鈴蘭(すずらん)と大蛇(おろち)

 夕暮れ前に宿場町に辿り着いたものの、名留羅は一刻ほど前に雨代と、かなりこじれるタイプの喧嘩をしてしまい、一人、飲み屋の明かりを求めて道を歩いていた。時間はすでに夜。宿場町と先ほど述べたが、ぎりぎり町と呼べる程度の設備しかない。どれほどまっとうに作り上げようとしても、一度軍勢が通れば草一本生えぬ荒地に戻されてしまう。

「ったく好き放題やりやがって」

 その宿場町の、そこかしこにも存在する返り血の跡などを見つけて、名留羅はぼやいた。大方、そこに誰か罪のない者が引っ張って行かれて、暇つぶしの鉄砲の的か、試し斬りのネタにされたのだろう。

 そんな事を考えながら、ふと先を見ると、目的の店らしき明かりが見つかり、名留羅はそこへ近付いて行った。


 暖簾をくぐってすぐに、名留羅の表情が曇った。

「何だこりゃ」

……中は修羅場と化していた。

 床には切断された男の身体が転がり、視線を上げるとその向こうでは一人の女が刀を抜いた男達に囲まれている。見ると、男達は落ち武者崩れらしい。戦場で拾ったらしい甲冑をまばらに付けている。五、六人という所か。女は何も握っていない。

「女、何をした!?」

「手で払っただけです」

「払っただけでこんな風になる訳があるまい!」

「知りません。通して下さい」

……どうやらやったのはあの女らしい。しかし、何を使用して切り裂いたのだろう。

「うちのおじさんのご同輩かな?」

 顎に手をやり、名留羅は呟いた。


「貴様……」

「おいおいおいおい! 一寸!!

 見苦しいからやめろ」

 上段に構えた男に名留羅は声を上げた。振り返った別の一人が名留羅を一瞥し、唸り声を上げた。

「何じゃ、貴様は! 邪魔立てすればまとめて斬るぞ!!」

「女一人を数人で囲んでる奴に言われたくねえや。飯も酒も不味くならあ。そこに転がってるの拾って消えな」

「何を!」

 はあ、と名留羅はため息を付いて、身の丈を越える長さの野太刀を左脇にあった柱に立てかけた。

「どうしてお前らみたいなのは総じて聞き返すかね……」

「やかましい!」

 裾を翻して抜き身を振り上げて突っ込んで来たそいつの腹に素早く右サイドからの蹴りをぶち込んだ名留羅は、うめいて身体を二つに折ろうとする相手の懐に入り込み、刀を持った腕をねじり上げ、それを取り上げながら後ろに回り込み、尾底骨に膝蹴りを叩き込んだ。

「あぐ……!」

「あーあ、野郎臭くて嫌になるぜ。お前ら、やめねえとこいつの首落としちまうぞ」

 首に当てた刀身を素早く横に引くと、取り押さえられた男は悲鳴を上げた。

「やめ……」

「一寸はすっただけだろうよ。慄きなさんな」

「おのれ……っ!」

 他の連中がまとめてかかって来た。


 名留羅は捕まえていた男を離すとその背を蹴り飛ばした。正面から来た男がそれにぶつかり、うっかり相手の首筋に当ててしまった刃が引かれ、血の霧が舞った。

「あうっ……」

「たわけ!」

 倒れ行く男を押しのけようとした彼は、その男の身体を貫いて来た名留羅の刃によって腹を貫かれた。

 うめいて仰向けにのけぞる男を廻り込んで、残りの四人が、斬り付け、刀を突き立てようと殺到する。その時既に野太刀を抜刀し、居合の構えにあった名留羅の柄を掴んだ右手元から銀光がこぼれ、男達の視界を一閃した。


「散らかしちまったな。これせめてものお詫び。他当たるわ。

 あーあ、酒、女、酒……」

 男達の死骸を店の裏へ全て片付けると、名留羅はちゃぶ台に小額の路銀を置き、鞘に収めた野太刀を手に、店を出て行った。


 抜刀の勢いに任せて竜巻と化した名留羅の、その刃は男達だけを切り裂き、どうあってもリーチ的に避けきれないはずの柱や座敷の卓には切り傷一本なかった。

 それを横目でちらりとではあったが確認すると、代金をちゃぶ台に置いた女が名留羅の後を追う。


 どれほど歩いたか、次の店がなかなか見つからなくてぶすくれる名留羅であった。

「雨代には怒られるし、野郎に絡まれて酒は飲めないし……最悪の日だな、今日は」

「待って、待って下さい」

 背後の声に、名留羅は振り返った。

「む、あんたはさっきの姐さん」

「あの、あなたの腕を見込んでお願いがあります」

「お願いか……俺は酒が飲みたいんだけど」

 名留羅は苦い顔をした。

「私がおごります」

「え? そりゃどうも。

……あー、それと後、ふしだらに聞こえるかもしれないけど、どっかで女を抱けないかな、と。なるべくふくよかなのを。随分お預けで辛くてさ」

 泣きそうな名留羅の図々しい主張を聞いて、女は一瞬うめいたが、言った。

「わ、私が手配します」

「本当に!?」

 名留羅の表情が途端に明るくなった。

「仕事の報酬も出します」

「あらあら」

「ですから話を……」

「聞く! 聞きます!!

 あー、何て言うのかな、捨てる神ありゃ拾う神ありって奴だね、こりゃ。あんたは生き神さまだ……えー、南無南無……」

 名留羅はプリプリと湯気を立てて怒る雨代の顔を思い浮かべながら、目の前の女にうやうやしく手を合わせた。

 よくよく見れば美しい女だ。こんないい女に会えるなんて、出かけてみるものだ、と名留羅は思った。

……が、ひょいと顔を上げて名留羅は言った。

「こっちは急ぐ訳じゃないけど仲間と旅をしてる。仕事は皆と引き受けると言う事でも大丈夫かい?」

「腕の立つお仲間でしたら」

「あ、その点はご心配なく。稽古で手合わせする度に寿命が縮む様な手練ばかりだから。

 後で会わせるから、それから決めてもいいけど……」

「それで結構です」

「でも、お酒と女をおごってもらうのは俺だけね?」

「他の方には内緒なのですか?」

「それはそれ、これはこれなのさ」

 くすくす、と女は袖で口元を覆って笑いながら言った。

「おかしな人。私は鈴蘭といいます」

「恐れ入ります。俺は名留羅。名留羅真夜。

 さっきの飲み屋でご存知の通り、刀を振り回すしか能のねえ男さ」

 名留羅がこれまたうやうやしく頭を下げると、その目が険しくなった。


「……さっきの連中の仲間かい」

 背後の影に振り返りながら、彼は訊ねた。月明かりに照らされて現れたのは、これまた怖気の走る様な美女であった。見た所旅の芸人風で、ここらで食えるとしたら身体を売るか、流れの三味線弾きと言った所か。襟元から覗く白い肌がどうにも目を引く。

 一晩に二人も美人に会うなんて、こういう事はこれまでに幾度もない。美女二人に挟まれる形になり、名留羅はぼそりと言った。

「何か変な事したかな、俺」


「お侍様、私の目的はその女。よろしければ下がっていて頂けませんか」

 言われた鈴蘭の瞳がきゅっと細くなった。

 名留羅は訊ねた。

「あんたは?」

大蛇おろちと言います。で、よろしければお下がり頂きたいのですが」

「あー、すまねえ、大蛇さん。ご用次第なんだよね。

 俺もこちらの姐さんには話があるんだ」

 そうですか、と女は微笑すると、言葉を続けた。

「ではお二人まとめて十万億土へ旅立って頂きましょうか」

 名留羅は苦笑しながら刀の鯉口を切った。

「やっぱりかい」

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