二組目 △△な□□たち

実験二日目 その1

 実験二日目


 ――終わりだ。世界の終わりである。

 

 まさに絶望そのものといった表情には、そんな心境を当てはめても決して大袈裟ではないだろう。

 それに、実際に世界が終わりを迎えるわけではないが、本人たちからすれば世界の終わりかもしれなかった。


 血の気は引いて顔色は真っ白。

 冬だというのに冷や汗が滲んで、びっしょりと肌にTシャツが張りついている。

 喉はカラカラに乾いており、唾を飲むのも一苦労だ。

 

 暖房の効いた時計塔喫茶≪rencontre≫。

 店内には店主と客の三人。


 その日、南側の席だけが北極のように空気が凍りついていた。


 赤いTシャツを着た青年と、青いTシャツを着た青年が、顔面蒼白で向かい合って座っている。

 ……彼らの肌に立つ鳥肌は、寒さのせいか、それとも別の何かか。


 注文された珈琲を店主がカウンターで用意している。

 その向かい側のカウンター席で、シェリは両手で頭を抱えて突っ伏していた。


 偽占いサイトに釣られ、まんまと時計塔喫茶にやってきた二人の若者。

 彼らは目の前に座っている人物から目を逸らすどころか、椅子から身体ごとずらしている。

 青Tシャツの男は、読み間違えはないかと何度もメールを確認しており、赤Tシャツの男はどうにか目の前の男が女になるまいかと両手を合わせて祈り、手で顔を覆い、ちらりと確認して何も変わらぬ現実を静かに嘆いた。

 ふと二人の視線が合うと全力で逸らす。


 こんな気まずさが既に数分続いていた。


「お待たせ致しました。ホットコーヒーです。ごゆっくり」


 運ばれてきた珈琲に若者達は小さな笑みを作り、小さく会釈する。

 二つのティーカップの中身は同じ。

 同時に伸ばされた手に、男達は結局二人して手をひっこめた。

 青Tシャツが先に珈琲を飲む。

 彼がティーカップを戻すと、今度は赤Tシャツが珈琲を一口、身体を背けたまま口にした。


「ねぇ、ちょっと」


 カウンターに戻った店主が、南側の席の様子を見て、カウンターに突っ伏すシェリに声をかける。女は何も言わない。


「ちょっと、どうすんのコレ!!」

って女の名前じゃないのかよ……」


 情けなく呻く声がくぐもって聞こえてくる。


「同じこと繰り返してどうするの! また同性同士、しかも今度は男同士!!」

「仕方ないでしょ、プログラム組み直してる最中に寝落ちしちゃったんだよ!」


 店主に責められることで逆に開き直ったらしい。

 顔を上げたシェリは、いつも通りの美しい姿勢に戻ってフンと鼻を鳴らした。何故に偉そうなのか。


「これじゃくっつくものもくっつかないよ」

「絶対くっつける! 証明するって言った手前くっついてもらわないと困る!」

「でも見てよ、あの気まずい雰囲気。どう考えても上手くいかない。昨日はたまたまなんとなく上手くいったってだけで……」


 二人の視線が南側の席へと向けられる。

 若者達はそれぞれ、椅子の背もたれへと顔を向け、張りつめた表情で呟いた。


「俺ってホモだったのか」

「俺ってゲイだったのか」


 彼らの瞳は、まさに世界の終わりを目にしていた。


「ほらもうあんなに思いつめちゃってるじゃん!! 可哀想だよ!!」


 同じ男として彼らに同情の念を禁じえない。

 一方そんな心境など理解できないしするつもりもない女のシェリは、視界を占領する異常な光景に何とも言えない表情を浮かべていた。


「色彩派手なTシャツを着て冬の喫茶店で思い詰めた顔をする男たち。この光景の不気味さよ」

「君のせいでしょ!! 今日は逃げないでなんとかしなよ」


 じとりと睨まれたシェリは、流石に昨日のようにトイレに逃げ込むわけにもいかず「分かってるよ」とぶつぶつ文句を垂れながら、そろりそろりと南側の席へと近づいていった。

 死んだ魚のような目をしている若者二人に、シェリは笑顔を作って声をかけた。


「……あの、そこのお二人」

「はい?」


 突然変わった姿の女に話しかけられた男達は、戸惑った様子で返事をする。

 シェリは若者達の姿を観察するふりをして、ずばりと尋ねた。


「なんだか良い雰囲気ですね。お二人はお付き合いしてるんですか?」


 あまりに率直過ぎる言葉に、店主は思わずカウンターから「ちょっと!」と声を上げる。

 若者達は女の思わぬ言葉に慌てた。

 青Tシャツが「え、ち、違いますけど」と首を横に振り、赤Tシャツも咄嗟に「今のところは……」と答える。


(今のところはって何!)


 思わぬ言葉に店主は心の内だけで叫んだ。

 若者の言葉を聞いたシェリはわざとらしく残念そうな顔を浮かべ、三文芝居を打ってゆく。


「そうなんですか。てっきり恋人同士だと。だってお似合いなんだもの」

「えっ。そう見えます?」

「ええとっても」


 間髪入れずに頷かれ、青Tシャツは狼狽した。


「い、いや、でも俺、ゲイじゃないんで」

「俺も女の子が好きだよ。あ、でも男を好きになったことがないってだけかも」

「えっ、あーえー……まあ、俺もそうかも……」


 赤Tシャツの言葉にぎょっとしつつも、青Tシャツもそうかもしれないと首を捻る。

 気まずい雰囲気に赤Tシャツが「それに俺達初対面なんで」と女に言うと、青Tシャツも全力で頷いて同意した。

 初対面なのだから、恋人のはずはないと。


「そうなんですか。でも初対面なのに相席しちゃうんだから、きっと何かが働いているんだと思います」


 運命というワードに二人の男があからさまに反応し、互いを凝視する。

 彼らの視線が自分に向かないのを良いことに、シェリは悪魔のような笑みを浮かべ「どうです、ちょっとお話してみては」と言葉を残し、勝ち誇った顔で堂々とカウンター席へと戻ってきた。


「どうだ」

「ちょっと無理矢理すぎじゃない」


 胸を張られ、店主は呆れた。


 一方、南側の席に取り残された二人の若者。

 偽占いサイトに導かれ、まんまとやって来た三人目と四人目の実験の被験者……又の名を被害者達は、気まずい雰囲気のまま、それでもなんとか会話を始めた。


「えっと、確かにこうして会ったのも何かの縁だし、仲良くなりたいですね」


 そう言ったのは赤Tシャツの青年。

 明るい茶色に染められた髪に、有名メジャーバンドの赤いライブTシャツを着て、青のジーンズを履いている。


「そうですね。うーんと、まずは自己紹介かな」


 同意したのは青いTシャツの青年。

 黒い短髪をしており、サッカー日本代表を模したTシャツを着て、黒いズボンを履いていた。

 二人の若者は街を探せばすぐに見つかりそうな、どこにでもいる現代の若者といった風体だった。

 青い雰囲気を見れば、彼らが社会人ではなく恐らく大学生であることは察せられる。

 どうやら自己紹介の流れに入るらしい。

 昨日と同じようにカウンターから南側の席を観察している店主は「昨日はこれに時間が掛かった」と、昨日はトイレに逃げ込んでいたシェリに説明する。

 逸らしていた身体を真っ直ぐに座り直した若者達は、早速自己紹介を始めた。


「俺の名前は小林弘樹こばやしひろき


 赤Tシャツ――小林弘樹――が名乗る。

 小林の名前を聞いた青シャツは、皿のように目を丸める。


「俺、大林大海おおばやしひろみっていうんだよ」


 青Tシャツ――大林大海――大声で自分の名前を名乗った。


「え、名前超似てるじゃん」


 共通点ともいえない共通点だが、珍しいといえば珍しいのかもしれない。

 少なくとも、彼らは互いの名前が似ていることにテンションがぐんと上がったようである。緊張で強張っていた顔はあっという間にさっぱりとした笑顔に変わっていた。

 小林と大林は頷き合い、興奮した様子で互いの名を確認し合う。


「小林弘樹? 大林大海?」

「小林弘樹! 大林大海!」

「似てる似てる。すげー、これってマジ運命?」


「「ディスティニー!!」」


 笑顔を浮かべた大林と小林は素早く掌を重ね、手の甲を重ねた。

 外国の人間が好む仲間内でのコンボのようなハンドシェイク。

 それを初対面でこなす意気投合っぷりに、カウンター席の二人が瞠目する。


「歳は二十一」

「マジで!? 俺も、俺も二十一歳!」

「えっ、九十四年生まれ!?」

「九十四年生まれ!」


「「ウェーイ!!」」


 パシパシとコンボのように手を打ちつける小林と大林。


「現役大学生、経済学部!」

「俺も経済学部!」


「「ウェーイ!!」」


 先程のコンボに更にワンアクション加わるハンドシェイク。

 映画でしか見たことのない、素早く切れのいい動きに店主の口がぽかんと開いた。


「青森出身!」

「俺秋田ァ……!」


 小林が意気揚々と上げた手に手を重ねられず、大林は悔しげに手を落とす。

 途切れた共通点に小林も「あー惜しい」と残念そうに顔を歪めた。


「でも近い、近いから」


 近いことが一体何のフォローになっているかは分からない。

 心底残念そうにしていた二人だが、実際にはそんなに残念ではなかったのか、すぐに気を取り直して会話を続ける。


吉田家よしだやでバイト中!」

「俺すぎ!」

「ライバル!!」

「負けねぇぞ!!」


「「ウェーイ!!」」


 はしゃぎまくる若者達は、手を次々と合わせてハンドシェイクを続けてゆく。


(めちゃくちゃ気が合っている!!)


 先程までのよそよそしさが嘘のようである。息ぴったりの二人に、店主は唖然としていた。

 初対面とは思えぬ息の合い方で、大林と小林は己の趣味趣向を確認し手を打ちつける。これがまた驚くほどに二人の趣味趣向は同じで、打合せをしたと疑われても不思議でなかった。


「好きな漫画は」

「「ヲンピース!」」

「好きな女優は」

「「上野彩!」」

「好きなアーティストは」

「「エグゾイル!」」

「好きなお笑い芸人は」

「「ダウンダウン!」」

「好きなゲームはエムエム!!」

「ごめん、俺ゴラクエ派」


 小林の言葉に大林は肩を落としながら「いいんだよ、ドンマイドンマイ」と浮き上がった腰を椅子に落ち着けた。笑顔にはどこか悲しみが含まれている。ゲームの好みは結構重要だったらしい。


「休日って何してんの」

「友達とカラオケとか合コンとか」

「俺もよく合コンする。あと音楽活動とかね」


 得意げな顔をした小林に「音楽活動って?」と大林が尋ねる。

 待っていたとばかりに小林は歯を見せて笑った。


「バンド。俺ボーカルなんだ。でもギターも弾けるぜ」


 明るい髪の色に、バンドのライブTシャツの小林は得意げにギターの弾き真似をする。彼は見た目を裏切らず、バンドマンだった。


「すげーかっこいーじゃん。俺もギター弾けるようになりたいと思ったことあるけど、どうにも難しくて諦めた」


 純粋に小林を尊敬しているらしい大林は、ギターを弾けるという特技に目を輝かせた。

 勿論褒められて悪い気はしない。小林は優越感に笑みを深めた後、「そっちは何かやったりしてないの?」と尋ね返した。


「サッカーやってる。大学のサークルなんだけど、結構強いんだぜ」

「スポーツマン。いいね、かっこいい!」


 サッカー日本代表をモチーフにした真っ青なTシャツに、椅子の横に置かれたスポーツバッグ。彼もまた見た目を裏切らず、スポーツマンだった。

 小林も同じように大林を素直に褒めると、大林は満足げに笑う。


 今時珍しく卑屈さのない若者は、店主に爽やかな印象を持たせた。


 会話の楽しさに占いサイトのことも忘れ、すっかり友達と遊んでいるテンションになった大林は、何の気なしに「恋人いる?」と小林に尋ねた。

 すると小林の顔がやや曇る。


「今はフリー。先月半年付き合ってた元ファンの彼女にフラれた。お前は?」

「二ヶ月くらい前に別れて、それきり自由人」


 同じく大林の顔も少し曇ってしまった。

 どうやら恋人と別れたばかりという共通点まであるみたいだ。

 落ち込んだ空気を吹き飛ばすように、二人は間延びした声で望みを口にする。


「あー可愛い彼女欲しいな!」

「素敵な出会いとかないかな!」

「「合コンしてー!!」」

「しかし合コンには金がかかる」

「牛丼屋の給料じゃそんなしょっちゅう合コン行けない」


 肩を落とし二人は席を立ったかと思うと、また声を大にして欲望丸出しに叫んだ。


「「あーあ、宝くじ当たんないかなー! 買ってないけど!! ウェーイ!! ウェーイ!!」」


 もはやハンドシェイクの域を越え踊っているのではないかという程に、全身を使って気の合ったコンボを繰り出す大林と小林。


 学生ならではの遠慮のない明るいノリは店主にとって微笑ましかった。


「順調に仲良くなっているね」

「お友達で終わられちゃ困るんだよ」


 しかしシェリはこの展開が気に入らないらしく、眉間に皺を寄せている。


「友人で終わるかどうかは置いておき、とても良い出逢いをしているように見えるよ」


 だからそんなに怖い顔をしないでくれと、シェリの顔色を窺う。

 店主の言葉を聞いたシェリは「あれが。本当にそう見える? あんな上っ面だけの会話が」と若者達の先程のやり取りを示した。

 彼らは初対面なのだし、あれだけ会話が弾めば十分だと思うので「誰だってあんなもんでしょ」と頷けば、シェリはチッチッと舌を鳴らして、またあのにやりとした企みを含んだ笑みを浮かべる。


「運命の相手には本当の自分を見せなきゃ駄目。ここは一つ、手を打とう」


 シェリの手には昨日と同じメモリーキューブが握られている。

 スペアのそれをカウンター裏に設置すると、起動音が響き渡ると同時に、昨日と同じにウンメイカーの世界が店内に広がった。

 幾つものモニターがドーム状に現れ、仮面達が店内の様子を視聴している。

 一瞬にして百人以上の脳にクラッキングしたウンメイカー。

 喫茶店に流れていたジャズが消え、重低音が腹の底に響き、照明が色彩派手に周囲を星の如く瞬かせた。



『一問一答自己紹介タァーイム!』



 仮面男と仮面女が現れ、明るく弾ける声と共にマイクを片手に決めポーズを取った。モニター内の仮面たちの歓声があがる。


『このコーナーは一問一答形式で、相手がどんな人間か知る為の楽しい楽しいコーナーです。相手の人間性を知るのは友達への第一歩。難しいことは考えず、率直に簡単に答えて下さい』


「なにごと?」

「この喫茶店で御馴染みの交流コーナーみたいなものです」

「適当なこと言わないでよ」


 戸惑う若者たちへ向けられたシェリのなんとも適当な説明に店主は焦る。

 しかし、脳にクラッキングされた二人は「へー、合コンみたいで楽しそうだな」と当たり前に異様な状況を受け入れてしまった。

 イベントごとが大好きな若者の大林と小林は、期待に満ちた顔でスポットライトを浴びる。

 準備万端のその様子に、仮面達が口角を吊り上げた。


『それでは小林弘樹さんから参りましょう』


『〝答えて、一問一答!〟』


『好きな漫画は?』


 唇のすぐ前に勢いよく仮面男からマイクを向けられ、思わず一歩後ずさる。

 大林との会話でされたはずの質問を再度された小林が「それさっき言ったけど」と訝しげな表情を浮かべたが、仮面男は笑みを浮かべたまま『好きな漫画は?』と同じ質問を繰り返した。


「ヲンピース」

『なんで?』


 答えるなり、ぬっと今度は仮面女がマイクを差し出してくる。

 思わぬ質問に「なんでって」と繰り返す小林。

 仮面女は念を押すように『一問一答』と言う。


「えっと、流行っているから」

『次は大林大海さん。好きな女優は?』


 次に仮面男は持っていたマイクを大林の口元に向けた。


「上野彩」

『なんで?』

「皆が可愛いって言うから」

『どんどん行こう。好きなアーティストは?』

「エグゾイル」

『どうして?』


 質問を受け、小林はへらへらと笑い「皆が聴いてるし、歌えて踊れるとモテるんだよね」と答える。


『好きなお笑い芸人は?』

「ダウンダウン」

『どうして?』


 大林もへらへらと笑いながら「皆好きだし、研究して真似すると合コンでウケる」と答えた。


『バンドを始めたきっかけは?』

「女の子にモテると思ったから!」

『どうしてサッカーをしているの?』

「ゴールを決めると人気者になれてモテる!」


『うすーい!! 実に薄くて面白味のない回答だ!』


 ――Boooo!! Boooooo!!


 矢継ぎ早に繰り返された質問は突然切り上げられた。

 単純な解答に仮面男がわざとらしく天を仰ぐ。モニターの仮面達が不服そうに唇を尖らせ、一斉にブーイングをした。


『中身スッカスカ、アイデンティティのアの字も感じられない!』


 ブーイングの嵐に大林と小林は瞠目し、周囲のモニターを見渡す。


『小林弘樹さん、大林大海さん。実に薄っぺらな回答ありがとうございましたー』


 司会達は快活な声で挨拶を終えた。


 ――不満と非難の声が景色と共に薄れてゆき、時計塔喫茶が再び姿を現す。


 流れるジャズどころか、店の前を走り去った車のエンジン音までもよく聞こえる程の沈黙が訪れた。

 先程まで笑顔でフロアに立っていた男達が、沈んだ顔でとぼとぼと南側の席に戻ってゆく。

 着席し、肩を落としたまま黙り込んでしまう小林と大林。


「なんていう空気にしてくれたんだ!」


 明るい雰囲気が彼方へ消え去った、なんともうすら寒い空間。

 楽しい雰囲気を台無しにした犯人に言葉を向けても、シェリは飄々とした顔で腕を組んでいた。


「好きなものの理由が、皆がそうだから、とモテたいから、とは。浅い」


 遠慮のない女の言葉がぐさりと若者達にとどめを刺す。

 今にも倒れ込みそうなその姿に、店主はカウンターを飛び出し慌ててフォローに入った。


「僕は良いと思いますよ。面白いじゃないですか、ヲンピース。主人公達の飛行船が落ちるところなんて思い出すだけで泣けてきますよね。それに上野彩だって可愛い可愛い。月九の主演ドラマは欠かさず観ていましたよ。それからエルゾイルは歌えて踊れてかっこいいし、ダウンダウンだって年末の番組が特に」

「普通だったら、そういう風な回答が出るはずだよね。本当に好きなら」


 必死のフォローを遮り、シェリがまた遠慮なく大きな声で言う。

 少し浮上した若者達の気分が目に見えて落ちていくのを見て、カウンターに戻った店主はシェリを軽く睨んだ。


「昨日もそうだけど、くっつけたい癖にどうしてそういうことするんだい」

「そういうことって?」

「傷を抉るようなというか、見せなくて良いとこ見せようとさせるというか」


  昨日の白百合と郷之丸だって、結果として良い方向に向いたかもしれないが、シェリの仕組んだウンメイカーのせいで恥をかいたし傷ついていたのには変わりない。

 しかし、曖昧な批判は攻撃の要素を持たなかった。

 シェリは何の気なしに紅茶を飲んでいる。


「自分の全てを曝け出せないで運命の人と一緒になりたいなんて、ちゃんちゃら可笑しいと思うけど」

「だからって、自分の中の汚いところを全部見せなきゃいけないとは思わないな」

「そうかもね。でもそれって少なくとも、? それに気づかないふりをしていたり、認めようとしない限り、人に好きになって欲しいというのはおこがましいと私は思う」

「それって極論じゃない」

「物事、極論のほうが分かりやすい。この実験はそれを証明するための実験でもある」


 ティーカップを差し出され、おかわりを要求される。

 仕方なく空のティーカップを受けとり、新しい容器を取り出して次の紅茶の準備を始めた。


 一方、南側の席では、沈んだ空気の小林が、それでもなんとか気を取り直そうと無理に笑顔を作っていた。


「薄っぺらって、随分酷い言いようだな。良いものは良いんだからいいじゃないか。ねぇ」

「そうだよな。人気が出ているから良いんじゃなくて、良いから人気が出ているってだけだ」

「なんだか君とは本当に気が合いそうだな」

「本当。そうだな」


 意見の同意に小林と大林は笑い合った。

 しかし、その割にはウンメイカーが発動する前より随分とテンションが落ちているようでだ。自己紹介していた時より覇気が感じられない。


「どうやら俺たちは似た者同士みたいだ」

「これは仲良くなれるぞ!」

「おいおい、俺はもう仲良しのつもりだぜ?」


「「ウェーイ、ウェーイ、ウェ……」」


 合わせようとした手が空を切り、僅かスリーコンボで終わってしまったハンドシェイク。盛り上がりかけた空気が固まる。


(ちょと気が合わなくなっている!)


 様子を見守りながら紅茶を淹れている店主が角砂糖の四つ目をカップにいれかけ、シェリが素早くその手を叩いた。

 中途半端に浮いたままになってしまった行き場の無い手を引っ込める両人。

 気まずい雰囲気を払拭するためにまた小林が口を開いた。


「君は占いとか好きかい」


 今までと違い核心に迫る問いである。


「好き好き。朝のニュースの星座占いは時間があれば見るし、携帯の占いサイトとかも気にしちゃうタイプ」

「俺もだよ。何があるわけでもない日でも、一位だと浮かれるし最下位だとヘコむよな」

「そうそう! ちなみに俺の今日のラッキーカラーは青なんだよね」


 さりげなさを装い、大林が会話に偽占いサイトに書かれていた内容を入れ込む。

 サッカー日本代表のユニフォームをモチーフにした真っ青なTシャツをアピールされた小林は「それにしてもド派手に決めてきたな」と目の痛さに瞬きをした。


「お前だって目立つ赤だ。もしかしてラッキーカラーは赤か」


 同じく目に痛い赤のバンドTシャツを大林が指摘する。

 二人が着ているTシャツは、少なくともイベントでもない限り着る勇気の出ないようなデザインだった。


「バレた? そうなんだよ。どうせ適当に着るなら、折角ならラッキーカラーにしようかなって思っちゃって」

「分かる分かる、俺もそんな感じ」

「そういえば今日は運命の人に出逢えるらしい」

「それ信じてるの? と言いたいとこだが、実は俺も。ちょっぴり期待しちゃうよな」


 ちょっぴりどころではなく多大な期待を抱き、意気揚々とラッキーアイテムを着込んで時計塔喫茶を探してやって来た若者達は「ハハハハハハ! ……ハァ」と乾いた笑いでは吹き飛ばせなかった憂鬱をため息で吐き出した。


 再び沈黙に包まれるかと思われた空間に、ふいに電子音が鳴り響く。


 大林の携帯端末が着信を告げる音だった。


「ごめん、電話だ」


 断りを入れ、大林は席を立ちフロアの隅まで歩いていった。


「はい、もしもーし。おーケンケン日曜ぶりじゃーん」


 親しい友人の声を聞き、沈んでいた大林の表情に明るさが戻る。

 小林はその後ろ姿をなんとなく眺めながら、冷めてきた珈琲に手を伸ばした。


「どうしたの。うん、うん。この前の合コン? あー可愛い子揃ってたよなー。でもあの半分は俺が頑張って集めたんだぜ。感謝しろ。え、アユミちゃん? 覚えてるよ。めっちゃ可愛かったもん。覚えてる覚えてる。アユミちゃんさ、この前偶然サッカー試合観に来てたみたいで、俺がゴール決めるとこ観てたんだって! カッコよかったってメール来たの。よせよ、別にそんなんじゃねぇって。好きじゃねぇって。違うってそんなんじゃねぇって。それで、アユミちゃんがどうかしたの? ……電話番号? 知ってるけど……え、知りたい? ……あー、うん、いや別に嫌じゃねぇよ、でもそういうのって勝手に教えていいのかなって……、教える約束してたけどうっかり忘れてたって? あそう、ならいいけど、それっていつだよ。合コンであんまり話してなかったように見えたけど……えっ、お前もサッカーの試合来てた? アユミちゃんと二人で? へー……いつの間に……あ、メアド? おう、送る送る。いや、気にすんなって! 俺別になんとも思ってねぇし! あの中だったらミカちゃんがタイプだし! え、ミカちゃん慎吾と付き合い始めたの? へー、ふーんそう、いや別に気にしてねぇから。いいよいいよ別に、俺主催の合コンで俺以外の奴ら全員彼女できて俺だけフリーでも気にしねぇから、本当、いや、盛り上がったんなら良かった。じゃあ後でアドレス送っておくよ。おう、おう」


 動揺にフロアをうろつきまわり、限界まで高まった声のトーンも掠れきる。

 早々に会話を切り上げた大林は通話終了ボタンを押すや否や……。


「お幸せにぃ!!」


 掠れた悲鳴をあげながら床に崩れ落ちた。

 携帯端末を握りしめたまま、それ以上言葉も出ずに神に祈るかのように天を仰ぐ大林。

 そんな彼を見かねて小林が立ち上がり、そっと傍にしゃがみ込む。


「これハンカチ」

「別に俺泣いてないから」


 鼻を啜りながら差し出されたハンカチを払いのける。

 それでも小林が「使えよ」と温かい笑顔を向けてくるので、今度は礼を言い素直にそれを受け取って、湿った目元を拭った。


「俺、自分のこういう役回り嫌いじゃないんだ。皆が楽しくワイワイやってくれるならやったかいがあるし。本当だぜ。この涙は自然に出てくるだけで。ちょっと悔しかっただけで。ムードメーカーは好きでやってんだ!」

「分かる、分かるよ」


 青春めいた若者同士の暑苦しい抱擁に、「何この雰囲気キモチワルッ」と仕向けた張本人が鳥肌の立った己の身体を抱きしめる。


 ――見苦しい光景は、流行りのバンド音楽によって遮られた。


 どうやら今度は小林の携帯端末が着信したらしい。


「すまん、俺も電話だ。うちのベース」


 画面に表示された名前を大林に見せ、フロアの隅に歩いてゆく。


「もしもし? おうお疲れ。ライブ会場が決まった? やった。どこで? まじ? スゲーじゃん」


 取り残された大林は、自分の席に戻り珈琲を飲んで気を落ち着けながら、小林の後ろ姿を眺めた。


「どうしてそんな場所取れたんだよ。コネクション? そんなの無いだろ。キヨコが? どうして今更……言っただろ、先月別れたって。全く連絡取ってないよ、へぇ、でもそっか、あいつそんな気の利いたことしてくれたのか。お礼言っておくよ。なんでだよ、自分で言うよ。いいよ伝えなくて。俺がメールした方が早いだろ。隣にいるから直接伝えた方が早い? ……じゃあサンキューって言っておいて。あ、伝えた? うん、ありがとう。っていうか、え? なんでキヨコがお前の隣にいんの? 決まったライブ会場で打ち合わせしてるとか。自宅? キヨコの? へー、なんでお前がキヨコの家にわざわざ……お礼? それでどうしてキヨコの家に行くことに。来てくれって言われた? 寂しいから? 一人じゃ眠れない? あーキヨコは寂しがりやなとこあるからな。でもキヨコのベッドにはアレだ、俺があげた羊の抱き枕があるから平気だろ。だから帰れよ。なんもない? いやいや、よく探せよ。なんもないことないって、よく探せよ、よく探せってえええ! 捨てたって言ってる? あそう。それにしてもお前、いくらお礼の為とはいえ親しくもない女の家に押しかけるのはどうかと思……よく来る? いつから。三ヶ月前って、まだ俺とキヨコが付き合ってた頃じゃん。相談によく乗ってた? なんの? 聞かない方がいい? あそう、そう言うならそうするけど……。あのさ、今から俺もキヨコに礼言いに行った方がいいかな? いらない? 俺の分までたっぷりお礼しておく? ……うん、うん、よろしく、じゃあ」


 通話終了ボタンを押そうとする指が的を外し、何度か空気を押す。

 ようやく終了ボタンを押せた小林は遠い目をして足元をふらつかせた。


「これ、タオルしかないけど……」


 スポーツバッグからタオルを取り出した大林が、恐る恐るタオルを差し出す。


「いらないよそんなもん」


 小林はタオルを押し返した。

 その足は生まれたての小鹿のように震えておぼつかない。


「そんなに震えているのにか」

「これは寒くて震えてんだ、泣いてんじゃねぇ!!」


 北極でもそんなに震えないのではという程にがたがた身体を小刻みに揺らす小林は、纏う赤いTシャツの首元を引っ張って主張した。

 本当のところ一体どっちの意味で震えているのか、小林にしか分からない。だが目元に滲んだ涙を見る限り、恐らく大林の予想が当たりだろう。

 しかし傷ついた友にそれを指摘するような大林ではなかった。

 大林は押し返されたタオルを小林の首元に無理矢理かける。


「それじゃあこのタオルで暖をとってくれ! なんなら俺で暖を……」

「ベースなんかより、歌ってギター弾けるヒロポンの方がかっこいいって言ってたのに! ぐうう、身体より心が寒い……!」


 広げた両腕のやり場を失くした大林が、タオルを噛む小林の背を優しく叩き「分かる、分かるとも」と大袈裟な程に何度も頷く。


「別にバンドのボーカルやってる限りモテっし! 気にしねぇし! 今回たまたまツイてないだけで、結構うまくやってるし。元ファンが一人ベースに盗られたところで問題なんてない。確かに俺は人気取りの為にバンドやってるし、女の子にモテたくてエグゾイルの歌も練習してる。でもそれのおかげで楽しくやってるんだ!」

「分かるとも。ヲンピースだって確かに話についてゆく為に読み始めたが、面白かったし、お蔭で話題に困ったりしない。動機は不純かもしれないが、役に立っているし、こんな自分が嫌いじゃあないんだ!」


 涙ぐんだ青年たちが再び熱い抱擁を交わし、互いの傷を慰め合う。

「そうだとも。だから」と鼻水を啜り、彼らは一斉にカウンターへと振り返った。


「「俺たちを哀れんだ目で見るのはやめろ、そこの女!!」」

「かわいそう」

「かわいそうとか言うな!」


 シェイクスピア四大悲劇でも感激しているかのような表情の女に彼らは咆える。

 追撃の悲劇の人生を哀れむ感想に、小林が怒鳴った。

 己の境遇を認めない男たちに、シェリは表情を冷淡なものに戻し、わざとらしく鼻を鳴らす。


「ハン。人気者になりたくて虚勢張って、結局狙っていた女の子を友人に奪われている男の姿を見て哀れむ以外に何をしろと」


 遠慮も容赦もなく炸裂するマシンガントークの弾丸に若者達は今にも倒れ込みそうである。

 耐性の無いうちはそうなるよな、と店主は昔の自分を思い出す。あの頃は彼女の一言一言に泣きそうになったものだ。

 目に見えない大ダメージを負った大林と小林だが彼らは足の裏に力を込め、なんとか踏みとどまっていた。


「それは誤解だ! 俺は虚勢なんて張っていない。無理をしているかと言われれば、ちょっぴりはしているが、でも大きな無理をしているんではない!」

「友人は多いし、自分が馬鹿を振る舞えば周りも俺も楽しくなるしな」

「そうだよな。俺はこんなムードメーカーな自分が嫌いじゃないぜ!」

「ああ、そうだとも。俺は人気者な自分が好きだー!!」


 これほど自分のことを分かってくれる者はいないと、本日三度目の熱い抱擁。


 だが、どことなくギスギスしだした若者の雰囲気に店主は首を傾げた。


 表には出さないようにしているようなので、一見すると仲の良い友人に見えるのだが、意見が同意すれば同意する程、少し嫌そうな様子になってゆくのだ。

 一体どこに不機嫌になる原因があるのか分からない店主は、シェリにそれを尋ねてみる。シェリは迷うことなく答えた。


「同族嫌悪よ。人間ってのは、同じような人を前にすると嫌悪感が沸く生き物なのよ。自分を見ているようで、不愉快になるの」

「はあ、成程。でもどうして自分を見ると嫌な気持ちになるっていうの」


「そんなの簡単。それはね、誰もが自分は特別でいたいからよ」



『特別コーナー他者紹介タァーイム!』



 唐突にウンメイカーが発動した。


 仮面男と仮面女が現れ、重低音が響き、スポットライトが光る。歓声があがり、大量のモニターが空間を流れてゆく。

 イベントの開始に盛り上がる視聴者たちは、拍手喝采で小林と大林を迎えた。


 一体何故ウンメイカーが発動したのか分からない店主はシェリを見る。


 その目を見ただけで意図を汲み取ったシェリは「ウンメイカーは必要な時に自動発動する」と笑った。

 店主には分からないが、今が必要な時らしい。


 異様なステージに再び引きずり出された大林は「また出た」と嫌悪を浮かべ、百を超す暗闇の目玉を見渡した。

「他者紹介って?」と小林が仮面男に疑問を投げかける。


『簡単です。自己紹介の反対。他人に、あなた達がどんな人間なのか紹介して頂くコーナーです。人は誰しもが誰かの特別になりたい、そう願わずにはいられない生き物です。そんなあなたが今、周囲の人の中でどんな位置にいるのかまるっと分かるというわけです。ウヒョー、こわーい!』


「参ったな、俺のファンの子、きっとなかなか話し終わらないよ」

「俺だって友達多いし、男女問わず人気あるぜ」


 イベント内容を把握した若者たちは、これならば先程の失態はあるまいと機嫌を浮上させた。

 始まる前から鼻高々な様子で「君には負けないよ」「お前には負けないぜ」と宣戦布告をし合い、それぞれフロアの脇にある席に着いた。


 二人の間に火花が散る。


『緊張感も漂ってきたところで、早速参りましょう。〝ドキドキ、私ってどれくらい特別!? 教えて他者紹介!〟』 


 仮面のタイトルコールと共に、スポットライトがステージへと照らされた。

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