3 新たなるメガネ

「廃部ってどういうことだよ!!」

 風見くんの怒声に烏丸さんは酷く狼狽え始めた。


「い、いや、それは、その」

「烏丸ちゃん、詳しく話を聞かせてくれる?」

 パニックになりかけていた烏丸さんだが、網代木さんの呼びかけで正気を取り戻した。胸に手を当て深呼吸を繰り返す。やがて落ち着いたのか説明を始めた。


「さっきそこの階段で……生徒会の副会長さんとすれ違ったんです。その時に“正式に廃部が決まりそうなので、部内者にその旨を伝えて欲しい”と伝言を承りまして」

「あの野郎! なめやがって!」

 烏丸さんの説明が終わるか終わらないかのタイミングで、風見くんは机の足を蹴り上げた。それに合わせて烏丸さんの身体も飛び上がる。


「ちょっと抗議に行ってくる」

「しょ、正気なのかメガネくん!?」

「当たり前だ! お前らも着いてこい!」

「おう!」

 なぜかやる気に満ちた目で網代木さんは歩き始めた。烏丸さんはもう何がなにやら。目を白黒とさせている。


「決まったことは仕方ないんじゃないかな。諦めなよ」

 俺が進言すると二人は足を止めて振り返った。その顔には怒りの色がにじみ出ている。

 顕著だったのは網代木さんの方だ。唇を尖らせ、俺の目の前までズカズカと歩み寄って来る。そして両腕をガッシリと掴むと、唇同士が触れ合いそうな距離まで顔を近づけた。


「茂木はいいの? このままだと部活、なくなっちゃうんだよ!」

 良い匂いがして一瞬意識が遠のきかけるが、何とか耐えて網代木さんの黒曜石の瞳をまっすぐと見つめた。

「別にいいけど……」

「なんで!?」

「とにかく行くぞ! 雌豚、荷物番は任せたからな」

 風見くんが舌打ちをして歩き出す。

「は、はぃ……お気をつけて」

 烏丸さんは精一杯の勇気を振り絞ってそう告げた。

「ほら、茂木も行くよ」

 網代木さんに腕を引かれて部室を後にする。

 さっきまで静かだった廊下に耳障りなくらいに大量の足音が響き渡った。

 

 生徒会室は南校舎四階の一番奥にある。学生たちが発する喧騒から完全に独立した理想郷。音らしい音と言えば、掛け時計の振り子が時を刻む音と、グラウンドの方角から聞こえてくる野球部員の小さな掛け声くらいのものである。

 広さはパッと見、俺たち新聞部の部室と変わりない。しかしスケジュール表が大量に貼り付けられたホワイトボードの裏には6畳ほどの和室が設けられている。


 本来は茶道部の部室になる予定だったのだが、諸々の事情で部の成立が白紙に戻り、結果として生徒会が利用することになったと聞いた。

 文科系部活動の部室が集中している南校舎において、ここだけやけに浮いている。なんというか、雰囲気が壮大だ。もしかすると部屋の明るさに関係があるのかもしれない。

 同じ校舎でも中庭に面した方角に窓がある新聞部と、南向きに面した間取りになっている生徒会室とでは室内の明るさがだいぶ違った。


 窓の外には鬱蒼と覆い茂った針葉樹、そして車道のコンクリートが顔を覗かせていた。人通りは少ない。


「話は以上ですか?」

 底冷えのする声がして、俺は視線を教室の中央に向けた。

 折り畳み式のテーブルとパイプ椅子が「コ」の字に並べられている。その中央、一番奥の席に理知的なメガネの男子生徒が座っていた。両肘を机の上に立てて、手を口元で組んでいる。窓から差し込む光が彼のメガネのレンズに反射して、その表情は伺えなかった。


 他の席は空席だった。本来、役員達が座るべき場所には黒い縦長の名札が設置されていて、そこには赤いインクで校章と、その下には2桁の数字がプリントされている。数字は座席ごとに番号が違っていて「01」から「06」まで確認することができた。……ゼーレかよ。


「決定は覆せません」

 再び底冷えのする声がして、風見くんは近くのテーブルを蹴り飛ばした。衝撃で役員の名札が三つほど床の上に落ちた。

「なんでだよ!」

 風見くんが副生徒会長の前に詰め寄っていく間に、網代木さんは落ちた名札を拾い上げる。そしてそれをぐしゃぐしゃに丸めてからゴミ箱の中に放り投げた。俺はそれを唖然として見つめることしかできなかった。


「おいメガネ。ちゃんと、俺たちが納得できるような言い訳をしてみろ、オラ」

 何処の田舎のヤンキーだ。風見くんは両手をズボンのポケットに突っ込みながら、首を90度傾けた。


「むしろ私の言い分の何が納得できなかったのかに、納得できないのですが」

 一切の無表情を貫いて副会長は答えた。

「うるせえよ! 俺は今メガネの居所が悪いんだよ。下手な理屈を捏ねくり回す暇があるならコンタクトに変えな!」

 そんな脅し文句を聞いたのは生まれて初めてだ。聞いていた副会長も呆れ顔でため息をつくと、ブリッジを押し上げた。


 副生徒会長の菱潟則雄ひしがたのりおは俺たちと同い年とは思えないほどに達観していて何処か冷めている。

 同じメガネでも風見くんとは比べものにならないほど優秀で、中学生の頃には全国模試で1位を獲ったことがあるらしい。

 運動神経も抜群で空手、剣道、柔道など。全てにおいて黒帯を修めている。中でもテコンドーは達人並みの腕前だと聞いた。全国大会に出場した経験があるらしい。


 髪型はスポーツ刈りでルックスも良い。椅子に座っているせいで判りづらいが身長は175㎝ある。当然のことながらよくモテる。

 しかし特定の女性と付き合っているという噂を聞いたことがない。もしや副会長には校外に恋人がいたりするのだろうか。


「あなたとでは話になりませんね」

 副会長が呟くように口にした。

「あんだと!?」

 掴みかかろうとする風見くんを制したのは、意外なことに網代木さんだ。

 網代木さんはうんざりとした顔で風見くんの肩に手を置くと、


「もういいよメガネ。うちのダーリンと代わって」

「うん……ってダーリン!? ダーリンって誰なの!?」

 追求しようと詰め寄るが完全に無視された。肩を揺さぶって刺激したが答えてくれようとはしない。俺は仕方なく副会長の方に向き直った。

「廃部の件は本当ですか」

「はい。本当です」


「なんだとっころぉうぉあ!!」

 怒り狂っている風見くんはもはや呂律が回っていない。

「何言ってんの?」

 網代木さんがため息をついた。

「落ち着きのない猿頭ですね。動物園の猿だってもっと紳士的に振舞いますよ」

 副会長が皮肉交じりにそう告げると網代木さんは彼の方に目を向けた。

「いや、動物園の猿は平気で人にう○ことか叩きつけてくるから。でも残念ななことに私は今までに一度もこの猿頭に、う○こ叩きつけられたことないんだよね」

「あったら大問題ですよ?」

「下品な会話だ……」

 俺は頭を抱えたくなった。


「廃部っていつ決まったことなんですか?」

 話題の軌道修正を図ろうと、机の上を指で叩く。

「職員会議などで度々話題に上がっていたそうですが……今朝、正式に生徒会の方に打診が回ってきました」

「なるほど」

「廃部の正式な決定権は生徒会で預かることになっています」

「その決定権を今すぐこっちによこせよ、オラ」

 風見くんが性懲りもせずにメンチを切る。すると副会長は組んでいた手を解いた。

「いいでしょう、その代わりに500万円ほど払っていただけますか?」

「そんなに払えるわけねーだろうがオラァ!!」

「小学生の喧嘩かよ……」

 咳払いをして副会長の注意を引く。


「それで、その廃部の内容と言いますか。どうして廃部が決まったんですか?」

 分かりきっている事ではあるが、一応、確かめておかないと気が済まない性分だ。

「我が校では、全校生徒の部活動への所属が原則となっていることは知っていますね?」

 副会長が確認した。

「古き悪しき風習だな」

 風見くんが腕組みをした。


「その件について反論はしませんが……中にはテキトーな部活動に所属して幽霊部員をしている不逞な輩がいるとかいないとか」

 網代木さんと風見くんが同時に俺を振り返った。

「なんでそこで俺を見るんだよ!」

 妙な疑いが懸からないように、訂正を入れておくことにする。

「毎週火曜日と金曜日には顔を出すようにしてるでしょう」

「それじゃあ少ない。もっと私としっぽりやろうよ」

「なんの話ですか!?」

 網代木さんが身も蓋もないことを言い出した。恐る恐る副会長の方を見ると彼は案の定、じとっとした眼差しを浮かべて俺を睨んでいる。


「君……不純異性交遊は校則違反です。身柄を指導室に移送しますよ」

「誤解ですから!」

 我が校の生徒指導室は粘着質で性質たちの悪い……むしろ指導される側みたいな教師しかいないことで有名だ。そんなところに送られるのは真っ平御免である。

 俺は引き千切れんばかりの勢いで首を横に振り事実無根を訴えた。

 そんな俺の窮地を救ったのはまさかの風見くんだ。


「で、幽霊部員とウチになんの関係があんだよ」

 なるほど。周囲が熱くなると急に冷めるタイプの性格か。

「はぁ、アナタそれ本気で言ってるんですか……」

 副会長が聞いたことのない大きなため息をついた。眉間にシワを寄せて俺たちを睨みつける。


「現在、新聞部には40名近い生徒が在籍しています」

 衝撃の事実に俺はただただ驚いた。

「う、うちってそんなに部員がいたんですか」

「ええ。しかしあなたのリアクションを見ても分かる通り、そのほとんどは幽霊部員です」


 去年の秋頃に俺と網代木さんが入部した時には5名ほど上級生が在籍していたのだが……まさかそれを軽く凌駕する部員数を抱え込んでいたとは。

「教職員の中にはこの現状を快く思わない人たちが何人かいる」

 副会長が座席から立ち上がり、すぐ後ろのカラーボックスの上に置かれた水差しに手を伸ばした。そしてそれを紙コップの中に注ぎ込むと一気に煽って振り返った。

「つまりそういうことです」

「どういうことだよ! 全然わかんねーよ!」

 風見くんがテーブルの脚を蹴り上げた。


「部活動とは別に勉強会という有志の会があることをご存知ですか?」

 副会長は再び紙コップの中に水を注ぎながら尋ねた。それを聞いた網代木さんは右手の人差し指を天井に向けてくるくると円を描き始めた。

「アレでしょ、放課後の視聴覚室で一心不乱に勉強をするだけの頭のおかしいサークル」

「やめなよ網代木さん……」

 かなり失礼なことを言ったのにも関わらず副会長は顔色一つ変えずに頷いた。


「まあ、それです。部活動に興味のない生徒は、勉強会に参加することで部活動に所属したと同等の扱いを与えることになっています」

「だからなんだよ!!」

「部活動に真面目に取り組むでもなく、勉強会に参加するわけでもない。そういった輩を、厳しく取り締まりたい暇な大人が大勢いるということを私は言いたいのです」


 副生徒会長が紙コップの中を煽った。

 俺は思わず乾いた笑い声をあげてしまった。

 この人も中々、毒舌だ。

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