熱情……されど、静かに

熱情……されど、静かに・1


 サリサが蜜の村に出かけたつけは大きかった。

 まず、仕え人たち一同が集まって「恐れ入りますが……」が、始まった。

 さすがに、今回はほとんど準備のない急な旅だったので、何の根回しもできていなかった。ひたすら謝ること、一時間である。

「尊きお方、謝っていただく必要はございません。今後はお慎みくだされば……」

 という言葉も、全くいつもと変わらない。

 それから、この三日間でかなりの許可待ちの人がたまってしまった。

 確かにこの時期は許可を与える季節ではあるが、例年、祈りの後・朝食の後に、少しの休憩を持つゆとりはあった。今年は、どういうわけかない。

 やはり、冬にジュエルを預かったことが影響しているのだろう。霊山の気が収まらず、危険すぎて許可を出せないのだ。

 だが、許可を得られないと生活にかかわる人々は、毎日、許可が出るまで霊山への道を辿る。ゆえに、人数が増えているわけではないのに、延べ人数が何倍にもなっている。

 しかも、それらの人々は許可証を得られるまで山の麓の村に滞在するのだから、一、二、三の村の祈り所は、泊まり客でごった返しているとのことだ。


「祈り所が騒がしくなりすぎていると、管理人からの苦情がありました」

「……といって、安全でもないのに許可を出すことはできません」

「サリサ様は、マサ様に比べると、許可が厳しいのでは?」


 確かにさっさと許可さえ出せば、人々はいなくなる。だが、サリサは、安全に確信が持てる人にだけしか、許可を与えるつもりはない。それで忙しくても、文句が殺到してでも、である。

「もしも万が一のことがあったりしたら? 泣くのは残された家族です」

 少なくても……サリサは泣いた。はるか昔に。


 渡り廊下を歩きながら、並ぶ人々の列の中に、エリザの姿を捜した。

 一の村に呼び寄せたからといって、癒しの巫女が霊山に挨拶に来ることはない。

 癒しの巫女は、既に一般人であり、霊山に属しているわけではない。すでに、村の神官の管轄だ。

 だが、霊山の薬草採取の許可のために、エリザが来ることは考えられる。そう思ったら、一瞬足が止まってしまった。


 ――抱いて……。


 最後に会った時のエリザを思い出して、サリサは思わず赤面した。

 横にいた仕え人に、どうしたのです? と聞かれるほどに。

「いえ、今日は暑いようですね」

 白々しい言い訳に、仕え人は一言。

「はい、そうですね」

 とだけ、返事をした。

 風が渡る涼しい朝である。

 ますます思い出しては、顔が熱くなってしまう。


 忘れもしない蜜の村でのこと――。

 あまりに意外な言葉で、耳を疑った。

 サリサは、ベッドにエリザを横たえたまま、そのまましばらく固まってしまった。

 だが、その言葉は聞き間違いではない。いっしょに付き添っていたシェールが、そっと部屋を出て行った。 

 体を清め、傷を癒したとはいえ、エリザの意識は朦朧としていた。視線は虚ろで彷徨うばかり。

 彼女は明らかに夢の中にいた。

 その言葉を真っ当に受け止めることもできず、サリサは躊躇した。

 だが、ほろほろと涙を流されて。泣いて懇願されて。


 だから、その後は……。


 一度は決着をつけたはずの恋なのに、禁忌に触れたのだと思う。

 今、このときだけがよければいい。

 望まれるがままに、言葉として音を発する前に唇で唇を塞ぎ、心を噤ぐ前に舌を舌で絡みとった。その甘ったるい味は、麻薬のようにサリサを夢中にさせた。

 月病の年を終えた女性は、男性を受け入れる準備ができない。心はとにかく、体が拒絶する。そのことがどういうことか、サリサは初めて知った。だから、今から思えば乱暴ともいえる行為だったかも知れない。

 だが、エリザはサリサを受け入れた。

 閉ざされた扉を自ら壊すようして、体の呪縛を解き心を開いた。引き込まれて、サリサは切なくエリザに酔いしれた。


 ――今、この時だけでも……。


 燃え盛る炎に油を注がれて、自らも焼き尽くしてしまう破滅的な恋。

 身を焦がすほどに激しく愛しあった後、サリサが感じたのは……後悔だった。

 安らかなエリザの寝顔を見て、複雑な気分に襲われ、切なくなった。

 逃げておきながら、ずるい……とも思った。同時に、愛しいとも思い、この人を思う熱情からは逃れられないのだ、と知った。

 そして、その『今』が終わってしまった後、二度と離したくはない、という自滅的な願望がサリサを支配した。

 別の言い方をすれば、絶望というものだ。

 ――とても……いっしょに連れて帰れない。

 わかっているのに、未練がましい。



 その日、最後の許可証は、椎の村の癒しの巫女だった。

 マサ・メル最後の巫女姫は、美貌と教養と力を兼ね備えた、しかも優しい女性だった。何の問題もなく、許可証を出す。

「ありがとうございます。サリサ・メル様」

 そう言って退出するかと思った巫女は、しばらく躊躇した後、恐れながら……と言い出した。

「サリサ・メル様。一の村の癒しの巫女のことですが」

「エリザのことですか?」

 つい、名前を出してしまい、サリサは慌てた。名前を呼び捨てにするのは、あまり好ましいことではないとされている。これでは、エリザを特別視しているのを宣言しているようなものだ。

 が、できるだけ冷静を装い、最高神官らしく言葉を続けた。

「何か言うことがあれば、特別に許します」

 アリアは、最高神官の態度にやや驚いたようだが、何を思ったのか、柔らかく微笑んだ。

 そして、エリザに起こった様々なことを何一つ漏らさず、最高神官に伝えたのだった。



「それでサリサ様は、再びエリザ様のために山を降りられると言うのですね?」

 昼食を運ぶ仕え人の声が冷たい。何せ、今後、慎むという約束を交わしたばかりである。

 サリサは苦笑した。

「当然……だめでしょうね」

「目をつぶりますわ」

「はぁ?」

 サリサは思わず拍子抜けした声を上げた。

 仕え人は、ポットから薬湯を注ぎながら言った。

「私がどんなに反対しても、サリサ様は行かれるに決まっております。このポットをテーブルにおろした時、注いだ薬湯から湯気が上がっていないというのは、あまり気持ちがよろしいものではありません」

 サリサはますます苦笑した。

 そういえば、そのようなこともあった。彼女は、それをかなりしつこく根に持っている。

「世を捨てたとはいえ、私にも少しは情の欠片は残っております。それに、サリサ様が無駄な力をお使いになるくらいなら、使わずに行かせるほうがずっといいに決まっております」

 そう言うと、仕え人は紙のような薄っぺらい表情に微笑みを載せた。

「うわ、ありがとう!」

 サリサはつい喜んで、フィニエルやリュシュにしたように抱きつこうとした。が、彼女はそこまで気を許していないらしい。

 するり……と身をかわすと、厳しい一言を付け加えた。

「忘れないでくださいませ。あの方は、あなたの元を去って行った方。すでに心は離れておりますことを」

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