かばう名留羅(なるら)
そして着地した彼は、振り返り、自分達に飛んで来た物を見た。それは幾十条もの糸であった。その糸が大八車の車輪に絡み付いてぎりぎりと締め上げている。
やがて呆れた事にその糸は車輪の一端を溶かして、そのまま消えてしまった。
「……『
と、大蛇は言った。
……絡み付くとその対象物を腐食させる糸を放つ女。何処かで嗅いだ事のある匂いがする、と、名留羅は思った。自分の記憶が正しければ、これは、千差万別あれども、女性の秘所の匂いではないだろうか?
もしやこの女、そこから流れる液体をすくい取り、指で絡めて糸にするのだろうか? だとしたら蜘蛛の様な女だ、と名留羅は思った。
「妙な技を使う。何者だ、あんた」
鈴蘭を下ろしながらの名留羅の問いに、大蛇は微笑を浮かべた。
「言うたであろう。私は大蛇。そこの女に殺された男の仇、取らせてもらう」
小声で名留羅は傍らの鈴蘭に尋ねた。
「ホントかい?」
「本当です。私はあれに敵対する側の者。お役目を果たす途中であの女の仲間を殺しました」
「そのお役目とやらの手伝いに必要なのが俺達って事か?」
「はい。ここはひとまず……」
鈴蘭は撤退を告げようとしたが、名留羅は冷たい視線で大蛇を見据えていた。
「……いや、あの姐さん、逃がしてくれそうにねえよ」
「名留羅さん」
「実を言うと、俺も仲間も、忍法使いとやり合うのは初めてじゃねえ。
鈴蘭さん、あの姐さん、あんたとも立ち合ったのか?」
「え、ええ」
「その際に他に何かしたかい?」
「いえ、でも私達と立ち合った時には締め上げただけ。絡み付いたものを溶かすのは初めて見ました」
「あんたの方も仲間が?」
「あれの仲間に倒されました。残るは私だけです」
「……そうかい。あれを何とかしねえとならねえな……」
「……貴様ら、何をぼそぼそと話しておる」
大蛇は不敵な笑みを浮かべたまま、ささやく様に言った。
「全くだ」
そう続けた誰かの気配に、大蛇も含む名留羅達三人はそちらを見た。
見ると、それはまた新たな武者崩れの男達であった。人数は十人程度か。一番格上らしい男の手には短筒を持ち、銃口はこちらを向いている。
「何じゃ、貴様ら」
大蛇の声に、その一番格上らしい男が答える。
「俺は
風穴を空けられたくなかったら、下がっておれ」
「それは駄目じゃ。あれは私が先に目をつけた獲物」
……妙な風向きになった。が、これはこれで逃げるなり、かく乱するなり上手く行きそうだ、と名留羅は思った。横目で鈴蘭を見ると、彼女も頷いた。
男と大蛇が口争いを始め、取り巻きの仲間達がそれに加勢している。名留羅はそれを見たまま、鈴蘭の耳に囁いた。
「様子を見て、あんたの言う通り、一旦逃げよう」
「はい」
「俺の仲間の所まで案内するよ。仕事を引き受けるにしても、事情を色々聞かないといけないからな」
「ご面倒をかけて申し訳ありません」
「なあに、乗りかかった船だ。あんたがいいと言う所まで何とかするよ……って、あぶねえ!」
鈴蘭を押し倒し、名留羅は彼女に覆い被さる様に身を屈めた。銃声がして、頭の上を銃弾が飛んで行った。
「俺達の仲間がやられた。腰の物といいその野太刀といい、店の親父から聞いた様子では恐らくお主らよな」
名留羅の眉がぴくりと動く。
「店の親父に何かしたな?」
「吐かせたのよ。的にしてはつまらなかった」
「外道が……」
膝を着いて体を起こし、鈴蘭をかばいながら立ち上がった名留羅は、左の手元をくい、とひねると野太刀が彼の手中に引き寄せられた。沙衛門から初歩の手ほどきを受け、渡された霧雨の片方は手首に、もう片方は刀の鞘に括り付けてあるのを引いたのだ。
ゆっくりと居合の構えに鞘を下げ、右手を、柄に触れるか触れないかの位置に添える名留羅に、九塚は言った。
「そんな長い得物で短筒にかなうものか」
「使い慣れねえもんを持って歩くほど、俺のおつむはイカれちゃいねえよ。
……いや、イカれてるのかもしれねえな……どっちが先に相手をぶっ殺すか、試してみるかい?」
不敵に微笑する名留羅は九塚を見据え、そう言った。
「笑わせるわ。やれ!」
その声を合図に、九塚をかばう様に立った子分達が、名留羅達に殺到した。
刹那。ずきゅん、と音がし、殺到しようとした四人の男の身体に名留羅の手にした野太刀の神速の一閃が横薙ぎに滑り込み、彼らの上半身がするりとずれた。
その時初めて幾つもの水を叩く様な音と共に血しぶきを上げ、男達の残骸が倒れ伏して行く。
「の……野太刀の居合抜刀だと!?」
剣術の心得があるのか、子分の一人が肝を潰した声を上げた。身の丈を越える長さの野太刀を目にも止まらぬ速さで引き抜くなどという芸当が出来る者がいるとは想像もつかなかった様だ。
野太刀をビリヤードのキューの様に持ち、切っ先を左手の指先でつまみ、右膝を地に付く。名留羅は刺突の迎撃態勢を整え、九塚を睨み据えながら言った。
「慣れだよ」
「引くな! こっちには短筒がある!!」
九塚の声に、男達は再び名留羅達に飛びかかった。
「鈴蘭さん、俺について来るんだ!」
「はい……!」
迫る一人の心臓を的確に貫くと、その勢いに乗ったまま野太刀を引き戻し、刀身を後ろに返して鞘に納め、左手に持ち直すと、鈴蘭と共に男達の脇をすり抜けて駆け出そうとした名留羅は、斬りかかって来た別の男の鼻っ柱に素早く右の掌打を浴びせ、そのまま鼻をぎゅっとつまんで捻り折った。
「げあああっ!」
野太刀を普通の刀と同じ様に振り回す名留羅の握力で握られて、軟骨が千切れたかもしれない。
「逃がすか!」
大蛇がその集団を予備動作無しで飛び越えたが、そこで着地した足元に一発、銃声と共に銃弾が食い込んだのを見ると、
「しゃらくさい!」
とまなじり吊り上げ振り返り、後ろ殴りに九塚達に向かって腐食性の糸を放った。途中で断つ事も出来るらしいその糸に二人が頭を絡め取られるなり、顔面を溶かされる苦痛に絶叫を上げようとしたが、糸で口元と鼻を縫い合わされ、くぐもったうめきのみがこぼれた。
さすがに一瞬肝を潰した九塚達を無視し、視線を名留羅達の方へ戻した大蛇は、二人の姿が消えているのを見て歯軋りすると、手近な平屋の屋根に飛び上がり、辺りを見下ろしながら風を切って走り出した。
逃げる途中でもまた、九塚の仲間と思われる連中に待ち伏せにあった名留羅と鈴蘭は、それぞれが野太刀と片手剣、そして『忍法 三日月』で切り裂きつつ、あっちだこっちだと駆け回る羽目に陥り、船着き場と思われる場所にいた。
「すまねえ。何とか隙を見て川へ飛び込むしかなくなっちまった」
「お気になさらず。あの状況では仕方のない事です」
口では事務的にそう言いつつも、鈴蘭は名留羅とのこの状況を少し楽しんでいた。先ほど知り合ったばかりなのに、この男は素性も良く知らない自分を必死で守ろうとしてくれている。
凶左と出立してから数十日が過ぎたが、こんな男に会えるとは思ってもみなかった。
十数人の男達の後ろには、やっとの事で追い付いた九塚、そして更にその後ろから大蛇が走って来ていた。
「私の獲物じゃ!」
早速男達を血祭りに上げ始める大蛇と野伏せり達の乱闘が始まった。
入り乱れて争う子分と大蛇の向こうに見える名留羅と鈴蘭を、短筒を構えた九塚は狙おうとしているが、邪魔なものが多過ぎてなかなか引き金が引けない。刃を振るう男達に、大蛇は、ある者の手首をひねり上げて関節を外し、別の者には喉仏に手刀を浴びせて血を吹かせ、また別の者へは目に指を突き刺して悲鳴を上げさせた。
それほど男達に接近していながら、袖や裾を彼らの目の前で翻していながら、大蛇は全く捕まりもせず、その上無傷なのだ。
「おっかねえ女……」
気分が高揚したのか、微笑さえ浮かべて惨劇を繰り広げる大蛇を目の当たりにした名留羅はぼそりと呟き、腰帯の後ろに野太刀を鞘ごとぶち込むと、鈴蘭に、
「今だ、飛び込もう」
と声をかけ、まさに飛ぼうとした、その瞬間。
鈴蘭は九塚の銃口が彼を向いているのを見て、かばう様に立って名留羅を川に落とそうとしたが、名留羅も銃口の向きに気付いた。自分の盾になる位置に立った鈴蘭の姿を見て、名留羅の脳裏に昔の記憶がフラッシュバックした。
(お秋さん……!)
「くそっ……!」
名留羅が鈴蘭に飛び付いた形になり、そこへ銃声が響いた。二人はもつれ合う様に川へ落ち、そのまま沈んで行った。
どれほど泳いだだろうか。鈴蘭は名留羅が脱力しているのに気付いた。
……彼の右肩が月明かりで見ても分かるほどに血で濡れている。
「名留羅さん? 名留羅さん!」
答えはない。
彼女はどうやら名留羅が自分をかばってくれた様だと知ると、名留羅をしっかりと掴んだまま、辺りを見回し、彼方に見えた岸辺に向かって泳ぎ出した。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます