恋争い・10
翌日、エリザは朝の祈りをしなかった。
それどころか、お昼時まで寝込み、仕事も何もかもしなかった。食事もせず、ただ、ベッドの中でジュエルを抱きしめては泣いてばかりいた。
家の窓はすべてカーテンをおろしたまま。天気は素晴しく、夏らしい暑い日にもかかわらず、外に一歩も出なかった。
慣れない旅に疲れていたこともあるが、何よりも精神的に参っていた。
いっそ、このまま家の中で何もせず、日々を過ごしたいとさえ思った。ララァには二度と会いたくないし、彼女と血を分けたラウルにも会いたくはない。
そのラウルのほうは、午前中にエリザの家を訪ねたが、何度ノックしても返事すらなかった。
「エリザ! いるのか?」
と、声をかけたのだが、返事はなかった。
聞こえているはずなのに、無視である。となれば、約束に縛られているラウルは、諦めて帰るしかない。
ただ、ラウルにはエリザに会ういい手だてがあった。
「エリザ。石の加工が終わったら、持ってくる。今晩か、明日の朝には必ず!」
そう言って、ラウルは帰っていった。
いっしょに採石した石は、エリザの兄の子供への贈り物だ。早く贈りたいエリザは、嫌でも会ってくれるだろう。そう考えたのだ。
エリザは、ラウルの声を扉のこちら側で聞いていた。だが、夜も明日も、扉を開くつもりはなかった。
朝がすぎ、昼がすぎ、夕になり、日が落ち……。
こうして、エリザは虚しくも萎えた一日を過ごしていた。
すっかり夜になっても、エリザはベッドに横になったままだった。
ジュエルには授乳したが、自分は何も食べていなかった。何もする気が起きず、何も考えが浮かばなかった。
「ふっ……。だらしないこと」
エリザは、自分で自分に言った。
さすがに一時のひどい状態は脱した。
やがて、昨夜書いてしまったひどい殴り書きの手紙のことを思い出した。
あれが……最高神官宛だなんて。
後悔し始めていた。
――まるで八つ当たりだわ。
エリザ自身が、ジュエルの短命を感じていた。だから、最高神官であるサリサが感じていないはずはない。
それなのに、エリザは、嘘でもいいから「そのようなことはない」「方法があります」と、書いてくれることを望んでいたのだ。
もしも、ララァの事がなければ、かなりショックでも、サリサの手紙を受け止めることができただろう。そもそも、最高神官である人が、『父親』とまで言ってくれるのは、普通ありえないことなのだ。
だが、もう一度、読み返そうと思っても、手紙は無くなってしまった。
頼りにしていた者に去られてしまうと、何も残っていなかった。
――もう頼れるのは、サリサ様しかいないのに。
私、自分で絶縁してしまったわ……。
その時、ノックが響いた。
一瞬、エリザはベッドから身を起こそうとしたが、やめた。
まだ、とてもラウルとは顔を合わせられないと思った。ラウルは悪くないけれど、彼は姉と顔立ちが似すぎていた。
再びノック。
ごめんね、ラウル……。
そう呟いた時、耳元で声が響いた。エリザは慌てて起き上がった。
急に起きたので、めまいがする。
「エリザ」
再び声。
扉の向こうで呼んでいるのに、まるで――水を伝って響くよう。いや、この声は、心の中にある海に響く声なのだ。
エリザは、慌てて服を整えると、次に鏡を見た。むくんだ顔は仕方がないが、乱れた髪は、さっと櫛を通した。
少しはましになったところで、エリザはそっと扉を開けた。
夏だというのに、灰色のマントをすっぽりと被った長身の男性が立っていた。
エリザが開けた扉が、人一人分の幅になったとたん、彼はすっと通り抜けた。そして、すぐにマントをとった。
「サ……サリサ様……」
銀糸の髪がやや乱れ気味に躍った。
うるうるしているエリザとは対象的に、サリサのほうは眉間に皺を寄せ、緊張していた。
「エリザ、正直に言ってください。『呪詛の石』はどこにあるのです?」
「え? 何?」
「呪詛の石です。呪詛の! あれは、扱うのがとても危険なんです!」
言葉にするのもはばかられるのか、サリサの声は低かった。
いきなりのことで、エリザは驚きを通り越して、何がなんだかわからなくなっていた。
きょとんとして、一言。
「ありませんけれど?」
とだけ、言った。
「ない? でも、あなたは確かに手紙で!」
エリザは、目をぱちくりした。
「あれは……ほんのたとえで……」
「はい?」
やや、拍子抜けした声。
だが、最高神官の顔は、ほっとしたのか、一気に緊張の色が消えて行った。
「よくも驚かせてくれましたね」
そう言いつつ、サリサは、安堵で微笑んでいた。
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