去る女

 その夜、宿で。鈴蘭から仕事の詳細を沙衛門達は聞いていた。

 ターゲットになる船を守っている、中心になる人物の数は彼女とその相棒が調べた所では残り四人。女が一人に男が三人のはず、と鈴蘭は言った。

 前もって探索にかかる必要経費の一部を預かっている彼女は、その中から沙衛門達に報酬を出すと告げた。


 特に反対意見も出なかったので、沙衛門達はあっさりとそれに一枚噛む事にした。ただ、雨代が嫌がるので千手丸の身体の秘密は伏せられたままであったが。

 故に、鈴蘭は千手丸の秘密については知らない。鈴蘭自身も自分の所属については、ほとんど語らなかった。


「一寸、名留羅さん」

 鈴蘭の新しく取った部屋に皆が集まっているので、自分達の部屋に雨代と名留羅はいた。

 雨代は正座し、名留羅は彼女を右にして寝転がり、頭の下で両手を組んで天井を見上げていた。

「ん?」

「『ん?』

じゃないわよ。よそで勝手に仕事引き受けて来て、困るじゃないの」

「さっきみんなで話を聞いて、ちゃんと正式に引き受けたでしょ。そりゃ勝手に引き受けて、怪我して来て悪かったな、とは思うけどさ。そんなに怒られちゃ話も出来ねえよ」

 うう、と雨代は不満そうにうめいて頬を膨らませたが、また口を開いた。

「千手丸の事、どう説明するのよ? それに

『豊臣に回る金塊を積んだ船を沈めろ』

って、どう考えてもこれってどっかの大名の回した仕事よ?

 そこまであの鈴蘭て人があっさり話してくれたのも何か引っ掛かるし。私、

『仕事が済んだ後、後ろからばっさり』

なんて絶対にイヤだからね?」

(お前はばっさりやられる身体じゃないだろう)

と、彼女の体質を思いながら、彼は言った。

「そん時ゃ、戴くもん戴いておさらばするだけでしょ? 今までにも何度かそういう仕事の終わり方はあったろうよ」

 何となく名留羅には彼女の言いたい事が分かっていたが、彼女に自分で言わせた方がすっきりするだろう、と思い、雨代が口にするのを待っていた。

「今回は一寸違うでしょ?」

「何がさ」

 名留羅は伺う様に横目で彼女を見た。

「そ、それはその……」

「何だかなあ。押し黙っちゃって可愛いの」

 無邪気に彼は微笑した。

「黙れ、このバカ……出て行ったと思ったら大怪我して……」

「だから、俺、謝ったでしょ?」

「あんな短筒で撃たれて、死んだらどうするのよ……」

 悲しげにまつげを揺らし、雨代は自分の太ももに両の拳を押し付けてうつむいた。名留羅はその拳にそっと掌を重ね、苦く微笑して呟いた。

「……悪かったよ」

「ばか」

 雨代は彼の胸にすがり付く様にして覆い被さった。その背に掌を載せる名留羅。

「よしよし。でもちゃんと帰って来たぞ? だから泣かなくてもいいでしょ?」

「うるさい、泣いてなんかいない……」

と言いつつ、彼女はしゃくりあげている様だった。

「と、

『友達が減っちゃ辛い』

って言ったの……名留羅さんでしょうが……」

「……そうだっけな」

 名留羅は彼女の背中をぽん、ぽん、と叩きながら、また苦く微笑んだ。


 少しして雨代は泣き止んだ。名留羅は重なったままの彼女の背をさすりながら、声をかけた。

「話、出来る様になった?」

「うん……」

「そっか、ならいっか。雨代、ほら、俺、怒らないから心配な事があるなら言ってみれ」

「……うん。心配なのは、その、さっき話した千手丸の事とか、それと……」

「それと?」

「名留羅さんが……あの人の事、好きなんじゃないかと思って……」

「うーん……千手丸の事は伏せたままにしとけばいいでしょ?ばれる時ゃばれるんだし。

 鈴蘭さんの事は……どうなるか分かんねえ」

「え……」

 不服そうに彼女は声を上げたが、何処かで様子を見るつもりだろうな、と名留羅は思った。

「じゃあ、好きな様にすれば?」

 雨代がそう言うと、名留羅はそれには答えず、ぼそりと言った。

「昔……良くしてくれた人がいてさ。その人に一寸感じが似てたんだよ」

 雨代が彼の胸から顔を上げ、名留羅の顎の辺りを見ながら訊ねた。

「それって、夜盗の首領になる前?」

 遠い記憶を手繰り寄せる様に、名留羅は天井を見上げたまま、眠そうに言った。

「ああ、それのずーっと……ずーっと前さ……」




 話の済んだ後、宿の外で。

 名留羅と鈴蘭は建物の壁に背を預け、月を見上げていた。

 頬杖をついていた名留羅が鈴蘭を見上げて口を開いた。

「そう言えば礼をまだ言っていなかったね。助けてもらってかたじけない」

「いえ、もう体の方は……?」

「ああ、何とか普通に。飯も食ったし、ヘロヘロさは一両日中には何とかなるでしょう。

 鈴蘭さんから仕事も貰ったし、これを片付ければ路銀の心配もねえってこった……」

「そうですね。でも……あのくノ一をよく片付けられましたね。

 フラフラだったのでしょう?」

「ああ、いや、あれは単純に上手く行っただけなのさ。何時いつも駄目元だからね。死んでてもおかしくなかった」

 ははは、と名留羅は恥ずかしげに頭をかきながら苦笑した。

「じゃあ、あなたの本当の実力はまだ分からないままなのですね。一寸残念……」

 月を眺める鈴蘭の横顔を見つめたまま、名留羅はぼそりと呟いた。

「あのさ……ひょっとしたら今しか出来ないかもしれない話をしてもいいかい?」

「……私に?」

「そう、鈴蘭さんに。言っておくけど……この話、ちゃんとするのはあんたが初めてだよ」

「それは興味深いこと」

 地べたに腰掛け、鈴蘭は彼の話に耳を傾けた……。


「あ、先に。俺、気を失っていた時、誰かの名前を呼んでなかった?」

「あ、ええ、確か

『お秋さん』

とか」

「ああ、やっぱりね」

「どなたなのですか?」

「あ、気になる?」

「だってよその女の方のお名前を呼びながら、私に抱き付いていたのですよ? 少なからず気にはなります」

「ああ、じゃあ尚更話さないとね。

……昔さ。俺がこんなけったいななりをしたり、こんな口の利き方をするずっと前。

 俺はある道場の次男として、毎日木刀を振ってた。それなりに名が知れてて、門下もいてさ。その頃、俺達の身の回りの世話をしてくれてる女の人がいたんだ……」



 その女はお秋といった。

 父が自分達の下女として、何処からか連れて来た女性で、道場にはすぐに馴染んだ。

 名留羅真夜はその頃、兄とどちらが道場を継ぐかで修行に明け暮れる毎日。母の顔を知らぬ彼にとって、お秋はその代わりの様に感じられた。


 名留羅の兄は如何なる運命のいたずらか、剣術方面の素質に弟より今一歩欠けていた。兄はそのせいか、弟には素っ気無く、時には苛立ちから来る冷酷ささえ露わにして彼に接した。

 それは時としてお秋にも向けられ、我関せずの父が当てにならないので名留羅がかばう形になり、それが兄弟の間の溝を深めて行く形になった。


 名留羅は素早い踏み込みから時には舞う様に、時には疾風の様に剣を振る。独特のリズムで一振りごとにスピードを変える彼の剣舞けんばいに付いて来れる者は道場にはほとんどおらず、時たま現れる道場破りの対応も何時しか父から彼に代わる様になった。


 剣術を志すものは全て、自分の剣一本で身を立てて名を上げ、ある者は真髄を極めるべくさすらい、ある者は大名に抱えられようと苦心していた時代。

 流派と流派がぶつかり合ってしのぎを削り、それを推し進める者、そしてそれに付いて行く者達もまつりごとに関わる者達の起こす流れの中に何時しか消えていく……そんな時代。


 そんな中で、名留羅は自分と、言うなればお秋のいる今の暮らしが何時までも平穏に続く事だけを願っていた。自給自足が基本であるし、弟子達の納める金のおかげで暮らしに不満はない。

 人づてに流派の名が知れて行き、道場の門を叩く弟子入り志願者が時々現れる。道場を続ける為にこのまま腕を上げ続けて行くのもいいが、他の流派の剣筋も見たい。何より色々な世界を見てみたい。

 二十歳を少し過ぎたばかりの彼は悩んでいた。




真夜しんや様」

 ある時、道場から離れた野原で頬杖をついて考え事をしていた名留羅は、不意にお秋に声をかけられた。振り返って彼はその姿を確認すると、微笑した。

「お秋さん。どうされたのですか?」

「いえ、ここ数日、あなた様がお悩みの様でしたので、気に留めていたのです。もし、私でよろしければ、お話し頂けませんか?」

 この人なら話してもいいか、と彼は思って、隣に座る様に勧めると、ひとつ息をついて口を開いた。

「ふむ、では。私が悩んでいるのは道場の行く末の事です。

 ご存知の通り、私は兄と仲が良くない。父の方は今度の手合わせで勝った方に道場を継がせるつもりの様ですが、正直私は気乗りしない。

 それより、私は何処かへ旅に出たいのです」

「旅に?」

「ええ。私はこの道場周りからほとんど出た事がない。よそに出かけた事が全くないとはいいませんがそれでも往復に時間がかかる程度で、何処かで羽根を伸ばしたりした覚えがない。

 私は……何の制限もなく、好きなだけ遠くを見て回りたくなったのです」

 ふと見上げれば、空を丁度よく鳥が飛んで行く。名留羅はそれを指差した。

「あの様に飛んで行けたらどれほど清々しいか、と私は思うのです、お秋さん」

「真夜様……」

 名留羅は、空を見上げたまま、何の他意もなく、こう言った。

「お秋さんは、もし私が

『遠くに行きたい』

と言ったら、付いて来てくれますか?」

 彼を見下ろしていたお秋は、くすっと笑って言った。

「……お寂しいのですね?」

 名留羅も笑った。

「そう、一人では寂しい。それにお秋さんの顔を見られなくなるのも辛い。だから……そうですね、お守をしてくれる人が必要かな、と思って」

「誰か……いい人はいらっしゃらないのですか?」

「あはは、毎日木刀を振って、暇な時にはこうしてぼーっと遠くを眺めてる私にそういう方はいませんよ。それにどうせなら気心の知れた方がそばにいてくれた方が落ち着きます」

 実際はあぜ道ですれ違う時とか、道場の入り口とかでうっとりと彼を眺める、近隣に住む村娘達が少なからずいたのだが、彼はそれをそういう視線とは気付いていなかった。

 お秋は確かめる様に訊ねた。

「そういうものですか」

「そういうものです」

「真夜様さえよろしければ、私は何処へでもお供させて頂きます」

 名留羅はそれを聞いて立ち上がると、明るい表情で声を弾ませつつ訊ねた。

「本当ですか?」

 お秋は優しく微笑んだ。

「ええ、身寄りのない私に真夜様は良くして下さいましたからね。それに真夜様のいない所は私にとっても寂しい所です」

「ありがとう! ははは、やった、お秋さんと一緒なんだ!!

 きっと楽しい旅になりますよ! 一緒にあちこち見て回りましょう」

「ええ、ええ。その際は道中よろしくお願い致します」

 お秋は深々とこうべを垂れた。

「いいえ、私の方こそ色々ご面倒をおかけするとは思いますが、何卒よろしく」

 若い名留羅は嬉しさを噛み締めつつも、母親の様にも、姉の様にも思っている、この年上の優しい女に、丁寧に頭を下げた。


 自分はこのお秋と何処か遠い所へ見聞を広めに旅立つのだ。

 海を見に行こう。

 山を見に行こう。

 何処か遠くの、知らない町並みや、人々の暮らしを見て回ろう。

 様々な困難や危険も、これまで体得して来た己の技と、お秋の優しさがあれば、きっと乗り越えて行ける。

 名留羅はその思いを胸に抱きながら、お秋の手をそっと取り、優しく握り締めた……。

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