薬草採り・3


 丘は似たような姿が永遠と続くように思われた。

 ラウルの道案内で歩きながらも、エリザには薬草らしきものの存在が感じられず、焦り始めていた。

 陽は既に南中している。ラウルの足ならばたどり着ける場所も、エリザには無理なのかも知れない。帰りの時間を考えると、薬草を採取できる時間はわずかだ。

 ところが、エリザの心配は無用だった。

 やがて、ざあああ……という水の音が聞こえてきた。

 緑の丘が突然裂け、深い谷が現れた。その間を、水が流れているのだ。

 ラウルが、急にエリザの手を取った。

「気をつけて。ここから足下が悪くなる」


 やや湿気を帯びた崖を降りると、広々とした河原に出た。

 両脇の岩が水によってえぐり撮られていて、あまり陽が差し込まない。天気がいいのにひんやりとする場所だった。至る所に珍しい苔が生えている。

 ラウルはさらに上流へとエリザを誘った。

 エリザは歩きながらも、この場所がまるで霊山の縮図のように薬草があることに気がついた。水や湿度、岩陰と日向、そして外部とは切り離された環境が、色々な種類の薬草を育てる。

 やや淀んだ水の中から、青草がたくさん顔を出していた。崖の斜面には紅百合が妖しく咲き誇っていた。乾燥地を好むタウリ草まであって、エリザは目を丸くした。

「エリザ……」

 ラウルの声だ。

 ふと、頭を上げて、エリザは「あぁ……」と声をあげた。


 白いヴェールが空からふってくるような……。

 見事な高さを持った滝だった。

 激しい流れと水量を保ちながらも、どこか優美で穏やか。

 岩にぶつかり、跳ね上げられ、岩肌をなめ、糸を引くように落ちた水も、最後は静かな小川に変わっていく。


 ――霊獣を見た丘を覚えているでしょう?

 あそこからもう少し足を伸ばせば、美しい滝があるのです。

 ずっと見せてあげたいと思っていたところです。


「サリサ様……」

 思わず声が漏れた。

 この滝は、おそらくサリサが言っていた滝なのだ。


 ――夏にはとてもいいところです。

 リュシュに焼き菓子やサンドイッチを作ってもらって行ってみましょう。


 涙が止まらなくなった。

 この滝の神々しさが、まさに最高神官そのもののような気がして……。


 ラウルは、エリザをじっと見つめていた。

 滝に感動して泣いているにしては、大げさだと思ったのだろう。やがて、声を掛けてきた。

「ここで食事にしよう」

 エリザはその声を聞いて、ぴくんと跳ね上がり、しつこいくらいにうなずいた。

 ごしごし、ごしごし……と涙を拭いた。

 もう、最高神官とここに来ることはないのだ。

 それは――夢。想像だけで楽しむ世界だ。


 エリザの作ったお弁当と、ラウルがロンに作ってもらったお弁当。サンドイッチもあった。

 ――リュシュならば、どのようなサンドイッチを作ってくれたかしら?

 サリサの言葉を思い出し、エリザはふとそんなことを考えた。

 その目の前を、ラウルの手がよぎり、エリザのサンドイッチが消えていた。

「い、嫌だわ……。ロンが作ったものと食べ比べられるなんて」

 エリザがそう言っている横で、ラウルはエリザの作ったサンドイッチにかじりついていた。

「いや、美味しいよ」

「え! 本当?」

 謙遜はしたが、エリザだってお料理は得意なのだ。ラウルの言葉を真に受けたとたん。

「たまに目先が変わっていいかも?」

「そ、それって、どういう意味?」

 ラウルは笑って答えず、次に焼き菓子を食べ始めた。

 ところが、こちらは一口かじったとたん、急に黙り込んでしまった。

「え? 美味しくない?」

 エリザが不安そうに顔を覗き込むと、ラウルは大真面目な顔をして言った。

「いや、その反対。これ、お店に出せるよ」

「本当? 今度、ララァにお願いして売ってもらおうかしら?」

 リュシュの編み出した焼き菓子は、やはりプロの味だった。エリザは、悪戦苦闘して作り方を教わった日々を思い出していた。

「霊山の仕え人に教わったんです。サリサ様と、よくいっしょにお茶を飲みながら、いただいたものです」

 思わず懐かしく語ってしまった。

「霊山で?」

 ラウルが不思議そうな顔をした。

「あ、あの……だから、あまり高価な材料は入っていないの」

 霊山の実情を暴露したような気がして、エリザは焦った。

 だが、ラウルは「ふーん……」と小さく返事をし、立ち上がった。

 ラウルはあっという間に火を起こし、小さな鍋で滝の水を温め始めた。その中に、布で包んだ丸い物を入れた。

「珈琲という異国の飲み物だ。苦いけれど、疲れが取れるから……」

 布から染み出る黒い液体に、エリザは驚いた。見たことがなかったのだ。

「どんな薬草からできているのかしら?」

「豆を煎って粉にして包んでいるんだ。ムテの地では採れないらしい」

 ラウルが匙でかき混ぜると、ふわり……と、ほのかな香りがした。

 一の村は、リューマ族を通して異国との取引がある。エリザといえば、時々ムテ以外の国の存在を忘れてしまうほど、世界に疎かった。

「外の国って……恐そうね……」

 恐る恐る鍋の中を覗き込みながら、エリザは呟いた。

「これを飲んだら、面白そうに変わるよ」

 そう言って、ラウルがカップを差し出したので、エリザは一口飲んでみた。

「に……苦……」

 思わずしかめた顔に、ラウルは大声を上げて笑った。


 苦いといえば……。

 エリザは、サリサと二人で飲んだ薬湯の苦さを思い出した。

 その後にかわした口づけの苦さときたら……。


 覗き込んだカップの中に、サリサの顔が浮かんでは消えて、切なくなった。

 そのときのように、エリザは一気に珈琲を飲んで、そして「ふあ……」と涙目になった。

「エリザって、泣き虫?」

 突然、ラウルに聞かれてしまった。

「え? 私?」

「うん、いつも会う時、泣いているような気がする」

「う……うん。泣き虫かも……。弱虫だし」

「泣き虫だけど、弱虫じゃないよ。強いと思う」

 ラウルに強いと言われるのは二回目だった。

「え? そうかしら?」

「……だから……なぜ、エリザが泣くのか、わからなくなることがあるんだ」

 そう言うと、ラウルは押し黙ってしまった。

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