第32話 セルフワンダーランド6

「私の話を聞いて」


 その言葉にその場の全員が静まりかえり傾聴する。


「私は、が好き、不思議の国の皆が大好き、だから、皆に私を好きになってもらいたい、皆に認められたいの」


 主役として認めてもらう。

 それはアリスになるということではない。

 それより上の公として認めてもらうという事だ。


 私のその宣言に「異議なし」と時計ウサギちゃんが賛成し、それに続くようにトランプ兵やマッドティークラブも賛成する。

 その中でただ一人、ハートの女王だけが、依然として私を拒絶した。


「ハートの女王さん、貴方はどうして私を受け入れてくれないの」


 私は至近距離で正面から、ハートの女王に問いかけた。

 皆がその様子を固唾を飲んで見守る。


「私はもう、アリスはいらないって決めたから、嘘つきで、自分勝手なアリスに振り回されるのはもう懲り懲りだからよ」


「一体何があったの?」


 その問いかけにハートの女王は目尻に涙を溜めながら口を接ぐんだ。

 周りを見渡すが皆顔をそらして教えてくれようとしない。

 密集した人口とは裏腹に恐ろしくなるような静寂が場を支配する。


 そんな中、一人の少女が、全身を震わせながら、証言台に登った。


「・・・私が、説明します」

「時計ウサギちゃん・・・」


 怯えるような様子の彼女に心の中でエールを送りながらその勇気を見守る。


「アリスは、約束を破ったのです、不思議の国、鏡の国の冒険を終えて、アリスの物語は終わるはずでしたが・・・」


 緊張に声を震わせながら、蚊の鳴くように消え入りそうな声を精一杯張り上げて時計ウサギちゃんは言葉を紡ぐ。


「アリスは約束しました、「また会いに来る」と、アリスは時計ウサギを案内人とし、女王になった後も幾度となく不思議の国、鏡の国へと来訪しました、アリスはこの日常がいつまでも続くと、そう信じていました、ですが・・・」


 時計ウサギちゃんの目から再び涙が溢れるが、涙を滴らせながら、時計ウサギちゃんは役目を全うしようとする。


「アリスも次第に成長し、現実という世界に染まっていく中で、次第に空想の世界から切り離されていき、「夢を見なくなっていった」のです」


 不思議の国が夢の世界ならば、夢を見なくなることは不思議の国との決別という事になるのだろう。


「そうして、アリスは不思議の国にこれなくなりました、当たり前です、不思議の国に来るアリスは少女でなければならない、大人になったアリスの姿など、誰も望んではいないのだから」


 アリスも不思議の国の部分パーツの一つに過ぎないとはこういう事なのだろう。

 少女にのみ与えられた特別な夢が不思議の国ならば、夢見る少女でなくなった者には不思議の国に来る資格はなくなる。

 時計ウサギはアリスが不思議の国を認識する在り方を説いたが、不思議の国がアリスを認識する側面も確かに存在するのだ。


「・・・つまり、アリスはやがて不思議の国を忘れて、現実の世界の住人にもどってしまう、不思議の国から切り離されていってしまうことが許せないってことね」


「・・・アリスだって、忘れたくて忘れている訳では無いのです、でもアリスは「理想の少女の象徴」ですから、少女で無くなったものがアリスである運命を奪われるのは仕方ないのですよ・・・っ」


 全てを話し終えて限界だったのか時計ウサギちゃんは嗚咽を漏らして号泣する。


「そう、アリスはこの世界に来てもやがていなくなってしまう、私達の事をやがては夢の中の思い出に変換し、現実では無くしてしまう、どれだけ愛しても、愛してはくれないのなら、やがて風化してしまうのなら、こんな悲しみなんて・・・いらないのよ!」


 ハートの女王が秘めていた想いのままに怒鳴り叫ぶと、その言葉に呼応するように、賛同していた者達も挙手を取り下げた。

 会場の空気が私の拒絶に流れていくのを感じる。


 アリスはどうして夢を見なくなるのだろう。

 自分の大好きな物をどうして無くしてしまうのだろうか。

 それは、双方にとっても不幸で、悲劇だ。

 もしもアリスが大人になっても同じ夢を見続けられるのならば、皆めでたしめでたしで終われるのに、どうしてそれじゃいけないのだろう。





 ーーーだってそれじゃあアリスは前に進めないから。


 前に進む?


 アリスにだってアリスの夢、目指すべき淑女レディの姿がある。

 それを捨ててまで少女でいるということはアリスの希望を否定する事であり。

 アリスの象徴する理想の少女の姿を汚してしまう事だから。


 ・・・それじゃあ、どうしようもないのかな。


 かもね、でも私は、それは悲しい事だけじゃないと思う。

 ・・・だって、不思議の国の皆との思い出は私の中にあって、その物語は、皆の中で輝き続ける。

 世界中の皆から愛されて、憧れて、語り継がれる。

 そうして、アリスの物語は「永遠」を生きているのだから。


 永遠、永遠かぁ。

 そんなおおそれたスケールから見たら、少女の時間のなんと儚いことだろうか。

 そうだ、そもそもアリスの物語とはたった二回の夢に過ぎず、出会いと別れの物語でもあるのだ。

 別れは必然、然るべき結末なのだ。


 だったら、アリスは不思議の国に依存してはいけない。

 不思議の国もアリスに依存してはいけない。


 アリスの持つ物語を、アリス一人が独占する事こそが、想区の衰退、破滅を招くだろうから。



 ねぇ、もしも貴方だったら、仲間との別れをどう受け入れるの。


 ーーー受け入れないよ。


 ーーーえ?


 だってそんなの悲しすぎるもん、しょうがないでしょ、まだ少女リトルレディなんだから、だから淑女レディになるまでは受け入れないよ。


 ・・・そうか、そうだよね。

 簡単に認めたくないし、きっといつまで経っても覚えてる。

 仲間との大切な思い出は、何よりかけがえなくて、一生の宝物だ。

 だから子供みたいに駄々こねて、喚いて、運命を呪いながら何度も何度も抗うに決まってる。

 ・・・だってーーー




「「まだ少女だもん!」」







「・・・アリス?」


 自分の中にある、忘れられた記憶、かつて繋がった魂との問答を終えた私は、観衆がハートの女王に同調し、次第にアリスを追い出せと野次を飛ばされるような逆境の中にあっても、不敵に笑っていた。

 だって私はもう、を得たのだから。


「ええ、貴方達の言うとおりね、アリスはここにいるべきじゃない、だってここはアリスのいるべき場所ではないのだから」


 私のそんな今までの全てを否定するような発言に時計ウサギちゃんは顔をふせる。


「ーーーでも、皆は、それでいいのかな?このままアリスがいなくなって、永遠にアリスのいない平穏を、物語の要を失ったまま、一生アリスとの思い出を振り替えるような後ろ向きな日々になってもいいのかな」


 私は今一度問いかけた。

 結末を迎えた後の後日譚。

 後味の悪い消化試合の日々に。

 その咎をアリス一人の責任として被せる事の如何を。


「・・・あなたに何がわかるっていうの、あなたはじゃない、じゃないあなたに、何が分かるっていうの!」


「・・・その子の事は知らない、でも同じアリスだから、言える事がある、そんな結末、そんな未来、誰も望んでいないって・・・っ」


 私のその言葉を否定できる者など誰もいなかった。

 皆分かっているのだ、こんなけじめはみじめなだけだと。

 故にハートの女王は言葉に詰まってしまう。

 最初から対話した時点で負け確だったから。

 だってハートの女王もまた、アリスの事が好きで好きで仕方がないのだから。


「俺っち、嫌だな・・・だってアリスがいないと何してても何か欠けてるみたいで、いないのが当たり前だったのに、いつの間にかいるのが当たり前になってて、だから、だから・・・」

「きっと、私達はもう、アリスがいないとどうしようもない体に狂っちゃったんだよ、だから今の私達はアリスがいないと、何やってもつまらないよ」

「Zzz・・・(同感)」


 ハッタ達がアリスを殺そうとしたのはあくまで、久々に会ったアリスとの遊びの一環であり、その殺意は無邪気なものであったからこそ、もっとアリスと遊びたいと思うのだ。


「・・・女王様だって本当は、アリスに会いたいんですよね?」


 側近であるトランプ兵も、マッドティークラブに同調するようにハートの女王に確認する。


「そんなこと・・・」


 聞くまでもない。

 アリスに会える日を指折り数えて。

 アリスに会えない毎日を必死に紛らわせていく 日々を皆知っているのだから。

 でも認めたからってどうなるのか。

 そもそもあの子は成長して、もうここに来る事は無いのに。


「・・・まったく、強情だねぇ、素直になれば、あんたも少しは可愛げがあるっていうのに」

「ニャ、ご主人!」

「ハァイ、チェシャ、そしてハートの女王、相変わらず陰気な意地はってるわね」


 ここで最後の証人、チェシャ猫の飼い主であり、ハートの女王の親友である公爵夫人が舞台に立った。


「・・・何しに来たのよ」

「決まってるでしょ、見ていられないあんたの顔を見られるようにしに来たのよ」


 公爵夫人はハートの女王の正面に立つとその頭を横から思い切り殴り付けた。


 バシィ


 その衝撃にふらつきながらも、ハートの女王は持ちこたえる。


「貴様ぁ、この私を愚弄するか、処刑してやるわ、処刑!」


 ハートの女王の全力の殺意を纏った恫喝にトランプ兵達は竦み上がるが、公爵夫人は全く気に留めなかった。


「私を処刑してあんたの気が晴れるなら好きにして頂戴、元よりこの命、惜しくなんか無いわよ」


 自分の命を省みない公爵夫人の覚悟。

 そこに真の友情を見た側近トランプ兵の一人が、己の忠誠心を示すのは今しかないと立ちはだかった。


「公爵夫人様は、女王様を思って諫言なされているのです、公爵夫人様をお斬りになるのならば、先ずは私をお斬りになりなさい!」


 今を逃しては女王様は一生へそを曲げて生きていくことになるだろう。

 そんな未来だけは避けなければならぬ。

 トランプ兵達の忠義は団結、連鎖し、気付けばその場にいる全てのトランプ兵は、自らの首を差し出すように、膝をついて頭を垂れた。


「エース、それにお前達まで・・・」


 その場の静寂は観念しろと言わんばかりにハートの女王の意地を揺さぶる。

 理性とプライドの板挟みに苦悩し、自分の為すべき義務はどちらか、それをわからなくなったハートの女王の口から、最後の不安が溢れていく。


「・・・私達は不思議ナンセンスな存在、アリスの生きる時間の中には、存在しないの、お互いを必要としているのに、常に平行線の向こうに切り離されている、そんな私達の運命こそ、無意味ナンセンスで、必要無いものじゃないの・・・」


 この世界はナンセンスで出来ている。

 命も、役割も、物語にも、意味なんて与えられていない。

 でもナンセンスな物が全く意味が無いかと問われればそれは違う。

 ある人には娯楽であり、ある人には知性であり、ある人には生き甲斐になる。

 私はメタアリス。

 このナンセンスな世界に意味を与える存在だ。

 茫洋としたナンセンスが広がる脚本に奥行きを与えるが如く一つの命題を提起する存在。

 作者の意図も、読者の評価も、登場人物の心情も関係ない。

 ただ私は、私の思っている事、感じている事を言葉にするだけでいい。

 不思議の国のアリスは、物語なのだから。


「違うよ、ナンセンスなんかじゃない、寂しいなら待つんじゃなくて、会いに行けばいい、だから私は悲しむ必要なんかない!」


 不思議の国のアリスは元々、アリスに送られた物語。

 だから、もしも、アリスが結末を気に入らないと言えば、あの人は必ず結末を修正リライトしてくれる筈だ。

 そうでなくとも、アリスの望む未来を否定する者、アリスの存在を否定する者はいないだろう。

 だってアリスは、理想の少女の象徴なのだから。


「行けるわけない、私達は空想の存在で、夢の中の幻想イマジンに過ぎない、現実に私達の居場所なんてないのだから!」


 本当の居場所。

 それはきっと、最初から与えられている。

 アリスの夢が現実と繋がっているのなら。

 原典にもちゃんと示されている。


「違うよ、全然違う、前提からいって違う、貴方達は空想の存在である前に・・・」


 私はハートの女王を安心させるように微笑みかけた。

 もう、苦しむ必要なんてないと。

 言葉を眼差しに込めて。


 真理は鉄槌となり、世界にひびをいれる。



 長く続く悪夢を終わらせよう。

 古びた思い出の宝箱を開けにいこう。

 夢は続く。

 幾度の悪夢を越え、数多の絆と共に。

 埋葬された運命の棺に眠っているのが更なる悪夢だとしても、今この時、抱いているものが正しく美しいものならば。


 どんな結末が来ようとも、その胸には希望が満ちているはずだ。






「ーーーただのトランプなんだから!」



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