実験一日目 その4


『ハーイ! ではここで自己紹介タイムに入りましょう!』


 寂れた喫茶店から突如、未来のショーステージへと外観が変化した場で、どこからともなく現れた仮面男は、弾かれるように動き出した。

 仮面の下にある唇は限界まで吊り上がり、道化の笑みを浮かべている。

 司会進行を務める仮面の声は、マイクを通したように反響してゆく。

 続いて仮面女も、バラエティ番組の司会者顔負けのテンションで動き喋りだした。


『不確かな運命を確かにする為、嘘は一切禁止とさせて頂きます!』

『リスナーはあなた、あなた、あなた、そしてあなた。今この場にいる全員の人!

 この二人がどんな人間なのかじっくり知って頂きましょう!』


 司会者の言葉に、わっとモニターに映る仮面達が歓声を上げる。

 その声は店内に響き渡り、白百合と郷之丸は目に見えて焦りだした。


「ちょっと待って。誰なのこの人達」

『彼らは街中を歩く人々です。今回あなた達のたちに、精神の一部だけをゲストとしてこの場にお招きした次第です』


 仮面男の言葉に店主までも驚いた。

 今周囲のモニターに映る数え切れない仮面の人々は、この街で生きている人間の精神なのだ。

 脳をクラッキングされている自覚こそないが、作り物ではない本物の人間が観客として用意されたのには間違いない。


「こんなにたくさんの人に聞かれるの?」


『もちろん! 自分がどんな人間かってのは、より多くの人に知ってもらうべきです。周りの人はカボチャとでも思っていて下さい。大事なのは運命の人、それだけでしょ?』


 仮面女が可愛らしく唇を尖らせる。


『真実を隠してちゃ生まれる愛も生まれません。誰かに好きになって欲しいなら、自分の全てを曝け出さないと!』


 バレエダンサーの如く、二人で決めポーズを取る司会者の仮面。


「全てじゃなきゃ駄目なの?」

『あれれ、何か不都合でも?』

「え、あ、いや」

『人に知られると困ることでも?』


 仮面男と仮面女は、戸惑う郷之丸と白百合に不気味な笑みを浮かべながら詰め寄る。その問いに、女たちは咄嗟に「いいえ! そんなものありません!」と叫んだ。


「良い女に知られて困ることなんてなんにもないわ」

「私は駄目女だけど、だからこそこれ以上知られて困ることもない」


 ぐっと足を踏ん張って前を見据える郷之丸。

 動揺を捨て去ろうと深呼吸をする白百合。

 覚悟の決まった女たちの表情を見て、仮面男はぴょんと飛び上がり、くるりと回った。


『オーケー! じゃあいってみましょう! 〝自己紹介タァ~イム!〟まずは郷之丸真里さんから~』


 仮面男が人差し指を郷之丸に向ける。

 すると郷之丸の身体は、まるで魔法に操られているかのようにフロア中央へと押し出された。同じように白百合は、店内の椅子に強制的に座らされてしまう。

 スタンドマイクが登場し、郷之丸は周囲に流れるモニターを見上げると、愛らしい笑顔を浮かべて自己紹介を始めた。


「郷之丸真里です。先月二十歳になりました。郷之丸財閥の跡継ぎです。通っているのはあの名門聖ロドリゲス女子学院。友達はたくさんいるけど、恋人はいません。運命の人に逢いたくてここに来ました」


『はいもっと詳しく!』

「詳しく?」


 完璧な自己紹介をしたと思った郷之丸だが、仮面男に笑顔で続きを要求される。


『良い女なんでしょ? そんなんじゃあまだまだ』


 モニターに映る仮面達が期待に満ちた表情で自分を見つめていると知った郷之丸は、慌ててマイクに向かってまた喋りだした。


「えっと、変わった名前だけどチャームポイントだと思っています。可愛い服を着るのが好きです。ゆくゆくは財閥を担わなきゃいけない身なので今は勉強を頑張っています。お酒は苦手であまり飲めないです。友達の人数は数えきれないかな。アドレス帳も友達の名前ばかりで、データの容量が食われちゃって食われちゃって。あ、ちなみに元カレのアドレスは消しています。見ると胸が切なくなっちゃうから」


 可憐な表情を浮かべる郷之丸。

 だが再び仮面男が『はいもっと本音で!』と口を挟んだ。

 その言葉に心外とばかりに「本音ですけど」と郷之丸が口元を一瞬引き攣らせる。

 仮面男は美少女の不機嫌な様子に動揺もせず、笑んだままだ。


『もっともーっと深いとこにあるホ・ン・ネ』

「そんなもの」


 あるわけがない、という言葉は続かなかった。

 仮面男の人差し指が郷之丸の口元へと向けられる。


『はい、どうぞ!』


 高らかな男の声と共に、郷之丸は腹の底に溜っていたもやが、濁流のようにこみあげてくるのを感じた。

 微笑みを浮かべていた顔が引き攣り、目は吊り上がって、恐ろしい嘲笑へと変わってゆく。

 止める暇もなく、唇から叫び声が溢れだした。


「こんなごっつい名前大嫌いよ!! 可愛い服が好きなのは、それを着るともっと可愛くなれるから! お酒は大好きだけど、イメージと違うから弱いってことにしてるだけ! 財閥の跡を継げばお金使いたい放題で、なんでも欲しい物が買えちゃうわ! お金さえあれば友達だって腐る程できちゃうの! 元カレのアドレスを消すのは、元カレの数は友達よりうんと多くて、いちいち登録していたら容量が満タンになっちゃうから~!! …………あっ」


 ワンワンとステージ中に、彼女の本当の声は反響していった。

 我に返り、郷之丸は周囲を見回す。

 店主を始めとし司会の仮面、モニターに映る仮面たちが、信じられないものを見るように彼女を見ていた。

「うわぁ……」と店主が零し、司会者達はひそひそと話し、視聴者達は郷之丸に冷たい闇の視線を向ける。

 ただ一人、シェリだけが、郷之丸の引き出された本音に薄ら笑いを浮かべていた。


「へぇ~。良い女、ね」


 白百合の言葉に、郷之丸の顔から一気に血の気が引いてゆく。


「違うんです。今のはちょっと口が滑ったっていうか」


 郷之丸は震える声でなんとかまたあの愛らしい笑みを浮かべようとした。

 だが一度剥がれた仮面が、顔に貼りつかない。


『はーい、郷之丸真里さん! 最高に最低な自己紹介、ありがとうございましたー!』


「ちょっと待って!」


 取り繕うとする郷之丸は、仮面男の人差し指に操られ無理やり椅子に座らされた。

 そして今度は白百合が、仮面女の指によってスタンドマイクへと押し出される。


『続きまして白百合アリスさんの自己紹介タイム! あれ、どうしたんですか? 怖気づいたんですか?』


「まさか! 私はいつも自分を曝け出している。あんな裏側なんて無いんだから」


 青ざめて椅子に座っている郷之丸を見て、既に顔色が僅かに白い白百合は、自分を奮い立たせるように大声を出した。

 その虚勢に仮面女はにんまりと笑い、ぴょんと跳ねて、くるりと回る。


『そうと聞いて安心しました。ではいってみましょーう!』

「白百合アリスです。年齢は……二十五」

『ブー! 嘘は禁止』


 嘘が通用しないのは本当らしい。

 白百合は舌打ちをした。


「二十九。どこにでもある一般家庭で生まれ育ちました。三流大学卒業後、フリーターやってます。趣味は漫画読んだりアニメ観たり。友達は少ないし、彼氏は……いたことないです」


 自暴自棄な自己紹介に、『それだけ?』と仮面女が笑みを深める。


「それだけって」

『あまりにも短すぎじゃないですか? もっと詳しく!』


 促され、白百合は仮面達の期待の視線に曝されながら、再びマイクに向けて話し出す。


「白百合アリスって名前は私に似合わないから気に入ってない。少女漫画が好きな母の影響でこんな名前。でも少女漫画好きは私も同じかな。友達と遊んでいるよりは家で漫画を読んでいる方が良い。こんな自分が好きじゃありません。だからこそ今日ここに来ました。運命の人が私を変えてくれると思って」


 照れくさそうに頬を掻く白百合に、『はいもっと本音で!』と仮面女が更に続きを促した。


「本音なんだけど」

『もっともーっと深いところにあるホ・ン・ネ』

「そんなの言えるわけ」

『はい、どうぞ!』


 高らかな女の声を合図に、彼女の奥底に黒い蓋で閉じ込められていた砂糖菓子のような夢が溢れだしてゆく。

 卑屈に歪んでいた眼鏡の奥の瞳が輝き、胸の鼓動が上がり、彼女の顔は、郷之丸以上に幼い少女のように華やいだ。


「本当は少女漫画みたいな日常が来るのをずっとずっと待っているの! 王子様みたいにかっこいい男の人に取り合いされちゃったり、石油王に一目惚れされて連れ去られちゃったり。そういう時、働いていたりしたら家を離れづらいでしょ。だから就職しないでフリーターやりながら運命の相手が来るのをずっと待っていたってわけ。そういえばあんた、財閥の跡継ぎなんだっけ。こりゃシンデレラドリームが叶う日も近いかなー! キャハ♡ …………あっ」


 郷之丸と同じように全てを吐露した白百合は、はっと我に返った。

 くすくすと笑う仮面たち、頬を引き攣らせる店主。

 そしてやはりシェリは、曝け出された女の本性に笑みを浮かべている。


「今どき小学生だってそんな夢見ないよ……」


 おとぎの国の住人の格好をした郷之丸でさえ、白百合の夢物語を嘲った。


「ち、違う違う、今のは」


 羞恥に血液が沸騰しそうだ。

 だが周りの自分を見る目を認識すると、今度は絶望に貧血を起こしそうになる。

 仮面の剥がれた素顔を赤くしたり青くしたりして、自分を取り囲むモニターを見上げ、振り返って白百合は騒ぐ。


『はーい、白百合アリスさん。夢に満ちた素敵な自己紹介ありがとうございました!』


 歓声、嘲笑、乾いた拍手の音。

 女たちの曝された素顔が囃し立てられる。


 ――やがてそれらは重低音と共に薄れ消え去ってゆき、異常なショー会場が寂れた時計塔喫茶へと姿を戻していった。


 しっとりとしたピアノの音階が、風のように四人の間を滑りぬけてゆく。

 どこか哀愁の漂うその曲は、呆然と立ち尽くしている女達によく似合っていた。


 燃え盛る炎が水を被ってあっという間に鎮火した様子に、店主は恐る恐る口を開く。


「あー……どうでした?」

「嫌いです」


 郷之丸が泥を吐き出すように言った。

 花弁を失い、ただ棘だらけの存在になった薔薇は、消え去った甘い香りに声を静める。


「大嫌いよ」


 虚勢の仮面を剥がされた白百合は、強がる力を失くした掠れる声を漏らした。

 憎しみを宿した二人の女の瞳が、鋭く睨み合う。


「ますます嫌いになりました」

「たぶん、これ以上嫌いになれないな」


 鉛のついた足を引きずり、郷之丸と白百合はそれぞれ元の席に重い腰を下ろした。

 顔は合わさず、うつむき、あれだけ賑やかだった会話も無く、今や口を開こうともしない。

 それでも二人に帰り支度をする様子はなかった。


「それなのに、なんで帰らないの?」


 カウンター席に座り、女たちの本性の告白から今に至るまでを黙って見守っていたシェリが、ふいに口を開く。

 たった一言の問いだが、そこに含まれた深い意味に二人は気づいた。


 ――何故あなたたちは帰らないのか。ただ席に座っているだけ。話しもせず、目も合わさず。落ち込むのなら家でだってできるだろうに。


 シェリの言葉に、その通りだと女たちは思う。


 仮面を剥がされ、先も見えないというのに、何故まだ自分達はこの席から離れたくないのか。

 答えの出ない二人に、シェリが再び問いかけた。


「なんで? どうして?」


 二人の視線は一瞬宙を彷徨うが、すぐさま瞳に怯えの色を宿して伏せられてしまう。

 考えようとすると、まるで二度と這いあがれない落とし穴に落ちてしまいそうで、無意識に思考を中断してしまうのだ。


 口を揃え「分からない」と零せば、シェリがゆっくりと目を閉じた。


「自分のことも分からないようじゃ、どうしようもないな」


 呆れ果てた、突き放す声。

 これ以上の進展は望めそうもないと、ノートパソコンを両手で丁寧に閉じる。


「そんなんじゃいつまで経っても、運命の人なんて現れない」


 シェリの言葉を、女たちは顔も上げられずに聞いていた。

 カウンターの裏に設置したメモリーキューブを外し、紙クズのようにゴミ箱に放り投げる。

 シェリはカウンターに代金を置くと「帰る」と素っ気ない声で言い放った。

 まさかこの状況で退散するのかと、店主は驚く。


「今日はちょっとしたミスで証明できなかったけど、明日は絶対に成功させてみせるから、もう一度チャンスをちょうだい」


 普段は冷淡な女の瞳に強い意志が宿っていた。

 単調な声にも真剣さが垣間見える。

 真っ直ぐな姿勢でヒールを鳴らし去ってゆくシェリの背に「どうして君はそんなにこだわるんだい」と思わず店主は問いかけた。

 扉の前で立ち止まり、くるりと振り返ったシェリははっきりと答える。


「どうしても証明したいから」


 理由にもならない理由だったが、あえて彼女がそう言っているのは店主にも理解できた。

 今度は引き止める暇もなく、二人の女を巻き込んだ張本人は颯爽と去ってしまった。


 ――強い意志を持った女だが、相変わらず何を考えているのかは分からない。


 窓の向こうに消えてゆく金色の髪を見送り、店主は南側の席へと視線を戻す。

 郷之丸と白百合は、先程から微動だにせず背を丸めたままだ。


「……なんで帰らないの」

「さあ。そっちこそ、なんで帰らないんですか」

「さあ、本当になんでだろう」


 シェリに向けられた疑問を、互いに再びぶつけ合う。

 跳ね返す気力もなく、受け止める勇気もなかった。


「私のこと嫌いなんでしょう」

「超嫌い」

「私も超嫌い」


 低く掠れた声に力はなかったが、女たちにとってそれは鋭い刃だった。

 互いの言葉に深く傷つき、小さく息を呑む。白百合が自棄に言い放った。


「じゃあ帰れば」

「……帰らないです」


 震える声で郷之丸は小さく首を横に振る。


 女たちは結局その席から離れなかった。

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