新しい家・7
エリザは、ハラハラしながら白い霧に覆われてしまったサリサを見つめていた。
やがて、サリサを包んでいた白い影は、くるくると螺旋を描きながら上昇し、やがて天井に吸い込まれて消えて行った。
「! サリサ様っ」
思わず駆け寄り、抱きつきたくなった。
だが、エリザの足腰は立たなくなって、その場にへなへなと崩れてしまった。
振り向いたサリサの顔は、苦悩も疲労の色もなく、むしろ美しい微笑みすらたたえていた。
「エリザ、よく帰ってきてくれましたね」
再会がうれしい……という響き。
そっと歩み寄り、助け起こしてくれる手。ふと、そのぬくもりにめまいを感じそうになった。
夢で泣いてすがったように甘えたいと思った。
――でも、この人は最高神官なのだわ。
エリザは、必死に自分を保った。抱きつきたい衝動は押え切ることができたが、代わりにぼろぼろと涙が頬を伝った。
「命に従い、戻らせていただきました。再会できてうれしゅうございます」
ちょこんとお辞儀。堅い挨拶。
そうでもしなければ、恐かったことやら、クールが意地悪なことやら、ジュエルのことやら、何もかもぶちまけて号泣してしまったことだろう。
「悲鳴を上げてしまって申し訳ありません。ここにいらしているとは思いもよらなくて……」
さらに、堅い事務的な言葉。だが、エリザにはそれしか言いようがなかった。まともに顔も合わせられない。
「今日、椎の村の巫女に、あなたが霊山に上り損ねた話を聞いたのです。辛い想いをさせましたね」
最高神官の声は、いつものように水の中に響くような音でほっとする。
差し出された霊山の入山許可証を、エリザはうやうやしく受け取った。
「ありがとうございます」
こんな手がかかる癒しの巫女はいないに違いない。もったいなすぎた。
やや遠慮がちに、腕がエリザを包み込むように回った。そっと優しく抱き寄せられて、エリザは小鳥のように震えた。
霊山では当たり前だった行為が、あまりにも恐れ多く感じてしまった。抱かれること、触れられることが恐い。
最高神官の優しい気。銀の結界の中に身を置く。聖職を離れるということは、この気の外に身を置くことなのだ。
エリザは、サリサの腕の中で、霊山にいた時の感覚との違いに驚いていた。
「い、今の影は……何なのですの?」
震えをごまかすように、エリザは質問した。
「あれは、この家に住んでいる影で、何の危険もないものです」
「危険がない、のですか?」
エリザは驚いた。
確かに、昨夜もおとといの夜も、あの影はジュエルを襲った。そして、ジュエルは、死にかけたのだ。
「でも、私たちは襲われたのです。アリアがいなければ、死ぬところでした」
思い出しただけでも恐くなる。エリザは震えながら聞いた。
「サリサ様、あの白い影は……もう消滅したのですか?」
「いいえ」
ああ……と、エリザは顔を両手で押えた。
「どうしたら? どうしたらあの白い影を退散させられるのです? 私にはできません」
「家を恋しがるものを追い出すなんて、私にもできません。ただ……ある者には、致命的な毒となる場合もあるので……」
少しだけ、サリサの顔が歪んだ。
エリザはその表情ですべてを察した。
「つまり……ジュエルを、この家は受け入れたくないと」
返事はなかった。
それは、間違いなく肯定の意味だった。
「どうして? どうしてジュエルばかりが狙われるの? それは、ジュエルが至らない子だから?」
再びぽろぽろ涙が出てきた。
どこにいてもジュエルは何者かの標的にされる。誰もがジュエルを奪おうとする。
エリザには、わけがわからなかった。ジュエルが、ムテらしくない特殊な子供であるということ以外。
サリサの唇が、何度か言葉を紡ぎ出そうとして揺れた。そして出てきた言葉は。
「落ち着いて……。まずはお茶でも飲みましょう」
それを聞いて、エリザは慌てて涙を拭いた。
「も、申し訳ありません! 私ったら、気が利かなくて」
「いや……その」
最高神官の静止も聞かずに、エリザは台所へと走って行った。
かまどに火を入れ、お湯を沸かす間、エリザはぼっとしていた。
何やら色々ありすぎて、考えられなくなってしまったのだ。
お湯が沸騰し、ふいてざざっと音を立ててこぼれるまで、真っ白になっていた。
音に気がついて、慌ててお茶の用意をし、部屋に戻ってみると。
エリザが置きっぱなしにしておいた食事が、きれいにテーブルに並べられていた。それに、暖炉に火が入っていた。
春だといえど、夜は寒い。
今までも火を入れたかったのだが、暖炉の形式が違っていて、上手に火をつけられなかったのだ。この暖炉は一の村独特のものらしく、アリアさえも無理だった。それを、難なくサリサはこなしていた。
ぱちぱちと燃える火に、サリサの銀色の髪が透けて美しく見えた。思わず、見とれてしまったが……。
「あぁ、申し訳ございません! そのようなことまでさせてしまって」
顔が熱くなったのは、暖炉の火のせいではなかった。
霊山にいるべき人を山下りさせたうえ、食事の準備や暖炉の火入れまでさせてしまうとは、恐れ多いにも程がある。
エリザの言葉に、サリサは小さなため息を漏らした。
あきれたからなのだろうか? エリザは緊張し、こわばってしまった。
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