エリザの手紙・6


 結局、かなり長い時間。

 サリサとエリザはいっしょにいた。

 木綿の長衣を脱いで、エリザに掛け、さらに抱きしめて休んだ。

 その回りを、ジュエルが動き回っていたが、やがて退屈したのか、サリサの髪をひっぱって遊んだ。それも、今回は耐えた。

 やっと、エリザも起き上がれるほど、回復した。

「サリサ様、ごめんなさい。もしかして祈りの時間が……」

「大丈夫です。今日は着替えないで行きますから」

「……私だけ、特別みたいで」

「特別ですよ。ムテ一番の寄付者ですから」

 やや風が冷たい。

 起き上がって長衣を差し出すエリザに、サリサは微笑んだ。

「そのまま着ていなさい」

「でも……」

「私には、結界がありますから」

 長衣は、丈の長い上衣である。上から帯をする者もいるが、大概は羽織って着る。

 だが、エリザにはサリサの長衣は長過ぎた。ずるずる……と引きずりそうな長さである。

 先ほどの仕え人がやってきた。

「あまりに遅いので……」

「ちょうど良かった」

 さすがに、もうどこへも立ち寄る時間がない。

 そのまま控え所の門へと向かうしかなかった。



 門に着くと、大きな袋が三つ用意されていた。既に、二つまではラタの実がつめられていた。

「さすがに祈りがあるので送っていけませんが、使用人を二人お貸ししますので……」

 門を開けさせた。

 すると……なんと、門の外にラウルがいた。

 どうやら近くでうろうろと、エリザの帰りを待っていたようだった。

「エリ……」

 ラウルの声は、途中で途切れた。

 最高神官が直々に見送りにくる奇妙さ。しかも、エリザといえば、木綿の普段着とはいえ、最高神官の長衣を羽織り、前でくるめてジュエルを抱いている有様だった。

 どう考えても、一般人の目には異様で考えられない事態である。

 二人の使用人からも、仕え人からも、エリザとサリサからも声がでなかった。

 しばらく、じっとお見合いになってしまった。

「尊きお方……」

 ラウルは苦々しく敬意を示した。

 サリサのほうも、このような長い時間、門の外でエリザを待っている男がいるなんて、一般人の常識ではありえないのでは? と思った。

 つい、眉をしかめた。

「癒しの巫女を待っていたのですか? 採石師とはずいぶんと暇のある仕事ですね」

「最高神官の面談の時間が、このように長いとは思いませんでした。それに……」

 ラウルは、ちらり……とエリザを見て、サリサを見た。

「聖職にある方が、そのように簡易な服装でいるのもはじめて見ます」

 エリザは真っ赤になり、慌てて長衣を脱いだ。

 たしかに、長衣も着ないで人前に出る神官など、どこにもいない。自分のために最高神官が恥をかくのは許しがたかった。

「も、申し訳ありません! 私が体調を崩したばかりに」

「いや、エリザ。僕はそんなつもりじゃ……」

 エリザの過剰反応に、ラウルのほうが慌ててしまった。


 今、控え所の門を挿んで。

 サリサのもとからラウルのもとへと、エリザは歩みよる。


「私が運びますから、手伝いはいりません」

 ラウルは、きっぱりとラタの実の運送の手伝いを断った。

 駆り出された使用人たちは安堵の笑みを浮かべたが、サリサのほうは紙のように無表情な顔になった。

「エリザのことは、もう、任せてください」

 ラウルの挑戦的な物言い。

 さすがのエリザも、何やら異様な二人の雰囲気に、どうしていいのか困っていた。

「では、お願いします。あなたの『協力』に感謝します」

 今回ばかりは、サリサも苛々を隠せない。余裕の微笑みはなかった。

 サリサは、ラウルのまえに圧倒的に不利だった。

 たった今、最高神官である限り、エリザの気持ちには答えられないということを、嫌というほど、思い知らされたばかりである。

 エリザは、何度か門を振り返りながら、ラウルといっしょに山を下りていった。

 サリサは、見えなくなるまでその姿を見送った。



 山道を降りながら、ラウルは何度もエリザに聞いた。

「体調が悪い? 大丈夫か? そういえば、目が腫れているような」

 あれだけ泣いたのだから、目が腫れて当然だった。

「ごめんね、あまり聞かないでほしいの」

 ついにエリザに言われてしまい、ラウルはうつむいた。

「悪かった。つい……」

「ううん、ごめん。ただ、忘れたいだけ」

 エリザは、なぜあんなに泣いてしまったのか、自分でも不思議だった。

 やはり、エリザにとって霊山は辛い思い出が詰まっている場所だ。それよりも、今は明るく前向きに、未来に向かって進みたかった。

 新しいエリザになって、幸せに生きるため。エリザは、霊山を去ったのだ。

 ラタの実は、三つの袋に詰められて、すべてラウルが引き受けていた。

「このラタの実……全部石けんにしたいわ」

「全部? それはすごいな」

「うん。だって……うんときれいに、すべてを洗い流したいの」


 ――そして、どろどろの自分にさよならしたい。


 エリザは、一度だけ霊山を振り仰ぎ、サリサの顔を思い浮かべた。

 だが、それからはまっすぐ前を向き、一の村を目指した。



 エリザの姿が見えなくなり、通用門がしめられた頃。

「サリサ様、今日はいかがしますか?」

 書類の仕え人が言った。つまり、偵察に後をつけるべきか? ということである。

「今日は要りません」

 楽しいはずの一日が、サリサにとって最悪の幕引きとなりそうである。

 それを、さらに確かめる必要などない。

 エリザが置いていった長衣に袖を通し、サリサは控え所の門を後にした。

 夕の祈りの時間である。


 サリサが、エリザの手紙で気になること――。

 それは、ただの一度も『ラウル』という名を見ないことだった。




=エリザの手紙/終わり=

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る