第39話 世捨て人の遺言
「明日にはこの島は滅びる、冗談などでは無い、だから明日、海岸の近くに船を停めるから、乗りに来て欲しい」
レヴォルが再び世捨て人の下を訪れたのは、他に適任者がいなかった為であり、レヴォル自身、もう二度と世捨て人と顔を合わせたくなど無かった。
だがそんなレヴォルの不機嫌さも煩わす事もなく、世捨て人は動じることなく、孤高を纏うように座っていた。
流石に不本意なお節介を焼いた上に無駄足になっては堪らなかったので、レヴォルは念を押すように世捨て人に言葉を投げる。
「ちゃんと聞こえたか、明日、この島は無くなって消える、だから巻き込まれないように、船に乗って貰えないか」
レヴォルにしては珍しく、下手に出ていながらも、不遜な態度で言いつける。
だが、世捨て人は頷く所か瞬き一つ見せずに、相変らずと混濁とした瞳を海に向けるばかりだ。
もしかしたら世捨て人だから、自分の生すらにも執着が無いのかもしれない。
だけどだからといってここで諦めるくらいなら、最初からここに来てはいない。
だから、世捨て人が興味を持つ言葉で関心を引く事にした。
「・・・俺には貧困は分からない、だけど、この島で過ごして、少しは生きる苦しさや辛さみたいな物を知ったと思う、確かに、死が救いとなるような結末だってあるのかもしれないと、納得は出来ないが、理解は出来るようになった」
世捨て人が聞いているのかは分からないが、どうせ独り言ならばと、レヴォルも好き勝手に自分の感想を零した。
「マッチ売りの少女が、普段から理不尽な仕打ちを受けて、マッチを売っていく中で人生に絶望し、それ以上の苦しみを与えないように、そこで彼女の人生を終わらせる、それが救いだっていう事も確かに理解できる」
貧困は一生続くものだ、そして大半は大人になってもそこから抜け出せず、子供にも受け継いでしまう。
「でも、それは、物語として余りにも救いが無さすぎるのでは無いだろうか、それは何の脚色も無いありのままの現実だ、多くの物語が持つような夢や希望なんて欠けらも無い、ただこの世の悲劇を綴っただけの出来事でしかない、物語にするには余りにも惨いんだ」
現実を悲惨な方に強調した悲劇を求める人間は、余程悪趣味な感性の持ち主だけだろう。
「もしも俺がアンデルセンだったら、マッチ売りの少女を一人になどしない、同じ貧困の中に生きる子供や、喋る鳥や猫なんかを友達にして、マッチが売れなくても助かるような結末にする、そうじゃないと・・・物語は人々に希望を与える物でないと・・・いけないんだ!」
救われない結末なんて現実だけで十分だろう。
少なくともレヴォルの周りには身近にマッチ売りの少女のような境遇の人物が、マッチ売りの少女以外にいると思っている人間はいない。
だから、救われないのはマッチ売りの少女だけ。
レヴォルはどうしようも無いくらいにマッチ売りの少女を救いたい。
創造主の作り出した運命の為に死んでいくマッチ売りの少女を救いたいのだった。
そんなレヴォルの青臭い主張に世捨て人は・・・
笑った。
嘲笑しているのでは無い。
ただ、マッチ売りの少女に対して、そこまでの同情と、感想を持ってくれた事が嬉しかったから。
その礼に、世捨て人は再びレヴォルと対話する。
「君がアンデルセンだったならば、か、だったら君がもし
「え?」
「確かに物語は希望を与える物だ、わざわざ本屋に出向いて買った本から得られるものが絶望だったならば、この世の本屋は全て潰れてしまうだろう、物語が人々に夢や希望を見させる為の都合のいい娯楽であった方が万事において都合がいい、だから君の言っている事は正しい、だけど悲劇もまた、文学として、物語として世に在り続ける、それは何故だろうか」
確かに、悲劇が絶望しか生まない物であるならば、この世に蔓延っている事の説明がつかなくなる。
悲劇的な結末を迎える作品は哲学的だったり、風刺的だったりで含蓄を盛り込む事で作品としての地位を保っている物が多いが、だからといって脚本として特別優れている作品は稀だ。
どちらかと言えば聖書や故事等、古典的な物語に倣った、教科書的な側面の方が強いのかもしれない。
だが、アンデルセンは、それを「童話」で作って見せた。
ただの数ページしかない童話の中に、人々に感動を伝える物語を作ったのである。
アンデルセンに並び立つことの出来る童話作家など、世界中探しても一人か二人、「いるかもしれない」程度の可能性があるだけだ。
世界一の大作家がシェイクスピアならば、世界一の童話作家は間違いなくアンデルセンであろう。
そのアンデルセンの作った悲劇が、ただの悲劇であるはずが無い。
「私から言わせれば、シンデレラや白雪姫の方が絶望を与える物だ、才能や血統に優れた、上流階級の人間が大した努力も無く、ただ美貌を買われて成り上がる、それは人間の価値を一点に規定するような、残酷な物では無いだろうか」
「・・・確かにそれも一理ある、だけどシンデレラが美しいのは魔法や、ガラスの靴という小道具のおかげでもある、だからやっぱりそういう努力をした人間が幸せを掴むというのが、物語のあるべき姿なのでは無いだろうか」
「ならば、君はそのあるべき物語を、誰に伝えようと言うんだい」
「誰に・・・」
レヴォルがマッチ売りの少女の物語を改変したいのはマッチ売りの少女を救いたいからであり、レヴォルがそういった理不尽な運命を変えたいのは人助けの為であり、書き手として伝えたい事があるからとか、誰かを喜ばせようといった算段や下心は存在しない。
ただ一途に真っ直ぐな気持ちだからこそ、レヴォルは人に対して臆面もなく自分の青臭い主張を叩きつけることが出来る。
だから、誰かに自分の物語を届けたいという思いなんて、考えた事も無かった。
・・・もし自分が物語を作ったならば、最初に聞かせるのは家族や友人なのだろうか。
だけど、自分の作品を見せるというのは、自分の装飾しない本心を見せるようで恥ずかしい。
だから、物語が大好きなあの子に意見を聞く形で見てもらうのが一番無難だろうか。
だけどアンデルセンは作家だ。
自分がアンデルセンに成り代わるというのならば、素人の安易で恣意的な改変ではなく、もっと王道で文学的で専門的な推敲をしなければならないだろう。
何故ならアンデルセンの書いた物語は、子供だけの読み物では無いのだから。
「・・・そうか、アンデルセンの物語には書き手だけじゃなくて、読み手がいるんだ、だからアンデルセンは・・・、そうか」
アンデルセンの物語は、ただの伝承やおとぎ話を集めた童話集という即席で稚拙な物ではなく、はっきりと、読者に向けて
だからこそアンデルセンの作品を読む人間は、アンデルセンのその真意に「気づき」を得られるかどうかが問われる。
レヴォルは今までアンデルセンの作品を、数ある童話の中の一つとしか思っていなかった。
アンデルセンの事を数いる創造主の一人位にしか見なさず、その努力も苦悩も何も想像することなく、ただの偏屈な非劇作家として、偏見を持っていた。
だけど違うのだ。
アンデルセンは悲劇が好きな変人なのでは無い。
生まれた時から安定を得ていたグリム兄弟や、シャルル・ペロー達とは違う、もっと一般的で庶民的な感性の持ち主なのだ。
だからこそ、人魚姫やマッチ売りの少女という物語に意味を込める事ができるのだ。
「だったら俺の物語は、世界に向けて語る、旅の中で俺が感じた喜びや悲しみを皆と共有出来るように、狭い世界から読者に想像の翼を与えて、この世界は美しく、素晴らしいものであると伝える物語を俺は世界に伝える」
もしアンデルセンに対抗するのであれば、それだけの大望で無くては比較にならない。
そうして初めてレヴォルは、憎んでいたアンデルセンと対等となれる。
「そう、物語は人々の中に浸透して初めて価値を持つ、異なる文化や言語の壁を飛び越えてようやく物語は本当に生きた存在として、物語られる物となる」
アンデルセンの作品が、生きた物語になれたのはその資格を持っていたから。
人魚姫とマッチ売りの少女だけが、その「天上に捧げる傑作」としての要素を満たしていたからだ。
悲劇だから、印象的な結末だから、だけでは無い、文学的な主題があるからこれらの作品には強い力が込められているのだ。
だがレヴォルはまだ、その最後にして、最大の「気づき」を得ていない。
まだ、己の中で完結しているだけの、殻のついた雛子に過ぎない。
それでは、アンデルセンと並び立つ事も、
「さて、今一度問おう、この世界は、悲劇と喜劇、どちらで出来ている」
世捨て人は再びレヴォルに問いかけた。
以前レヴォルは、悲劇で出来ている世界であっても、救いがあれば喜劇に変えていけると言った。
だけどそれは、人の心が絶対的に光に向かっていけると信じる、どこか希望に縋るように、曖昧で不安定な物だ。
でも現実の人間は違う。
身分、貧富、宗教、様々な要因で他人を差別し、異なる主義思想を持った人間を平気で除外する。
そんな世界で、希望や理想なんて曖昧な主題を主張しても、誰からも受け入れられない。
人の心の光は、持ち得る人間にしか存在しないのだから。
だから、その光を持たない人間に。
世界に対して無関心な傍観者達に。
自分の作品でアンデルセンは問いかけたのだ。
「この世界は、最初からどうしようも無いくらいに分けられている、金持ちの役割を持つ人間と貧困の役割を持つ人間、人々から好かれる人間と嫌われる人間に、だから、光がある所にには必ず影が生まれる、全ての人間に幸せになる結末を与えられる事なんて無理だ、平和でさえも粗末な条約と沢山の屍が礎となって、薄氷の上に成り立っているのに過ぎない、全ての人間を平等に扱えば、全員が主義思想を主張し、
だから、喜劇の裏にある悲劇は必然なのだ。
最大多数の幸福の為には、必ず犠牲を強いられる弱者が必要となる。
その悲劇を取り除く事は、より大きな悲劇を招くか、勝者と敗者を逆転させるだけで、レヴォルの望む結末に至る事はない。
「この世界はどうしようも無く悲しい、悲劇を知らずに穏やかに生きていく人間と、喜劇を知らずに人知れず死んでいく人々に分けられているのだから」
それは、世にいる人々が他人に対して無関心であるから。
富豪は貧民と関わろうとせず、貧民は己の生活だけで精一杯で、他人に構っている余裕が無いからである。
でもそれじゃあ、駄目なのだ。
人と人の問題なのだ、それを他人事として捨て置くのは、野にいる動物達よりも情に欠ける、畜生にも劣るような卑劣な行い。
例え自分が生活に困っていたとしても、目の前に死にそうな人間がいたら助けてしまうのが人情という物であろう。
だから、人が人らしく生きる為には。
「他人にもっと関心を持って、誰かの苦境に気づく事、それができれば、人々の世界はもっと上の次元に行き、もっと多くの人間に幸福が与えられる世界になる」
人魚姫は声を奪われ、自らの境遇を訴える事が出来なかった。
もし誰かがそれに気づく事ができたなら、人魚姫は幸せになれただろう。
でも人魚姫は最後まで王子を想い、人間として死ぬ為に泡となった。
マッチ売りの少女は誰からもマッチを買って貰えず、雪の夜に一人、天に召された。
もし誰かがマッチ売りの少女の境遇に気づき、一箱のマッチでも買ってあげたなら、結末は変わったかもしれない。
でも、売れないからこそ彼女の事を人々は憐れんだ。
そうだ彼女達はどうしようもなく救われなくて不幸だ。
だけどそんな彼女達の生き様が人々の心に警鐘を鳴らす。
「本当にこれでよいのか」と。
「現実がこれでよいのか」と。
その言葉にしなくても伝わる、物語に込められた願いこそが、彼女達の救いなんだ。
自分達が救われなくても、世界にもっと大きな救いを与える。
人魚姫もマッチ売りの少女も、救われない物語では無い、「救う為の」物語なのだ。
恐らく、その根底にあるのは、聖書にあるような人間愛。
隣人や敵を愛し、神からの寵愛を独り占めせずに分け与える博愛主義。
その博愛をアンデルセンは人魚姫に込めて、そしてレヴォルは人魚姫からそれを受け取っていた。
「人間愛」という、ひたすらに人の未来を、本質を信じるという信念を。
故にレヴォルは最後の「気づき」を得ることが出来た。
「悲劇も喜劇も、世界の一部だ、全部じゃない、だから悲劇を悲劇のままで終わらせず、喜劇を喜劇のままで終わらせない、その為に自分が出来ることをする、些細な事でもいい、現状に満足せず、より良い道を全員が模索できるようになれば、世界はもっといい物に変えていける」
レヴォルの「お姉ちゃん」は死んでもなお、レヴォルの中に確かに生き続けている。
「そうだ、物語とはただの娯楽や教養の為にある物では無い、人の思想や固定観念を変えて、新たに価値観を創造するような、想像で世界を変える唯一の手段なのだ」
仮にその主義主張を述べているのが政治家だったならば、ただの啓蒙書だったのならば、人々は興味を持つ事もなく、アンデルセンの名は歴史の影に埋もれていただろう。
物語という形だったからこそ、差別や貧困という主題に対しての在り方を切実に問いかけたからこそ。
アンデルセンの物語は「天上に捧げる傑作」足りえたのだった。
「私の旅は終わった、後は君達の番だ、私の物語はここで、君との出会いで締め括られる、それ以上の結末などないのだから」
世捨て人が求めていたものは自分の物語を真に愛し、理解した存在に出会うこと。
そうした存在がいれば、例え己の命が滅びる事になっても、その魂までは滅びる事はない。
「・・・貴方は、アンデルセンなのですか」
確信を持つまでには至らないが、ここまで差しで口を挟める人間が世にいるとするならば、それはアンデルセンに他ならないだろう。
だけど世捨て人は首を横に振った。
「君の物語に、私の名前など不要だろう、ただ老人の戯れに付き合っただけだ、それ以上を知れば君の物語の意味を変えてしまう」
もし本当に彼がアンデルセンなのならば、言ってやりたい事は山ほどあったが、世捨て人があくまで名乗らないと言うのならば、これ以上語る事はない。
少なくともレヴォルは人魚姫に救われていて、その理想や信念のような物を受け継いでいる。
マッチ売りの少女を妹のように想い、短い間に親交を深めている。
レヴォルの人格は、その二人の姉と妹によって作られた物だ。
だけどこれはレヴォルの物語であり、二人の姉妹から受け取った物は、アンデルセンの注釈付きなどでは無い。
だから、レヴォルにとってのアンデルセンは、父親のような存在ではなく、あくまで倒すべき、超えるべき存在でなくてはならない。
だからこそその役目を持ち得ない、役目を終えかけている世捨て人には、名乗るべき名前など無かった。
そんな真理を知らないままに、何かを悟ったレヴォルは悲壮感を感じながら、世捨て人に最後の確認をした。
「・・・貴方は、船に乗らないのか」
「ああ」
短い即答。
きっと最初からこうなるのは決まっていた。
彼は誰にも知られずに消える事のできる場所を求めてここに来たのだ、だから世捨て人と呼ばれていたのだと得心し、レヴォルは短く別れの言葉を口にして、その場を立ち去る。
「僕を救ってくれてありがとう」
世捨て人は最大限の感謝を口にして、消え去ろうとした。
だけど。
「・・・まだ役割が残っているか、本当に、ままならない物だな運命とは」
だからこそ面白いと、今の世捨て人はその余命を心から楽しむ余裕がある。
変えられない結末を変えた時、報われないと知っていた努力が報われた時、それに勝る充実感など、この世に存在しないだろうから。
世捨て人は最期に、この世界を愛する事が出来たのである。
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