新しい家・6


 翌朝、アリアとエリザは、再び霊山を目指した。

 やはり、ジュエルを抱いての登山は厳しく、アリアがエリザの手を引いての休み休みの道のりだった。

「夕べの呪いだけど。前の夜もそうだったなら、今夜もそうかもしれない。私も、今日には椎の村に帰らなきゃならないから……。困ったわね」

「今夜は……祈り所に泊まります」

 エリザにとって、祈り所は二度と籠りたくない場所である。だが、それしか方法がない。

「でも、祈り所は今時期混んでいるわ。泊まれるかしら?」

 そうだった。アリアが無理して日帰りを敢行しようとしたのは、祈り所が混雑しているとの情報からなのだ。

「どうにかなると思います」

 そう言いつつも、エリザには自信がなかった。しかも、ジュエルに掛かっていた暗示は効力が無くなりつつある。

 祈り所で祈っている人たちの中にジュエルを連れ込んだら、恐ろしいことが起きそうな気がする。


 ――魔を持たぬ最高神官の子供。


 エリザだけが責められるのならいい。だが、最高神官の権威も失墜するかも知れない。さらに、ジュエルに至っては……どうなってしまうのだろう?

 想像するとますます恐くなり、早くサリサに会ってこのことを相談したくてたまらなくなった。

 きっと、最高神官ならば、あの白い霧の正体がわかるだろう。

 ますます重たくなるジュエルを抱え、エリザは必死に足を運び、霊山への道を急いだ。


 ところが……。

「その赤子は、この先を行かせることはできません」

 アリアとエリザは、顔を見合わせた。

 中腹の検問で、なんとジュエルが引っかかってしまった。

「昨日は通れましたのに?」

 アリアが思わず突っ込んだ。

 係の男は顔をしかめた。

「誰が通したのですか? その者を首にしますから、名がわかるなら教えてください」

 そう言われると、もうエリザは引き返すしかない。

 ジュエルの結界はほとんど残っていない。昨日、予想した通りになってしまったのだ。

「でも、この子はまだ乳飲み子なのですよ!」

 アリアががんばってくれても、係の男はそっぽを向いたままだ。

 霊山の決まり事がお堅いことは、アリアもエリザもよく知っている。どんなに泣きついても温情は通じないのだ。

「アリア……。ありがとう。私、戻ります」

「エリザ。でも……」

「いいんです。アリアだけでも、許可をもらえれば……」

 それに、許可をもらったとしても、エリザはこのように重たいジュエルを抱いては、もう霊山には入れないだろう。

 一度出たとたん、霊山はジュエルを拒絶した。

 いや、エリザがそれを望み、二度とここには来ないと誓ったのではないか? 今更、最高神官の力に頼りたいなんて、虫がよすぎるのだ。

 何度も何度も振り返りながら山を登ってゆくアリアに、エリザは見えなくなるまで手を振った。そして、とぼとぼと来た道を戻って行った。



 エリザが一の村に戻った時、ちょうど家の前に人影があった。

 よく見ると、クールと赤子を抱いた女だった。

「ですから、あなたたちに貸すという話は、もう無くなったのですよ」

「でも……。クール・ベヌ様は、頭金が揃ったら……と」

「ですから、それは次の癒しの巫女がいらっしゃる前の話ですよ」

 何だか話は見えないが、平行線をたどっていることだけはわかる。

「あの」

 エリザが声をかけると、二人は話をやめた。女のほうは、さっとエリザに会釈をすると、去って行ってしまった。

 その姿を、エリザはどこかで見たことがあった。そう、あの噴水の近くに住んでいる女性だ。

「ああ、エリザ様。さっそく霊山で薬草採取ですか? ずいぶんと重そうですね。せいが出ることです」

 クールは、もみ手をしながら、エリザの荷物を覗き込もうとした。エリザはあわてて手を払った。

 この男にジュエルを触れさせるわけにはいかない。

 結界はほとんど残っていない。ジュエルの黒髪を見られたら、何と思われることか。仮にも神官なのだ。ジュエルの力のなさを察知し、きっと不義の子だと騒ぎ立てるだろう。

 クールはブツブツ言いながら、そんなに怒ることはないでしょう? とばかりに、その場を去って行った。


 家の中に入ると、あまりの広さにぞっとした。

 アリアと楽しく夕ご飯を作った台所も、一人で立つと落ち着かない。エリザは、どうにか昨夜の残り物を温めて食べ、さっさと台所を後にした。

 ジュエルに授乳している間も落ちつかず、いつ、あの白い霧が現れるのやら? と、ドキドキした。

 その後、粗大ゴミとなったベッドを片付け、再び器材の洗浄をした。が、ずっとジュエルを背負ったままだったので、さすがに疲れてしまった。

 とても買い出ししてご飯を作る元気がない。そこで、エリザは外食することにした。ラウルといっしょに入った食堂はとても美味しかったので、そこへ出かけた。


 ところが、店に入ったとたん。

 人々の目が突き刺さるような気がした。以前の感じの良さはなかった。

 エリザは、来たばかりの癒しの巫女で、顔を覚えられていないのかもしれない。だが、この村はよそ者にも冷たくないはずだ。

 実際に、霊山を訪ねて多くの人が出入りしているし、時にリューマ族だってお客になる店だ。

 どうも、人々の目はエリザの背の中のものを探ろうとしているように感じる。

 それほどに結界は弱まっているのだ。とても、ジュエルをおろして人前にさらせる雰囲気ではない。

「あの……お持ち帰りはできますでしょうか?」

 注文を取ろうとやってきた青年に、思わずエリザは言っていた。

 店の人は、感じが悪いわけではない。むしろ、歓迎してくれているふしがある。

「ああ、あなたは新しい癒しの巫女ですね。助かりますよ。この村には前任者のお弟子さんはいるけれど、やはり、本当の霊山仕込みの癒しがいないと心配で」

 ニコニコと笑う顔に嘘はなかった。

「神官のお子を家に残していたら、外食なんてできませんよね? いいでしょう。特別にお包みしますよ」

 そう言って、店の人はたっぷりとお皿に料理を盛ってくれたのだ。これは、とても女性一人では食べきれない量である。

 だが、遠慮している暇はない。背中に背負っているのが神官の子と知ったら、彼も不信感を持つに違いない。

 エリザはお礼もそこそこに、お持ち帰りに包んでもらったごちそうを受け取ると、そそくさと帰り道を急いだ。


 日はとっぷりと暮れ、また、夜がやってきた。

 だが、エリザとジュエルに残されているのは、やはりあの家しかない。

 今や、エリザさえも闇を感じる子供を連れて、とても人々が集う祈り所には行けなかった。

 エリザはきしむ扉を開け、真っ暗な家の中に入った。

 土間の横を抜け、もうひとつの扉を開け、居間に入ると灯りをつけた。そして、テーブルの上に料理を置き、ジュエルを椅子の上におろして、ほっとため息をついた。

 が……。そのとたん、背中にぞわっとするものを感じて、慌てて振り向いた。

 例の白い影である。

「きゃっつ!」

 と小さい悲鳴をあげた。が、次の瞬間、緊張に身をすくめてしまった。

 白い影に包まれるようにして、銀色の影が揺れて見えた。

「大丈夫ですから、静かに」

 銀の影が、小声で言った。

 その声に、エリザは聞き覚えがある。恐る恐る、灯りをそちらに向けた。

 祈るように手を合わせて立ち尽くす銀色の髪の人物と、それを取り囲んで躍るように揺れる白い三つの影。

 昨夜のエリザとジュエルのように……。

「サ、サリサ様」

 震える声で呼ぶと、最高神官はあわせた手の片方を口元に運び、静かに……と、唇を押えてみせた。

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