恋争い・9
エリザは家に飛び込み、扉を閉めると……そのまま、しゃがみ込んで泣き続けた。
「ごめんね……ごめんね、ジュエル」
泣きながらも、いったいこれからどうしたらいいのか、わからなかった。
薬草精製の仕事は、広い場所と器材が必要だ。この家で、大々的にやるのは難しい。かといって、やめてしまえば、クール・ベヌに役立たずのレッテルを貼られてしまう。
霊山への薬草採りも無理だ。成長を続けるジュエルを抱いては、どこへも行けない。麓の森や草原にだって、かなり厳しい。
かといって……。
あの黒く冷たい石の入れ物を見てしまったら、もうジュエルをララァに預けることはできなかった。
「サリサ様。私……どうしたらいいの?」
その時、ふと目に触れるものがあった。見ると、手紙だ。
誰かが留守中に届けてくれたのだろう。最高神官の封蝋を見て、エリザはむさぼるように封を開けた。
それが唯一、エリザの光のように思われた。
だが……。
手紙を読んでいく間に、エリザの顔は蒼白になり、目は虚ろになった。
エリザへ
心を痛めていることと思います。私も、同じように辛く思います。
しかし、残念ながら、定められた寿命を延ばすことは、誰にもできないことなのです。
ジュエルは、おそらく私たちよりも早く寿命を終えるでしょう。
これは、変えることができません。彼は彼であり、他の誰でもないからです。
でも、どのように長い寿命を持つ者でも、全うできるとは限りません。全うした人生が、幸せに満ちたものであるとも限りません。
それと同様、ジュエルの短い命が不幸であるとは限らないのです。
私たちは、ジュエルを愛するように、ジュエルの運命も愛さねばなりません。そして、短くても幸せで満ち足りた生を送ることを願うべきなのです。
ムテの人々は言います。最高神官は父ではなく、巫女姫は母ではない。血を繋ぐ単なる器に過ぎないと。
でも、私はあなたに伝えたい。
たとえどのように血が遠くても、私とあなたが愛情を注ぐ限り、ジュエルは私たちの子供です。
私は父親として、あの子の幸せを祈っています。そのためには、いかなる努力をも惜しみません。
もしも、短い生を謳歌するために邪魔であれば、神官の子供の肩書きを外しましょう。ムテの地や制度があの子に苦いのであれば、すべてから解放し、どのような遠くへでも羽ばたかせてあげるつもりです。
あなたの苦しみは、痛いほどわかります。ですが、あの子の真実から、目をそらしてはなりません。
どうか、ジュエルのそのままを愛する勇気を持ってあげてください。
心だけは、常にあなたの側に――サリサ・メル
読み終わると、エリザはその手紙を破り捨てた。
そして、再び拾うと、さらに細かく破いた。紙吹雪のように細かくして、最後はそれを宙に放った。
はらはら……と、サリサの手紙が舞う中、エリザは大声をあげて泣き叫んだ。
「嫌よ! 嫌! ジュエルを失うなんて、耐えきれない!」
エリザは床に転げながら、ジュエルを抱きしめて泣き続けた。
老いてボロボロになった我が子を……黒い箱に入れ、冷たい地下に置き去りにするなんて! 絶対に嫌!
散々泣いて、泣きつかれて……。
エリザは虚ろなまま、床に倒れていた。
やがて、這いつくばって机まで行くと、引き出しを開け、便箋を取り出した。だが、机には向かわなかった。
インク壷とペンを机の上から床に置くと、寝転んだまま、ガタガタの床を下にして、らしからぬ汚い字で手紙を書き出した。
サリサ様。
絶対に嫌です。
ジュエルが、短い命しかないなんて、絶対に嫌。
神官の子供の肩書きを外すなら、外してください。どうぞ、見捨ててください。
どこへもジュエルはやりません。私はあの子を離しません。
たとえ呪詛の石にすがっても、ジュエルを助けます。
愛するからこそ、あの子の呪われた運命を変えてみせます。
あなたを敬愛しています。
でも、もう二度と、ジュエルのことであなたを頼りません。
さようなら。
自分の署名も忘れ、エリザは封筒に手紙を入れた。
そうしてジュエルを抱きしめたまま、再び家を飛び出した。
いてもたってもいられなかった。
既に真夜中だった。人気のない祈り所にエリザは入ってゆくと、ドンドンと扉を叩き、管理人を呼び起こした。
伝書係は、二日に一度、祈り所に届く霊山宛の手紙を届ける。
「最高神官サリサ・メル様に、急用のお手紙よ」
血走った目で、エリザは言った。
半分寝ぼけた管理人は、ひょこひょこ歩いて、古ぼけた箱を持ってきた。
「ひよよぅ。エリザさんの手紙ならのぉ。ふにょにょ……」
寝ぼけているのか、意味の分からない言葉を呟きながら、管理人は特別な印を押した。
それは、最高神官が許可した者だけが使えるもので、最高神官に直々届けよ……という印だった。
さて。
サリサがこの手紙を読んで、どれだけ衝撃を受けたか? は、語り尽くせない。
エリザが署名を忘れているので、マリか誰かのいたずらか? と、思いたかったほどだ。だが、マリの字にしても汚すぎるし、内容からエリザ以外の誰でもありえない。
『たとえ、どのように血が遠くても』『あの子の真実』
ジュエルの秘密ぎりぎりの内容であり、ある程度、過激な反応がくるとは思っていたのだが、これほどとは思っていなかった。
特に『呪詛の石』という言葉には、寿命が縮まるほど驚いた。
エリザが、その石の名を知っているはずがない。とすれば、あの採石師が吹き込んだのだ。
もしも、エリザが『呪詛の石』を使って、ジュエルに自分の寿命を移そう……などと、とんでもないことを考えたら? そう思うと、恐ろしくなった。
慌てて返事を書き出したのだが……彼は、ペンを三本折って諦めてしまった。
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