第15話 創造主ジルドレ
レヴォルは息を潜めながら、広大なチフォージュ城を暗闇の中探索する。
どこまでも手入れの行き届いた城内を歩いていく内に、証拠は完全に隠滅されているかもしれないという不安が何度も撤退を促すが、動悸の高まりを抑えて、音をたてずに忍び歩く。
一人でいることがこんなに心細く感じるのは、いつ以来だろう。
虐殺の舞台となった城。
そんな所であれば、幽霊や死神といった、得体の知れない恐怖の塊がいてもおかしくないと、夢想する。
恐怖とは人の想像力が生み出す物だ。
意識しなければ一生無縁でいられる。
普段から死や病といった脅威を恐れて生きる人間はいないだろう。
しかし、一度認識してしまえば、容易には逃れられない。
汚した真っ白なシーツが元の白さに戻れないように、恐怖という闇は人の心を侵食していくのである。
レヴォルは恐怖で一杯になった頭をなんとか働かせて、探索を継続させる。
すると遠くから足音が反響する。
カツンカツンと堅い音の残響は、段々とこちらに近づいているようだった。
隠れてやり過ごそうと思ったレヴォルは、近くの部屋に逃れる事にした。
物音一つ立てることの許されない慎重な作業。
ノブを回して開けるという簡単な作業でさえ、緊張で汗が垂れる。
恐怖が急かしてくるのを必死にこらえ、慎重に、慎重に、扉を開けた。
それは僅かな時間の事だったが、今のレヴォルには1秒ですら長かった。
(ふらふらとした不規則な足音、こんな時間に誰だろう・・・?)
手足の感覚が覚束無いにも関わらず、耳や、汗をかいている背中の感覚は鋭敏だった。
お化けなんているはずはない、と分かっていても、未知の存在に対する恐怖は拭えない。
冷静に考えれば、侍従の誰かが見回りをしているだけだろう。
そんな常識が信じられなくなるほどに、暫時の探索の中で、レヴォルの精神は磨耗していた。
部屋に隠れ扉を閉めると、足音の主が通りすぎていくのを静かに待つ。
胸だけでなく全身を波打つような動悸に、自らの臆病さを恥ながら、何事もなく通りすぎていくのを情けなくも神に祈った。
カツンカツン。
足音が部屋の前にまで達する。
(もしも、この城で殺された娘の幽霊が、抉られた眼球を取り戻す為に、目から血を流して、腐りかけた枯れ木のような体で迫ってきたらどうしよう・・・)
レヴォルは取り敢えず、最悪の想像をしておいた。
それは防衛反応であり、最悪を想定しておけば、それ以上の事が起きない限り行動できるという心の保険である。
眼前の恐怖も想像の恐怖に比べれば大した事はない、とは、誰の言葉だっただろう。
(大丈夫だ、幽霊がきたら窓からダイブして、翼の生えているオデットにコネクト、死神がきたら同じ死神であるモーツァルトにコネクトすればいい・・・!)
レヴォルは、対抗策を練った事で、安堵した。
もうなにも怖くない、と気を緩めた。
―――その直後。
バタン!!!!
扉に大きな衝撃。
レヴォルは幽霊が眼球を奪いに部屋に押し掛けてきたのだと思い、心臓が飛び出るような恐怖と共に硬直する。
不意打ちで食らう破裂音は、鋭敏な鼓膜を突き破るほどに衝撃的なのである。
「・・・あれ、寝惚けてぶつかっちゃった、あうう・・・夜中にトイレ行くの怖いなぁ」
現実は小説より奇なりと言えど、幽霊の正体みたり枯れ尾花が大半の事だ。
寝惚けている状態でトイレを探しているエレナが、たまたま扉にぶつかっただけ。
だが常識で考えて、トイレを探すだけで、広大なチフォージュ城の深奥までくるなんて普通はできない。
寝惚けたエレナの寝つきの悪さが生み出してしまった悲劇。
「・・・」
レヴォルは立ったまま気絶していた。
ショックで一瞬心臓が止まったのだ、それは仕方のない事である
尿意を催していなかった事のみが不幸中の幸いか。
その時レヴォルは走馬灯に近い夢を見た。
レヴォルのいた城に伝わる七不思議、その一つを幼いレヴォルは好奇心から解き明かそうと探索し、そして知ってしまった一つの真実。
「真夜中の歌姫」、それは常に厳格で
普段の彼女からは想像もできない自由で明るい歌声に、レヴォルは己の矮小な価値観が塗り替えられるような衝撃を受けた。
結局、人は、「未知」を何より恐れ、普段からの「変化」を受け入れられないという事なのだろう。
そういった思考停止した
人の在り方も、思想も、職業も、百年前と同じ物なんてほとんど残っていない。
現状維持は、退化にして悪なのである。
「・・・ル・・・オル・・・・・・レヴォル!」
誰かの呼び声が耳朶を叩き、レヴォルは覚醒した。
「・・・あれ、俺は一体・・・?」
直前のショックから記憶があやふやになっているが、直感が拒否したため、それを鮮明にする事を中止した。
自分を起こした人物はノイン。
なぜ彼が城の奥にあるレヴォルのいる部屋にいるのかは疑問だったけれど、おかげで朝まで放置される事態にならずに済んだ。
「レヴォルは一体どうしてここに・・・?」
「・・・探し物をしていて、ノインはどうして?」
当初無機質に感じられたノインの顔に今はぎこちない表情が感じられる。
以前のノインと二人きりというのも少し背筋の冷える状況だったかもしれない。
「・・・僕は、・・・僕も探し物をしていたのかな?」
疑問形だったけれど、記憶の無いノインにとってみれば自分の行動に根拠を求めることこそが無理な話だろう。
レヴォルは納得したので提案した。
「じゃあ、俺と一緒に探そうか」
「・・・いいの?」
レヴォルの提案にノインは遠慮がちに聞き返す。
「ああ、ノインといた方が心強いからな」
まだまだ一人で恐怖心を克服するには経験値不足と自覚したのでレヴォルはノインに孤独を破却してもらおうと考えた。
こうしてレヴォルとノイン、二人の剣士の夜が始まる。
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