新しい家・8
サリサは、椅子をひきながら、呟くように言った。
「これは、メイメ亭の料理ですよね? 懐かしい……」
「あ……」
エリザのほうは、店の名前までおぼえていなかった。その店の看板は、長い間の雨風にさらされ、はっきりとは読めなくなっていたからだ。
久しぶりに会う最高神官に動揺して忘れがちになるのだが、サリサはこの一の村出身である。でも、神官の子供は学び舎に五歳で入るから、それほど村の記憶があるとは思えない。
「驚いていますね? 私は、最初から神官候補であったわけではありません。長い間、一般人としてこの村で生活していました」
エリザは目を丸くした。
神官というのは厳選された存在だ。ふるいに掛けるようにして、選り分けられ、落ちたものからはすくいあげられることはない。
サリサ・メルは、マサ・メルの孫に当たる血統であり、ずっと英才教育を受けてこの地位についたのだ、と思っていた。
「私の父は、神官の子供でありながら、その力が足りませんでした。学び舎に入ったとたん、無能さを露見させてすぐに故郷に戻されました。家族は、村にいられなくなり、新しい生活を求めて一の村に移ってきたのです」
エリザは、半分口を開けたまま、その話を聞いていた。
信じられなかった。
神官の子供でも、能力が不足して落とされる者がいるのだ。そして、虐げられて村を追われてしまう者も。
「私が生まれた時、父はごく普通のムテ人として生活していました。ここで採石師として生計を立て、私と兄弟を育ててくれました。父が『神官の子供』であると知ったのは、家族が去ってしまい、マサ・メル様に引き取られてからのことです」
エリザの口からやっと漏れた言葉は。
「……信じられません」
サリサは微笑んだ。
「私も信じられませんでしたよ。さあ、食事にしましょうか?」
サリサが椅子に座ったので、エリザはお茶を入れて差し出し、自分も席に着いた。
――ジュエルだけじゃない。
エリザは、巫女制度の栄光しか見てこなかった。
だが、祈り所の闇の他にも、別の闇がある。優れた血を掛け合わせても、必ずしも優れた血にならないという事実。
思えば、神官の数は巫女制度のわりに数が少ない。落ちこぼれた神官の子供達がどうなったのか? は、誰も知らない。
彼らに待っているのは、期待された分だけの幻滅だ。今、エリザが恐れているような……。
食事をしながら、エリザはおもわず聞いていた。
「サリサ様の……おばあ様はどうなったのですか?」
落ちこぼれの子供を産んでしまった巫女姫は、その後どうしたのだろう? エリザは気になった。
「癒しの巫女は、父が成人に達した後、故郷に戻ったそうです。そして、その村で旅立ちの日を向かえるまで過ごしたと聞いています」
「ど……どのようにして……サリサ様のお父様をお育てになったのかしら?」
エリザは、そう質問してドキドキしてしまった。
至らぬ子供を罵ったり、叩いたり、つねったり、隠そうとしたり……。
そんな気持ちにはならなかったのだろうか?
「さあ。私にはわかりません。生まれる前のことですからね。でも……」
でも、の言葉に、エリザはビクビクした。きっと不安そうな顔をしたのだろう。サリサが少し微笑んだ。
「私の父は、とても優しい人で子煩悩でした。ですから、きっと祖母に愛情を持って育てられたのだと思います」
エリザは、ふっと幼い頃に見た最高神官マサ・メルの冷たい目を思い出した。サリサは、本当によく似ている。だが、威圧的な雰囲気や冷たい感じはまったくしない。むしろ、優しくて癒されるような、温かみを感じる。
きっと、サリサの想像は正しいに違いない。
最高神官サリサ・メルという人物も、おそらく親の愛情をたくさん受けて、すこやかに育ったと思われるから。
――私も……。
たとえどのようにジュエルが至らなくても、その分、たくさんの愛情を持って育てるわ。
ふと……。
思い当たった。
最高神官が、一の村にエリザを呼び戻したのは……もしかして、自分の祖母を真似たのではないだろうか? と。
どう考えても、蜜の村でジュエルは受け入れられそうになかった。
一の村への話は、命令という形ではなく、お願いというものだった。もしも、エリザが村にいられそうにないと判断したら、いつでも一の村に逃れられるように……という配慮だったのではないだろうか?
そう考えると、エリザは胸の奥が熱くなってきた。
ジュエルのことを、恥だ……などと考えていたのは、サリサよりもむしろ、エリザのほうではなかったのか?
アリアが言っていた。
――うらやましいと。
そう、ジュエルには神官の子としての能力はないが、神官の子が持てないものを持っている。
父親だ。
最高神官を父とするのは無礼きわまりないのだが、エリザは心の中だけならば許されるのだと思った。
「メイメ亭の料理は、代替わりしても引き継がれていて……うれしいですね。とても美味しいです」
サリサの言葉に、あまりにまずい霊山の食事を思い出す。
つい気が緩み、では時々食べにいらしては? という言葉が出そうになって、エリザは目を白黒させた。
それが心話として言葉になったのか、急にサリサが手を止めて、真剣な顔でエリザを見た。
(きゃ! いけない!)
慌ててエリザは心を閉ざした。
このような図々しいことを考えては、霊山を下りてきた意味がない。一の村で、霊山に籠っているようにふるまって、最高神官の邪魔をする女になってはいけないのだ。
――たくさんのことを望んじゃいけない。がっかりするだけだわ……。
……それに。
心が近くなった一瞬に、感じてしまったのだ。
もう、彼が新しい巫女姫を抱いているということを……。
エリザも匙を置いた。
二人の間に、すきま風が通ったような気がする。
「そろそろ……戻ります」
重たい空気を引き裂くように、サリサが席を立った。
「あ、あ、ありがとうございます」
エリザも慌てて立ち上がり、椅子を倒してしまった。
大きな音がして、思わずぎょっとした。寝ていたジュエルが大泣きしだし、慌ててあやす羽目になる。
「ごちそうさまでした。また、いつか……」
と、サリサは言ったが、エリザは返事ができない。ただ、よしよし……と、申し訳ありません、を繰り返すだけだった。
サリサは灰色のマントを羽織り、扉を開けた。闇夜に溶け込むようで、銀の光を感じない。
「エリザ……」
帰りがけに彼は振り向いた。
何か言いたげだったが、しばらく言葉がない。エリザは、ジュエルをあやしながらも言葉を待った。
もしかしたら、この言葉が最高神官とかわす最後の言葉になるかも知れないと思うと、泣き続けるジュエルにお願いだから……と懇願したくなる。
「エリザ。私が最高神官であるとしても、ジュエルの父親であることに違いはありません。何か困ったことがあったら、必ず相談してください」
そう言うと、サリサは泣いている子供とエリザの額に口づけをした。そして、闇に消えて行った。
エリザは、しばらく立ちすくんでいた。
まるで夢でも見ているよう……。でも、確かに額に唇の感覚が残っている。
そして、ジュエルを見て驚いた。
また、あの結界の力が戻ってきていた。同じ力、同じ気で包まれていることに、小さな驚きすら感じた。
――同じ霊山の結界といえど、シェールとサリサの結界は似すぎている。
おそらく普通のムテ人ならば、蜜の村でジュエルに結界を張った者がサリサであることに気がつくはずだった。だが、エリザには、強い自己暗示が働いていて、それをひもとく鍵にさえならなかったのだ。
エリザが思っていたことは、この結界が白い影には効果がなかったという事実と、自分の大失態について、である。
「……困ったわ。つい、お話に夢中になってしまい、ジュエルを守る方法を聞き忘れちゃったわ」
うっかりしてしまったのだ。
だが、その夜は、サリサの前に現れたせいなのか、白い影は現れなかった。
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