の存在でもあった。




「君を愛せるエクスが僕しかいないように、僕を認識できるレイナは君しかいないんだ、僕には君しかいないから、だからレイナ……僕のお姫様になって」


「そんな、急に言われても、私はもうおばあちゃんで、お姫様になんてなれない……」


「君がどんなになっても、おばあちゃんになっても呪いで小鳥になっても、君は僕のお姫様だ、だから姿なんて関係ない、僕は君を、未来永劫愛し続けるからっ……」


 そう言ってエクスはそっと、レイナの唇に自身の唇を当てた、それでレイナの体は、元の混沌の創造主としての器に変わる。

 プロメテウスは混沌の火種を撒くもの。

 故に他人をカオステラーに変える力を持つ。


 プロメテウスの力によりカオステラーになった事でレイナの現実は混沌に侵食されて、死にかけの老婆から少女の姿へと変えられた。


 だがそれは不老不死になる呪いでもある。


 拠点となる想区を持たないカオステラーには滅びという救済も、巫女による漂白も望めず、シャドウとして永遠に想区の狭間、沈黙の霧の中を彷徨う事になる。

 役者という生を超越した者の、終わりなき贖罪の始まりだった。




「ひどいわ、百年も待ったのに、次いつ会えるかも分からないのに、まだ待ち続けろと言うの……」


「ごめん、でも僕は君の王子様になるって決めたから、だから今度はその魔法のろいを解く為に、君に会いに行くから、全てを終えて、君の元に行くから」


 渡り鳥となりプロメテウスとなったエクスも同じで、帰る場所も自分の居場所も持たない流浪の旅人だ。


 それでも愛する人がいるから。


 愛する人の隣だけはかけがえ無く守り通さなければならない。


 ずっとは隣にいられないかもしれない。


 この世にある形ある物は滅ぶし、想区も世界もいずれ滅びるものだ。


 だけど。


 魂だけは不滅だ。


 だからエクスの魂の居場所は、レイナの元に存在し続けるのだ。


 



「約束よ、必ず世界を救って、私を救いに来てね、この寂しさは貴方でしか埋められないから、だから絶対迎えに来てね、絶対よ」


 レイナは消えかけの体で、仕返しをするように強く、残った力を使い果たす程に激しくエクスを抱き締める。


 窒息しそうな位に強い愛情に、エクスもまた抱き返す事で応えた。


 原典オリジナルの真似事かもしれない。


 運命が仕組んだ恋かもしれない。


 だけど互い愛する心だけは、なにものにも縛られていなかった。


 だからたとえ憎まれても、結ばれる結末以外は認められないのだ。

 

「たとえ何億光年離れていようと、光より速く君を迎えに行くから、待ってて、僕のお姫様」





 運命に定められていない二人の恋路は、縁で結ばれた二人よりも遥かに険しいものだ。


 魂が不滅だとしても、不滅の肉体など存在しない、元の姿のままで再会する事は無いかもしれない。


 ここは特異点、全ての事象の影響を受けない断絶した場所、世界の中心、だから別れたなら今度は、無限に広がる宇宙から見つけださなければならない。


 それは終わりのない迷路のような物だろう。


 終わりがあるかなんて、神さえも知らないような果てしない旅路である。


 今度は百年では済まないほどの年月を要するに違いない。


 それでも。


 プロメテウスは見てきた。


 愛し合う二人が添い遂げて、肉体の滅びと共にその想いもリセットされるのを。


 それは幸福だけど、永遠を生きる自分からすれば儚いものだ。


 運命に仕組まれているから、決められているから育まれている愛。


 そんないつか消えるガラスのように脆い愛を育むくらいなら。


 たとえ結ばれなくても永遠に変わることの無い不変の愛を、一生抱えて生きていたいと思った。


 だからたとえ再会する日が来なかったとしても、再会する日までエクスは生き続け愛し続けられる。


 それこそがエクスの誰よりも強い、真実の愛に至るまごころだった。

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