薬草採り・2


 準備万端整えた。

 再び、ララァにジュエルを預けた。

 天気は上々、風も爽やかな朝である。

 今度こそは! と気合いを入れて、霊山に向かう途中だった。

「エリザー!」

 下方から声がした。

 振り返ると、なんと、ラウルが坂道を駆け上ってくるのが見えた。

 あっけにとられて待っていると、彼はエリザの目の前まであっという間にやってきて、膝に手を当て、ぜいぜいと息をした。

「ラウル? どうしたの? そんなに慌てて」

 腰につけた革袋の蓋を開けると、ラウルは中の水をゴクゴクと飲み、ふっと息をついた。

「ララァにあなたが霊山に行ったと聞いて……いっしょに行きたいと思い」

 エリザは目を丸くした。

「え? でも……大丈夫なの?」

 ラウルは昨日、一週間ぶりに霊山の山頂付近から下山したばかりである。

 価値のある石を見つけることはできなかったが、陶器に混ぜる長石を大量に持ち帰ったばかりだった。

 普通、三日間ほど休養に当てないと、体が持たないと思われるのだが。

「大丈夫。それよりも、今日はたくさん薬草を集めて、クールのヤツを見返さないとね」

 ラウルが微笑んだ。やや日焼けした顔に、きらりと白い歯がこぼれる。

 前回、エリザはあまり薬草を集められなくて、クールに嫌みを言われた。それをラウルはララァから聞いたらしい。

 同じムテの青年でありながら、サリサとは感じがずいぶんと違う。男らしいというか、たくましいというか……。

 だが、見かけに反して、やや照れ屋で優しい人だった。

「ラウル。ありがとう……。でも、無理しないでね」

「む、無理なんかしてない!」

 やや、むっとしたように、ラウルは頬を染めてそっぽを向いた。

「ここは僕の庭みたいなものだ。たとえ疲れていても、エリザよりは倍の速さで倍の距離を歩けるし、十倍は荷物を運べると思うけれど」

 採石師としての誇りを傷つけてしまったらしい。

 エリザは小さな声で謝った。

「ごめんね」

「あ、謝ってほしくない」

 ラウルはますます照れながらも、有無を言わさず、エリザの背中からお弁当やら水やらが入っている荷物を奪って、自分の肩に掛けた。


 霊山の【控え所の門】に着く。

「どこに行くって書いた?」

 横でラウルがエリザの手元を覗き込むようにして、聞いてきた。

「え? えーと……。前回は、東山に入ったのだけど、だめだったから……今回は……」

「丘側がいい」

 そう言うと、ラウルはエリザからペンを奪い、ささっと書類に『凪丘』と書き込んだ。

 どうやら、ラウルにとって本当に霊山は庭なのだ。どこに何があるのか、よくわかっているのだろう。

 そう思えば、無理を押してエリザを追いかけてきたのも、薬草の群生地を教えてあげようという気持ちからなのかも知れない。

「……ありがとう。ラウル」

 エリザの口から、改めてお礼の言葉が出た。

 ラウルはすっかり照れてしまったのか、返事をしなかった。


 山道はかなり厳しかった。道なき道であり、岩をよじ上って行かなければならなかった。

 エリザはふうふう言いながら、ラウルに手を引っ張られ、時に風に舞い上げられるスカートの裾を押えつつ、上った。

 エリザが岩の上に座り込むと、すっと水が差し出される。冷たくて美味しかった。

「私……上りきれるかしら?」

「担ぐ?」

 思わずエリザはむせてしまった。真っ赤な顔をして立ち上がった。

「け、け、けっこうです!」

 ラウルのほうは、少しも疲れた様子がない。本当にエリザを担ぎかねなかった。

 厳しい道が終わると、今度はなだらかな草原が広がっていた。もう厳しい上りはない。下りすらあるくらいで、楽しい行程となりそうだった。

 丘が連なっていて、気持ちのいい風が通る。

 今までの疲れも忘れて、エリザは両手を広げて、深呼吸した。

 そして……気がついた。

「ここって……霊獣の丘?」

 ラウルの制止も聞かず、エリザは走り出し、丘を駈け下り、再び駆け上った。

 間違いない。

 この丘のもうひとつ奥の丘を、エリザとサリサは転げ落ちたのだ。

 その中腹で、霊獣を見るという不思議な体験をした。

 エリザはさらに息を切らしながら走り、その場所へ行こうとした。

 もう少し……というところで、ラウルが追いつき、エリザの腕を引っ張った。

 勢い余って、エリザはラウルの胸の中へと倒れ込んでいた。

「エリザ! だめだ! ここから先は」

 見ると、足下に草で隠れていたが、白い石がある。よく見ると、その石はずっと向こうまで連なっていた。

「この先は、霊山の管轄だ。足を踏み入れたら、二度と入山の許可証を受けられなくなる」

 風が渡り、石の結界を草が隠したり、現したりした。

 その遥か向こうを見ると、エリザが過ごした山小屋の屋根だけが見える。


 ――サリサ様と過ごした……。


 楽しいこともあったが、その日々を幸せだとは思ったことがなかった。

 お腹の子供は常に生死の間を彷徨っていたし、サラの呪詛に襲われていたし、何よりも不安でたまらなかった。

 だが、その不安から解消された今、思い出されるのは、いっしょにお茶を飲む最高神官の微笑みばかりなのだ。

 そして……今は、この小さな石の並びが、二度とその世界へと戻れないと教えてくれる。

 エリザは、知らないうちに涙を流していた。

「どうした?」

 ラウルの心配そうな声が響いた。

 気がつけば、エリザはラウルの胸に寄りかかるようにして、体を支えてもらっていた。その胸は、エリザが知っているものよりも広かった。

「ううん……。何でもないの」

 ラウルの胸から離れると、エリザは歩き出した。

 霊山の向こうに背を向けて……。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る