第27話 セルフワンダーランド 1
何故人は夢を見るのだろう。
記憶の整理や、不安や心配事といった潜在意識の現れという説もあるが。
例えば、初めて来るはずの土地に来たとき、もしくは初めて読むはずの本の一文に、稀の事象だが命の危機に直面した時、ふと、唐突な既視感を感じる事はないだろうか。
それは自分の忘れた過去がその都度に想起されているのではないだろうか。
そして人の、忘れた過去の、「存在しない筈の経験値」の量でいえば、間違いなく夢での経験値が最も多くなるのだと思う。
故に我々は夢での出来事を無意識に参照しながら、「未知」への疑問と不安に対しての安心を生成するのだろう。
つまり夢とは、未来に向けた物であり、その夢が現実になったものを我々は運命と読んでいるのかもしれない。
だが夢の多くは無意味なものであり、その多くは現実にならなかった可能性の残骸でしかない。
所詮夢は夢でしかなく、そこに価値なんて、意味なんて無い。
美しい夢の記憶なんて誰の記憶にも残らない。
ーーーそう。
だからこそ。
夢見続ける事は、やがて悪夢になるのだろう。
「ーーー」
ーーーなんだろう、何か感じる。
でもこの微睡み、安らぎの快楽から離れる事はしたくない。
なんとなく今はとても疲れている気がする。
いや、それ以前に何か嫌な事があって、その現実を直視したくないのかもしれない。
そうだ、きっとこの眠りの殻を破ると、嫌な事がたくさん降り注いでくるんだ。
何があっても起きてやるもんか。
そんな後ろ向きな感情から、意識と体を石のように硬直させようとするが。
「ーーーーーー」
痛い!身体中を踏みつけられるように痛い!
ついでに口も塞がれているのか息が苦しい!
ひどいひどいひどい、こんなの死んじゃう、いくら目を覚まさないからってこれはやり過ぎてる、抗議しよう!
これは堪らないと目を覚まそうとするが、一度決意した
なんで、なんで起きられないの、私、さっきから息も苦しいしそろそろ起きないと本当にやばい気がするんだけど。
もしかして自分は死の間際にいたのだろうか、そして拒んだのは生への執着だったのだろうか。
最早どうにもならない後悔で胸が一杯になるが、それでも諦める事は出来なかった。
起きろ起きろ起きろ起きろ起きろ起きろ起きろ起きろ起きろ。
起きろ起きろ起きろ起きろ起きろ起きろ起きろ起きろ起きろ起きろ起きろ起きろ起きろ起きろ。
私の運命がここで終わりなんて認められない。
私にはまだやらないといけない事がある。
次目覚めた時は絶対逃げない、次目覚めた時は死んでも負けない・・・だから、起きて。
・・・・・・。
どれだけ心の中で叫んでも、それは言葉にならず、意識は体に届かない。
もう無理なのかな。
息苦しさもそろそろ限界だ。
痛かったり苦しかったりする死に方に比べればこのような
でもやっぱりまだ死にたくない。
運命の神様が敵だろうと、最期までもがいてやる。
今度は生きる事に
「ブラボー!生への執着、素晴らしい、少女の生き様は儚いからこそ偉大だ、だからこそ僕は味方する、ここはこの僕が助けてあげよう」
突然、目の前に黒い影が立っていた 。
朧気な輪郭だけの、正体不明の影。
声からして若い男だろうか、身近にこんな喧しい人間はいないから初対面だろう。
「貴方は、誰・・・?」
その疑問に対して男は待ち構えていたように気障な様子で答えた。
「全ての少女を愛し、全ての少女を味方する紳士、ひと読んで少女紳士さ!」
「少女紳士・・・?」
ネーミングの安直さも元より、何か変態的な不穏さを感じ、ついでに僅かばかりの既視感も感じるけれど、知り合いにこのようなタイプの人間がいても嫌なのできっと気のせいだろう。
「そう、少女紳士、古今東西の少女は皆僕に
胡散臭い言動だが、雰囲気や声から感じとる物には、優しい気配が感じ取れる。
ここは、助けてもらうしかないだろう。
余力を振り絞って声を上げる。
「少女紳士さんお願いします、私を助けて下さい!私にはどうしてもやらなければならないことがあるんです!」
「勿論さ、僕はその為にここにいるのだからね、僕に任せなさい」
「少女紳士さん・・・!」
「といっても僕に出来ることは何も無いんだけどね」
「少女紳士さんーーー!?」
からかうような少女紳士の態度にとてつもない心労を感じるが、対照的に少女紳士は若返ったように生き生きとしていた。
「さて、それじゃあ始めようか、今の君は忘却の監獄の中に閉じ込められているんだ、そのせいで起き方を忘れてしまったのさ、だから僕が正しい起き方を教えて上げよう」
「忘却の監獄・・・だから私は何も覚えてないんですね」
自分の名前はおろか、直前に何をしていたのか、自分は何をしなければならないのかも思い出せないが、このままでは終われないという思いだけは無限に湧いてくるのだった。
「先ずは右手で、鍵爪の形を作って」
「こ、こう?」
少女紳士が威勢よく展示するのに合わせて真似する。
「左手も同じ形作って両手を合わせて、左脚上げて、ポーズ作ったら叫ぶ!」
少女紳士の早口で急かすような催促にしどろもどろになりながらもなんとか真似する。
失敗したらいけないという義務感のみが、体を支配していた。
「レディの嗜み、教えて上げる!」
「・・・レ、レディの嗜み・・・教えて上げる!」
「・・・あの、少女紳士さん、泣いてるんですか?」
少女紳士は影なので様子がはっきりとしないが、目元を押さえて顔から液体を滴らせていた。
「いや、ちょっと持病が発作を起こしたみたいでね、大丈夫だよ、直ぐ収まるから」
ぜーぜーと息を切らしながら何かを堪える様子は辛そうに見えるが、何か声をかけづらい雰囲気がある。
「はぁはぁ、次はスカートヒラヒラさせながら、悪い子は寝てなきゃダメよ!」
「わ、悪い子は寝てなきゃダメよ!」
そんな感じでのポージングから見得を十回近くやらされた。
「はぁはぁはぁはぁ、さて次は両手を頭の上に乗せて兎の耳を作って」
「・・・・・・」
「次はぴょんぴょんと兎のようにジャンプして」
「・・・・・・」
「次は詩を歌うんだ、これはジャバウォックの詩よりも
「・・・・・・」
「せーの、う、さ、ぎ、ぴょん↑ぴょん↓ぴょん↑♪・・・」
・・・おかしい。
「正しい起き方」とはこういうものだったのだろうか。
いつの間にか息苦しさも忘れる位冷静さを失ってはいたが、それでも拭いきれない違和感と羞恥、そして人としての尊厳が抗議し続けている。
いつの間にか自覚できるくらい顔が熱い。
こんな事をしていて本当にいいんだろうか。
なんて疑問が忙しないが。
「駄目だよ恥ずかしがっちゃ、こっちは本気なんだから、本気でやらないと目覚める事は出来ないよ!」
と、成人男性が息切れしつつもキレキレの動きでまるでオリンピックを目指すアスリートのように真剣な様子でぴょんぴょんと跳ねている様子を見ていると、そんな疑問を口に出すのは憚られた。
否、流石にそんな光景を直視できる程のメンタルは持っていないがフィーリングだけでも鬱陶しい位に伝わってくる。
「ほら、もっと無垢な笑顔で、馬鹿になるんだ!この世はナンセンス、意味なんて全部後付けでいいのさ、さぁもっと笑って笑って!」
「・・・・・・」
やるしかない。
どうせ失敗したら死ぬのだ。
無になるのならこれくらいの羞恥なんて未練にならないだろう。
もうどうにでもなれ。
「・・・!!、ワンダフォー、素晴らしい、最高の笑顔だよ、君は今まで出会った少女の中で一番素晴らしい、君をモデルにした写真集を百冊は作りたいくらいだ、さぁ歌おう、兎のうは、嘘つきのうー♪」
「兎のうは、嘘つきのうー♪」
「兎のさは詐欺師のさー♪」
・・・・・・
・・・
。
そのよくわからない詩をどれ位歌っていたかは分からないが、歌い終わる頃には、羞恥心なんて木っ端微塵と吹き飛んでいた。
「よくやったね、これで僕の話の泉も大分回復したよ、君のおかげだよ、ありがとう」
「・・・・・・」
助けて貰ってる筈なのにとてつもない敗北感を感じるのは何故だろう。
「さぁ次が仕上げだ、今までのは
「やっと最後か・・・」
ここまでくるのに失った物を考えるととても感慨深いが、だが、ここでの最後は人生の最後にも直結する。
浸ってなんていられない。
「最後は好きな人の名前を宇宙の果てまで届く位に叫ぶんだ、こんな風に・・・
アリスうううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううう」
そのあまりにも巨大な愛故か、空間が圧迫され、時空が歪む程の震動が世界に響く。
耳を塞いでいなかったら鼓膜が破裂していだろう。
なんとも馬鹿げた声量だった。
「好きな人の名前って言われても思い浮かばないよぉ・・・」
「え~、君も若いんだから恋くらいしようよ、相手はおじさんでも、女の子でも、なんなら神様でもいいからさ、じゃないとあっという間におばさんになって恋なんて出来なくなるよ」
「そんなこと言われても、記憶がないし・・・」
「じゃあ仲のいい男の子の名前とかは?何だかんだ近くにいる手近な異性と仲良くなって恋に発展するのが自然だからね、それも素敵な恋だ」
・・・ひとつだけ思い浮かんだ名前があるけれど、果たして好きな相手なのだろうか。
その名前を心の中で反芻すると、なんだか落ち着いて、でもちょっぴりとだけ落ち着かない。
確かに少しだけざわつく気持ちはあるけれど、抑えきれないようなときめきや、張り裂けそうになるような切なさは感じなかった。
恋しい相手でないのは間違いない。
仲のいい兄弟の名前なのだろうか。
「枯れてるねぇ・・・恋なんて何回しても減るもんじゃないんだから積極的にすればいいのに」
「そんなこと言われても記憶がないからどうにも出来ないよぉ・・・」
「ナンセンス!・・・手詰まりだ、君がこの悪夢から覚める為には一つ、何か現世における執着が必要なんだ、そして少女の望む願い事といえば好きな人と結ばれるか王子様に見初められるが大概だからね、そうした想いの力が奇跡を起こさせるんだよ」
「・・・想いの力、か」
私の中にどれだけの想いが詰まっているのだろうか。
この人みたいに一つの物に熱中出来るほど、私は情熱的な人間だったんだろうか。
たとえ変態でも、純粋な気持ちで何かを溺愛出来るというのは、すごい事だと思う。
多分、私には、こんな風に真っ直ぐに想いをさらけ出す事なんてできない。
・・・きっと○○だった私は、想う資格も想われる資格も無いに違いないのだから。
「そんな全てを諦めたような顔をしないで、少女はいつだって希望に満ち溢れている、そして希望を持つ少女の事を世界にいる王子様達は放っておけない、だから、君が諦めない限り運命は君の味方だ」
「少女紳士さん・・・」
「だから仕方ない、今回は僕の力で君を起こして上げよう」
「・・・え?」
「いやぁ、ごめんね、実は僕は大切な主役を奪われてて、話の泉が枯れてたから、力が使えなかったんだ」
「じゃあなんで・・・」
「君が僕と遊んでくれたからだよ、長い間少女日照りだった体に、百年ぶりの少女成分、骨の、いや魂の髄にまで沁みたよ」
「・・・・・・」
「だから、君のおかげで力が使えるようになったわけだし還元、になるのかな、お礼は言わなくいいからね!」
「・・・つまり、変なポーズとったり、ぴょんぴょんしながら歌ったりしたのは、何の意味もなかったって事ですか」
「ナンセンス!僕の代名詞だね、でも君の可憐な姿はばっちりカメラに収めたし、おかげで僕の力も回復した、可憐な少女の可憐な振る舞いは人類の宝だ、僕はその宝を見つけて守るナイトなんだよ、だからこれは必要な事なんだ、あと、もし現実で出会えたら、コスプレ写真を取らせてもらえるかい?」
「・・・一言、いいですか」
「お礼はいらないって言ってるだろう、僕は少女紳士、全ての少女のみ・・・」
「この変態いいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいい!!」
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