三組目 ▽▽な□と◇◇な〇
実験三日目 その1
実験三日目
電気の消えた私室は複数のパソコンモニターが発する光で、かろうじて闇を遠ざけていた。
デスクの前に座ったシェリは、背もたれに背もつけず前のめりになってキーボードを打ち込んでいる。
彼女の目は忙しなく各モニターを確認し、プログラムミスを探した。
その背後に、無数のバーチャルモニターが出現している。
現在ウンメイカーのクラッキングテストが行われており、街に生きる様々な人々の深層心理が強制的に彼女の部屋へと引きずり出されているのだ。
『私はそんなことしたくなかったんだけど、彼がやれって言うから仕方なく!』
『あいつが嘘をついたせいで俺は酷い目に合ったんだ! もう誰も信じない!』
『嫌だよう、学校なんて行きたくない、お母さんもお父さんも嫌い、消えてしまいたい!』
『ぶっ殺してやる! 皆許せない、何もかも滅茶苦茶にしてやる!』
現れては消え、現れては消え、普段押し隠された人間の本性がシェリの部屋で暴れまわる。
それは地獄絵図のようだった。
己の苦しみ悲しみを血反吐を吐くようにまき散らし、自身では消化しきれなかったそれを子供のように喚き散らす。
しかしシェリの関心は一切彼らには向いていなかった。
彼女の耳にはヘッドフォン。
音漏れする程の爆音で流れているのは、クラシックの〝愛の喜び〟だ。
作曲家フリッツ・クライスラーの生み出した美しいヴァイオリンのメロディーを聴きながら、シェリは無心に改変プログラムを組んでいた。
歓びを表現される音楽に重なり、仮面をつけた人々が泣き叫び咆え続ける。
彼女は目の前にある画面にうっすらと映りこむ自分の顔、その後ろに見えた自分とよく似た仮面の姿に気づくと勢いよく振り返った。
「……っ!」
片手がデジタル音楽プレイヤーのボタンを押し、曲が切り替わる。
背後で騒ぐ仮面達の中に、彼女の姿をした仮面はいなかった。
ウンメイカーはシェリの深層心理にクラッキングは許可されていない。
だとすれば自分自身で勝手に作り出した幻影か。
「寝不足よ、寝不足」
一曲リピートに設定されていた音楽が次曲の〝愛の悲しみ〟に変わっているのに気づくと、シェリは素早くヘッドフォンを取り外した。
すると鼓膜を震わせる人々の嘆き。
聞くに堪えない騒音にすかさず、インストールのアイコンを押す。
部屋から人々の姿が消えた。
「組み終わった……」
満足げな声が薄暗いシェリの私室にひっそりと広がる。
閉められたカーテンの隙間からは朝焼けの光が差し込んでいたが、なんとか一晩でプログラムの改良を終えることができた。
これでもう同性同士が南側の席に座るという馬鹿げた事態は起こるまい。(世には同性を愛する者もいるが現代においてまだその数は少ない。実験を前提に考えれば、その可能性は省くほうが成功率があがるのである)
あとはウンメイカーが再び全国の人類単純代表者を男女別に検出し、適正のある者が時計塔喫茶の南側の席に現れるのを待つだけである。
椅子から立ち上がり伸びをするシェリの目の前に、司会者の仮面男が現れた。
『探索開始。運命を作るに相応しい人間を探しています。現在に十五名の脳波をクラッキング成功。残りの人数……』
「いちいち報告しなくても、信頼しているよ。私のプログラムだもん」
自分で設定した仮面男の言葉に、意味のない反論をしながらシェリは床に落ちたヘッドフォンを拾い上げる。
「運命を作ってくれる。でしょう?」
『私たちはそのために作られました。現在八十三名の脳波をクラッキング成功。残りの人数……』
仮面男の返答は、シェリがそう答えることを望んだから発されたに過ぎない。
それはシェリ本人も分かっていることだった。
「私が起きるまでに終わらせておいてよね」
再び〝愛の喜び〟をリピートさせる設定に切り替え、ヘッドフォンを装着し部屋の隅に置かれたベッドに潜り込む。
毛布を頭まで被ったシェリは、あっという間に眠りの底に落ちていった。
薄暗い部屋に次々とバーチャルサポートが現れる。
早送りされているように、様々な人の姿が現れ消えてゆく中、仮面男が二つの脳波を拾いあげて停止させる。
『該当者数名発見』
仮面男は見つかった二人の深層心理にクラッキングを試みる。
部屋の中央には、一人の男と一人の女が立っていた。
どこかの街でシェリと同じように眠りについているであろう男女は、精神だけを夢と現の狭間に飛ばしている。
男と女は二十代半ばといった容姿で、郷之丸や白百合、大林や小林と違い、落ち着きのある雰囲気を持っていた。
『該当テスト。
モニターが無数に現れ、仮面たちが男女を囲う。
そして、多くの視線を集めた女と男は、ウンメイカーに誘われるままに、己を語りだした。
「特別。特別ってなんでしょう。どうやったら特別になれるのか。そもそも特別とはなんなのか。目に見えないもの。特別って本当にあるのか、実は無いのか。あったとしても皆同じものを同じように特別と感じるのか、それとも全く別のものを特別に感じるのか……。特別って特別というわりに随分曖昧だ。分からないんですよね。私って特別なのかな。色んな人が特別だと言ってくれるけれど、どうにも実感が沸かない。特別ってなんなんです?」
「人間って特別なものを好きになりますよね。それじゃあ、自分が特別でないと、そもそも誰かに好いて貰えないのではないでしょうか。自分にとって特別な人が、自分を特別にしてくれる。じゃあ何故その特別な人は、特別になれたんです? 周りにいる人とどう違って、何がどう特別だったんです? やはり、元から特別な何かを持っていないと、人には好きになってもらえないのではないでしょうか。だとしたら、誰かの特別になる為に、まず自分が特別にならなきゃいけないんじゃないですか? そうなると、まずは僕で僕自身を特別にしなくちゃいけないんじゃないかなって、思うんです」
「たとえば、全ての人にとっての特別になるじゃないですか。それってもう特別じゃないんじゃないかな。だって、皆の特別でいることが当たり前なわけで。それってもはや特別じゃなくて、普通なのでは。でも皆が特別と思っているということは、やっぱりその人は……私は特別なのだろうか。百人が私を特別に思ってくれても、私には特別が無い。特別に感じる人がいないんです」
「自分を特別にするってどうやるんですかね。自分、特別! ……これで特別になれたら世の中全員特別だ。それに、全員特別だったらもはやそれは特別でなくて普通だ。ということは、特別というのものがある為に、世の中には特別になれない人がいることになる。これってとてつもなく不公平ですよね。だがしかし! 不思議なことに、特別っていうのは誰しも同じものに対して抱く感情ではないんです。ということは、やっぱり僕も誰かの特別になれるはずなんです!」
「百の矢印が私に向くでしょ。でも私の矢印は誰も指さない。誰にも向かない。誰かの特別でいることが私にとって特別じゃないから。だから、特別の引力が働かない」
「僕には特別だと思う人がたくさんいたけど、僕は誰かの特別になれたことが無い。特別ってどうやったらなれるんです? 車に轢かれそうになった子供を助ければ? 恋人に尽くして尽くして尽くしまくればいい? いっそ人でも殺したら特別になれるんですかね。僕にはどうにも分からない。誰かの特別になれない僕は、どう頑張っても僕を特別にしてやれない」
「そうなんです。私、人を愛せないんです」
「そうなんです。僕、人に愛されないんです」
「曖昧極まる特別という言葉を確かにするもの。それが運命だそうです」
「運命の人。もし運命が本当にあるなら、それって最初から特別が決まっているってことでしょう」
「全く吐き気がする」
「そんな素敵なことはない」
「誰からも愛される才能があります。でも誰も愛せない」
「誰をも愛せる才能があります。でも誰にも愛されない」
「これは賭けなんです」
「最後の賭け」
「誰も愛せない私が、運命の人とやらを愛せるのか」
「誰にも愛してもらえない僕が、運命の人に愛してもらえるのか」
――運命が本当に、あるのかどうか。
松崎詩織と内村博之による胸の内の告白は、静かに朝焼けに溶けて消えていった。
〝被験者候補へのメールの送信が完了しました〟
インストール終了を告げるパソコンモニターに重なり、新たな通知が表示されている。
仮面たちの姿も消えた部屋で、丸まった毛布だけが静かに上下をしていた。
◆◆◆
――一番の常連客のシェリであるが、開店前に店にやってくるのは初めてだった。
実験三日目の朝。
空は真っ青で雲一つなく、太陽はのびのびと輝いている。
空気は冷え込み、口から零れる息は白かったが、昼には日差しも強まって冬にしては暖かになるらしい。
朝の光を店内へ入れようと、店主はいつもより早めに店の大きな窓についたカーテンを開く。
「え、うそだろ」
そして店の前でこちらに背を向けて立ち、空を見上げているシェリの姿を見つけ、慌てて彼女を店に招き入れた。
「いつからいたの?」
「女のプライベートに干渉する男は嫌われるよ」
開店準備中の店に堂々と足を踏み入れたシェリが迷惑そうに言う。
そうは言われても、時計を見ればまだ開店まで三十分以上ある。
それまで彼女は店の前で待つ気だったのか。
それどころか店主は裏口から入店したので、シェリはもっと前から店の前にいて、それに気づかなかった可能性だってある。
「開店前じゃ、流石にどんなお客も来ないぞ」
「メモリーキューブ置いてったままだったから」
シェリはカウンターの裏に設置したキューブを手に取る。
そして愛用のノートパソコンを開くと、改変プログラムのデータをキューブにインストールし始めた。
「ホットティー。角砂糖は三つ。今日のオススメのデザート」
「だから、まだ開店前なんだけど……」
いつものカウンターチェアに座りふんぞり返る常連客に、思わず苦笑いが浮かぶ。
仕方なく掃除を一端よそに紅茶を準備する事にした店主は、「そういえば……」と意気揚々と昨日の出来事を語り始めた。
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