新しい家・4
その時だった。
すっと目の前に差し出された手。そして、言葉。
「大丈夫? 歩けます?」
やや低めの落ち着いた女性の声。見上げると、逆光で銀色の髪が鮮やかに透けた。
手にすがって立ち上がると、急に背中が軽くなったような気がする。
「あ、ありがとうございます」
お礼を言うと、女性はにこりと微笑んだ。
ややエリザよりも長身の、いかにもムテらしい美しい女性だった。切れ上がった目と薄めの唇だが、微笑むと現われる片エクボが、どこか優しい感じを与える。
「子供を抱いてなら、これから先も厳しいですわ。どうぞ、私につかまって」
「で、でも……そんな……」
「大丈夫ですから」
遠慮したエリザだったが、女性はさりげなくエリザの腕を支えて歩き出してしまった。まったく不快感のない、自然な親切だった。
「ありがとうございます。一の村の癒しの巫女で、エリザと申します」
「椎の村の癒しの巫女でアリアよ。よろしくね。エリザ」
普通ならば、子供を抱いて山に登る癒しの巫女はいない。家族に預けるなどして、身軽になるはずだった。
だが、エリザにはジュエルを預けられるような者がいない。その奇妙さを、アリアは感じているはずなのに、何も聞いてこなかった。
エリザにとって、それはとてもありがたいことだった。
エリザとアリアは、ゆっくりと山を登った。
気さくではあるけれど、どこか気品が漂う。フィニエルを柔らかくしたような雰囲気。
エリザは、すぐにこの女性が好きになった。
「私はマサ・メル様の最後の巫女姫だったのよ。つまり、百三十九番目の巫女だったの。百三十五番目の神官の子供を儲け、その子は今、学び舎にいるの」
「私はサリサ・メル様の最初の巫女姫だったんです。何だか不思議な感じがします」
長い時を挟んでいるとはいえ、アリアはエリザの前の巫女姫ということになる。
「マサ・メル様は、最後の十年間、巫女姫をお取りにならなかったから……ずいぶんと期待されてしまったでしょう?」
「……ええ……」
楽しく弾んでいた会話だったが、巫女姫時代を思い出してなのか、急に体が重くなってきた。
巫女姫になることだけで頭がいっぱいだったが、霊山にはそういったわけもあったのだ。エリザのような至らない少女が、どれだけ霊山の幻滅に繋がったのか、今ならばわかるような気がした。
「エリザ? どうしたの? 具合でも悪い?」
急に足取りが悪くなったことに気がついて、アリアが心配そうに顔を覗き込む。
「いえ、大丈夫」
「大丈夫には見えないわ。少し休みましょうか」
やはり、遠慮や気遣いをすぐに見抜いてしまうのは、心話に長けているからなのだろうか? アリアはもう休憩場所を見つけて、そこにエリザを引っ張って行った。
「ずっと子供を背負っているから疲れたのよ。一度、おろすといいわ」
すべてはアリアのペースだった。だが、さすがにアリアがジュエルの袋に手をかけた時、エリザは焦った。
「やめて! 大丈夫だから!」
ジュエルを見られたくはなかった。アリアは巫女姫だった女性。きっと、ジュエルの秘密を見抜いてしまうだろう。
予想もしないエリザの拒否に、アリアは驚いて手を止めた。だが、彼女はすぐにジュエルの袋に触れた。
「荷物を降ろさないと、あなたはもう歩けないわ」
有無を言わせない微笑み。エリザは、なぜか圧倒されてしまった。
マサ・メルが選んだという巫女姫は、サリサ時代に選ばれたそれよりも、ずっと能力が高いのかもしれない。
エリザは、アリアに言われるがまま、ジュエルを背から下ろし、道横の芝生に座った。
ジュエルは、ラウルからもらった袋に入れておくと気持ちがいいのか、よく眠っている。
アリアが少し身を寄せて覗き込み……微笑みが固まった。
――やっぱりだわ。
その様子を見て、エリザは落ち込んだ。
誰もがジュエルの姿を見ると、嫌な顔をするのだ。そして、中には害を及ぼそうとするものさえいる。せっかく仲良くなれそうだと思ったアリアには、ジュエルを見て欲しくはなかった。
だが、アリアの微笑みが途切れたのは一瞬だけだった。
「可愛らしい子ね」
彼女は言った。
「……可愛い……ですか?」
意外な言葉に、エリザはアリアの顔をまじまじと見てしまった。そこに、無理をしている様子はなかった。
「黒髪は、肌の色をきれいに見せる。白い肌に頬が桃のようで美味しそうよ」
どうやら、アリアには、ジュエルがムテらしからぬ容姿であることはわかるようだ。
「……あの……この子は……私とサリサ様の子なのに、神官の子供には見えなくて……」
「確かにね」
つつんと、アリアの指先がジュエルの頬に触れた。
「正直を言うと、ムテの子供にも見えない。最高神官の血も感じなければ、あなたの血すら感じない」
言われたくないことを言われて、エリザは真っ青になった。
どうして、自分の子供がそのようになってしまったのか?
サリサは、ほぼ完璧なムテの純血を保っている。だが、エリザの場合はわからない。多くの純血種が、もう既に古代までの家系をさかのぼる記録を持たない。だから、どこかで別の種族との混血があり、血が薄まったのかも知れない。
それが、たまたま強く出たとしたら?
どう考えても、自分のせいだとしか思えなくて……。
「でも、この子は最高神官の子供だと思うわ」
いきなりアリアが言い出した。
「え?」
今まで山下りして以来、そう言ってくれた人はいなかった。
エリザは、かえって驚いた。しかも、アリアのような力あるムテ人に言われるのは、リリィやマリに言われるよりも重みがある。
「でも……この子の髪は黒くて……」
「そういうことではなくてね、何らかの事情はあると思うけれど、サリサ・メル様が認めていらっしゃるのですもの。何も疑うことはないわ」
そう言うと、アリアはエリザの手を取った。
「この子には、サリサ・メル様の守りを感じるの。大事に慈しんで育てて欲しいという願いも感じる。親でなければ、誰がこのようにこの子のことを気にかけるかしら?」
――知らなかった……。
アリアに言われるまで、エリザには、ジュエルにかけられた結界しか感じることができなかった。
だから、最高神官がこの子供を恥じて、隠したがっているのだと思えて、惨めで悲しくてたまらなかったのだ。
「この子を育てるのは難しそうだと思うけれど……負けないでね」
エリザの中に力が湧いてきた。
初めて、ジュエルを認めてもらえたような気がする。
そして、サリサがジュエルを気にしてくれていると知って、涙が出そうなくらいうれしく感じた。
「エリザ、あなたがうらやましいわ。だって、私の子に、父親はいなかったのですもの」
ぽつり……とアリアは言うと立ち上がり、エリザに手を差し出した。
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