新しい家・10


 その翌日のことだった。

 クールがエリザの元を訪ねた時、彼女は両手に来た時と同様の荷物を抱えていた。

「いったいどうしたのですか! エリザ様!」

 再び『様』が戻ってきた。

 エリザはすました顔で、返事をした。

「私に『適切』な家が見つかったので、引っ越すことにしましたの」

「はああ?」

 クールはおかしな声を上げた。

 その時、ラウルが姿を現した。

 クールに軽くお辞儀をすると、エリザの両手の荷物を、ひょいと片手で持ち上げた。

 その様子を見て、クールは気がついた。

「エリザ! まさか、家をまた貸ししたのではないでしょうね!」

 また『様』が落ちた。

「ええ、ララァさんと家を交換することにしましたの。あの家だと、私にはちょうどいいし、明るくて噴水も近くて、居心地が良さそうですもの」

「姉もちょうど引っ越しを考えていましたから、利害が一致したんですよ。クール様」

 今までのいきさつを考えると、ラウルの言葉は挑発的だった。クールの白い顔は、みるみるうちに赤くなった。

「ラウル! ララァに言いなさい! この家が借りたければ、頭金と三ヶ月分の賃貸料と二ヶ月分の敷金を払えと!」

 いつの間にか、余計な経費が上乗せされていた。さらにクールは語気を強めた。

「エリザ! そんなまた貸しが許されると思っているのですか! そもそも、この家は一の村の管理下にあるのですよ。それを無償で借りている身で何ということをするのです!」

 今までのエリザなら、怒鳴られて縮こまっただろう。だが、ここはジュエルの命やララァの幸せが掛かっていて、ひくにひけないところなのだ。

 自分でもびっくりの強気発言が出た。

「あら? でも、この物件は霊山のものですわ。ならば、霊山の最高神官に、直接お話をして、頭金と敷金と三ヶ月分の賃貸料の前払いが必要か、聞いて参りますわ」

 今度はクールの顔色が青くなった。

 こうして、クールは莫大な頭金さえも失ってしまった。


 呆然と立ち尽くすクールを後ろにして、ラウルとエリザは目を合わせて笑った。

「エリザって……見かけによらず強い人だね」

 ラウルが笑いながら言った。

 意外な言葉だ。

「え? わ、私? 私なんか、弱虫で……一人じゃ何もできなくて……」

 ラウルは軽く首を振った。

「いや、初めて会ったときから……強くて、勇気のある人だな、って思っていた。尊敬できる人だと」

「キャー! そ、そ、それって、買いかぶり過ぎです!」

 エリザは真っ赤になって反論した。

 強いとか、勇気とか、尊敬とか……すべてエリザから、かけ離れすぎている言葉だ。

「そ、そ、それに……私。謝らなければならないことが……」

「何?」

「あの……いただいた石ですが……なくしちゃったんです」

 穴があったら入りたかった。

 命のお守りともいえる石をもらっておきながら、こんなわずかな時間でなくしてしまうとは。

 ラウルは、さすがに言葉がなかった。

 しばらく、並んで歩いた後。

「あ……そう」

 とだけ、返事をした。

「ご、ごめんなさい……」

 エリザは小さくなって謝った。本当に尊敬に値しない女だと思う。

「お守りって、役目を果たすと無くなるんだよ」

 突然、ぽつり、とラウルが呟いた。

「え?」

 ラウルは少しうつむきながら歩いて、なかなか言葉を発しなかった。自然と足も速くなる。エリザは、その続きが聞きたくて、ラウルを追いかけるように小走りになって着いて行った。

「僕はやっぱり馬鹿だ。あの時、あなたを送って蜜の村まで行くべきだった」

 いきなりの言葉に、エリザは目が点になった。

「え? どうして?」

「石は身代わりになって消えるもの……って言われているんだ。だから、エリザがものすごく危険な目にあったんじゃないかと……。もしもそうなら、側にいて助けてあげたかった」

 ぎくり――とした。

 確かにエリザは危ない目にあった。一瞬のところ、兄のエオルに助けられたのだ。

 でも、あの時に石は失われた。

 ということは、ラウルに守られたともいえるのではないか?

「ありがとう、ラウル。そこまで心配されることは起きなかったけれど……きっとそれはラウルの石のおかげだわ。いえ、ラウルが心配してくれたから……」

 あの夜の恐怖を思い出すと、つい涙が出てきそうになる。

 うるうるした目でラウルを見つめると、彼は真っ赤になってそっぽを向いてしまった。

 さらに、足取りが三倍も早くなり、エリザはジュエルを抱いて駆け出さねばならなかった。



 引っ越しと改装は、順調に行われた。

 エリザは、夢に見た小さな家でジュエルと親子団欒で過ごせるようになった。

 それに、この村で友人もできた。

 村は離れているが、アリアという癒しの巫女の友もできた。

 マリとリリィにお願いすれば、椎の村のアリアに手紙を届けてもらえる。

「ありがとう」とお礼を書いた。彼女の機転がなければ、最高神官には会えなかったのだから。


 ララァとロンは、ラウルにお金を返そうとしたが、ラウルは笑って受け取らなかった。

「石を買い戻せば?」

 という言葉に、彼は笑って答えた。

「石が身代わりになるなら……僕の元にそれ以上のものが舞い込んだから、もういいんだ」

 ロンは頭をひねったが、ララァはにやにやと笑って、では遠慮なく……と、お金を受け取った。

「ねえ、ラウル。恋をすると、何かとお金が掛かるわよ? いざというときのために、ちゃんと備えておかなくちゃね」

 体に似合わず純情な彼は、真っ赤になって飛び出して行ってしまった。

「ふふふ、恋っていいわねぇ」

 ララァは、微笑みながらラウルの置いていったお金をしまった。

 巫女姫だった者を嫁にするとしたら、それなりの準備が必要だ。弟は優秀な採石師であるが、常にいい石が手に入るわけではない。

 いつか、お金が必要になるだろう。


 改装がほぼ終わった頃、エリザはララァのもとを訪ねた。

 家は明るく変わっていた。

 まず、たくさんのかまどがあるところの半分は、台所に変わっている。残り半分は……。

「やはり、これだけの施設をなくしちゃいけないと思うの。エリザ、家ではできないような精製は、ここに来て作業してくれると助かるわ。私も、季節外れのときは手伝わせてもらいたいの」

 春以外、霊山への登山者は減ってしまう。ララァとロンの収入も厳しいだろう。

「わかったわ。その時はちゃんとお手伝い料も払う」

 ララァは中々のしっかり者だ、とエリザは思った。

 広すぎる病室は、ベッド毎に区切りが入り、宿泊客用の施設となった。

 住居の居間に当たるところは、壁が一部取り払われ、広い食堂になっていた。

 古い暖炉はそのまま活かされて、この食堂の雰囲気を良くしていた。また、三の寝室のひとつは、やはり壁が外されて、やや奥まった会席所になっている。食事をしながらの話し合いの場にちょうどいいだろう。

 寝室のひとつは、ロフトが組まれていた。ララァ家族の居住空間だ。

「私たち家族には、この部屋ひとつの広さがあれば充分なのよ」

 香り苔のベッドだけでも贅沢ね、っとララァは微笑んだ。

 そして、最後の部屋は……。

「そこはね、そのまま特別のお客様用として、手をつけてないのよ」

「特別? それってどんな……?」

 外部の客人がないムテで特別な人といえば……最高神官くらいしか思い浮かばない。だが、人目を避ける神官は、おそらく祈り所以外に泊まることはないだろう。

 エリザが扉を開くと、かつての豪華なままの部屋が現れた。

 そして……。

 昔からのこの家の住人である白い影が三つ、ベッドの回りをゆっくりと回っていた。

 慌てて扉を閉めたエリザに、ララァは微笑んで言った。

「ね、特別なお客様でしょ? 彼らの故郷は、そのままにしてあげないとね」



=新しい家/終わり=

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