短筒猿(たんづつざる)
「そいつらと……手を組んだか」
よろよろと立ち上がりながら、口元を歪めて不敵な微笑を浮かべ、名留羅は呟いた。
「利害が一時的に一致したのでな。あの女は何処じゃ」
大蛇は名留羅と一定の間合いを取って立ちながら訊ねた。
「へっ……あんた、くノ一だろ? 俺をぶっ倒して喋らせてみなよ……出来るもんならな」
「くたばり損ないが」
名留羅の方を顎でしゃくると、男達はこれまでの自分の仲間が食らった様を覚えていないのか、覚える気がないのか、ふらついている彼に踊りかかった。
自分の正面に迫った二人の内、名留羅は右側の男の懐に飛び込み、逆手に構えた片手剣を男の腹部へと突き立てると、そのまま上へと斬り上げた。
「があああァッ!」
剣を引き抜きつつその男に登る様に顔へ横蹴りをぶち込みながら、斬りかかるタイミングを崩された反対側の男に飛びかかる。
「えやあああっ!」
うめいて避けようとした男の鼻っ柱に刺突が炸裂し、顔の中心が陥没して行く。それを省みもせずに、男の方に刹那の着地をした名留羅は、態勢を立て直しもせずにとんぼをきって大蛇を飛び越える様に宙を舞った。
「たわけが!」
彼を仰ぎ見ながら『忍法 露風』を放つべく、彼の剣を遮る様に右手を伸ばしながら、落ちて行く方へ振り返った大蛇は、濡れた布ではたく様な音を聞くと、着地した彼を見つめて凶艶な微笑を浮かべたまま、静止した。
次の瞬間、伸ばしていた彼女の右腕は肘に至る途中ですっぱりと切断されてぼとりと落ち、その美しい顔の中心に赤い線が走ると、頭のてっぺんから股下まで真っ二つに割れ、倒れて行った。
「バカな……」
「てめえらも……ここでくたばりてえか……!?」
「ちいっ」
……死に損ないと思っていた男に三人があっという間に切り倒されてしまった。その内一人は自分達に囲まれながら素手で十人以上を再起不能にした女だ。残っていた野伏せり達は尻尾を巻いて逃げ出した。
死中に活を見出すべく神速の剣を振るった名留羅はしばし、逆手に刀を構えたままであったが、連中が戻って来ないのを見ると、地面にへたり込んで、荒い息を吐いた。
「がっ……はあ、はあ、はあ……ああ、しんど……」
刀に幾条かの糸が絡み付いているのを見た彼は、切っ先でそれを払った。
「えーい、くそっ。あーあ、こんなんばっか……」
そこへ鈴蘭が雨代と共に現れた。
「名留……っ!? これは!?」
へたり込んだ名留羅と家の中の惨状を見て、鈴蘭はうめいた。
「そこに……転がっている姐さんと……落ち武者共が……手を結んだって。つっても……もう野郎共しか……残ってねえけどな……」
雨代がしゃがみ込み、苦しげに息をする名留羅の汗を袂から出した布で拭った。
「……雨代、悪い」
先に口を開いた名留羅に、雨代が苦い表情を浮かべた。
「……さっきの事?」
「ああ」
「そんなのもういいよ。私も悪かったし……立てる?」
「まあな。それより、水が欲しい……」
「これを」
そう言って鈴蘭が差し出した竹筒を受け取ると、入った水を名留羅は喉を鳴らして飲んだ。
沙衛門達の泊まっている宿へ、名留羅達は向かっていた。闇の中、ろくに地ならしもされていない道を雨代が名留羅に肩を貸し、その二人の後ろからそれとなく辺りを警戒しつつ、鈴蘭が付いて来る。
その三人の前に、出るべくして出た影は言った。
「おう、貴様か。偉そうな口を利いてた女は死んだそうだな?」
……短筒を右手に下げ、六人ほどの子分を連れた九塚であった。
「出たな、イカサマ野郎……」
名留羅が肩に下げた野太刀の紐を下げようとすると、雨代がそれを手で抑え、九塚を見据えたまま、小声で訊ねた。
「あいつがあれで名留羅さんを?」
「ああ。下手打って済まねえ」
「大丈夫」
そう告げると、雨代は名留羅に微笑を向けて、彼の手をそっと肩から下ろすと優しく握った。
「鈴蘭さんと一緒に宿へ行ってて。すぐ追い付くから」
「分かった。無茶するな」
「でも……」
あっけに取られた鈴蘭が雨代に訊ねようとしたが、雨代は
「ちゃんと名留羅さんを連れて行ってね」
とだけ言うと、すたすたと九塚の方へ歩き出した。
「あの人……」
判断に困って胸に手を当てる鈴蘭の手を、名留羅が引きながら言った。
「……大丈夫だよ。あれはくノ一で、俺と違ってあれは大概の事じゃ死なないから。
それより行こう。雨代に怒られちまうよ」
「……」
鈴蘭は仕方なく、名留羅に肩を貸して、幾度か雨代を振り返りながらも歩き出した。
「待て!」
名留羅達の方へ向かって走り出そうとした数人の方へ雨代がつい、と右手を伸ばした。
その先から突き出た疾風の薙刀の刃が男達を貫き、静止させた。薙刀は再びすっ、と彼女の掌の影に消え、男達は倒れ伏した。
「なっ、何をした!?」
九塚の短筒が雨代の眉間に向けて銃声を響かせたが、銃弾は雨代の顔の手前に現れた波紋に、とぷん、と音を立てて飲み込まれた。
「……『忍法
そう、雨代は微笑を浮かべて呟いた。
「ええい!」
残っていた子分達が、雨代の身体にぶつかって行き、刀を突き立てた。
……しかし、彼らは次の瞬間、彼女の中へ吸い込まれる様に、瞬時に消え失せた。
「ううっ」
さすがに九塚はうめいた。彼の頬に手をやり、そっと撫でながら、雨代は一変、妖艶な微笑を浮かべ、言った。
「私の身体にはどんな攻撃も通用せぬ。いかなる攻撃を繰り出されようと……全てを吸い込み、飲み下すだけじゃ」
……己の身を、一種のブラックホールと化すくノ一。そんな事は露ほども頭に浮かばぬ九塚は
「ば、化け物……」
とだけ言うと、腰を抜かしそうになったが、その腰を強く雨代の引き締まった逞しい腕に抱きかかえられた。彼女の肉感的な弾力が、自分の胸に、下腹部に押し付けられて来る。
現実逃避か、遺伝子を残そうと脳が命令したのか、彼は勃起した。それがどうした、とばかりに、雨代は体を摺り寄せ、彼の耳元に息を吹きかけると、訊ねた。
「その得物で……あの男を撃ったか?」
「うっ、ううう、撃った」
「そうか。連れが世話になったな。私もお前にお返しをしてやらねばならぬ」
彼女は九塚の頬に右手を当てていたが、それが浸透する様に彼の中に潜り込んで行く。
「や、やめろっ!」
身体をそっと包み込む雨代の肢体のもたらす快楽。そして肌の内側に異物が侵入する不快感。
九塚は身悶えし、雨代に向けて引き金を引いた。硝煙は立ち昇るが、雨代の美しい唇が、自分の顔にかかった煙をふっ、と吹き消した。
「……吸うか? 私の唇……」
「う……あああ……」
泣き出しそうな不快感にもがく彼の唇を、雨代は自分のそれでそっと塞いだ。
瞬間、雨代に吸い込まれた子分達の肉体が、九塚の頬から潜り込んだ雨代の掌を経由して彼の体内に押し込まれた。
そっと体を離し、2メートルほどの距離を置いて、彼を楽しげに眺めたる雨代。皮膚の表面張力も肉体の許容量も無視して、彼を朽ち果てた異物が膨らませる。
「あ、がああああああああああっ! あああああああああああああっ!!」
「そういえば人の皮というものがどれほど伸びるかはまだ見た事がなかった。とくと拝ませてもらうか」
「苦しい……苦……し……」
「聞けば寄ってたかって一人の女を突付いて遊んでいたそうじゃな。望みもしないのに体に異物を突っ込まれる気分はどうじゃ?
この短筒猿め」
九塚だったものは自分の体を支えようとしたが、数人分の体重に耐えきれるはずもなく、足がめりめりと音を立てて体に埋没した。
彼は完全に一個の肉風船と化した。
「いぎゃああああああああああああああっ!」
「ふふふ、いやはや、この地獄にお似合いの姿じゃのう。死霊共の腹をせいぜい満たしてやるが良いわ」
最早人ではない、苦しみ悶えて転がる異形を前にして、手で口元を覆いながら、無邪気に白い喉を見せて笑う雨代を、月明かりがこうこうと照らしていた……。
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