新しい家・2


 家はクールの言う通り大きかった。

 クールの家とは反対側の、祈り所の裏手にある。そのせいで目立たないだけで、クールの家よりもさらに大きく、高さもあった。

 日が祈り所の屋根に遮られ、陰気な感じがした。

「でも、夏は涼しそうね」

 エリザは、建物に圧倒されながらも自分を奮い立たせた。

「でも、冬はかなり寒いようですよ」

 エリザの気力をくじくようなクールの声である。

 無視して家に入ろうとすると、扉が悲鳴のような声をあげた。

「ここの家族三人がウーレンに旅立ってから、ずっと空家でしたからね。多少、きしみがあるかも知れませんが、立派でいい建物ですよ」

 そう言ってクールは家の中に入った。エリザも後に続いた。


 入るとすぐ、土間になっていた。

 そこに多くのかまどがあり、エリザを驚かせた。

 さらに、棚の上には石臼が何種類かあり、薬の袋や匙、小瓶、分銅、秤などがホコリを被った状態で置かれていた。

 目を見張るばかりの豊富な器材である。まるで、霊山に戻ったようだ。

「ここは、薬草の精製場ですよ。前の薬師は、ここで弟子を使って大々的に薬を作っていました。その弟子たちも、今はぞれぞれに別の仕事を持っていますがね」

 さらに奥の部屋を見ると、ベッドがたくさん置いてある。

「その奥の部屋は、病室です。医師が診察していました。そして、癒しの巫女も、ここで病人を見ていました」

 何とも広くて立派な病院だった。確かに一人では、この病室が埋まるほど病人が来たら看ることはできない。

「まあ、ここは霊山の麓ですからね。めったに使われることはありませんでしたよ」

 エリザの心を読んだのか、クールがふふんと鼻で笑いながら言った。


 ――蜜の村には……何もないのに。


 そう思うと腹が立った。と同時に、サリサの言葉を思い出した。

『一の村はまだ恵まれているのに……』

 ということは、期待されて……ではなく、クールの陳情を黙らせる目的で、最高神官はエリザを呼び寄せたのだろうか? そう思えてきて、がっかりした。

「前に住んでいた人たちは、主に薬草の精製で儲けていましたよ。それが一の村の税収にもなって、たいしたよかったんですがね。エリザ様もよろしくお願いしますよ」

「え?」

 棚の器材に手を伸ばそうとして、思わず止まってしまった。今、何と言ったのだろう?

「ですから、弟子でもとってせっせと薬草の精製をしてくださいよ。三人分働くつもりでお願いします」

「……私、病気や怪我の人を助けたくて……」

「ここをどこだと思っているんです? 最高神官のお膝元ですよ。病人など出ると思いますか? まぁ、子供が転んでけがくらいはしますがね」

 意気消沈。並んでいる薬草の精製器が虚しく見えた。

 なんと、一の村は税収維持のために霊山に癒しの巫女を求めたのだ。

 月に一度、リューマ族の商人が集まって市を開く村だ。薬草や薬はいい値がつくことだろう。エリザはくらくらした。

「エリザ様、こちらですよ。今のところは、付属の施設にしか過ぎません。住居はこの先にあります」

 横の小さな扉の前で、クールがにたりと笑った。


 扉を入ると、さらに広い部屋があり、ムテとは思えない豪華な椅子や机があった。

 火が入っていない暖炉だが、華やかな装飾がなされていて驚かされた。それに続く煙突は長い。思わず見上げてしまう。つまり、見上げるほどの高い天井がある。

 平屋とはいえ、この家は二階建てほどの高さがある。

 霊山の慎ましい生活に慣れているせいか、気後れしてしまう。ここに馴染んで住めるのだろうか? 不安になってしまう。

「この村一番の大きな家ですよ。そりゃあ、医師と癒しと薬師の家族ですから、大金持ちだったわけです」

 クールは得意げだった。だが、その後、声が沈んだ。

「なのにまぁ……いったいどうして三人揃ってウーレンに送られることになったものでしょう? お三人は『最高神官の命令ならば』と喜んで旅立ちましたが、内心は違ったでしょうね」

 ずきん、ずきん……と胸が痛んだ。

 その提案を最高神官にしたのは、エリザなのである。それを知られたら、ますますクールはエリザに冷たくなるだろう。

 でも、このままだと、何でも悪いことはサリサのせいになってしまう。尊敬する最高神官を悪く言われるのは、エリザにとって不愉快きわまりない。

 またもやびっくり発言が飛び出してしまった。

「最高神官の決定に何か不満でもあるのですか? あの方に間違いなどあろうはずもございません」

 エリザは胸を張った。

 全くの虚勢だが、クールの霊山への不満をこれ以上聞いていたくなかったのだ。

 案の定、クールはしまったという顔を見せた。

「いえいえ、私も最高神官サリサ・メル様の決定に不服などあるわけがございません。ただ……貴重な人材をなくすなんて、ほれ。霊山の懐にも響くことですしね」

「懐?」

 クールはにたりにたりと笑った。ムテにしては品のない笑い顔に、エリザは嫌悪を感じた。

「ほれ、霊山だって収入が必要です。最高神官といえど、かすみを食べて生きているわけではありませんし、仕え人たちだって時を終えても食事をとる。一の村からの施しは、その名の通り、毎年一番なんですから」

 エリザにとっては、信じられない感覚だった。

 確かにお金は必要だろう。だが、霊山の生活に金の香りは何もなかった。

 節制と節約。祈りの毎日。そう、最高神官の部屋など、この家の十分の一にも満たない広さしかない。

 聖職者であり、神のごとき存在であるべき神官が、最高神官や霊山の神聖さを意識していないなんて。このような見方をするなんて、耐えられない。

 だが、これが現実――普通の世界。

 霊山の日々のように、ただ清らかではいられない世界。

 エリザはその世界に戻ってきたのだ。

「クール・ベヌ様。私、長旅で疲れていますの。早く休ませてもらいたいわ」

 するとクールはまた笑った。

「ああそうでしたね。寝室は三つありますが、どこをお使いになります? 絡みツタのバネの利いたベッドと、香り苔を圧縮して作ったベッドと、青草のジェルを白竜の皮で包んだ……」

「いいえ、けっこう。自分で選んで休みますから」

 エリザは苛々して言った。

 早くジュエルと二人きりになりたい。だいたい、最高神官のベッドも巫女姫のベッドも、ただの藁を詰めたマットであり、そのような高級品ではない。

 霊山自体は何一つ堕落していないのに、ここは、物欲で固まった世界なのだ。

「では、ごゆっくり……」

 やっと、クールは胸に手をあて、お辞儀をし、部屋を出て行った。



 エリザは、適当に寝室を選ぶと、ジュエルを背中から下ろし、自分も大の字になってくつろいだ。

「ふう……」

 思わず息が漏れた。

 立派な黒杉で組まれた天井は、妙に高い。気が拡散されてゆくようで、どうも居心地が悪い。

 それにこの家。広すぎる。

 正直、エリザとジュエルだけならば、この部屋ひとつだけで充分だ。

「薬精製所や病室、それにこの住居もあわせると。霊山の母屋ほどではないけれど……いえ、それぐらいあるんじゃないかしら?」

 がらんとしていて落ち着けない。それでも、少し癒されるのは、たまたま入ったこの部屋のベッドが、香り苔を使ったものだからである。

 つい、最高神官と出会ったときのことが、頭の中をよぎった。

 香り苔は、懐かしい思い出の香りだ。

 決して高い薬草ではないが、さすがにこれだけの量を集めると、相当の値段になるだろう。小さな香り袋にするのとは、わけが違う。

 エリザはベッドの上を這いずるようにして移動し、ジュエルの顔を覗き込んだ。

「ねぇ、ジュエル。ここをどう思う? 住めそう?」

 赤子は、ただ目を丸くしているだけである。

 霊山の麓に戻ってきたというのに、ジュエルの髪は漆黒であり、目は群青の闇だった。

 クールが、この子に不信感を表さなかったのは、霊山の強い結界が、ジュエルをクールの意識から遠ざけていたからだろう。

 だが、その結界もいつまで持つことやら。エリザは、覚悟しなければならない。

「ねぇ、ジュエル。私……もうくじけちゃいそうだわ。せめて、あの方にお会いできたら……」

 エリザはそうつぶやくと、どっと疲れが出て、眠りに落ちてしまった。

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