実験二日目 その2

『まずは一人目、小林弘樹さんの小学生時代の担任G先生によるご紹介』


 ウンメイカーが小林の脳にクラッキングし、彼の記憶を辿ってゆく。

 さらにはその記憶に存在した人物の脳波を探し、瞬く間にクラッキングを成功させた。


 ――仮面たちと同じように、小林が過去に世話になった担任の女性が空間に突如現れる。


 服装や容姿は小林の記憶にある教師そのままだが、目元は仮面達と同じヴェネチアンマスクで飾られている。

 女教師はスタンドマイクを前に立つと、笑顔で教え子を語った。


『至って平凡な子でした。成績は中の上くらいかしら。普段はあまり発言する子じゃないんだけど、授業参観の日はよく手を上げていたかな。でもいざ指すと口ごもっちゃってね。……うーん、あとはあんまり印象にないかな』


「そんな、算数が得意でよく満点だったじゃないか! 覚えてないの?」


 美しく微笑む教師に愕然とした小林は、がっくりと肩を落として項垂れる。


『お次は大林大海さんの幼馴染Hさんによるご紹介』


 女教師の姿が揺らめいて変わり、若い女性の姿が現れた。

 暫く会っていない相手だが、幼い頃は彼女とよく遊んでいた大林は勝ちを確信する。

 女教師と同じく目元を仮面で飾った実体のない幼馴染がスタンドマイクの前に立ち、大林を笑顔で語りだした。


『大林君? 覚えてるよー。最近全然会わなくなっちゃったけど。どんな子だったか? うーん、明るくて元気で、あとスポーツが得意だったよ。グループの中心っていうか、ムードメーカーっていうか、いつも皆を笑わせてくれていたし!』


「そうそう、そういうの」


『どこにでもいるお調子者タイプって感じ』


「どこにでもいるの? そうなの?」


 好印象を並べられ胸を張った大林は、最後の一言を聞いて慌てたように店主やシェリを見る。

 店主は分からないと首を振り、シェリは肩を竦めた。


『どんどんいきましょう。お次は小林弘樹さんのバンドの追っかけをして早二年、Kさんによるご紹介』


 次の他者を聞いた小林が元気を取り戻した。

「俺のファン、第一号の子だよ」と鼻高々に、次に現れた少女を紹介する。


 バンドTシャツを着て髪にメッシュをいれている少女の目元には仮面。

 彼女はマイクを持って小林を語る。


『ヒロポン? 超大好きですぅ。ライブとか絶対行くしぃ、最前列狙うしぃ、グッズ大量に持ってるしぃ、サイン入りCDも勿論あるよ。クリスマスライブの予定も勿論空けて……あ、ジャンクのライブ入ってるから行けないやー。歌とか全部歌えるし、ヒロポンの歌超絶リピートしまくりだし、来週の日曜ライブとか本当超楽しみで、あ、メンゴ、電話だ。もしもし、何? 来週日曜ピーズのライブチケット手に入った? 絶対行く! 先に入ってたライブ? 大したことじゃないからキャンセルするー。で、なんだっけ? ヒロポン? それより、最近シルバーマンボーのキョン様っていうギターがねぇ!』


「チクショウ! 結局メジャーバンドがいいっていうのかよ!」


 頬を朱に染め、大はしゃぎで関係のないことを語りだすファン第一号に、小林は悔しさのあまり地団太を踏んだ。


『大林大海さんのご友人Tさんによるご紹介』


 語り続ける少女の姿がよく知る友人の姿に変わるのを見ると、大林は嬉しそうに「合コン仲間の友達」と小林達に示した。


 茶色に染めワックスで固められた髪を弄りながら、仮面の青年は大林を語る。


『あー大林? いい奴だよ。合コン一緒に行くとめっちゃ盛り上げてくれるし、ダウンダウンのモノマネしてんのはちょっと寒いけど、そこ除けば良いダチかな。サッカーはまあ上手いし、面白いし、あとシュート上手いし、あとね、面白いのとー、面白いのと……いい奴だよ。うん、取りあえずいい奴。でも最近、連絡取れないんだよね』


 唇を尖らせ不満を滲ませた表情で携帯を睨む友人。

 大林は「メールなんて届いてないし、電話も掛かってきてないぞ」と不可解な言葉に焦るも、携帯を弄っていた友人は『あれ?』と画面を見て、うっかりしていたと顔を上げた。


『メアド変更メール来たのに、登録するの忘れてた。メンゴ!』


「俺ってお前にとってそんなものなの」


 げらげらと大声で笑いながら消えてゆく友人。

 その信頼の薄さに大林はがっくり肩を落としてしまう。


 勢いをなくしてゆく若者を気遣う素振りもなく、ヒートアップしてゆく他者紹介。

 仮面男は畳みかけるように次の他者を紹介した。


『小林弘樹さんのお父様Iさんと、大林大海さんのお母様Sさんによるご紹介!』


 司会の言葉を聞いて、若者達の肩が強張った。


 ――むくむくと大きな人間が現れ、聳え立つ。

 異質な空間が広がり、全長五メートルはある男と女が、冷えた鋭い目つきで息子を見下ろした。

 小林の父と大林の母は上等なスーツを着込んでおり、エリートを思わせる威厳を持ち合わせている。

 暫くまともに合わせていなかった親と目が合い、彼らの足は竦んだ。


『いつまで経ってもふらふら遊び回って困った息子だ。音楽なんかで食っていけると本当に思っているのか? 少し人気が出ただけで、売れるなんて勘違いしているんじゃないかと不安だよ』


 父親の言葉に現実を突きつけられた小林は、厳しい視線から逃れるように俯く。

 続いて大林の母親も冷たい声を空間に響かせた。


『ボール遊びもいいけど、サッカー選手になれるわけでもないのに、いつまでサッカーなんて続けているんだか。頭が良いわけでも、これといった才能があるわけでもないのに』


「やめろ」


 目を閉じ、大林は耳を塞いだ。

 残酷な現実と非情な言葉から逃れたい一心で、小林と大林は縮こまる。

 だが追い打ちをかけるように次々と二人の想い出の中にいる他者が現れ、口々に彼らに対する大してありもしない興味を口にした。

 四方八方から評価ともいえぬ評価が重なり、二人の心を襲う。


「やめろ、やめろ」


 悪意のない、しかし何より彼らを傷つける言葉を仮面達が語る。

 つまらなそうに、どうでも良さそうに。

 やがて無数のモニターに映る仮面達まで知人に変わり、誰だ、知らない、興味無いと騒ぎ出す。

 仮面の目元に広がる暗闇には目玉は存在せず、これだけ大勢がいながらも誰一人として自分を見てくれている人はいない恐怖に二人は戦慄した。


『小林弘樹さんの同級生Yさんによる』『誰、覚えてないな』『紹介って言われても、普通としか言いようが』『Iさんによるご紹介』『どうでもいいって』『そんな人いました?』『大林大海さんの』『知らないよ』『思い出せないですねぇ』『あー、なんだっけ』『そんなことより』『セックスが下手ってことくらいしか覚えてないなぁ』


「「やめてくださあああああい!」」


 初めての恋人たちの嘲笑に耐えられず、その声をかき消すように男たちは叫んだ。


 ――異質な空間が消えてゆき、ふらりと二人は立ち上がる。


 よろけながら南側の席に戻ろうとするが、その前に互いの顔が目に入ると自然に足が止まった。


 憔悴した顔をしている大林と小林。


 よく似たその表情を見ると、勝手に表情が強張ってゆく。



「…………お前を見ていると、俺を見ているようで腹が立つよ」



 親の仇でも見るかのように殺気の籠る目つきで互いを睨み合い、吐き捨てるように二人はそう言った。


「同族嫌悪。自分と同じ趣味や性質を持つ相手に抱く嫌悪感のこと」


 パソコンで辞書を開いたシェリが、文面を店主に見せて読み上げる。

 今まさに同族嫌悪に陥っている二人の若者を横に見て、店主は考え込んだ。


「どうして自分の好きなことなのに嫌だと思っちゃうんだろう。本当は自分が嫌いだからとか。自分の嫌な面を目の前で見てしまうのは、どうしても不愉快だし」

「それだけじゃない。問題は自分がもう一人いるってこと」

「もう一人の自分」


 店主が分からないまま繰り返すと、シェリは笑みを浮かべて店主を見つめる。

 互いの目玉に互いの姿がくっきりと映った。


「人は特別になりたがる。特別でいるには自分と同じような人間が現れるのは困るのよ。だって、誰かと一緒だったら自分は平凡で普通な人間になってしまうから」


 彼らは今、互いの瞳に誰が映っているのだろうか。

 互いの瞳に誰を見ているだろうか。


「特別でないのは嫌だ。俺は街を歩くそこら中の人間とは違う。特別がいい」

「俺は特別でいたい。そのために色々努力したのに、結局は自分を殺していたのかな」

「人と違っていたいはずなのに、いつからどうしてこんなことに」


 瞳から明るさを失った若者は、呆然と呟く。


「いつからどうして、そんなことになったんです?」


 気になった店主はそっと若者達に問いかけた。


 最初に反応したのは小林だった。

 切欠を思い出すように視線が宙へ向けられる。


 小さな起動音が鳴り、景色が変わった。

 彼の脳に強く残る過去の一部をウンメイカーが投影する。


 そこは学校だった。

 どこの町にもある校舎の教室に、制服を着た学生達が楽しげに言葉を交わしながら机を移動させている。

 歳の頃は中学生だろう。

 学生服を着た今より少し若く、まだ黒髪の小林が、ほうきを片手に雑巾を球代わりに野球ごっこをしていた。

 ありふれた風景の唯一の違和感は、過去の小林を含めた誰もが目元に色鮮やかな仮面をしているところである。


 懐かしい想い出が、アルバムを次々と捲るようにコマ送りで進むのを眺め、小林は唇を開いて語りだした。



『小林弘樹の独白』



 ――俺が一層特別になりたいと思ったのは、中学二年の冬のことだった。D組の鈴木康子、学年のマドンナ。俺は彼女にぞっこんだった。彼女と話した回数は片手で数えきれる程度だったけれど、それでも俺は彼女に夢中だった!


「シャーペン落としたよ、ハイ」


 小さくて柔らかい手がシャーペンを差し出してくる。

 砂糖菓子のような甘い微笑み。

 そうだ、あの時の彼女はこんな風に笑っていたのだ。

 懐かしさに目元を緩める。


 ――俺はごく一般的な男子中学生。勉強もそこそこ頑張っていたし、でも時にはどうしても無力になって塾をサボったりもしたし、何を取っても普通だった。


「そこの君、アツコちゃん呼んで貰ってもいいかな?」


 ――でもあの頃の俺には、根拠のない強い自信があった。自分を特別だと思っていたのだ。彼女はもしかしたら俺を好きになってくれるかもしれないと、本気で信じていた。


「あのう、チャック開いてますよ!」


 ――彼女から三回も声を掛けてもらったんだし、きっとイケるはずだと思い切って告白。結果? 玉砕に決まっている。それも、フラれるどころか……。



「えーと、ごめん。どこのクラスの人? 同じ学年? あなたが誰だか知らないの」



 可愛らしい少女の残酷な言葉が、中学生の小林の心を引き裂いた。

 申し訳なさそうに微笑み、鈴木康子は頭を下げ、友達に呼ばれると軽い足取りで去ってしまった。

 一人残された若かりし頃の小林は、中庭で歯を食いしばり、我武者羅に走り出してゆく。


 ――確かに俺は目立つタイプの人間じゃなかったけれど、まさか同級生として認識すらされていないとは思わなかったよ。鈴木康子にこっ酷くフラれた出来事は、俺の中でトラウマになった。別に今じゃ彼女の事なんて好きでもなんでもないんだ。ただ俺の中でしこりになったのは、人から認識されない恐ろしさだ。それから俺は注目を集めたいと思うようになったんだ。何をしたらモテる? 注目される? バンドだ! まずギターとボーカルの練習。俺は凄く練習した。才能は無かったから。でもこの努力も俺にとっては特別なものだった。


 自宅で譜面を広げ、父親に煩いと叱られながらもギターを練習する数年前の自分の姿。指はぼろぼろで、寝不足気味の顔。それでもその姿は小林にとって何より誇らしいものだったはず。

 文化祭のライブで大勢を前に歌い上げ、全員が喜んで応援してくれる。

 笑顔で応えバックステージに戻った後、楽屋で仲間と喜び合っている時に聞こえてきた、次の組のダンスでも同じだけの歓声。

 聞こえないふりをして、ギターをしまって楽屋を去る自分の背中の小ささ。


 やがて景色が静かに消えてゆき、最後に現れたのは喫茶店の窓ガラスに映る今の自分だった。


「そうだ、俺は特別でいたい。だから、目の前に自分と同じように努力して同じように人気者になった奴を見ると焦るんだ」


 立ち尽くし途方に暮れている大林の姿は、窓ガラスに映る自分の姿そのもの。


「だってまるで、俺の努力も成功も全部当然のことだって言われている気分になる。俺がもう一人いると、俺は特別じゃなくなるじゃないか」


 薄暗い顔をした小林の足元を小さな少年が走って通り過ぎる。

 その存在に気づいた大林は、それが過去の自分だと気づいて瞳に僅かに色を取り戻した。


 いつからどうしてこんなことに。


 忘れたふりをしていた切欠が、目の前に蘇ってゆく。



『大林大海の独白』



 ――俺は物心がついた時から、自分が特別になれると思っていた。好きな番組は戦隊ヒーローもの。戦隊の中でもレッドが好きだった。特別の中の特別。俺もいつかヒーローになって悪の世界からやってきた敵をぶちのめすのだと、小学生半ばまで本気で信じていた。俺はいつか現れるであろう活躍の機会に備え、柔道を習い、近所をパトロールして毎日を過ごしていた。


 夏祭りの屋台で母親に買ってもらったヒーローのお面を顔に、公園を駆けまわる幼い自分。

 腕を大きく振って歩き、垣根を掻き分けてまで悪者を探そうとしている過去の姿に苦笑いが浮かぶ。

 それだけ探しても、幼い子供が探す悪の敵は見つかったことがない。


 ――世の中そう上手くいかないと気づき始めたのは小学三年生の時。クラスの中でも目立たない黒田一郎が、泥棒を捕まえて一躍有名になった。捕まえたといっても、実際は近所の家に侵入した泥棒を目撃し、警察に通報しただけらしい。でもそんなのはどうでも良かった。腹立たしかったのは、どうして俺がその現場に遭遇しなかったかって事なのだ。柔道も習って、パトロールもしたのに、どうして俺でなく黒田が事件に遭遇する? その時に思い知らされた。事件がある時、必ずそこに遭遇できる名探偵のような特別はこの世界には存在しない。戦隊ヒーローのご都合主義と同じように、俺のいる街だけで悪者は暴れてくれないのだ。


 街にぽつんと取り残された、学生服の少年と、お面をつけた少年。

 その前を幾人もの人々が歩いて通り去ってゆく。

 街は賑わいだし、雑踏に紛れ、自分の姿すら曖昧になっていった。

 笑い声はそこかしこで聞こえ、秘密の話もそこら中で囁かれている。

 しかし誰一人他人の話には耳を傾けない。

 自分という小さな世界だけを見つめ、周りを取り囲む本当の世界に背を向ける。

 自分はちっぽけな一粒の砂に過ぎないことを、知らないふりをする為に。


 どこにでもある光景。

 人の群れに紛れ、重い足取りの若いOLが横断歩道を渡ってゆく。


 ――街を歩いている時、辛い出来事を思い返します。今日は仕事で大失敗をして上司にこっ酷く叱られました。


 どこにでもある光景。

 ビルの狭間にひっそりと存在する公園、そのベンチで項垂れる壮年のサラリーマン。


 ――長年連れ添った妻が浮気をしていた挙句、離婚届けを渡された。


 どこにでもある光景。

 帰宅し、ランドセルを放り出してベッドに倒れ込む小学生。


 ――クラスの皆に苛められている。今日は上履きを隠されて、教科書をゴミ箱に捨てられた。


 人がゴミのように溢れかえる街で、一つきりの人生を無数の人間達が嘆いている。


 ――こんなに苦しくて悲しいこと、私以外に味わっている人なんていない!


 ありふれた光景。

 貴重な休日にデートを楽しんだOLが、軽快な足取りで帰り道を歩く。


 ――街を歩いている時、嬉しい出来事を思い返します。今日は恋人からプロポーズされた!


 ありふれた光景。

 娘の入院する病院に駆けつけ、小さな命を抱く壮年のサラリーマン。


 ――孫が生まれた。こんな可愛い赤ん坊はきっと他にはいない!


 ありふれた光景。

 満面の笑みで母親にプリントを見せ、頭を撫ぜてもらう小学生。


 ――テストで満点を取った! いっぱい勉強をしたかいがあった!


 人が蟻のように行き交い溢れかえる街で、一つきりの人生を無数の人間達が喜んでいる。


 ――こんなに嬉しいこと、他に味わっている人なんていない!


 どこにでもある、ありふれた光景。

 街を歩いている時に、ふと顔をあげて周りを見渡してしまう。

 人が沢山いる。

 人、人、人、人人人人人人人。

 親子連れ、恋人、夫婦、友人、仕事仲間。

 嬉しそうな人。悲しそうな人。幸せそうな人。苦しそうな人。


 雑踏の中を、また誰かが立ち尽くす。


 しかし、歩こうが、立ち止まろうが、その中から逃げられない限りは自分も雑踏を作る一粒の砂にしか過ぎないのだと思い知る。


 私と同じ顔をしている人がいる。

 僕の特別は特別じゃなかった。

 皆同じなのだ。



「「きもちわるい」」



 行き交う人の群れの中、赤いTシャツを着た若者と、青いTシャツを着た若者が吐き捨てる。


 ウンメイカーにクラッキングされた街中の人々の想念と、小林と大林の抱く苦しみは同一であった。

 この耐え難い辛さまでもありふれたものだと認めるのは、あまりにも気持ちが悪い。そしてそう思う心すら、あらゆる仮面と同じなのだ。


 雑踏が消えてゆく。

 二人の呟きに気づく人も、気づかぬ人も、皆一様にすっかり消え去った。


 喫茶店に、たった四人の人間。

 だが窓の外を見れば、どこかへ向って歩く人々がいる。


 時計塔喫茶の南側の席、向かいに座った運命の相手らしい人間。

 だが結局は、街を出ればそこら中に見かける人間と同じであり、そしてまた自分も彼と同じなのであった。


「占いを心底信じているわけじゃない。ただ、運命の人ってやつに逢えたら特別になれる気がしたんだ。特別な相手と出逢って、自分も特別になりたかった」


 口にするのも恥ずかしいと思っていた本音を、あえて冗談めかして喋ることで、小林は自分の全てを見せたとアピールして心の痛みを軽減させようとする。

 それに続き、大林も笑みを浮かべた。


「でも、やっぱり来なきゃよかったな。特別になれるどころか、自分がどこにでもいる普通の人間だって思い知らされただけだ」


 傷ついた心を笑いのネタにして、参ったなと情けない笑顔を浮かべる大林。

 寂しさと苦しみを誤魔化そうとする若い二人の言動こそが、店主にはやけに痛々しく感じられた。

 無意味な虚勢を張る小林と大林を見ていたシェリが「帰る」と言い放ち、立ち上がる。

 叩きつけるようにカウンターに置かれた代金に、店主は「また?」と困惑の声をかけた。


「自分を受け入れられないからって、信じていたものまで捨てるような奴の前に、運命の相手なんて現れるわけない。もしそれが、あんたの言う本当の運命の人でもね」


 シェリは腹が立っていた。

 上手くいかないからといって、本気で挑んだことまで冗談にすり替えて逃げようとする男達の姿は、彼女にとって不愉快極まりなかった。

 実験が上手くいかない苛立ちだけではない、人間に失望したシェリの顔に、店主は何も言えなくなってしまう。


 ――この子は心の底から人が向き合うところを見たいだけなのかもしれない。


 昨日の白百合と郷之丸に対する仕打ちや、今日の小林と大林に対する仕打ち。

 それら全てを振り返ってみて思い当たるのは、シェリが人間の深層心理を引きずり出して、その上で自分ないしは相手を受け入れさせようとしていた事実である。

 きつい言動と頭の良さに惑わされがちだが、彼女は本当は純粋な何かを求めているのではないか。

 店主はシェリの複雑に歪んだ顔を見て、そう思った。推測にすぎないのだが。


「……明日こそ、もう一度チャンスをちょうだい。徹夜してプログラムも組み直す。今度こそ男女の組み合わせで実験してみせるから」

「これ以上他人を巻き込んでかき回す気なの? もうやめたほうがいいんじゃ」

「駄目。運命は作れるって絶対に証明しなくちゃならないの!」


 意地になっているのか、店主の言葉を遮りシェリは語尾を強く叫び出口へ向かった。

 彼女の必死さを垣間見てしまった店主は、強く引き留めることができない。

 そのまま去ってしまうかに思われたシェリだが、しかし扉を開ける直前に踵を返し、南側の席へと歩いてゆく。

 そして疲れて小さくなった小林と大林に「そこの腑抜け共」と尖った声をかけた。


「あんた達、本当にお似合いよ。一つのことを信じぬく勇気もない腑抜け同士、仲良くやればいじゃない。馬鹿、最低、くたばれ!!」


 そして一方的に言いたいだけ言い放ったかと思うと、シェリはヒールを鳴らし、憤慨した様子で乱暴に扉を開け出て行ってしまった。


(なんて大人げないんだ……)


 呆気にとられる若者が虚しくベルの鳴る扉を眺めている姿に同情し、店主は頭を抱える。


「え、なんで俺たち怒られたの」


 突然声をかけられたかと思えば、猛獣のような迫力で怒鳴られ、落ち込んでいるのも忘れそうな程に大林と小林はびっくりしていた。


「すみません。うちの常連なんですが……どうにも変わり者で」


 カウンターを出て、シェリの非礼を詫びる。

 小林は出口を気にしながら「それは言動を見れば十分分かるけど、彼女は何をあんなに怒っていたんです?」と尋ねた。

 彼女が変わり者なのは喫茶店で過ごした時間で重々承知である。

 それよりも気になったのは、怒られた理由だ。


 店主はシェリの表情を思い出し、苦笑いを浮かべる。


「自分の思い通りにならないのに腹を立てたんだと思います」


 そしてそう口にし、先程の彼女の表情と、今目の前で浮かべる若者達の表情がそっくりなのに気づき「なんだか、君たちと似ていますね」と思わず零してしまった。

 癇癪を起こした子供のような彼女と自分達が似ているなんて心外だ。

 若者二人は顔を見合わせてから店主を軽く睨む。

 だが、小さな発見をした店主は、彼らの不機嫌に気づかないで調子良く話し出した。


「いやね、表面的な理由は全く違うところなんだけど、根底が似ているなと思って。……――ああ、そうか。だから僕は彼女の実験に付き合っちゃうんだな」


 自分の言葉で自分に頷き、表情を晴れやかなものにしてゆく店主。

 まるでクイズ番組で一人だけ謎を解かれたようで、若者達はもどかしくなる。

 答えの知りたさのあまり、自分で考えることを放棄して正解を教えてもらいたくなってしまう。


「あの、何の話をしているんですか?」

「この世界は理不尽なことばかりだ。でも腹を立てたところでどうにもならないから、皆が気づかないふりをしている。それが当たり前の世の中。でも、それに目を向けてなんとかしようってもがいているその姿が、僕にはどうにも格好良く見えるらしい」

「もがいているのに?」

「少なくとも、上っ面で格好つけている君たちより、自分と向き合おうとした君たちのほうが、僕には魅力的に見えたよ」


 大林と小林は互いを見つめる。

 目の前の男も、その瞳に映る自分も、二人には魅力があるとは到底思えなかった。


 しかし、店主にはまさにその理解できないと悩む彼らの姿がきらりと輝いて見えるのである。

 その時、ふと店を去る前のシェリの必死さと歪んだ顔が思い出された。

 今になって思い返せば、彼女のそんな姿もきらりと光ったように思え、店主は目から鱗が落ちた。


「あはは、そっか。なんか僕、少し分かったかもしれないぞ!」

「なんなんです、さっきから」


 嬉しさにはにかむ店主に調子を崩され、小林が苛立った。


「思い込みなんて言葉を使われたせいで無情な実験に聞こえたけど、これって人のなんだよ。。これってそういう実験なんだ。あの子はそう思っていないかもしれないけど、僕はそう思わせてもらうことにする」


 小難しい言葉を並べ立てられたせいで、気づかなかった。

 この実験は店主にとって、実に魅力溢れるものなのだ。


 自分のコンプレックスや互いの短所と向き合い、それでも受け入れ合えるかという、人の意思の強さ、信じる心の威力を試す実験。

 ありふれた言葉にするならば〝信じる力〟を証明する実験。

 なんとも照れくさい響きだろう。

 しかしこの男はそういったものが大好きなのだ。


 視点一つを変えればこんなにも素晴らしいロマンに浸れたのだと、店主は胸がいっぱいになった。


 一人で勝手に盛り上がり、一人で勝手に納得している店主に焦れた大林が「本当になんの話ですか」と想いに浸っている店主に声をかける。


「ちょっと割り込ませてもらっていいですか?」

「とっくに割り込んでるし」


 若者の声など聞こえていなかったらしい店主が、南側の席に一番近いカウンター席に座る。

 そして、夢を見る少年のような明るい顔で意気揚々と喋りだした。


「僕、占いが大好きなんです。もっといえば非科学的でロマンチックなものに魅力を感じる性質たちでね、運命の人とか運命の出逢いとか、そういうの本気で信じているんです。目には見えないけど確かなもの。んーロマ~ンティック!」

「自己紹介ならもうたくさんなんですけど」

「この店を開いたのも、ここがそういう運命の出逢いの場所になればと思ってなんです。時を告げる場所に一番近いところなんて素敵じゃありません? 時間ってロマンチックだと思うんです。運命と同じで、目には見えないけれど確実に存在しているものでしょう? 目に見えない時間を時計は見えるようにした。それと同じように、僕の店が運命の出逢いが出来る場所、つまり運命が少しでも目に見える場所になればいいなって。この店の名前、≪rencontreランコントル≫っていうんですけど、って意味があるんです」


 愛おしそうに自分の店の名を呼ぶ男は、とても穏やかに微笑んでいた。

 その姿を見れば、奇妙な言動がただの茶々入れではないのは分かったが、それでも店主が何を意図して話に割り込んできたのか分からず「何が言いたいのかさっぱり」と若者たちは言う。

 すると店主は眉尻を僅かに下げ、情けなくはにかんだ。


「僕も君たちと同じです。僕はこの店を特別にしたかった。でも難しいものですね、そう簡単にこの店は特別になってくれない。どんなに僕が特別だと思っても、実際そう上手くはいかない。本人が特別って思っても、誰かの特別になんてなれないんですよね」


 お節介な男も自分達の気持ちが分かるのだと知り、大林と小林は身構えていた身体から自然と力を抜いてゆく。

 先程ウンメイカーに見せられた雑踏には、誰もが同じ苦しみを持っていることに更なる苦痛すら感じたはずなのに、何故だかこのお節介な男が相手になると、苦しみを理解し共有できることに安らぎすら覚えてしまう。

 そんな温かみを店主という男は持っているのだ。


 しんみりとした空気が三人の男を包み込む。

 それを振り払うように、店主はもう一度眉をあげて明るい表情を浮かべた。


「僕も運命の人に出逢えるのをずっと待っているんです。でもね、その理由は君たちとちょっぴり違う」

 親指と人差し指の先端がくっつくかくっつかないかの数センチの隙間が作られる。

 その数センチの間にどのような違いがあるのか気になり「……違うって?」と大林は身を乗り出した。


「その人が自分を特別にしてくれるから。じゃなくて」

「じゃなくて、なんなんです?」


 勿体ぶる店主に焦れ、小林が先を促す。


「特別な人ができたら、僕も特別になれる。何故なら、特別な人っていうのは自分を特別にしてくれる人のこと。だから……」


 ゴーン、ゴーン、ゴーン、ゴーン――……


 けたたましい鐘の音が、街中の音を遮り響き渡った。

 店主の唇は動いているのに、声が全く聞き取れない。

 二人は席を立ち、店主の傍まで慌てて近寄った。


「何? 聞こえない。なんて言ったんです?」


 鐘の音が薄れてゆき、余韻で微弱に空気が震えている。

 二人に耳を傾けられ、店主はもう一度口を開いたが「いや、だからね。……ううん、やっぱりやめておこう」とまた一人頷き、それ以上は話さなかった。


「気になるじゃないか!」


 クイズ番組で正解が分かるどころか、次週に持ち越されたようなじれったさに大林が叫ぶ。痒いところに手が届かない、なんとももどかしい心地だ。

 答えを求める若者に、店主は悪戯な笑みを浮かべた。


「僕、人にアドバイスする時は、答えでなくヒントだけに留めるの。自分の人生は自分で答えを出さなきゃ。他人に教えてもらったんじゃ面白味がないよ」

「じゃあどうしたらいいんです」


 すっかり弱った小林が不服そうに言う。


「簡単。自分にひたすらいろいろ聞いてみる。なんで? どうして?」

「なんで」

「どうして」

「とまあ、これは受け売りなんだけど。それも昨日のことだったりして」


 昨日のシェリの言葉や、白百合と郷之丸の店を去る前の様子を思い返し、笑みを深める。

 偉そうに言ってしまったが、自分こそ昨日彼女たちに新しい考えを与えられたのかもしれない。それを次の誰かに引き継げればと思ったのだ。


「マスターさん、あなたはただのお節介焼きですか。それとも何か裏でもあるんですか」


 初めて店に来た若者に対し、接客以上に深く関わってくる変わり者の店主。

 どうしてそんなことをするのか理解できない小林は、素直に当人に尋ねた。


「お節介焼きだけど、裏もあるのかも。君たちがくっついてくれれば、僕の店も運命の出逢いのスポットになる。君たちが僕の店を特別にしてくれるかも」


 おどけて、店主は大林と小林の肩を軽く叩く。


 小林と大林は再び見つめ合った。


 相手の瞳に映る自分。

 自分の瞳に映る相手。


 そこに映るものをじっと探るように眺めた後、大林が「俺、やっぱり普通に女の子が好きなんですけど」と困り果てた。

 小林も「俺もさ」と同意する。


「でも……男はまだ好きになったことないだけかも」

「え。俺もそうだったりするのかな」


 首を捻る小林に、大林はぎょっとしつつも正反対に首を捻った。

 立ち止まり悩んだままの二人に、店主がまた小さなヒントを与える。


「無理強いじゃ運命ではないから僕はなんとも言えないけど、自分の中で答えが出せないようならお互いに求めてみたら? どうやら君たちは似た者同士のようだし」


 似た者同士。

 その言葉を聞き、小林と大林は互いの背後に仮面をつけた自分の姿を見つけた。


 空気が揺らめき、雑踏の音が聞こえる。


 誰の目も仮面に覆われ彼らを見てはいなかったが、その仮面を取り外して互いを見つめ合えば、相手の顔も自分の顔も見えるかもしれない。


「こいつに自分を求める?」


『同族嫌悪』


 仮面をつけた小林が、仮面をつけた大林の仮面へと手を伸ばす。


「彼と向き合えば、自分と向き合うことになるのか?」


『同族嫌悪』


 仮面をつけた大林が、同じように仮面をつけた小林の仮面へ手を伸ばす。



 ――お前が特別になれば、俺も特別になるんだろうか。



 この仮面を剥がした先にあるのは、相手の顔か、自分の顔か、それとも全く予想しえない誰かの顔なのか。

 それは剥がしてみなければ分からないのだ。


 長年顔に貼りついていた仮面にヒビが入る音がした。


 同族嫌悪の男たちはゆっくりと南側の席に戻ると、すっかり冷めた残り少ない珈琲で乾杯し、中身を一気に飲み干してしまう。


 そして、真っ直ぐに向き合って互いの話を始めた。


 好きなこと、嫌いなこと、朝起きて一番に考えること、眠る前に思うこと。


 店に来たばかりの頃と違い多少のぎこちなさが見えたが、それでも二人は話すのを止めなかった。


 ――やがて、ぎこちなさも次第に消えてゆき、明るい笑い声が南側の席に広がっていった。


 冬の寒さも吹き飛ばす賑やかで明るい声と軽快なジャズをバックミュージックに、店主はカウンターで占い雑誌を広げる。

 暫くすると、黒電話が鳴った。


「はい、もしもし。ああ、君」


 聞き慣れた声はシェリのものだ。


「まだ二人ともいるよ。なんだかまた良く分からない結果に終わりそうだ。でも、昨日と同じで良い感じ。くっつくか? それは分からないけど、はいはい、くっつかないと意味がないんだよね」


 かしましい声を宥めすかし、肩を竦める。

 南側の席から、また楽しそうな笑い声が響いた。

 一皮むけて成長したのか、入店時より笑顔に輝きを増している若者達を横目に見る。

 脳裏に白百合と郷之丸が軽い足取りで店を去った光景も過ぎ、店主は少し黙り込んでから静かに口を開いた。


「実験は明日もするんだろう? 僕も君と一緒に真剣に見守ることにするよ。え? いや、運命が作れるなんて風にはまだ思っていないよ。でもね、僕は信じる力ってやつを信じてみたくなったんだよ。ってやつを」


 仮面の剥がれた本当の自分のまま、二人の若者が笑いあって言葉を交わしている。


 その姿を眺める店主は、とても穏やかな表情を浮かべていた。



 ―― 二組目 同族嫌悪の男たち END ――

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