4 犬
「教師に屈したか、犬野郎が!」
風見くんが挑発しようとして声を荒げた。すると副会長は不思議そうな顔をして首を傾げた。
「ワンワン、なんとでも言って欲しいワン」
「キサマぁッ!……ちょっと可愛いじゃねえかよ」
メガネがメガネにときめいてるんじゃないよ……。
俺は頭を抱えたくなるのを抑えて副会長を振り返った。
「あの、一つ良いですか副会長」
「なんですか?」
「さっき、正式な決定権は生徒会で預かるって言ってましたけど……つまりはまだ、廃部が決定した訳じゃないってことですか?」
「まあ私も鬼ではありませんから」
副会長は空になった紙コップを近くのクズカゴに放り投げてからパイプ椅子に座った。
「それは本当か!?」
「条件が2つあります」
詰め寄る風見くんを制し、副会長は右手の人差し指と中指を突き立てた。
「条件?」
「一つ、明確な活動意思を持った生徒を5人以上集めること。二つ、文化祭において真面目な記事を制作物として展示すること。……以上の二点を満たした場合のみ、廃部を回避するように手配しておきました」
なんだ、結構楽な条件じゃないか。
胸を撫で下ろして振り返ると、まるで巨大隕石の衝突を告げられた市民のごとく絶望的表情を浮かべた級友たちの姿が、そこにはあった。
「ふざけんじゃねえ……そんなノルマ、ウチの部でクリアできると思ってんのか……」
えぇぇ〜。
「何せ部長も副部長も半年以上顔を出していない部活動だからね」
網代木さんが頷いた。
「……あなたたちが部長ではないのですか?」
「部長代理よ」
「部長代理補佐だ」
網代木さんと風見くんが交互に申請した。
「ではアナタが副部長代理ということですか」
勝手に決めるな。俺は眉間にシワを寄せた。
「しかし決定は決定ですから。これでもお情けはかけてあげたつもりなのですよ?」
「クソが、ふざけんじゃねえ! ありがとう!!」
「どういたしまして」
風見と副会長が硬く握手を交わし合う。仲良しかよ。
「ちなみに、二つ目の条件にある“真面目な記事”っていうのは……?」
「あなた達がいつも書いているような記事でないことだけは確かですよ」
「はぁ? なんで?」
露骨に嫌悪感を露わにしたのは網代木さんだ。
「オットセイの習性とかニッチ過ぎます。それに学業となんら関係がありませんから」
「学業に関係なくちゃ新聞を書いちゃダメなんですか? 報道の自由は? どこ行ったんですか?」
まるでテレビドラマに出てくる面倒臭い新聞記者みたいな反論だ。
でもやはりというか、副会長はそんな抗議にも動じる素振りを見せず、底冷えのする声で淡々と告げた。
「今回の記事は文化祭で発表することが前提です。第三者の目に触れる可能性があります。我が校の威信にも関わるということです」
至極真っ当な見解だが、網代木さんは不服そうだ。もしかしてズレた記事を書いているという自覚がないのかもしれない。
「記事の原案ができたらまずは私に見せてください。クソみたいな記事だった場合その場で突き返して差し上げます」
「ちっ、すっかり成り下がっちまったな。教師の犬風情が!」
網代木さんがテーブルの上に登り抗議しようとするので慌てて止めた。そんなことをすれば網代木さんの下着が副会長に見られてしまう。
「ワンワン。次の役員会議があるので帰ってもらっても構いませんかワン?」
この人結構ノリが良いな、なんて感心している場合ではない。
「す、すみません、すぐに失礼しますから」
俺は網代木さんと風見くんを引き連れて生徒会室を後にすることにした。エキセントリックな二人組だけど、俺にとっては大切な級友だ。こんな所で面倒事を起こして欲しくはなかった。
「緊急会議だ」
部室に戻るや否や、風見くんは声高らかに宣言した。隅っこでパイプ椅子に腰掛け読書をしていた烏丸さんがビクリと肩を震わせる。
「お、お帰りなさい」
「ただいま」
網代木さんには比較的懐いている烏丸さんだが、今回ばかりは俺の方に近づいてきた。網代木さんも風見くんも、凄い剣幕だから話しかけづらいのだろう。
「だ、大丈夫でしたか?」
「まあ、大丈夫というか……何というか」
曖昧に答えてから網代木さんの側へ移動する。二人は一番手前の事務机の前でノートパソコンを開き、難しい顔をしていた。
「部員数の方はまあなんとかなるとして、問題は文化祭で発表する記事の方だよね」
「ああ、真面目な記事なんて書いたこともねえからな」
それはそれで問題なのでは……? 目を細めながら二人の顔を見比べた。
「ヤケに熱くなってるみたいだけどさ……そこまでしてこの部活って遺す必要があるのかな」
バンと机の表面が叩かれて、烏丸さんの体が飛び上がった。音を出したのは網代木さんだった。
「何言ってんの茂木! この部活がなくなったら、茂木に会う時間が減っちゃうでしょ!」
「そんな理由!?」
なんだか頭痛がしてきたが、念のため風見くんにも確認をとっておくことにした。
「メガネくんは?」
「俺は自分より頭の悪い人間をバカにしながら漢字ドリルを解くことが好きなんだ……お前たちには居てもらわなくちゃ困る」
「クソ野郎じゃねえかこいつ」
率直な感想を述べずにはいられなかった。
「カビ臭い部屋! しみったれた面子! 低偏差値の人間に囲まれながら解く漢字ドリルほど心地良いものは他にないぜ!!」
人間性の欠如した答案の良いお手本みたいな答えだ。
「……少し、分かるかもしれません」
教室の隅で立ちすくんでいた烏丸さんが呟いた。俺は慌てて彼女の側に近寄り、その肩に手を乗せてなだめた。
「頼むから烏丸さん。その感情だけは一生分からないままで居てくれ」
「ともかく私たちはこの環境は好きなの! この環境は永遠に残さなければいけない遺産なの! レガシーなのよ!」
烏丸さんの肩から手を話して振り返る。
「んな大袈裟な」
網代木さんは捨てられた子犬みたいな顔でこちらを見つめていた。
「お願い茂木……協力してよ。一枚くらいなら脱ぐからさ」
「安っぽいストリップショーだな……」
ブレザーのボタンに手をかけようとする網代木さんの頭を、手ごろな雑誌ですっぱ叩く。
「もう……下がいいなら下がいいって初めから言えばいいのに」
「違ぇよ! そうじゃねえよ!!」
スカートのファスナーに手を伸ばす網代木さんを近くの椅子に座らせる。この子に羞恥心やプライドといったものはないのだろうか。
しかし 網代木さんにお願いされてしまった以上、無下に断る事もできない。
網代木さんには貸しがあるのだ。それは貸しというよりはむしろ呪いに近いのかもしれない。俺には網代木さんの望みに付き合う義務が課せられている。
逃げ道はない。彼女には従うしかない。
「……わかったよ、網代木さんの頼みなら仕方ないね」
「茂木……好き」
突然の告白。俺は両耳の後ろで手のひらを広げて聞き返した。
「ん、なんか言った?」
「耳鼻科行けよ」
グーで脇腹を小突かれた。殺意の籠った一撃だった。
「じゃあ早速会議と洒落込もうじゃねえか」
風見くんがフラメンコの要領で手を叩き、俺たちの視線を引き付けた。
網代木さんは椅子のキャスターを回転させてノートパソコンに向き直る。
「議題はこうだね。“なんの記事を書くか”」
「あいつ……原案ができたら見せに来いって言ってたよな」
「とりあえず何の記事を書くかのアイデアを出し合って、原案は明日見せに行けば良いのでは?」
俺の提案に網代木さんは優しい笑みを浮かべて振り返った。
「そうだね、その案でいこう」
それから数十分間は互いにアイデアを出したり、ネットサーフィンで調べた時事問題をノートに書き出したりして、記事のネタを出し合った。
時刻は午後6時12分。最終下校時間まで残り50分を切った。
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