第92話 ガラスの騎士とメッキの王子

「ここで言うのは不謹慎かもしれないが、俺は最後に戦う相手がノインである事に、期待感が溢れるような昂りを感じている」


 レヴォルにとって今までの戦いは正義の為とか悪役だからとかそんなに沿っていただけだったが、ノインの事はずっとレヴォルが憧れていて、超えたいと思っていた相手だったから、だからノインともう一度決闘する機会が与えられた事に、レヴォルは始まりを告げる胸の高鳴りを抑えられなかった。



「それは僕も同じだよ、僕の背中を追いかけて物凄い早さで成長する姿に、その過程で多くの選択を強いられつつも自分を貫く強さに、僕はずっと魅せられていた、だから今、僕が君の試練として、君の糧になれるという事が、こんなにも嬉しくて仕方が無いんだ」


 記憶の無いノインにとっては、どんな役割を生きればいいのか、何を頼りに生きればいいのか、そういった行動の根拠になる物が無かったが。

 だがレヴォルは、常に自分の心に従い、許容できない事は例え運命さえも逆らってみせて、レヴォルの自分という「物語」を生きる生き様は、ノインの光明となる道標となった。

 レヴォルがノインを師事していたようにノインもレヴォルに私淑ししゅくしていたのである。


 故にこの決闘は対等な物であり、ノインにとって最も誉ある結末なのだ。


「この決闘は同士だからこそ成立する、ガラスの夢と黄金の理想、どちらが真に人の心を打ち、惹きつける物になるかを世界に証すために貴方達二人は代役としての生を許されたのだから、だから言うならばこの決闘こそが世界にとっての「分岐点ターニングポイント」、貴方達の決闘の勝敗が、世界の運命を変えるわ」


 エクスとレヴォルのどちらが優れているかを論じる事は、『語られぬ英雄たち』と『善き魔女と王子様の物語』という同一の物語を分離し、片方を貶めるという行為になる。

 故に原典の二人が戦えば片方が消滅し、一人二役を与えられたオルタナティブヒーローのように、渡り鳥として両方の主役を片方が担う危険性があった。

 だからこそ、ここにいるレヴォルとノインは代役として生まれ、本来とは違う役割を与えられ、そして答えを証す為の道具として創られたのである。



「ガラスの夢と黄金の理想、それが記号化された俺達の概念という訳か、この世界の神様は本当に神経質な奴だな、空白の、運命を持たない人間まで概念と役割を付与してくるんだから、でも」


 レヴォルの続く言葉をノインは理解し、代わりに答えた。


「僕達には関係ない」




 レヴォルもノインも、真剣は使わない。

 いや、真剣だけでなく想像剣も使わない。

 使うのはいつも稽古で使っていた木刀。

 真剣の数千倍振るって、仮想の敵を斬り捨ててきた、己の腕を練磨する為の、斬ることの出来ない剣である。

 それをこのクライマックスの決闘における己の武器として、互いは選んだのである。


「……あら」

「ちょっ、何で二人とも木刀なのよ!」


 モリガンとアリシアは二人が真剣勝負をしない事に面食らうが、ティムにはその理由が分かった。


「……例え仕組まれた戦いであっても、その選択も結果も、他人の物にはしたくないっていう二人の拘りだろう、だからあいつらは木刀にする事で自由に、そして長く闘いを続けるつもりなんだ」


「……そんな事しなくても、普通に戦えばノインが百回やって九十九回……いえ、一万回やってようやくレヴォルが一回勝てるような勝負よ、奇跡でも起こらない限りレヴォルに勝ち目は無い、それを勝負を長引かせる事に意味なんてないわ」


 レヴォルとノインの実力は、当初に比べれば多少は縮まったかもしれないが、それでも達人とようやく一人前なったばかりのレヴォルでは、まだまだその差は歴然としている。

 レヴォルは木刀で岩を切れないし、ただの一人で千人に匹敵する程の力量は無い。

 だからレヴォルがノインに勝とうとするならば想像剣を使うしか無いし、本来ならば己の物語の具現化である想像剣と想像剣の対決が、ストーリーテラーの描いた筋書きだった。


「そうだな、奇跡が起こらない限り王子サマが勝つ事なんてありえない、だがお嬢サマ、レヴォルに奇跡は不釣り合いな現象だと思うか?」


「……確かにレヴォルくんはこれまでだって奇跡みたいな事を何度も起こしたけど、でもそれはストーリーテラーの筋書き通りで」


 レヴォルは規格外な想像剣を使ったり交渉不可能な筈の災厄に認められたり、そうでなくても道中には何度も九死に一生を得るような経験をしているが、それはストーリーテラーの加護があってのもの。

 そんな物は奇跡と呼ぶに相応しくないが。


「確かにそんなのは奇跡に値しない現象なんだろうな、だけどお嬢サマ、そもそも奇跡ってなんだ、確率の低い目が出たらそれを奇跡と呼んで有難がるのか?」


「……違うわ、奇跡とはもっと、人の意志を超えて、大いなる意思に導かれるようなそんな」


「そう、本来は誰にも出来ない事を、神懸かった力で強引に成し遂げた物が奇跡なんだ、だから既に誰にも真似出来なくて何者でも無い王子サマからすれば、奇跡なんて容易く起こせる物、だからこそこの決闘は一方的な殺戮ではなく決闘として成立するし、二人の意志の自由が認められる余地があるんだ」


「誰よりも自由で、そして奇跡を確率論の現象では無く、自身の個性による必然として起こすという訳ね、これは予定調和の運命の否定、神を冒涜する世界への叛逆だわ」


「ああ、だからきっと、もしかしたら、王子サマにはこの世界の神の姿が見えているのかも知れない、だから挑もうと必死に高みを目指していたのかもな」


 レヴォルがこの想区で得た経験は、知識も見識も経験も乏しい青二才の若僧からすれば、どうしようも無く残酷で、理不尽で、手遅れになっていた悲劇ばかりだった。

 だからこそレヴォルはその終わってしまった悲劇に対して、後悔と無力さを感じずにはいられなかったが。

 だが、レヴォルは無力のままでも、自分を曲げずに我が道を行く事を選んだのである。


 自分が何者であろうと、どれだけ無力であろうと、運命に嫌われていようと、自分を信じて我が道を行き、己の物語を輝かせること、それこそが「黄金の理想」なのだから。




「……世界の神の姿、ね、ティムくんには想像つくのかしら?」


「俺は王子サマほど想像力豊かじゃないからな、はっきりとは分からんが、だけどわざわざ運命という形で理不尽と不条理を強いて、悲劇を強制するような神様なんて絶対まともじゃない、人でなしだ、だから神様こそが「世界にとっての悪役」みたいなオチも、割とアリじゃないかとは思うぜ」


「本来は救われない人間に最期の救いを与えるのが神様なのに、この世界は繰り返しだから救われない人間は永遠に救われないまま、永劫回帰の悲劇を強制させられるのはあまりにもむごい事よね、だったら本当は、神様こそが人間にとって最も必要の無い存在なのかもしれない」


「まぁ本来、神様は「理解出来ないもの」の概念の象徴だったが、人間の進歩は神に追いついた、だからこそ人は神を捨てて、新たなる運命ものがたりを紡ぐ時が来たって事なんだろうな、その象徴となる概念を、レヴォルとノインが背負って戦うのだから」


「……ちょっと待って、それじゃあレヴォルとノインの事も、神様は自分を倒す存在として生み出したって事?」


「おかしな事じゃないさ、本来この世界を永遠に繰り返したいだけなら、空白の書の持ち主も、災厄という悪役もいらない、ただ役割を持った人間だけで想区を完全に独立させればいいのだから、だから語り手のいない俺達にとってのが誰になるのかと言われたら、それはもう神様しかいないし、どうして神様が空白の書の持ち主なんて作ったのかと問われれば、自分の作った世界ものがたりを客観的に見てもらう他には考えられないだろうよ」


「……だったら、その資格は私達にもあったって事よね、嫌ね、これじゃあ私、本当に主人公の仲間の脇役でしかない、私だって神様に、言ってやりたいことは山ほどあるのに」


「俺も同じ気持ちさ、でもその役割はレヴォルにしか出来ない、なんて、世界から必要とされない代役おれのレヴォルにしか出来ない事だからな、だから王子サマは代役で、想像剣を扱えたって事なんだろうから」


 この世界の人間は例え本人がいなくなっても、役割をこなす為に代役がいる。

 それは繰り返しの世界である為に空白の書の持ち主達にも当て嵌る。

 だからこそここのレヴォルは最初から代役であり、いなくなってもいい存在なのであった。


「ねぇ、レヴォルくんが代役だったんなら、私達は?、私達はちゃんと本物なの?」


「それも分からん、けど、この想区において明らかに異常なのはレヴォルとおチビだけだ、だから俺達はそもそもただの脇役だから役割を振られていないか、別の役割が与えられているかのどっちかじゃないか」


「別の役割……、この決闘、レヴォルくんが勝ったらレヴォルくんもエレナちゃんもこの世界からいなくなるのよね、だったら……」


 レヴォルやエレナ達の運命に比べれば、地味で面白味の無い役割だと思うが、アリシアはそれに一生をかける価値を見出して、成し遂げたいと思った。

 自分の物語を生きるレヴォルの姿は、生き様は、アリシアの対抗心をこれ以上なく焚きつけるものだったから。

 だからアリシアはレヴォルの仲間だった経験を無駄にしない為に、自分の物語を生きようと思ったのだ。


「私は私の物語を紡いで、この世界の英雄ヒーローになるわ、与えられた役割なんてまっぴらよ、キハーノ家の女として、世界の主役は私だと示す義務があるのだから」


 そう口にしたアリシアの中にはレヴォルに先を越された悔しさと嫉妬、そして今は見ている事しか出来ない歯がゆさが渦巻くが、それでもいつか舞台の上に立つ事を、己の心に誓うのであった。


「ヒロインじゃなくてヒーローか、お嬢サマらしいや、お嬢サマのそういところ、素直に尊敬するぜ」


 脇役に徹しているティムは常に受け身で、無欲を装って誰かに憧れる事も、何かに熱中する事も無かったが。

 そんなティムにとって、困難を困難と思わずに、自分の信じる道を勇往邁進するアリシアの姿は、理解は出来なくても応援したくなる物だった。

 だからティムはアリシアがそう言った瞬間に、「やれやれ、俺は一生サンチョとしてこき使われる運命か」と辟易としつつも、アリシアの夢について行く覚悟を決めたのである。


 ティムが抱える過去は、運命に抗う事が出来ずに理不尽を突きつけられた世界の闇であるが、だからこそその暗闇さえも照らしてくれる光を当ててくれる主人に、ティムは救われているのだから。

 だからティムとアリシアの縁もまた、形を変えて、繰り返しに歪になったとしても、決して途切れる事の無い腐れ縁なのであった。


 二人は、別れとその先という結末の到来を感じながら、最後に目に焼き付けようと、レヴォルとノインの決着を見守った。








 ————————————ドンッ。


 山を抉るような一撃が、レヴォルを襲う。

 それは開戦を告げる小手調べの一手。

 一息の内に三閃を重ねて衝撃波を繰り出す英雄の一撃。

 数多の英雄を屠った、不可避にして一撃必殺の、先手必勝にして天下無双の必殺技である。


 前回のレヴォルはこれを受け止める技量が無い為に、ヒーローと接続コネクトする事によってなんとか受け止めたが。




「……強くなったね、レヴォル」


「ああ、俺は強くなった、ノインが、強くしてくれたんだ」


 ノインの放った必殺の斬撃をレヴォルは同等の威力の必殺技で相殺した。

 勿論初手の攻撃だからとノインが手加減していたのもあったが、それでもレヴォルがノインと同じ境地にまで足を踏み入れてることを示すに足る出来事だった。


 レヴォルは二撃目を撃たれる前に間合いを詰める。

 達人同士の戦いならいざ知らず、実力の差がある相手には、例え一本勝負を百回やっても、百回負けるのは道理であるが、一つだけ、番狂わせジャイアント・キリングが起こりうる条件がある。


(先手必勝、ノインの想像を超える一撃で、ノインの反応速度を超える)


 初手の、全く手の内が知られていない一撃であれば条件は五分、互いの膂力りょりょくと反応速度の優劣と攻撃と防御のじゃんけんのような駆け引きに変わる。

 予測や展開の組み立てが不十分な状態に於いては、達人の持つ経験値と技術は役に立たない。

 だからこそ単純な膂力と直感の勝負になるのである。

 勿論踏み込みが甘ければ、後出しで容易く捌かれてしまうのが常ではあるが、しかしこれは真剣勝負では無い、捌かれて一撃貰っても、レヴォルの敗北にはならないからこそレヴォルは、初手の博打に強気に出られるのである。


「うおおおおおおおおおおおおおお!!」


 レヴォルは突きの構えを取りながら突撃する。

 それを見たノインはレヴォルと切り結ぶ為に前進する。

 制止した状態であれば敵の踏み込みに合わせて後退し、そこから後出しで隙を突く事も出来るが、真の達人であれば、前身する相手の歩調を読んで先に打つか、後出しするかを選ぶ事が出来る。

 制止の受けは突きに弱い、だからこそノインは、半身はんみになり突きを躱す構えで、レヴォルの突きを先に潰す事にした。


 真っ向から突撃をねじ伏せようとするノインの気迫をレヴォルは肌で感じるが、並の剣士なら圧倒されるその強者の気迫をレヴォルは飲み込んで、最強に挑む。


 レヴォルには小手先の技術も、不意打ちを狙える必殺技も無い、だから正面から全力の突きを放つだけ。

 だが、その突きには、ノインの想像を超える仕掛けがあった。


 レヴォルは全力の突きを繰り出す。

 それは間合いの外、互いの刃が届かない距離から繰り出される。

 レヴォルの策は正面から突き刺すと見せかけて、その衝撃波で奇襲をする事。

 そしてそれを、ノインは絶対に予測出来ないだろう。

 レヴォルはノインから、剣圧から衝撃波を生み出す方法を教わっていないし、レヴォルにとっても今初めて試す、完全に初見の一撃だからだ。

 ちゃんと衝撃波が出るのか、それはレヴォルにも分からない事。


 しかしノインはそれでも、レヴォルが間合いの外から突きを繰り出すのを見て、レヴォルのやろうとしていることを理解する。

 だがレヴォルの突きは、ノインが余裕を持って避けるにはあまりにも早すぎた。

 ノインは回避する事も能わず、緊急的な防御で対処する。

 レヴォルの突きに対し、斬撃での相殺。

 点の攻撃を振り返して相殺するなど、撃たれた弾丸を斬るに等しい、常人には及びもつかない離れ業だが、達人であるノインにはその反則が許される。


 かろうじて、ノインはレヴォルの隠し球の一撃を受け止める。


「今のを反応出来るなんて、それをされたらこっちは打つ手無しだぞ……」


「ふふ、は油断して致命傷を受けたからね、今回はレヴォルの意外性を侮らなかっただけだよ・・・それでも損害は受けたけどね」


 そう言ってノインは自身の木刀の先端を指で弾くと、先端が粉々に粉砕される。

 突きの点の攻撃を線の攻撃では相殺し切れなかった為に、その残ったダメージを木刀で受け止めたからだ。


「それは僥倖、無論ノインならその程度のハンデ、物ともしないだろうが」


「そうだね、だけど初手の隠し球としてはこれ以上無い成果だろう、これで僕は木刀に気を遣って剣をを振らないといけないし」


 レヴォルとノインは再び間合いを詰めて切り結ぶ。

 それは初手の覇権争いから繋ぐ、牽制の打ち合い。

 相手の手を読み、技量を読み、詰めに繋げる為の、様子見の戦いである。


 しかしノインの様子見の一太刀も、レヴォルの全力で無くては受け止められない。

 だからレヴォルは必死にノインの動きに食らいつく。


「へぇすごい、この速度にもついて来れるんだね、ちょっと前までは片手でようやく互角だったのに」


「自分でも不思議なくらいだ、でも今の俺にはノインの剣が見えるし、理解わかるんだ、ノインの動きが、ノインの、俺を試そうとして、指導するみたいな動きが」


「そこまで分かるんだ、剣から相手の心を読めるようになるなんて、レヴォルはもう十分に僕に追いついているよ」


「だったら後は、追い越すだけだ」


「僕だって負けない、全力でレヴォルを叩きのめす」


 そこから先は駆け引きも何も無い、互いに剣を打ち合うだけの応酬が続く。

 木刀と木刀を叩き合う乾いた音が、激しいリズムで打ち鳴らされた。

 そうなったのは互いが互いの動きを理解しているから。

 ここを打てばこう捌く、といった次の行動が予定調和されているかのような予測によって互いに剣を交えている為に、余計な駆け引きを省いて詰めに入るための消耗戦をし、互いの手札と体力を使わせる為に剣戟を重ねるのである。


 技量はノインが圧倒的に上だったが、レヴォルの理解と予測はその差を埋めて、単純な体力勝負に持ち込んだ。

 互いの体力の限界を迎えるまで、二人は剣を振るい続ける。

 レヴォルとノインはその剣舞が、終わらなければいいと思うくらいに、剣戟の舞踏に没頭した。




「ねぇ、この光景を美しいと思うのは不謹慎なのかしら、私はどっちも応援してるし、どっちも怪我して欲しく無いけど、でもこの光景をずっと眺めていたいと思っている」


 男と男の全力の戦い。

 それが推奨されるものなのか、女は止めるべきな物なのか、アリシアには分からなかったが、それでもアリシアはその光景に魅入られていた。


「別におかしくないさ、世の中には「理解を超えたモノ」だってある、たとえ残酷でも、惨たらしくても、理解出来ないからこそ美しいんだから」


 男と男の二人だけの世界。

 それこそ誰にも入り込む余地の無い、愛とか恋なんかよりもずっと堅固で純粋な、現実を超越した世界なのだろう。

 だからこそこの決闘は理解を超えて、人々の胸に感動を与えるに違いないと、ティムもまた、二人の決闘に魅入られる。




「代役ふたり、贋作同士の滑稽で哀れな運命のはての戦いだというのに、こうも目が離せないなんてね、もしかしたらこの光景を、私は望んでいたのかもしれない」


 繰り返しに生かされて本来の時間軸、世界線から切り離された「流浪のモリガン」にとっては、レヴォルもノインも、原典オリジナルとは別の、贋作、模造品であり、本来は興味を持つ事も無いようなの存在だったが。

 だがそれでも、モリガンは偽物から目が離せない。

 それはモリガンが繰り返しの中で原典の記憶を劣化させた為なのか、レヴォル達が原典にも劣らない輝きを放っているからなのか、今のモリガンには分からない事だったが、それでもモリガンもまた、その光景に魅入られていたのであった。





 レヴォルは必死でノインの動きに食らいつく。

 体は悲鳴を上げ、木刀が真剣、更には丸太のように重くなっていくが、それでもレヴォルは食らいつく。

 「もうダメだ」、「次は捌けないだろう」、そんな脆弱な思考が幾度となく頭を過ぎるが、それでもノインの剣に合わせて体は反応し、ギリギリで捌き切る。

 レヴォルは未だかつて経験した事の無い己の限界へ挑む、果てしない綱渡りをするような感覚に、焦りでも、絶望でもなく、喜びを感じていた。


「ふっ、はぁ、はぁはぁ……まだまだ!!」


 もうダメだと思った一秒前の自分ごと、振り切った剣でねじ伏せる感覚に。

 悲鳴を上げる体とは裏腹に、全細胞が勝利を掴めと咆哮し、血潮が沸騰しそうな感覚に。

 レヴォルは自分の限界を塗り替えていくような、弱い自分を打倒していくような、そんな充実感を得ているからだ。


 一太刀捌く度に、一歩進む度に、一呼吸繋ぐ度に。


 レヴォルは弱い自分が生まれ変わって限界を打破する喜びで、前へと進む意思が活力を漲らせるのである。




「なっ、おいおい、今まで防戦一方だった王子サマが押し返したぞ!」

「逆境に立つものの利ね、圧倒的不利から命を繋いだレヴォルくんの方が勢いに乗っている、笑って剣を振っているんだから、困難に笑っていられる人間はそりゃ強いわよ」


 アリシアの言う通り今のレヴォルは勢いに乗っていた。

 目の前の強敵に、最強を相手にレヴォルは今までにない底力を引き出し、その勢いはノインを上回ったのである。

 そしてその優位性は心に余裕を生み、更に活力を漲らせる。


「僕に、……追いついたんだねっ、なんて早さだ、まさかここで追いつかれるとはッ!」


「相手がノインだったからだ、最強無敵のノインが相手だったからこそ、駆け引きや技に頼ること無く、純粋に最強そこを目指す事が出来たんだ」


「嬉しいよ、全力で戦える事が、この瞬間の生を感じていられる事が」


 余裕が無くなった事をノインは寧ろ喜んだ。

 追い詰められた事で、ノインもまた、死に物狂いになれたから。

 自分の引き出しの全てをさらけ出して戦える事が純粋に嬉しかったからだ。


 ノインの剣は役割を全うする為、相手を打倒すためだけの、ただ傷つける為の剣だった。

 それがレヴォルという強敵ともを得た事で初めて、それ以外のもっと大きな意味が生まれた。


 ノインの剣を一太刀受ける度に生まれ変わるレヴォルと同様に、ノインもまた、レヴォルから一撃与えられる度に生まれ変わっていたから。


 互いに認め合い高め合い通じ合った二人の戦いは完全に互角となり、千日手のように単調な打ち合いとなる。


 斬っては返し、返しては斬り、丁々発止とした打ち合いを二人は心ゆくまで続ける。


 もう誰も、この決闘の結末を予想する事は出来なかった。





(神様、どうかあと少しだけ、……僕に時間をくださいっ)


 慣れたはずなのに、壊れかけの体が歪んでいく激痛で、意識が途切れていく。

 慣れたはずなのに、手足の感覚が麻痺して、自分が何をしているのかも分からなくなる。

 胸焼けがしたように肺が熱い。

 向かってくるレヴォルの動きを瞬きの一瞬で捉えなくてはならい程、視界が点滅する。


 レヴォルが一歩ずつノインを追い詰めてくるのと同時に、ノインの体は少しずつ剥がれ落ちていく。

 だからノインは途中から自分の体が壊れないように、最小限の消費で済むように力を抑えながら戦っていた。

 

 それを悟られないようにする為に、感情を殺し、痛みと苦しみを長引かせて、己の役割をやり遂げようとした。


 自分のものがたりでレヴォルと最期まで語り合う事。

 それだけで死の恐怖を超克する程の充実感があった。

 だからノインは全てを語り終えるまで剣を離さない。


 たとえ魂が灼熱に焦がされようと、いばらに繋がれた肉体が引きちぎられようとも。


 攻めの剣も受けの剣も、ノインの培った全てをここで語り切らないと、死にきれないから。


 安息なら語り尽くした後でいくらでも得られる、だからノインは自分の生き様を物語る為に、最期まで剣を握るのである。



 





「……どうやら、終わりの時が来たみたいだね、ここが限界みたいだ」


 ノインの頭から砂のような物が零れていく。

 ノインの器の限界、既に余命幾許も無かったノインの魂の器、空白のホムンクルスは、レヴォルとの最後の激闘に寿命が尽きかけていた。

 故にノインは次の一手を、己の最期の一撃として放つ覚悟を決めた。


「……残念だ、ノインとは代役同士じゃなくて、もっと普通の出会い方があったのならば、ここでこんな幕引きにならずに済んだのに」


「だが僕はそれでいい、だってその運命を受け入れられるくらいに、今の僕は充実している、今まで生きてきた全ての出来事が今日に繋がっていたのなら、その運命は素晴らしいものだったと胸を張って言えるから」


 ノインは渡り鳥の代役として生み出され、役割を遂行する為の訓練として、凄惨な虐待と、非道な殺戮を強いられてきた。

 それは、普通の人間からすればあまりにも惨い、理不尽な悲劇で、受け入れ難い過去だろう。

 それでもノインの運命は、空白の書の持ち主であるレヴォルと出会った事で「その先」が生まれて、悲劇は悲劇のままで終わらなくなった。

 だからノインはレヴォルと出会ったこの想区での僅かな時間を一生分の思い出として、幸せだったと人生に充実を感じたのだ。


「……ノイン、ありがとう、生まれてきてくれた事に、出会ってくれた事に、その全てに感謝する」


 死にゆくノインにレヴォルは何を言えばいいのか分からなかったが、別れの未練や葛藤より先に、レヴォルが思ったのはその運命への感謝だった。


「僕も、ありがとう、……はは、おかしいね、これで最後なのに、最後にありがとうって」


「……そうだな、これで最後だ、だからこそ、未練なく精一杯生き抜いたのなら、きっと最期はありがとうなんだ」


 死出の旅に出るのはノインだけではない。

 アルケテラーと接続するレヴォルも、その存在を抹消される為に、本質的には死と変わらない結末を迎える。

 だからその感謝は、レヴォルの最期の言葉でもあった。

 レヴォルにももう、この世界への未練は、背負った後悔と共に既に断ち切られていたから。


 二人を縛るものはもう、何も無かったから。


「それじゃあ、次の一撃で終わりにしよう、レヴォルの全力を僕に見せて」


「ああ、見ていてくれ、俺の成長を、俺の物語を」


 レヴォルは一生に一度の、友を斬る覚悟を剣に込める。

 全力だけでは届かない、奇跡や閃き、有り得ない偶然や仕組まれた必然と言った実力以上の力が加わらなければ、到底ノインには及ばない。

 だからこそレヴォルが全力を出すのは最低条件。

 本気でノインを切り捨てる覚悟が無ければ、その先の奇跡だって起こらないから。

 だからレヴォルは、一生に一度、絶対に二度目は起こらない友を斬る覚悟を、己の剣に込めた。

 そこに迷いも、葛藤も無い。

 答えは全て己ではなく、ノインの剣に問い掛けるのみ。


 全身全霊、この一撃に己の全てを乗せて、ぶつかるだけ。


 二人の静寂が伝播するように、皆が息を飲んで見守る。


 僅かな隙も許されない、そんな息が詰まりそうな緊張感の中、二人は見合う。


 この睨み合いは長くなると、誰もが予想した次の瞬間。


 いつの間にか二人は互いの位置を入れ替えて、剣を振るっていた。





「はぁはぁ」



「…………」


 レヴォルとノインは剣を振り切った状態のまま固まっていた。

 決着がついたのは明らかであるが、どちらが勝ったのか、その瞬間を捉えた者はいない。

 結果を知るのは当事者の二人だけだ。




「ノイン……」


「……………」


「っ……無念だ」




 ノインの肩口から飛沫が上がる。


 倒れたのはノイン。


 勝ったのはレヴォルだった。


 しかしレヴォルは喜ばない。

 それどころか悔しそうに、不本意な結末を嘆くように肩を震わせていた。


 そんなレヴォルに向かって、ノインは語りかける。


「……いいんだ、これが僕に相応しい結末だから、だからありがとうレヴォル、僕に結末を与えてくれて、本当に、本当に……ありがとう」


 そう言うノインの口ぶりはまるで独り言のようだった。

 ノインはただ、この結末に無念を噛み締めるレヴォルを予測して、予め語る言葉を決めていたから、それを呟いているだけだ。

 本来なら言わなくてもレヴォルには伝わっていたかもしれない。

 それでも感謝だけは言葉で、遺言として伝えたかったから、ノインは語った。

 何も見えない目で虚空にいるレヴォルを見据えて、まともに動かない筋肉で目いっぱい引きつった笑顔を浮かべながら。

 

 誰も納得しない結末に、一人満足したままに、ノインは旅立った。

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