第22話 薔薇の花はその名前を変えても
私は神の声を聞きました。
三人の聖人が私に語りかけてきて「フランスを救え」と命じたのです。
その日から私は聖女となりました。
祖国を救う、それは義務とか責任とか使命なんて大袈裟なものではなく、もっと簡単で当たり前の事なんだと思います。
自分の生まれた大地を、故郷を、父と母を、異国の兵士達から守るために、共に戦いましょう。
神は、私達に味方しています、たとえどんな無理や困難があろうと、私達なら、成し遂げられます、私達の手で、祖国を守りましょう。
これはジャンヌダルクの記憶だ。
オルレアンの解放作戦の日、自身の掌握する部隊に行った演説だ。
軍隊の士気を鼓舞するには、雄弁に難しい言葉で語りかけるより、簡潔で短節に、明快な言葉で、愛国心や闘争心を煽った方が何倍も有効である。
だが貴族である将官には分からず、無学である平民には考える由も無いこと。
それを実践したことが、ジャンヌダルクの偉業であろう。
その点は素直に賞賛出来た。
だがしかし神の声、そんなものが本当に聞こえたのだろうか。
だけどジャンヌダルクが、普通の人間には考えられないような奇跡を起こし続けたのも事実。
真実は、神のみぞしるという。
人間は、それを想像に書き起こす事しか出来ないのだろう。
・・・でも。
「貴方には、知る権利があります」
夢遊するクラリスに聖女が語りかける。
どうしてか、他にどうしようもないから知っていた。
「貴方は、私なのだから」
思えば似たような運命を辿っていたのだなと自嘲する、信仰を持ち、仲間と戦い、そして失った。
「そう、破滅こそが私の結末、でも、祖国は救えました」
聖女は屈託の無い笑みで応えた。
まるで、勝ったと自慢する子供のように得意気に。
だが本当にそれで満足なのだろうか、輝かしい偉業を成し遂げても、若くして死んでしまうのはとてもいたたまれないこと。
「ジャンヌダルクの物語は悲劇などではありません、知ってますか?、あの時代の平均寿命、飢饉や黒死病で死んでいく子供もいっぱいいた中で戦場で散って死んだのだから悔いはありません」
そう話すジャンヌの顔は短いながらも自分の生を生き抜いたという自負に満ちていた。
だけどジャンヌの死因は戦死ではなく異端審問からの火刑だ、十字教徒としては最も屈辱的な方法で殺されたのである。
誇りを全て失って死に、名誉を復権したのはその後しばらくしてから、祖国の為に粉骨砕身して戦った英雄の末路としては、あまりにも悲しいのではないか。
そんな問いかけに、聖女は苦笑して答えた。
「当時の戦況や、置かれた立場を考えればそれも仕方ないことです、そもそも地位とか名誉の為に戦っていた訳でもないですし、結局、司教とか法王みたいな偉い人達だって聖書に書いてある事しか知らないわけだから、実際に神の声を聞いた私と食い違うのは当然のこと、それはまぁ、仕方ないですね」
何も分かっていないと思っていた聖女は、全てを知った上でその破滅に至る聖戦を行っていたという訳か。
神の言葉に従って。
・・・そうだ神の声、そんなものが本当に聞こえたのだろうか。
「聞こえますよ、だって私は、ジャンヌダルクなのだから」
ジャンヌダルクだから。
清廉潔白で敬虔で信仰深い模範的な信者であり、世界屈指の知名度を持つ英雄。
そんな彼女だから、神の声が聞こえるということか。
・・・それとも、彼女自身が或いは。
「さて、私の事は語り終えました、次は貴方の物語を語ってください」
私の、クラリスの物語。
ジルドレ様に拾われ、調律の巫女の一行と共に旅して、魔女を倒して終わる、簡潔な物語。
その合間合間に、幾らかの出来事もあった気がするけど、思い出せない。
ただ、大切な人を失ったという喪失で幕を閉じた。
こんな結末しか与えられなかったのかと、世界に絶望したのだ。
「なるほど、じゃあやっぱり、貴方の物語は悲劇ではありません」
え・・・?
「さっき、私の物語は悲劇では無いと言いましたが、半分嘘です、私の物語はジルの物語に続き、ジルは神の声を聞こうとして、狂ってしまいます」
ジルドレ様が狂った原因がジャンヌにあるとしたら、それは確かに悲劇だ。
そしてそれは私にとっても・・・
「ですが、貴方は神の声を聞いて、誰からも共感と理解をしてもらえなくなった孤独な少女じゃありません、大切だと思える仲間がいます、そして同時に、「神の声を聞けなくなったジャンヌ」は
救済・・・?私が、ジルドレ様の。
「ジルは私の真の共感者になろうとしましたが、貴方がいるのならその必要はありません、そして、ジルの望みは、貴方と共に在ることで叶えられたのです」
でも、記憶を失った私は、ジルドレ様に何を与えられたのだろうか。
「本当に大切な人であれば、例え記憶を失っていても生きているだけで嬉しい物です」
聖女のその言葉は、クラリスの長年煩っていた悔恨を祓った。
・・・私の人生は。
既に多くの祝福と救済を与えられていた。
聖女の空虚で血なまぐさい運命から、誰かに救いを与えられていたんだ。
それなのに私は、失ったものに固執し続けて、時を止めてしまっていたのか。
・・・なるほど、これは確かに悲劇だったのだろう。
私が私であり続ける限り、いつまでも救済は与えられないのだから。
「さて、そろそろ時間ですね、敵の悲劇玉はジルとリッシュモンが肩代わりしてくれてますけど、そろそろ私も加わらないと持ちこたえられないでしょう、私の、最期の一仕事です」
その言葉を最期に、クラリスの中から聖女の
いなくなったのではない、何故なら元より彼女は。
大作家の悲劇玉の直撃を食らったクラリスは倒れ付して、全身が黒く染まっていた。
「・・・何をしたんだ?」
「極限の悲劇をくれてやったのさ、三日三晩悲しみに暮れて食事も通らぬくらいのな」
レヴォルはピクリともしないジャンヌを見て不穏な考えが頭をよぎるが、流石に殺すほどの事は無いだろうと、戦闘の終結に安堵し腰を下ろそうとするが。
次の大作家の言葉に二重の意味で驚愕することになる。
「おや、生きていたか、流石、私と同じ高みにいると豪語するだけの事はあるな」
「・・・あなたにはわからないでしょうね、悲劇を道具にしているあなたには、この世界に希望を灯す力の名を」
悲のエネルギーの充満した真っ暗な世界に、ジャンヌが一筋の
これは、ジャンヌ=クラリスが、自分の運命を超克したという証。
「くっくっく、くれぐれも愛などといった使い古された陳腐な言葉で表現してくれるなよ」
大作家は不敵に笑いながら、再び悲劇玉を放つ。
「その陳腐さこそが、この世界に降り注いでいる物よ!」
ジャンヌはアイギスの盾を天井に突き刺して、そこに光のエネルギーをぶつけた。
アイギスの盾はあらゆる邪悪を祓う魔除けの力を持つ。
光のエネルギーをぶつけることによって力が増幅され、あらゆる闇を浄化する陽光となって降り注ぐ。
大作家の悲劇玉は相殺された。
「実力は互角か、だがイマジンの力はどうだ」
再び四大悲劇達がジャンヌに襲いかかるが。
「我が友ジャンヌの顔に免じて一度限り共闘してやろう、頑固ジジイ」
気品と美貌を兼ね備えきらびやかな鎧に身を包んだ美男子、富も名誉も思うがままにした完璧超人、全盛期のジルドレである。
「お坊っちゃん育ちの貴様が私に付いてこれるわけなかろう、精々足を引っ張るなよ」
ジャンヌの意思を継ぎ百年戦争を終結させたフランス大元帥、正義と忍耐の男リッシュモン元帥。
ジャンヌの
歴戦の勇士である二人は四対二の劣勢にも関わらず、平然と四大悲劇の襲撃を止める。
「世話をかけます、二人とも」
「ふ、君の為ならこれくらい安いものさ」
「イングランドの蛮兵達に比べれば容易い事だ」
犬猿の仲の二人ではあるが、戦となれば自然と呼吸を合わせて連携してしまう。
これは別々の物語でしかない四大悲劇には真似できない、旧知の仲でありライバルだった二人だからこそ出来る事。
本来、ジャンヌのイマジンとしてジルドレとリッシュモンがいるのはおかしな事だ。
ジャンヌは語り部ではないし、ジルドレは青ひげの
だがこれはあくまで、ジャンヌ=クラリスのお話。
彼女の一生を彼女が語り、その中にジルドレとリッシュモンがいるのである。
だからこれはジャンヌダルクのお話とも、青ひげのお話とも、少しだけ違う結末を辿った物語である。
「くっくっく、素晴らしく輝いているぞジャンヌ、今日の舞台は君の為に設えられた物だ、思う存分己の命を使いきるがいい、フィナーレを喜劇で終えるも悲劇で終えるも君次第だ」
大作家は余裕の態度を崩さず劇的にジャンヌを刺激しながら、限界まで力を練り上げた。
それに呼応してジャンヌも持てる力を、命を全て使いきるように解放する。
「貴方を止めるには、この命を焼き尽くさなくてはならないでしょうね」
額に汗を滲ませながら、ジャンヌは迷いなく一点を見据えた。
己と、友と、主の救済を得たジャンヌに、最早未練はない、己の行く先は地獄でも構わない、ただ最期に、彼女の憂いの一つを晴らせれば十分だ。
それだけに集中して、全力を擲つ。
「最期の輝きという訳か、放っておいても死ぬこの老いぼれと心中とは、なんとも健気な忠誠心じゃないか」
「彼女には恩もあり義理もあります、だけどそれ以上に一人の友として、彼女の本懐を遂げてもらいたい、ただそれだけです、誰にも邪魔はさせません」
「くっくっく、己の野望の為に家族や友人達の命を犠牲にする、これも実に私好みの展開だ、そう、それくらい粗末に扱った方が、かえって尊く映る、乗ってやろう、その勝負、この先の結末を見れないのは遺憾だが、大人しく退場するのも役者の務めだろう」
「勿論、そう易々と退場する気はありません、少しでも手を抜いたら、後ろの子供達も巻き添えにさせてもらいます」
最早立っていられなくなるくらい凄絶で苛烈な暴力的なまでのオーラを互いにぶつけ合いながら構える。
全力の勝負の為にイマジンも主の中に戻り、その一撃を捻出するのを補助する。
完全に二人だけの世界。
幾ばくかの後に、決着し、結末を迎える。
その行く末を予想する事は、この場の誰にも出来ないだろう。
目も開けてられないくらいの鮮烈な光の奔流の中、大作家の背後に立つレヴォルに、大作家が語りかけた。
「君は私好みの実にいい目をしている、私は君の結末を見てみたい、だから君に賭けようじゃないか、天国で君の物語を聞かせてくれるかな?」
それはある種皮肉でもある大作家の賛辞と期待。
レヴォルの運命に波乱と悲劇を望んでいるということ。
だけどレヴォルはもう、明るい未来に歩き始めている。
「ふっ、俺のありきたりで幸せな物語だったらいつでも聞かせよう」
「くく、運命は君をありきたりにしないぞ」
「運命が災厄を引き連れてきても、幸福に変えて見せるさ」
「だったら恋の駆け引きの一つでも覚えるんだな、観客は若い男女が結ばれれば、それだけでハッピーエンドだ」
「・・・考えておく」
それから間もなくして、二人の創造主はぶつかりあった。
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