新しい家・5
やっとたどり着いた霊山の門。
だが、その扉は堅く閉められていて開かなかった。
「どうやら……遅かったらしいわね」
アリアがふっとため息まじりに言った。
太陽は高く上がっている。最高神官は、今日の許可出しを打ち切り、昼の行に出かけてしまったに違いない。
「私のせいで遅くなってしまって……」
エリザは小さくなってしまった。だが、アリアはけろりとしていた。
「いいえ、もともと遅かったのよ。普通は一泊するところなんだけど、祈り所は混んでいるし、宿に泊まるのはもったいないと思って、夜明け前に出てきたの。やはり、無理だったわね」
椎の村は、霊山から馬車で半日というところ。前日に出て一泊し、翌朝霊山を目指すのが一般的だ。
だが、アリアは無理をおして出てきたのだろう。夜明け前から出かけた人の足を引っ張ることになるとは、エリザは後ろめたかった。
「なんてことないわ。明日の朝、出直せばいいことですもの」
ここまでがんばってきたのにサリサに会えないのも悲しかったが、人に迷惑をかけたのは、もっと悲しい。
「アリア、ごめんなさいね。もし、よかったら、私の家に泊まってくださらない? 引っ越してきたばかりなのだけれど、広すぎて恐いの。泊まってもらえたらうれしいわ」
帰り道は、行きの上りが何だったのだろう? と思われるほど、楽だった。
癒しの巫女二人は、途中広場で開かれる市場で買い出しをし、お互いの得意料理を競うことになった。
こうなると、広すぎるほど広い台所は便利だった。アリアとエリザは、並んで料理の準備をし、楽しい時間を過ごした。
食事の時間は、もっと楽しい時間となった。おいしい料理を食べながら話が弾んだ。
「さすが一の村なのね。私の故郷の蜜の村は、こんなに大きな市も立たないし、食材も限られているの。びっくりしちゃった」
「ふふふ、だって私の村からも珍しいものを求めて買い物に来る人がいるくらいなのよ? ここって唯一、リューマの市が立つところでもあるから、物資が豊富なのよね」
「それに、アリアのお料理って美味しい!」
「それって、エリザが霊山のまずいものに慣れているからよ。本当に、節約もいいけれど、あそこの食事には参りますよね」
「舞米の粥?」
「そう、味気なしのね」
エリザとアリアは、顔を見合わせて笑った。
食事後、アリアはホコリまみれの薬草精製の器材磨きを手伝ってくれた。
種類豊富な器材は、時にアリアが首を傾げるものもあった。
「それは、ちょっと加工されているけれど、青草のエッセンスを抽出させる器材だと思うわ」
「エリザって凄い! 私には何が何だかよくわからなかったもの」
エリザは照れくさくなった。凄いなんて、言われたことがなかった。
「凄くなんてないわ。至らない巫女でしたもの」
「至らない? そうかしら? これだけの器材の使い道をすべて熟知しているなんて、誇りに思うべきだわ。だいたい、短い巫女姫の期間で、そこまで勉強するなんて本当に偉いわ」
サリサに褒められるとなぜか落ち込んだエリザだったが、アリアに言われるとその気になってしまう。彼女は褒め上手だ。
至らない点が多かったエリザは、その分、必死に勉強した。仕え人だったフィニエルも協力的だったので、実に効率よく学べたのだ。
薬草の仕え人や癒しの者が『もう教えることはない』と言ったのも、真実だったのだろう。第三者に言われると、初めて実感する。
それでも、エリザが自分で至らないと思っていた理由は、子供と……。
「でも、私って祈りの力が弱くって……」
巫女にとって大切なのは、ムテとしての素質。それと祈りの力なのだ。
ムテの血が濃く、素質を子孫に伝える能力があること。それと、最高神官の祈りを補助できること。
薬草の知識・癒しの業は、どちらかというと、癒しの巫女として一般人となったときのための、補助的なものだ。つまり、巫女姫のその後を保障するための伝授である。
「あら? だって、もう巫女は降りたのよ。これからは、祈りよりも癒しが重要。私なんて……祈りの力は人並み以上に自信があったばかりに、癒しやら薬草学をさぼっちゃって、今頃になって苦労しているわ」
アリアは笑ってみせた。
「私たちは、これから人々を癒し、霊山の知恵を他の人に伝えてゆく使命を負っているのよ。それは、祈りよりもずっと大切」
そう言われると、癒しや薬草の知識に自信のあるエリザは、ほっとするのだった。
夜も更けた。
エリザは、昨夜の嫌な経験から、今度は絡みツタのベッドに寝ることにした。アリアは、初体験の青草のジェルのベッドを試したいと言った。
「だって、信じられないわ! 白竜の皮をこんなにふんだんに使っているなんて。しかも、縫い目がほとんどないなんて、一枚皮を使っているのよ! 贅沢すぎだわ!」
大人っぽい女性だと思われたアリアだが、少女のように興奮している。何度もベッドの上で跳ねて喜んでいた。
「それに青草のジェルだなんて……私もびっくりです」
爽やかな香りのする青草はそれほど高価なものではないが、ジェルに加工するとなると、手間ひまのかかる代物だ。べッドを満杯にするには、どれだけの経費が費やされたことやら。
以前住んでいた家族は、ここで贅沢な生活を送っていたのだ。アリアのようにそれを楽しむことなど、節約慣れしたエリザにはできなかった。
お休みを言って別れ、エリザはジュエルを抱いてベッドに入った。
「サリサ様……。明日こそ、お会いしたいです」
アリアと離れると、今日、最高神官に会えなかったことが、急に悲しく思い出された。
エリザは目をつぶった。
――明日こそ……会える。
薬草採取の許可をもらって……。
ジュエルのことを相談して……。
挨拶して……。
それから……。
いや。それだけだ。
特別だなんて思っちゃいけない。
優しくして欲しいなんて、思っちゃいけない。
あの方は……遠い人なんだから。
私は、あの方のために一生懸命、ここでがんばるだけ。
でも。
……やっぱり会いたいです。
ごめんなさい。
エリザは眠りに落ちていった。
だが、その途中で、何かが引っかかったような気がして、手を払った。
その感覚は、まるで昨日の寝苦しさに似ている。
エリザは、はっとして目覚めようとした。だが、何かが頭を押さえつけている。
腕の中のジュエルを、白い手が奪おうとしている。
エリザは必死になって、ジュエルを抱きしめた。
昨夜と同じだ!
白い影が三つ、ゆらゆらとベッドの横に揺らめいた。
それが、ジュエルとエリザを取り囲み、くるくると回り出した。
エリザは必死に祈りだした。だが、白い影の輪は、だんだんと小さくなり、やがてジュエルを包み込んだ。
「ジュエルをお守りください。……サリサ様!」
必死になって、ジュエルを押さえ込み、エリザも影に囚われた。
これは呪詛だ。それも、悲哀を伴った呪詛。
ジュエルを憎み、ジュエルを掴もうとしている。
「だめ! この子は私のもの! 消えて!」
エリザの声は、もうすでに祈りではなく、母親の悲鳴と化していた。
その時。
激しく部屋の扉が開いた。
「ラ・モーラ・タラ・サンドラ・シーナ!」
(迷えるものよ、消え去れ!)
それは、古代ムテの言葉で、強力な祈り言葉だった。
とたんに、白い影はしゅるしゅる……と音を立て、ジュエルとエリザの元から去っていった。
エリザならば、絶対に唱えられない祈り言葉――アリアの声だった。
「エリザ、大丈夫?」
暗闇の中から、アリアの声が響いた。
ぼんやりと浮かぶ影。彼女が掲げていた蝋燭の火は、今の強い祈りの前に吹き飛んでしまったらしい。
エリザは、ほっとしてベッド脇の蝋燭に火をつけながら、返事をした。
「あ、ありがとうございます。おかげで助かりました」
「あれは……何なの?」
「それが……」
エリザは答えられない。わからないのだ。
だが、アリアが異常に気がつくくらいだから、ものすごい呪詛なのに違いない。
ところが、アリアはあっけなく言った。
「なんだか……ぼんやりしている呪いね。この部屋の前に来るまで、全然気がつかなかったわ」
「え?」
てっきり、異変に気がついて助けにきたのだと思った。
蝋燭に火がついて辺りが明るくなると、エリザはぎょっとした。
「慣れないベッドなんて使うべきじゃなかった。長い間、使われていなかったからかしら? はしゃいで跳ねたから? それとも、私が重すぎたのかしら? 途中で、縫い目がはじけとんだらしく……」
アリアは、青草のジェルに包まれてため息をついていた。
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