薬草採り・5
たった一枚の紙切れが、最高神官を不機嫌にしていた。
仕え人たちが、最高神官に見つからないよう処理しようとしたにもかかわらず、彼はあっけなく気がついて、それを隅から隅まで、透視でもするように見つめたのだった。
「なぜ、エリザの入山届けなのに、ここだけエリザの字ではない?」
その書類には、エリザの字で『西山』と書かれた上に斜線が引かれていて『凪丘』と別の人の字で書き直されている。
それは、あの採石師の字に違いなかった。
フィニエルやリュシュ以外の仕え人の前で、サリサがここまで子供っぽい駄々をこねるのは、初めてのことだった。
「どうして誰も教えてくれないのです? 知っていることがあれば、ちゃんと報告してください!」
このままでは、最高神官は何か余計な力を使って、丘の上まで出かけてしまうかも知れない。
ついにあきれた一人の仕え人が、恐れ入りますが……と言い出した。
「エリザ様は、採石師のラウルとともに、清見の滝あたりへ出かけたと思われます」
サリサの想像通りである。
つい、かっとなって、飛び出して行きそうになった。
だが、仕え人たちが折り重なるようにして道を塞いだ。
「何のつもりです?」
「お教えしたのですから、お確かめする必要はないでしょう!」
パシーン! と切れのいい音がした。
仕え人の体は、一瞬次に並んでいた者に寄りかかった。が、すぐに直立して、最高神官に敬意を示した。
仕え人よりも驚いたのは、思わず彼を叩いてしまったサリサのほうだった。
「……す、すみません」
「いいえ、それで気が済むのでしたら。尊きお方」
最高神官の威厳も何もあったものではない。
全く大人げない。いや、子供の頃から暴力が大嫌いなサリサは、自分から人に手をあげた記憶がほとんどなかった。子供以下である。
「エリザ様のことは、見て見ないふり……いいえ、見ないほうが御身のためでございます」
言われてまさにその通りだった。
だが、エオルとの約束もある。あの採石師がくだらない人物で、エリザを不幸にしないとも言えないのだ。だから、サリサには、エリザを見守る義務がある。
そう自分をけしかけたのは、サリサ自身なのだから。
「見て見ぬふりはできないし、見たくはないけれど、エリザの兄と約束をしています」
と言いつつ、このままでは霊山の神聖な場所で、エリザとあの男がいっしょにいるところでも見てしまったら? 喧嘩でもしかねない。自分がこんなに凶暴だとは、思ってもいなかった。
「殴ったうえに申し訳ありませんが、頼まれてください。私は、エリザを見ない。だから、あなたが様子を見に行って、私の目として、事の次第を報告してください」
まるで探偵要請である。
だが、仕え人は、深々と頭を下げ「承りました」と言ったのだった。
――よりによって……あの滝を見に行かなくてもいいのに!
サリサがここまで腹を立てたのは、エリザが霊山にいたとしたら、その場所でいっしょに食事したのは自分だったから、である。
滝に行きたかったのは、昨日今日のことではない。
エリザが祈り所に籠っている間から、あっちこっちと連れ出す場所を考えていたのだ。その中でも、究極の場所ともいえる名所だった。
サリサが夢見ていたことは、すべてあの男に盗られてしまう。
エリザと築きたい思っているすべてを、あの男にやられてしまう。
苛々しながら、文章をおこそうとしたら……パキンとペンが折れてしまった。
「サリサ様、薬湯です」
最高神官の仕え人が、苦い薬湯を運んできた。
これは、精神をくつろがせる効果があるが、それがどこまで効くのかはわからない。
サリサは一気に飲んで、顔をしかめた。
「おかわりお願いします!」
こぽこぽと二杯目が注がれる。
「今日は、よく耐えられましたね」
「どこが! です?」
仕え人の言葉に、サリサは食ってかかった。
「今までのサリサ様でしたら、大人のふりをなさって影で勝手をなさっていました。今日はその逆でした」
つまり……子供っぽいまねをしてしまったが、判断は正しかった……と言いたいらしい。
――エリザが他の男といっしょにいるところなんて、誰が見たいものか……。
サリサは、三杯目の薬湯を要求した。
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