第10話
鈍竜は夜の寒さからレイラを守るようにして眠った。
この竜は、確かに持久力に優れた生き物であるが、大量に餌を食べる生き物でもあった。
レイラは竜の世話をしたことがなく、一日三度の乾草と大量の穀物を与えなければいけないことを知らなかった。
しかもこの竜は丈夫な成竜ではない。まだ体ができていない弱い子供であり、むしろ赤子に近い。
竜が望むままに道端の雑草を食べさせてしまったことも、竜の体を弱らせた。
しかも川渡りでは、レイラの体よりもはるかに長い時間、鈍竜は水の中にいた。
そして濡れたまま眠りについたことが竜の体温を奪うこととなり、結局は命さえも奪ってしまったのだ。
大人の竜を選んでいれば?
華やかな衣装の代わりに餌を積み込んでいれば?
荷物を半分にしてあげれば?
雑草を食べさせなければ?
濡れた体を拭いてあげれば?
レイラが少しでも竜のことを知っていれば、このような悲劇は起こらなかった。
朝日に気合を入れたレイラだったが、唯一の友を失ってしまい、すべての力が萎えてしまった。
竜の開かなくなった瞳を見たくて、レイラは何度も呼びかけた。
しかし、竜は小山のように横たわったまま、起き上がることはなかった。
どのくらい時間がたったのか? レイラはすがって泣いたままだった。
太陽は、かなり高く上がっている。
今度は暑かった。濡れていたものはすべて乾いた。
このままでは、次に死ぬのはレイラのほうだった。
あまりに浅はかな自分に、レイラはうんざりした。でも、死ぬわけにはいかない。
ここが街道から離れていなければ、昨日並んで国境を越えてくるはずの人々が近くを通るはずだ。
そうすれば、リューマまでたどり着くことができる。
レイラは必要な荷物だけを持つことにした。
何が必要かは悩むが、身軽でないと歩けない。
結局、きれいな服の大半を捨てることにした。
絹のマントも捨てた。マントよりも寒い時は毛布をかぶったほうが機能的だと感じたからだ。
指輪や首飾りはポケットに押し込んだ。
人にあった時は必要である。
そして、人に出会わない限り、レイラは死ぬだろう。
蝋燭と石、そして水をもった。
食料はあきらめた。これは、大きなかけであった。
レイラは直射日光を避けるようにして、岩陰伝いに移動した。
かなり足場が悪かったので、履いていた靴のお気に入りの飾りがいつのまにか無くなっていた。
足の痛みはもう感じなくなっていた。
靴を脱ぐのが怖い。きっと血だらけだろう。
日の方向が変わってしまい、じりじりと太陽が照りつける。
レイラは毛布で日差しをよけながら、よろよろと歩いた。
そして……。気がつくと何かが落ちているところにやってきた。
痛い足でがんばって駆け寄ると、なんとそこは昨夜泊まった場所だった。
レイラはがっかりした。
どうやら何時間もかけて、この岩山の周りを回ってしまったのだ。座り込もうとして、レイラは緊張した。
レイラが捨てた荷物は散乱し、鈍竜の屍骸は食い散らかされていた。
思わず吐き気が襲ってくる。
血、そして肉、骨……わずかに残った内臓。それが、あのかわいかった鈍竜だとは、到底思えない。
耐え切れない状況だった。
ましてや、エーデム貴族は菜食主義で、普段から肉さえ食べたりしないのだ。レイラが真っ青になってしまっても、仕方がないことだろう。
レイラは、慌てて走り出した。今度は全く違う方向に向かって……。
でも、それは正解だった。
なぜなら、鈍竜を食い散らかした魔狼の群れがまだ岩山の近くにいたからである。
再び迫る夕闇は、日差しに苦しむレイラにとって恩寵でもあり、過酷な事実でもあった。
道らしき道を見つけることもできず、迷ったまま。毛布一枚しか寒さをしのぐものはない。水はあとわずか、食べ物はない。
胃が痛むほどの空腹を、レイラは生まれて初めて知った。
あたりは何もない荒れた平原となった。エーデムののどかな道に比べると、なんとも虚しい風景だった。
『外の世界は、あなたが暮らせるような世界ではございません』
王妃の言葉が身にしみた。
セラファンは、この世界のどこかで生きている。
でも、レイラはここで生きることはできない。
疲れ果てて倒れこみ、レイラは父の顔を思い浮かべた。
『ルーテル公は人格者だし、きっとおまえを幸せにしてくれる』
父よりも年上の男である。
しかしそのような結婚は、エーデム貴族の中で珍しいわけではない。レイラは間違いなく幸せに暮らし、エーデム貴族として生涯を終える運命にあった。
それが、今、荒れ地の真中で死を待つ羽目になるとは……。
しかも自らの意思で飛び出して。
「私って……本当に世間知らずだった……」
その時、レイラの頭に先ほどの鈍竜の姿がよみがえった。
一緒に旅をしていた。夜に声を聞かせてくれた。
しかし、死んで骸となり、獣に食われてひどい姿となってしまった。もう、あのかわいい瞳を見ることはできない。
ぞっとした。
「だめ……。死んだらお父様に、あのような姿を見せてしまうことになる」
レイラは再び歩き出した。
道を見出せないままに、陽が沈み出した。
あたりはまた徐々に暗闇になる。
レイラは蝋燭に火をつけた。あたりの乾草をかき集め、その火をうつしてみる。しかし、乾草はあっというまに燃えきってしまい、焚火とはならなかった。
遠くで魔狼の声が聞こえる。
しかし、もう動くことはできない。ここで夜を明かすしかない。
「セラファン様……」
レイラは膝を抱えて名前を呟いた。
――私が死んだら、少しでも彼は泣いてくれるだろうか?
何でこのような無謀なことをしでかしたのかと、愚か者呼ばわりするだろうか?
どうでもいい……。
ただ、彼の心の片隅にどのような形でもいいから、記憶に残ってくれさえすれば。
その時だった。上空に何かの気配を感じる。
ムンク鳥だ。
レイラは慌てて立ち上がった。
蝋燭を手にもつと、一生懸命ふった。
そしてあらん限りの心話で、鳥に呼びかけた。
エーデム貴族とはいえ、女性が持つ心話能力はたかが知れている。
鳥は空中を何回か回り、飛び去る様子はなかった。
かつて、ムンクは人を運ぶ力をもっていたこともある。しかし、今上空を飛んでいる鳥にはとてもそのような力はない。
それでも、レイラにとっては唯一の希望だった。
ところが……。
やがて、鳥は飛び去ってしまった。
日は落ちて、空が真っ赤に染まり、少しずつ藍色に変わって行く中を、鳥は飛んでいってしまったのだ。
レイラは、燃える西の空を見つめながら、涙を流した。
思い切ってふった蝋燭の火は消えてしまった。
――もうだめ……。
貴族の姫といって気取ったところで、私、行き倒れて死ぬんだわ。
乾いた大地にレイラは倒れていた。
希望の光が潰えたあとの闇は、もっともっと暗く感じる。ムンク鳥に去られてしまって、もう気力はつい果ててしまった。
土にまみれて横になるなんて……下品……と思いつつ、起き上がれない。所詮、下品でも生き残れる者が偉いのかも知れない。レイラは、おそらく朝までには死ぬのだ。
しかし、レイラの耳に規則正しい音が響いてきた。
それは、聞いたことがある音。大地を蹴る音だった。
レイラは慌てて目を開けた。頭を上げると音はなかった。気のせいかと思ったが、もう一度大地に耳を当ててみる。
音が近づく……。
レイラは飛び起きた。そして目を凝らした。
黒い影がこちらに向かって走ってくる。
「嘘……でしょう?」
レイラは思わず呟いていた。
いつもは怖いと思っていた影。強がってはいたけれど、苦手だった。
でも、今日ほどその影をうれしく感じたことはない。
黒い馬は近づいてきた。
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