薬草採り

薬草採り・1


 初夏は霊山で一番いい季節である。

 薬効の高い草が芽吹き、見目もよい花が咲く。その種類も量も豊富であり、多くの許可を受けた薬師・癒しの巫女が霊山に入る季節でもあった。


「おほん! なのに、我が村の癒しの巫女は、霊山の許可を得ているというのに、麓の森で価値の薄い薬草採りですかな?」

 村の神官であり、村長でもあるクール・ベヌが、いやみったらしく言った。

 ララァの家にある薬草精製所。

 エリザはちょうど戻ってきて、採ってきた薬草を選り分けていたところだった。その作業中も、エリザの背中にはジュエルがいた。

「あ、あの……実は……」

 ジュエルを連れては、とても霊山に上れない。麓の森でも精一杯だ。そう言おうとして、エリザは言いよどんだ。

 最高神官の結界が働いているとはいえ、ジュエルが奇妙な子供であることは、もうこの村の誰もが知っている。ジュエルのせいで仕事が思うように進まないと言えば、クールは何を言い出すかわかったものではない。

「わ、私は、霊山のことをよく熟知していますもの。薬草は、これからです。今は、あまりいい草が採れませんもの」

 エリザは胸を張ってみせた。


 クールが帰ると、選り分けを手伝ってくれたララァが聞いてきた。

「エリザ、さっきの話。本当なの?」

「う……ううん、嘘」

 春が終わると、許可証を求める人は一段落し、無料の祈り所に泊まる人のほうが多いので、ララァとロンの仕事は暇だった。

 だから、こうしてララァはエリザの手伝いをすることが多かったのだが、今のところ、エリザがその手伝いに対して報酬を払えるほど、薬の収入はなかった。

 タダ働き・友情払いである。だが、ララァは文句ひとつ言わなかった。働き者のララァにとって、いい暇つぶしでもあったのだ。

「でも、このままじゃあ、クールのヤツに文句ばかり言われちゃうわね。この家の一件以来、私たちに何かとつっかかってくるし……」

 ロンはメイメ亭一の料理人だった。なのに、クールは、メイメ亭に比べてロンの店はまずい……と触れ回っていた。

 もちろん、通の人には、そんな中傷は意味のないことだが、元々祈り所の裏手で場所が悪いということもあり、ロンの店は苦戦していた。

「ごめんなさい。私が霊山の許可書を有効利用できないばかりに……」

 この地が故郷であれば、家族が神官の子供を預かってくれるだろう。だが、エリザには、ジュエルを預ける人はいなかった。

「わ……私がジュエルを見ていてあげるから……。そ、そうだよ! それで、クールの鼻をあかしてやろうよ!」

 突然、ララァが言い出した。

 ララァにとっても、ジュエルを預かることは勇気がいることではないだろうか? そう思って、仲良しになっても自分からはお願いできなかったことだ。

 もちろん、ジュエルを人に預けることに、エリザは強い抵抗があった。だが、今は背に腹は代えられない。

 ララァの提案は、とてもありがたかった。

 とにかく……。

 エリザは癒しの巫女として、村で認められる存在にならなければならないのだ。

 そうしなければ、ジュエルを守り育てることができない。



 エリザは、ララァにジュエルを預け、霊山に出かけることになった。

 最高神官にお目通りできるわけではないのに、エリザは山道を上る間、そわそわしてくる気持ちを抑えられなかった。

 初夏の陽気のせいもあるだろうが、足取りも軽くなってしまう。

 何かの間違いで、ちらり……とでも、あの姿を見られないだろうか? などと思っていたのだ。考えてみれば、霊山にいた時ですら、自分の意思ではどうにもならなかったことなのに。

 それが実に甘い夢であることを、エリザはすぐに知ってしまった。

 なんと、霊山の施設よりも上に行くには、いちいち入山の書類を書かねばならなかったのだ。霊山の許可書すら自分で取りに行けなかったエリザは、霊山の仕組みの厳しさに気がつかなかったのある。

 それに、許可を得たからといっても霊山の隅々まで行けるわけではなかった。

 塀と門、並べられた石で仕切られた区域は、霊山の施設がある場所であり、最高神官直々の命令でなければ、一般人の立ち入りは許されない。

 巫女姫時代によく行った苔の洞窟や、マール・ヴェールの祠がこれにあたる。道理で、一般人と巫女姫が霊山ではち合わせないはずだった。

 サリサと仲良く過ごした場所には、癒しの巫女といえど入れない。

 控え所の門の前で入山の書類を書きながら、エリザは門の向こうを懐かしく見上げた。

 しかも、現実的な問題があった。エリザが知っている薬草の群生地は、すべて霊山の立ち入り禁止区域にあるのだ。

 探せど探せど、薬草のある場所に当たらない。うんざりするほどあった香り苔すら、エリザには見つけられなかった。


 以前……困っていた時は、サリサ様が助けてくれた……。


 つい、頼りたくなって、エリザは慌てた。

 確かにここは霊山で、ほんの少し離れたところに、最高神官がいるのだ。だが、もうエリザには、その人に頼ることはできない。

 いっしょに集めた香り苔を思い出し、少し涙ぐんでしまった。

 自分で、お荷物になりたくはない、誰の力にもなれないのは嫌だ、などと思って、無理を言って下山したにもかかわらず……である。




「おっほん! 霊山に行ってもこれっぽっちの薬草なんですか? 先が思いやられますな」

 夕方、へとへとになって戻ってきたエリザに、やはりクール・ベヌの言葉は嫌みだった。

「あ、あの……実は……」

 巫女姫時代に知っている場所に立ち入る事ができなくて……。

 だが、そのようなことを言ったら、また何を言われるかわかったものではない。

「今日は下見だったのです。ま、まだ、これからが本番です」

 苦しい言い訳だった。

 クールは、鷲型の鼻をひくりと動かして、意地悪そうに笑った。

「ああ、私もそんなところと思いましたよ。まさか、これがエリザ様の実力とも思えませんしね。あなたには、三人分働いてもらわねばなりませんし。それぐらいの家賃はありますよ、この家は」


 笑いながら去って行くクールの後ろ姿に、ララァは塩をまいて舌を出した。

「うう、悔しい! アイツ、やっぱり家のことで一本とられたことを根に持っているんだよ。ああ、本当に嫌なヤツ!」

 学び舎を出たエリートである神官は、へんな者が多い。だが、クール・ベヌほどおかしな者は、滅多にいないだろう。

「……確かにそうかも知れないけれど……。このままじゃあ、だめだわ」

 エリザは、焦った。


 一の村に来てから、約三ヶ月が過ぎたというのに。

 癒しの巫女として、誰もエリザを頼らない。精製した薬だって、まだ信頼がもたれていないのか、思ったほど売れない。

 このままでは、エリザとジュエルは、この村で生活できなくなってしまう。

 癒しの巫女は生活に困らないと言われているが、それは、仕事をこなした場合のことだ。

 やはり、子供を抱えた女が一人で生きて行くのは難しい。

 おそらく、クールは、エリザが泣いて故郷に帰ればいいとでも思っているのだろう。そうすれば、もっと稼げる癒しや医師が来るとでも。

 今度、霊山に上ったら、クールを驚かすほどの薬草を手に入れなければ……。

 エリザとジュエルに明日はない。

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