実験一日目 その3

 少女と女性の距離が(物理的に)近くなっているとは梅雨知らず、店主はすごすごと店の奥からカウンターへと戻ってきた。

 シェリにトイレへと逃げ込まれた店主は、まさかトイレの中まで追いかけることもできず、一時撤退するしかなかったのである。


「暫くひきこもるつもりだな……勝手なんだから……。え、うわ、えっ、なんで……?」


 店主は南側の席に再び二人の女が座っているのに気づくと、ぎょっとして思わずカウンターの中に身を潜ませた。


 すっかり冷めたエスプレッソをちびちびと飲む少女と、只でさえ甘いロイヤルメープルミルクティーに更に砂糖を何杯も投入している女性。

 二人とも頬が引き攣って、瞳孔は僅かに開いていた。


 女たちの視線がかち合う。


「は、ははははは」


 掠れた笑い声が響き、二人はすぐさま視線を外した。


 ――もしや……仲良くなろうとしているのか……仕組まれた出会いとも知らず、相手が運命の人だと信じて……!


 悲しすぎる努力、そして滑稽なその姿。

 店主は思わず口元に手を当て、切なさに歯噛みした。


「それ、何を飲んでいるんですか?」


(明らかに場を繋ぐためのとりとめのない質問……!)


 少女の捻りだした本日の天気の話題に匹敵する問いに店主の目頭が熱くなる。

 しかし話題を振られ、これ幸いとばかりに女性は笑った。


「アイスメープルロイヤルミルクティー」

「へー」


 随分可愛らしい飲み物を飲む年上に、上っ面な相槌が零れる。

 すると女性は笑みを一瞬にして不貞腐れたものへと変えた。


「なに、甘いの好きじゃ悪い? どうせ似合わないわよ」

「そんなこと一言も言ってないじゃない。ちなみに私はエスプレッソ」

「へー。大人ね、その見た目で」

「いいじゃないですか別に。飲んでみます?」

「苦いの飲めないんで。飲むと気分悪くなるから」


 率直な物言いに加え、嫌悪に歪ませた顔を向けられた少女は「……ソウデスカ」となんとか言葉を絞り出して、カップを受け皿へ置いた。

 愛想よく笑った頬が引き攣り、微弱な痙攣を始める。


「まあ私も甘いの嫌いなんで。蟻じゃあるまいし。糖分とると何より太るし」


 女性の体系をちらりと見て、わざとらしく嘆きの表情を浮かべてみせる少女。


「なっ。……私は飲みますか、なんて聞いてないけど?」

「エスプレッソも飲めないなんて子供みた~い」

「甘いのが嫌いって女子力低くない?」

「その服装で女子力とか語られたくないんですけど!」


 ヒートアップする口論に、二人は思わず椅子から立ち上がる。

 しかし、目の前の相手が運命の人間である可能性がある事実を思い出すと「ぐぬぬぬ……!」と沸き上がる怒りを抑え、互いに思い切り顔を逸らした。


(落ち着け私、相手は私の運命の人……。女だけど、愛に性別なんて関係ないはず。そのうち絶対好きになれるって!)


 椅子の背もたれにしがみついた少女は、歯を食いしばり足をじたばたさせ、やり場のない怒りをなんとかよそへ追いやろうとしており。


(第一印象は最悪だけど、実は運命の人だったなんて展開は少女漫画にもよくあるんだし、最初はこういうもんよ。それにエスプレッソなんて大人っぽくていいじゃない。私、大人っぽい人がタイプなんだし!)


 女性は爪が皮膚に食い込む程に拳を握り、己に必死に無茶な暗示をかけていた。


 肺がいっぱいになるまで息を吸い込み気合を入れると、全力で笑顔を作った女達は再び向き合う。

 先に口を開いたのは、またも少女のほうだった。


「あの! こうして偶然同じ喫茶店に入って、偶然同じ席に座って、偶然出逢えたのも何かの縁ですし、もっとお話ししましょうよ!」


(これ以上ないほど偶然を強調してきた……!)

 

 駆け出しアイドルの芋芝居でも見守る気分の店主の気など知る由もなく、女性は相手の提案に笑顔のまま「ええ、是非」と大きく頷く。


「じゃあ、まずは名前! お名前はなんておっしゃるんですか?」


 その質問が出た途端、女性の表情が笑顔のまま凍りついた。


「……名前?」


 表情にそぐわない低い声は、明らかな戸惑いを含んでいる。

 女性の様子を見た少女は「ひょっとして、名前ないんですか?」と小首を傾げた。その無礼な問いに、女性は咄嗟に「あるわよ」とムキになって答えてしまう。


「じゃあ教えて下さい」

「名前とか別にいいじゃない」


 ――彼女、本当に仲良くなる気あるのか?


 カウンターから様子を見守っていた店主は、女性の不愛想な態度にそう思わずにはいられない。年下の方が相手に近づこうと努力している現状に呆れさえ覚えてしまう。

 魚心あれば水心というが、少女が魚だとしても女性は水にはならないらしい。


「名乗りたくない理由でもあるんですか? あ、実は指名手配犯とか」

「違う! ただ、ちょっと……あんまり自分の名前が好きじゃなくて」


 わざとらしいすっとぼけた質問に怒鳴りつけたものの、女性は張った肩を落として俯く。

 年上の告白を聞いた少女は、「……そうなんですか」と今まで出していた愛らしい声より、やや暗い音を零した。


「本当に偶然ですね。実は私も自分の名前が好きじゃないんです」


 無理に話を合わせるのでなく、心の底からの言葉。

 わざとらしかった笑顔が自然な苦笑いに変わり、大きな瞳が真っ直ぐに相手を見つめた。


「でも、名乗らないことには始まらないじゃないですか。だから、ね」


 穏やかな、彼女の本当の声が優しく促す。

 女性はそれを聞いて、何度か小さく頷いた。少女もそれを見て、うんうんと頷く。一呼吸おいて、女性が小さく口を開いた。


「……り、……ス」

「はい?」


 あまりにも小さく濁した声のせいで全く聞き取れなかった少女は、思わず声をあげて聞き返してしまう。

 女性も聞き取られないのは分かっていた。むしろ聞き取らないで欲しくて、あれだけ小さな声を出したわけで。かといって、それで済むとも思っていない。

 ただの悪足掻きが、やっぱり通用しないことを悟ると、観念して今度ははっきりと名乗った。


「私の名前は、白百合しらゆりアリス」


 流れるジャズ音楽さえ消えたのでは、と錯覚するほどに気まずい静寂が店内に落ちた。

 上手く聞き取れなかっただけかと思いたい。

 だが、一言一句綺麗に聞き取れたように思う。

 少女は探るようにゆっくりと、聞こえた名前を反復した。


「……白百合アリス」

「白百合アリス」


 女性――白百合アリス――が、間違っていないとばかりに、また一言一句はっきり丁寧に繰り返した。


「芸名!」

「本名だよ!」


 成程! と手を打つ少女に、白百合は咆える。


 ――似合わねええええ!


 おとぎ話にでも出てきそうな現実味の無い名前に、店主はカウンターの中でこっそり引いていた。見つかったら怒鳴り声の一つでも飛んできそうである。

 白百合の名が紛れもない本名だと知った少女は、失言を挽回する為に再び笑顔を浮かべた。


「可愛い名前! 私もそんな可愛い名前が良かったな」


 少女の言葉に、白百合は「そ、そう?」と満更でも無さそうに頬を緩める。


「本当、名は体を表すってことわざって嘘だなって思いますね」

「ああ?」

「あ、白百合さんだけじゃなくて、私の名前のこともです。私、も」


 ――そのフォローの仕方は間違っているでしょ。


 天然なのかわざとなのか判断のつかない少女の言動に、店主はハラハラさせられた。

 一瞬浮かべた嬉しそうな表情を消し去った白百合は「じゃあその名前をさっさと教えなさいよ」と少女に名乗るように迫る。

 今度は少女が一瞬動きを止めた。

 だがこの流れから名乗らないわけにもいかないので、白百合よりは幾分か潔く、己の名を名乗った。


「……郷之丸真里ごうのまるまさと


 しん、とまたも店内が静まり返る。


 店内音楽はひょっとすると本当に止まっているのではないか。

 そう思わせる程の気まずさ。

 想像以上の名前に、からかってやろうと思っていた白百合さえも黙り込んでいる。


 少女――郷之丸真里――は、遠い目をして自嘲の笑みを浮かべる。


「郷之丸真里……ちなみに、芸名でもペンネームでもなく本名ですから」


 ――似合わねえええええ!


 あんなに愛らしい美少女が、そんなごっつい名前だなんて! 店主はカウンターの中で、哀れな女たちに心底同情した。


「かっ、かっこいい名前でいいじゃない! 私もそんな名前が良かったわ!」

「交換できるものならしたいものですね」

「そうねぇ、本当」


 同じ境遇に親近感を覚えたのか、和やかな空気が南側の席を包みだす。

 ふふふ、と微笑み合う女達を見れば、店主も引き攣った顔の筋肉を自然と緩められた。

 互いの空気が和やかになったのを郷之丸自身も感じ取ったらしく、この調子で会話を続けようと新たに話題を振ってみる。


「えーっと、ありがちですけど、白百合さんのご職業は?」

「フリーター」

「ええっ、フリーター?」


 ぎょっとする郷之丸に、白百合は剣呑な目つきで「何よ、文句あんの」と唸る。


(だってフリーターって……ええー……運命の人がフリーター……)


 明らかにテンションの下がっている郷之丸。

 白百合は相手の態度にフンと鼻を鳴らし、開き直ったように胸を張った。


「どうせ私はこの歳にもなってフリーターの駄目女よ。そういうアンタは?」

「私はまだ大学二年生です」


 ころりと態度を変え、再び笑顔になる郷之丸。

 彼女が大学生と知り、白百合も店主も内心で驚く。

 服装のせいもあるだろうが、郷之丸はまさに〝少女〟といった風体をしており、成人一歩手前とは思えない容姿をしているのだ。


「ちなみに通っているのはセイントロドリゲス女子学院です」

「あの名門校の?」

「いやいやそんな言い過ぎですよ! 名門中の名門なんて! まあ事実ですけど」

「そこまで言ってないけど」

「私がそこの首席でも、こんなの大したことじゃないから言えないなぁ」


 ツインテールを指に巻きつけ、くるくると弄る郷之丸。

 白百合のこめかみが引き攣ったのに気づいているのか、いないのか。

 形の良い唇を忙しなく動かし喋りだす。


「よく言われるんです。私、コネクションで入学したんじゃないかって。ほら、私あの超有名な郷之丸財閥の家系だから、それでって。でも、そんなものに頼らなくたって十分頭良いし、受験なんて余裕だったのに。ま、有名財閥に生まれてしまったからには、こういう噂がついて回るのは仕方ないのかなって」

「へー」

「財産目当てで私に近づく男の人も多いんです。あ、でも、もちろん私のこの容姿や性格を好いて交際を申し込んでくれる人も後を絶たないんですよ。そこは誤解しないで下さいね!」

「へー」

「まあそうして色んな男の人に交際を申し込まれてきた私なのですが、この人だ! っていうのにはまだ出逢えたことがないんですよね。あ~あ、ツイてないなっ」

「へー」


 適当な相槌を打ち、白百合はアイスメープルロイヤルミルクティーをストローで音を立てて啜る。

 再び空気が重くなってきたと、店主は肝を冷やして郷之丸を見る。


「えーと、じゃあ休日は何をしているんですか? ちなみに私はお屋敷でゆっくり珈琲を飲みながら読書をしたり、ペットのフランソワと遊んだり、大学の課題をしたりして過ごすんです。お友達がたくさんいすぎて一緒に遊ぶ人を選ぶと贔屓だって皆が言うから仕方なく一人で過ごしているんです。人気者って大変ですよね。それから」

「私に喋らせる気あるの」


 話題を振っておきながら、立ち上がってフロアを踊るように歩き喋り続ける郷之丸に、痺れを切らした白百合が言う。

 その声にはっと郷之丸は言葉を止めて「ああ、どうぞ」と先を促した。

 満足げに頷いた白百合は、待っていたとばかりに嬉しそうに口を開く。


「大体家で漫画読んだりアニメ観たりしているかな」

「うわあ、ひきこもり」

「お前だって似たようなもんだろ!……いいじゃない、駄目人間万歳! 休日に好きなことをして何が悪いの。まあ、引きこもっていたくても友達に外に引っ張り出されるんだけどね。だから、なんだかんだ外で遊んでいる日も多いかも」

「へ、へえ。でも嫌なら嫌って言ったらいいじゃない」

「そこまで嫌じゃないし。本当に嫌だったとしても、私のことを考えてくれる相手にそうは言わないでしょ。友達ってそういうものじゃない?」


 友人との出来事でも思い返したのか、白百合は明るい表情で年下に同意を求める。

 年上の話に郷之丸は、視線を落としてエスプレッソに口をつけると「……ふーん」と返事にもならない返事をした。


「ふーんて。そっちから聞いておいて態度悪くない?」

「それじゃあ、今までの恋愛経験は?」


 白百合のペースになる前に、郷之丸がまた新たに質問を投げかける。


「そこそこ」

「なに、そこそこって」

「そこそこいた」

「恋人が」

「……好きな人が」

「じゃあ恋人がいたことは?」

「ないけど」

「うっわ」

「何ようっわって! その気になればいつだって作れたわよ、本当よ」


 取り繕おうとする白百合だが、動揺を見れば嘘だと見抜くのは簡単だ。

 だが郷之丸は彼女の恋愛経験など本当はどうでも良いのか、気にもせず自分の話へと切り替えてしまう。


「ちなみに私はひと月に一度は告白されます。初恋は小学二年の時の同級生の坂田君。野球が得意でイケメンで。向こうから告白してくれたからオーケーしたけど、家柄の違いにより生じた価値観の違いで半年後にはサヨナラしちゃった」

「へー、へー、へー」


 先ほどから、ちなみにちなみにと繰り返される郷之丸の言葉。

 ちなみにの癖して随分長い補足がつくものだ。鼻高々な年下の様子に、白百合の心ない返答にも拍車がかかる。


「なんですか、さっきから。へーって」


 気持ちよく一人で語っていた郷之丸も、さすがに白百合のへー三連発は見過ごせなかったようだ。自慢げな顔をみるみる顰め、じっとりと相手を睨みつける。


「へーって思ったからへーって言ってんのよ。何か悪いの」

「どうしてそんなに卑屈なんですか」

「そっちこそ、なんでそんなに自信過剰でいられるのか不思議だわ」

「なんか」

「なによ」

「白百合さんの一言一言が、こう、イラっとくるんですよね」

「ああ?」

「癪に障るっていうか」


 白百合の態度に我慢ならなくなったのか、郷之丸からも喧嘩をしかける言葉が吐き出された。

 郷之丸は歩み寄ろうと努力していたというのに、年上の癖に大人げない白百合の態度はいい加減頭にくる。

 明らかな宣戦布告に白百合も椅子から立ち上がり、二人はフロアで真正面から睨み合った。


「そりゃ偶然。私もあんたの言動にイライラしてたんだよ!」

「絶望的に気が合わない! やっぱりあの占い当たってないのかも」

「え? 占いって」

「わああああああああああああああああ!!!!」


 突如響き渡った男の絶叫に、女たちは思わず飛びあがった。


 二人の間には、カウンターから転がり出てきた店主の姿。


 咄嗟に前に出された腕は、行き場を失くしてゆっくり下がってゆく。

 それと同時に、上がっていた声も「ああぁぁ……」と静かに消えていった。


「…………」

「…………」

「…………」


 店主の背中を、冷や汗がつたう。

 仕組まれた出逢いだとバレてしまうと反射的に飛び出してきてしまったが、一体この状況をどうすれば良いのか。

 驚きに身を引いたままの女たちは、物凄い形相で店主を凝視している。

 ……突如奇声をあげて割り込まれれば、そうなるのは当たり前だった。


「あ、えっと……う、運命を感じる……! お二人から運命の絆を感じるぞぉ!!」


 咄嗟の三文芝居である。

 女達は突然の介入に気を取られており、下手すぎる芝居も気づかず「突然なんなんですか」と白百合が訝しげに店主を睨んだ。


「実は僕、この時計塔喫茶を営みながら……えーと、占い師もやっておりまして。お二人からはとても強い運命を感じたんです!」

「占い師?」

「占いの師匠は……っていう最近有名な占い師なんですけど」


 もごもごと名前を誤魔化し、視線を彷徨わせる。

 だが容赦なく「え、今なんて?」と女達は耳を寄せ、占い師の名を聞き返してきた。


「……リ」

「え?」

「……ェリ」

「あ?」

「シェリッ」


 こんな状況でも嘘をつけない馬鹿真面目な店主は、小さく早口で偽占い師の名を告げる。

 だが、その音の響きだけを聞き取ったらしい郷之丸が「ツェリですか!」と、本物の名を喜んで叫んだ。白百合の顔も急激に輝く。

 店主は否定できなくなってしまい、「あーえーうんまあ」と濁しまくった返答をするしかない。


「運命を感じるんですか!」

「えーはい」

「私たちの間に!!」

「まあはい」


 ――やっぱり、この人は私の運命の人!


 男が自分たちと視線を合わせないことにも気づかず、郷之丸と白百合は互いを見つめ固唾を呑んだ。


(やめときゃ良かったかな。でもうちの店の評判を落とすわけには……)


 衝撃を受けた表情の女たちを見て、余計なことをしてしまったのではないかと店主は尻込みする。次の対策を考えつく前に、鬼気迫る表情の郷之丸に右腕をぐいぐいと引っ張られ、身を屈ませられた。


「彼女を見ているとどうにもイライラして仕方がないんですけど、本当に運命の人なんですよね!?」

「え、はい」


 今度は白百合に左腕をぐいぐいと引っ張られ、反対に首を傾ける。これまた鬼気迫る表情の白百合が、念押しで確認を取った。


「あの子を見ているとどうにもムカムカして仕方ないんだけど、本当に運命の人なの!?」

「あ、はい」


「「でも現時点だと私、こいつのこと大嫌いなんですけど!! ……今なんて言った!!」」


 息ぴったりで相手を大嫌いだと叫んだ郷之丸と白百合は、互いの言葉を聞いて恐ろしい顔で睨みあう。互いの顔面の間は僅か数センチ、ヤンキーも驚きのメンチ切りだ。


(やっぱりやめときゃ良かった!)


 女のいがみ合いの恐さに、店主は早速後悔していた。

 だが口を出してしまったからには、なんとか場を収めるしかない。

 彼は勇気を出して二人の間に割り込んだ。


「まあまあ、お二人。和解の為にもここはもう少し冷静に話し合いましょう。お互いのどこがどうして嫌だなと思うのか教えて下さい。そこを改善しさえすれば」


「良い女気取りなとこ」

「駄目人間ひらき直ってるとこ」


「「ああん!?」」


 またも息ぴったり。

 ヒステリックに郷之丸が叫び、白百合が獣のように咆える。


「自分のこと駄目人間って認めているよりは百倍マシだと思うけどぉ!」

「背伸びして気取ってたらそれでいいのかよ!」


(……もう帰ってほしい)


 闘争心の炎が燃えあがる女たちに店主は心の中で涙しながら、止めようのない争いを外部から見守るしかなかった。と、そこで。


「あー、すっきりした」


 トイレに引きこもっていたシェリがなんともわざとらしい棒読みで、ノートパソコンを片手にフロアへ戻って来た。


「あ、いいところに」

「げ。まだ帰ってなかったの」


 互いが女同士だと気づけば早々に帰るだろうと踏んでいたシェリは、まさか未だに郷之丸と白百合が店内に留まっているとは思っていなかったようだ。

 それどころか明らかに悪化している状況に再びトイレへ引き返そうとするが、そうはさせるかと店主が彼女の腕を捕える。


「ご紹介します! この方こそ、最近噂の超有名占い師……ェリ様です!」

「は!?」


 女たちの前に引きずり出され、とんでもない紹介を受けたシェリは驚愕し店主を見上げた。

 有名占い師の登場に、女達は興奮と怒りで目を血走らせてシェリに詰め寄る。


「あなたがあの占い師ツェリですか!」

「私達、あなたの占いを見てこの店に運命の人を探しに来たんです。そうしたら目の前にいるのは女の人で、これってどういうことですか!」


 状況についてゆけず、魚のように口をはくはくと動かすシェリ。

 その耳元で店主が手早く状況説明をする。


「今君は占い師のツェリで、僕はその弟子ってことになっているから」

「ちょっと、何、どうなったらそうなるの」

「事の原因が一人で逃げたからこうなったの!」


 シェリの背中を軽く押し女達の前へと突きだして、店主はカウンターへと一目散に逃げる。

 シェリは鋭く店主を睨んだが、その目線を遮るように白百合が彼女に詰め寄った。


「まさかあなたの占い、インチキじゃないでしょうね」


 よそ見をしている占い師の目の前にまわった白百合は、頭からつま先まで舐めるようにシェリを観察する。

 確かに見た目は占い師と思えなくもないが、今のままの展開では実に疑わしい。

 事実インチキ占いだが、バレてなるものかとシェリは咄嗟の対応を試みる。


「とんでもない。私の占いのパワーは本物ですわ。お二人は運命の相手ですよ」


 歌劇団のようなセリフ回しに甲高い声。

 長い付き合いの店主ですら今まで見たことのない満面の笑み。

 見た目は良いだけに騙されそうだが、胡散臭さは増した気がする。


「何か証明できるものは?」

「へ」

「あなたの占いは本物だって証明して下さい」


 穴が開くのではと思う程に両側から見つめられ、シェリは一瞬言い淀むもすぐさま立て直し、満面の笑みを浮かべてそれぞれの手を取った。


「いいでしょう。手相を見せてもらってもよろしくて?」

「手相なんて統計学っていうじゃない。これで証明できるの?」

「私は正真正銘本物の占い師。運勢だけでなく名前も当てて見せましょう。ふむ、とっても変わったお名前をしてらっしゃいますね。えーと、あなたが白百合アリスで、あなたは郷之丸真里。違いますか」


 見事に二人の名前を当てたシェリは、ほほほほ、と歌劇めいた笑い声をあげながら、優雅にカウンター席に戻ってゆく。

 そして女たちが「当たっている、凄い、本物だ」と騒いで自分や互いの手相を夢中になって観察しだすのを見ると、なんとか乗りきれたと机に突っ伏した。


「どうして分かったの?」


 女たちが自己紹介をしていた時、彼女はトイレに引きこもっていたはずだ。壁は厚いし、フロアの声が聞こえるわけがないのだが。

 ノートパソコンを開きながら、シェリは店主の疑問に答える。


「プログラムを調べ直したのよ。郷之丸真里の男みたいなややこしい名前のせいでプログラムが誤作動を起こしたみたい」

「やっぱりトイレじゃなかったんじゃない」

「もはや後戻りできない状況になってきたわね。こうなったら例え女同士だろうと、あの二人には運命の相手になってもらうしかない」


 にやりと笑う女を見て、これは何やら企んでいる顔だと察知する。

 彼女がこういう笑みを浮かべる時は、大抵ろくなことにならないのだ。

 いまだに手相に夢中になっている女たちに、シェリは再び甲高い声をかけた。


「お二人! もう一度言います。あなた達は間違いなく運命の人。相手のことを全て受け入れ合える存在です。その為にはまず、お互いの本当の奥底まで知ってもらわなくちゃ」

「もう自己紹介は済んだわ」


 思い返すのも嫌だといわんばかりに白百合が吐き捨て、郷之丸も頷く。

 しかしシェリは、目を細めると、じっと女達を見つめて言った。



「そんなんじゃ足りない。もっと奥深いところまで知り合わなきゃ」



 蛇のような、まるで身体を這われ、脳に浸食したと思わせる声。

 それに呼応するかのように、カウンターの裏に隠されていたメモリーキューブが発動する。


「いきなり全てを話すのが難しくても大丈夫。があなた達を助けてくれるから」


 ウンメイカーの起動音が鳴り響いた。


 電子音楽が響き渡り、ズン、ズン、と重低音が空気を震わせる。

 オレンジの明かりに包まれた店内が、カラフルに色づき、前後左右全てに大量のバーチャルモニターが現れた。

 百を超す四角のモニターには次々と様々な人間が映る。

 そこに映る全ての人々目元が、仮面で彩られていた。

 ドーム状に現れたモニター映像は移動しながら入れ替わり、数えきれない闇の視線が郷之丸と白百合に向けられている。

 フロア中央には、初めに起動した際にも現れた仮面男と仮面女が現れた。

 直立不動で無表情。不気味な雰囲気を纏っている。

 脳にクラッキングをされた女たちは、この異様な状況に戸惑いもせず互いを見つめた。


「全てを話す?」

「なに、簡単よ」


(だって私は中身のない女だし)

(だって私は良い女だし)


 腹に抱える思いは違えど、全てを話すことなど造作も無いと胸を張る。

 そして二人は大きく息を吸った。


「「私のことを聞いて欲しいんだけど!」」


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