エリザの手紙・5
エリザはジュエルを抱いていた。サリサは、篭をふたつ持った。そして、仕え人は篭を三つもって、二人の少し後をついて歩いた。
下り坂である。本来、足取りは軽いはずだが、エリザの足はやや重たかった。
ふと、景色を見渡すと、巫女姫時代にはなかった建物が、建築中だった。
「あら? あれは何?」
何も考えず、軽い気持ちでエリザは聞いた。
だが、サリサは返事をしなかった。
「あれは、巫女姫マララ様の小屋です。先月、ご懐妊が……」
背後から、仕え人の声だった。
「一般人には伏せるべき話です!」
途中でサリサのきつい言葉が、話をやめさせた。
「申し訳ありません。出過ぎたことを……」
確かに、その話は一般にペラペラ話していい話ではない。だが、サリサが話をやめさせたのは、別の意味からである。
巫女姫は、身籠ると母屋を離れ、専用の小屋で暮らすことになる。そのための小屋が作られている。
つまり……サリサとマララの間に、新しい命が生まれることを意味していた。
エリザは、急に足がおぼつかなくなったように感じた。
支えが消えてしまったような。
「あ……お、おめでとうございます」
やっと言葉だけが出た。
横にいるサリサのほうは、苛々しているのか、返事はなかった。
――そう。おめでたい話だわ。
私……嫌な顔でもしているのかしら?
サリサ様に……嫌な想いをさせたかしら?
ぎゅっとジュエルを抱きしめる。
巫女姫として、エリザが神官の子を生んだように、他の巫女も子供を生む。
それは、選ばれた者の使命だ。仕事だ。
「今度は、サリサ様の血を示す立派なお子だといいですね」
やや、声が震えた。
サリサの反応はなかった。
エリザは、ジュエルの能力の無さで悩んでいた。だから、これから生まれる子を妬み、少し嫌な気分になっているのだ、と思った。
ちょっと……嫌みっぽかったかしら?
心臓の鼓動が早かった。
なんだか、まっすぐ歩けない。
最高神官が、巫女姫を愛するのは当然だ。
血を残すのが使命なのだから。
エリザを愛するように、サリサは他の巫女姫も愛し、抱く。
そして……。
脳裏に浮かんだ画像を、エリザは慌てて振り払った。
何を動揺しているの? これは、とてもいいことだわ。
私ったらちょっと欲張りで、自分だけが特別に目をかけてもらっていると思い込んでいるから。だから、へんな顔しちゃっているんだ。
こんないいことに、嫌な顔しちゃって。汚い気持ちを全面に出しちゃって。
だから、サリサ様は怒っていらっしゃるのだわ。
違うわ、もう、私。汚いどろどろしたエリザなんかじゃない。
ちゃんと喜んでいることを、お伝えしなくちゃ……。
「あの……。やっぱり、選んでよかったですね。今年は、いい候補者がいないとおっしゃっていたから心配でしたれど、本当にほっとしました」
なぜか、言葉にすればするほど、墓穴を掘っているような気がする。
だが、エリザは、サリサが微笑んでありがとうと言ってくれるまで、お祝いを言い続けるしかなかった。
そうしないと、浄化されない。
きっと、邪な思いに捕われてしまう。
エリザは、必死に笑顔を作りながら、言葉を続けた。
「マララ様ってきれいな方ですか? ご懐妊でも、祈りの儀式には出られるのかしら? 無理をなさらないほうが……いえ、あのそんなつもりではなく」
ますますサリサが不機嫌になってくるので、エリザは焦っていた。
語れば語るほど、どこか嫌味っぽい響きがして、自分が矮小になってゆくような気がして……。
「新しい小屋もいいですけれど、あの山小屋もいい所でしたのに。改装してお使いいただきたかった……」
「もう、この話はやめです!」
ついに、サリサが音を上げて、エリザの言葉は途中で途切れた。
怒鳴られてしまい、エリザは気が遠くなった。
ついに、目の前がぐるぐると回り出した。
天と地が逆転した。
ああ、そうだったわ。
私……どろどろで汚いから、山を下りたのに。
なぜ、また、ここに来ちゃったんだろう?
なぜ、こんな嫌なエリザを見せてしまうの?
敬愛する方に……。
エリザは貧血を起こしていた。
倒れそうになったところを、サリサが支えた。
激しい動揺を起こすと体調を崩してしまうのは、霊山を下りてからも直っていないらしい。
仕え人も歩み寄ろうとしたが、サリサが許さなかった。余計なことを言ったのに怒っているのではなく、ただ、エリザと二人きりになりたかった。
「大丈夫ですから、あなたは先に行っていてください」
仕え人は敬意を示すと、篭を抱えて戻って行った。
サリサは、道横の芝生の上にエリザを横たえた。
ジュエルのほうは元気で、エリザの回りを這い回りながら、エシャー、シャシャー、と意味の分からない奇声を発していた。
エリザは、その声にも反応することなく、ただぼうっと横たわり、空を見つめていた。でも、その目からはボロボロと涙がこぼれ落ちていた。
その表情が、あまりにも痛々しくて、耐えきれなくなってしまった。
――うっかりしていた。知られたくなかった。
「エリザ……」
思わず抱き起こし、すがって名前を呼んだ。
かつて、何度も自分を失ってしまったように、消えてしまうのでは? と恐れつつ。
でも、エリザの意識はしっかりしていた。
「ごめんなさい……。サリサ様」
「いいんです。誰だって具合が悪くなる時はありますよ」
サリサはエリザの頬の涙を拭った。だが、またすぐに涙がこぼれた。
「ごめんなさい。誤解なんです」
「誤解?」
それが、エリザの新しい口癖であることを、サリサは知らなかった。
「私、本当に心からよかった……と、思っているんです。あの……ちょっとジュエルよりも、今度の子供をかわいがられたら寂しいな、って思ったけれど。ただ、それだけで。それで嫌な顔しちゃったかも知れないですけれど、そんなこと、ないんです」
そう言いながら、エリザは大きな瞳から涙を流していた。
無理矢理引き上げた口角が、あまりにもわざとらしくて、微笑みに見えない。
「本当です。サリサ様の血を分けたお子が生まれることは、私の喜び……うれしいです」
まるで、責められているようだった。
ねっとりじっくり、締め上げて、ひとつ心を裏切ったような、責めよう。
サリサは、顔をしかめた。
「私は……ちっともうれしくない」
「ごめんなさい。ごめんなさい」
エリザは、ぼろぼろ泣きながら何度も詫びた。
「自分だけが特別だなんて、おごっているわけではないんです。あの……誤解しないで」
「誤解しているのは、あなたのほうです! 私は……」
言葉に詰まってしまった。
好きだ、と言って、どうする?
どうやって答えてあげることができる?
エリザは結局、変わらない。
霊山で、散々サリサを傷つけたように、自分の気持ちに嘘をつき続けるしか、自分を保つ方法がない。
「サリサ様の親切に甘え切ってしまいましたが、その優しさを勘違いするほど、身の程知らずではないんです。私。誤解を与えてしまったら……ごめんなさい」
あまりにかわいそうで泣けてきてしまった。
エリザの言葉に傷つく資格など、サリサにはない。
「もう何もいわないで。疲れがたまっていて、貧血を起こしただけです。すぐによくなりますから」
もう一度、横たえると、今度は目を閉じさせた。
「涙が出るのは、青空がまぶしいからですよ」
「ええ、そういえば……」
ほんの少し、目を閉じたことで、エリザは落ち着いたようだった。
サリサも空を見上げて、一筋の涙を流した。
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