祈りの儀式

祈りの儀式・1


 一雨毎に秋が深まる。

 霊山に当たる光は、より鋭角になり、黄金に変わった。そのまばゆい時間は、時にパラパラと雨に遮られ、いつも夕暮れに終わりを告げた。

 一日が徐々に短くなってゆく。


 エリザは、何となく重く沈んでいく気持ちを、光のせいだと思っていた。

 ラタの実を大きな鍋で煮込み、柔らかくし、広げて、足で踏んで崩してゆく。そうして、布で油分を濾しとり、再び煮詰める。

 石けんを作る作業は、広い場所を必要とした。そして、それなりの人手も。

 この時ばかりは、エリザはララァの家にジュエルを連れて来た。そして、背負ったまま、作業に明け暮れた。

 忙しく働けば、落ち込みそうな気分を高揚させることができる。

 だが……。

「きゃあ!」

 足踏み作業をしている時に、足を滑らせて転んでしまった。

 ラタの油で真っ白になる。手伝っていたララァとラウルは、その滑稽さに笑い出していたが、エリザが起き上がらないので焦り出した。

「もう! だから、ジュエルを下ろしても大丈夫だって言ったのに!」

 ララァが慌てて掛けよった。

 だが、白い影を恐れるエリザは、この家ではジュエルから目を離せなかったのだ。

 ララァよりもラウルが先に、エリザを抱き上げた。

 だが、エリザは頭を打ったのか、気を失っていた。



 ――きれいにしなくちゃ……。石けんを作らなきゃ……。


 闇の中、ガシャン、ガシャン、と音が響く。

 振り向くと、エリザの回りは格子の柵で取り囲まれていて、どこにも出て行くことができない。

 まるで、篭の鳥のようだ。


 出して! ここから出して!


 エリザは必死に指を絡め、ガタガタと揺らした。

 だが、誰も聞き入れてくれない。

 格子の向こう、銀の光が輝く。

 エリザは泣きながら、目を大きく見開き、その光りの正体を……。


 ――嫌! 見たくない!


 突然、赤黒いどろどろとした物が、檻の中に流れ込む。

 エリザは、逃げる場所がない。あっという間にすべては川の流れの中だ。

 呼吸ができず、ごほごほと咳き込んだ。


 ああ、汚い! 


 髪や皮膚に絡み付いて取れない物を、エリザは必死に払い、払い、払い……。


 ――嫌ああああ!



「ちょっと、エリザったら!」

 ララァの声だった。

 気がつくと、エリザはタオルを引いた床の上に寝ていた。

「どろどろなのが気持ち悪いのはわかるけれど、ラタのぐちゃぐちゃなところで転んじゃったんだから、仕方がないでしょ? 我慢してよ」

 そう言いながら、ララァはエリザの体を拭いていた。

「ジュエルのほうは、ラウルがお風呂に入れたから大丈夫。でも、まさか、あなたまで入れさせるわけにはいかないしね」

 ララァのいたずらっぽい微笑みは、いつも明るい。

「……これって、ラタの実……」

 どろどろは、汚れているわけではなかった。

 エリザはほっとした。

 と、同時に少しだけ不安になった。

 もうしばらく見なくなった夢を、なぜか見てしまった。



 エリザは家に戻ると、完全にお湯がわく前に湯船につかった。

 とにかく早く、体を清めたかった。

 大好きな青い色の薬草を入れたが、あまりに水温が低くて色も香りも立たなかった。

 だが、エリザの体にラタの実が残っていた。エリザは、全身を洗いまくり、体に感じるどろどろとした感覚を洗い流そうとした。

 ほとんど水だというのに、エリザは震えながら長い間浸かっていた。


 しかし、翌朝、その長湯がたたった。

 熱を出し、起き上がれなくなってしまった。

「ああ、ジュエル……。ごめんね……」

 熱で涙を流しながらも、泣いている子供を抱き上げることもできない。

 本当に馬鹿なことをしたものだ。自分しか子供を見るものがいないというのに、あれでは風邪をひいても仕方がない。

「ああ、サリサ様。助けて……」

 起き上がろうとして倒れ、エリザは呟いた。

 そして、ぐっと悲しくなった。


 ――もう、私の手は繋がれないんだわ……。


 この日、ララァが作業にこないエリザを気にして様子を見に来なかったら、大変なことになっていただろう。

 エリザは、その日から三日間寝込み、ララァとラウルの世話になった。

「エリザ、いったいどうしちゃったの? あなた、最近やることがおかしいわよ」

 水風呂の話を打ち明けると、ララァがあきれて薬を差し出した。

 それは、エリザが精製した薬。自分で自分の薬を試すとは、思ってもいなかった。

「たぶん……秋だから」

 色々、鬱な気分になるのだろう。

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