第8話


 そのような旅路なので、行程は午後になっても予定の半分にも達していない。

「お嬢さん、今日中にリューマまで行きたいですって? それって寝言? もう少し行った先にサラという村があるから、そこで宿をとりなさいな。リューマに向かうのは明日にしたほうが安全よ」

 村の休憩所で話を聞いて、レイラはため息をついた。

 朝、日が出る前からイズーを出たというのに、もう日が傾いている。のんびりしすぎてしまったのだ。サラにつく頃には夕方だろう。

「ありがとう。そういたしますわ」

 旅慣れていないレイラは、慌ててお茶代を払うと休憩所を飛び出していった。

 その支払いも、桁ひとつ間違えて多かった。

「……サラあたりで一緒に行ってくれる人でも見つかるといいんだけれどねぇ……」

 休憩所の女将の独り言は、もちろんレイラには届かなかった。


 今までの分を取り戻そうと、レイラは必死に歩いた。

 もう、旅の楽しさは忘れていた。足は痛いし、腰にはくるし。

 おのずと目に入る景色も見えなくなる。朝、轍の草ではしゃいだのが嘘のように、絶景を見ても心が躍らない。

 へとへとになりながらもサラについた。



 サラは今までの村に比べると大きいが、イズーとは比べ物にならないこじんまりとした村である。

 もうここはエーデムの外れであることを、否応無しに感じさせてくれる。

 小さな川が流れていて、そこから向こうはウーレンの領土。

 東に進むと、属国リューマの首都であるリューの街につくはずだ。

 橋がかかっていてそこが検問所となっている。

 移民追放のおふれが出て以来、リューマへと逃れる人の列が連なり、時には待ちきれず川に飛び込む者もいるらしい。

 役人も、忙しさのあまりに監視していないようだった。

 よほどの体力のある男でなければ、泳いでは渡れないほどの流れ。監視は甘くても、たくさんの荷物を持っているリューマ人たちは、規則正しく順番待ちをしている。 

 レイラがついた時も、もう夕暮れだというのに、橋を渡る列が連なっていた。


 痛む足を引きずりながらも、やっと小さな宿を見つけて入ろうとした時。

 上空をムンク鳥が飛び、街中の止まり木に止まった。

「ほう、めずらしいなぁ。首都からの使者が二日おかずに着くとはねぇ」

 隣にいた村人の声に、レイラは慌てて鳥を見た。

 それは、父が飼っている鳥だった。

「おい、鳥読みはどこへいった? 早く探せよ」


 大変だ。

 おそらく内容は自分のことに違いない。


 レイラは慌てて宿に泊まることをやめ、鈍竜を引いて検問所に向かった。

 ムンク鳥の伝言を読まれ、張り出されてしまったら、レイラのような一風変わった旅人は、すぐに見つかってしまうだろう。早く国境を渡らなければならない。

 列は長蛇のままだった。

 無理もない。

 国境の村として有名なサラは、エーデムの首都イズーからはもっとも出国に便利なところだ。混んで当然であるが、混むと時間がかかるということまで頭が回っていなかった。

 あっというまにエーデムを出られるのだとばかり思っていたのだ。

 広場の向こうに目をやると、鳥の前にすでに鳥読みの男がやってきて、なにやら心話で鳥に話しかけている。

 どうやら、やはり自分のことらしい。レイラの心臓は高鳴ってきた。

「ちょいと!」

 突然話しかけられて、レイラは飛び上がって驚いた。話しかけたリューマ人まで飛び上がるほどの驚きようだった。

「そんなに驚かないでよ! 列が進んでいるよ、早く前に移動してちょうだい!」

 レイラはおずおずと鈍竜を引いた。

 鳥読みの心話は終ったらしい。

 なにやら立て看板に字を書いている。もう少ししたら、看板はこの広場の真中に立てられる。

 時間との戦い……。

 しかし、列はまだまだ長い。

 後ろを振り返って見ると、エーデムの役人が看板を立てている。

 情報に敏感になっているリューマの人々が、恐る恐る眺めている。

 レイラは小さくなり、マントのフードを頭に掛けた。

 しかし、それは失敗だったかもしれない。なぜなら、このあたりで絹のマントを持っている人などいなかったからだ。

 かえって目立つ羽目になったことを、レイラは気がつかなかった。

「あれ? この女の人って……もしかして?」

 突然ざわめき始める声。


 見つかったのか? 違うのか?


 レイラの血はすべて頭に駆け上がった。

 もうどうでも良かった。

 橋を渡る前に見つかることは間違いなかったから。

 レイラは急いで鈍竜に乗ると、列から飛び出した。

 鈍竜としては異例の速さで川に向かうと、そのまま大きな水音を立てて川に飛びこんだ。

 水は苦手ではないはずとはいえ、鈍竜は泳がない。なんと水底を歩いて移動するのだ。

 人々はあっけに取られて、変わった旅人を見送った。

 ぶくぶく沈んだまま、しばらく浮かんでこなかったので、泣き出したご婦人もいたほどだった。

 しかし向こう岸にやがて竜が水をブルブル払っているのが見え、人々はほっと息をついた。


 サラには張り出された看板に色めきたった者はいても、追いかける者はいなかった。

 リューマ族ならば、姫を連れ帰っても金を受け取る暇がない。エーデムの者は、夜に川を渡るほど無謀な者はいなかった。

 国境を越えてしまっては、誰も追いかける気持ちにはなれず、野たれ死ななければよいが……と話し合った者もいたが、それだけだった。

 そしてその夜、リューマから渡ってきた旅の者が歌を歌うまで、村人たちの頭の中からレイラの記憶は失われていた。

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