第4話


 ついにレイラの元に、いつかは来るはず……と思っていた縁談の話がやってきた。

 相手はそれはまた結構な家柄であり血筋である。だが、レイラの父よりも年上の、しかも昨年妻と死に別れたばかりのご老体である。

「だがな、ルーテル公は、私よりカクシャクとしておられる。おまえは幸せになれるであろうよ」

 にこにこ話す父。はぁ……と、気の抜けた返事をするレイラ。

 貴族であれば、恋愛よりも家柄や血筋が優先されて、当然である。

 レイラ自身、王の結婚の時には、大声でそう言って父親を困らせたものだったのだが。

 あまりの衝撃で、夜もすぐに眠れなかった。



 その夜。窓を叩く風。

 レイラは慌てて窓を開け、下の人影を確かめる。そして脱兎のごとく家を飛び出していった。

 風を連れて、セラファンがやってきたのだ。

 銀白色の巻き毛と背中のリュタン。だがもう、初めて会ったころの少年ではない。異国の地の厳しさが、彼をたくましい若者にしていた。

 同じ箱入りのエーデム貴族男ばかりを見ているレイラには、彼のエーデム族らしからぬ日焼けした肌も、無造作に縛った銀の髪も、かえって美しく感じるのだった。

 ウーレンの王から贈られたという漆黒の馬を連れて、セラファンは待っていた。

「馬に乗る?」

 それは、どこかへ行って二人っきりで話がしたい……という誘い。レイラが首を長くして待っている言葉だった。

 でも、そこで待っていたといえるほど、レイラは素直になれない。

「乗ってあげてもいいですわ」

 やや低めの鼻をつんとさせて、レイラは手を差し出した。

 セラファンは微笑みながら、その手をうやうやしく取ると、レイラを馬に乗せてあげた。

 レイラの手はいつも震えた。

 セラファンの手が嫌だったからではない。確かにその手はレイラが驚くほど荒れていて、リュタンを弾くためにタコすらできていたのだが。

 ……実は馬が怖かった。


 訪ねてくる時は、いつもこのような感じだった。

 しかし、その日のセラファンは珍しく元気がなかった。

 いつものように話が弾まない。

「どうしたの?」

 レイラは何度も聞いてみた。

「最愛の人にふられた……かも?」

 彼は寂しそうに笑ってそう言った。

 やはり、各地にたくさんの風の吹き溜まりがあるのだろう。どうやらレイラは『最愛の人』ではないらしい。

「だからって私に会いにくるの? 失礼ね!」

 レイラはいつものようにふくれて見せた。

 だが、内心動揺していた。

 セラファンはあまりにもいつもと違うし、知り合ってから長い時間がたったとはいえ、彼のことをあまりにも知らなすぎる。まだ純真無垢に思えた少年時代ならいざ、今の彼は外の世界の荒波に揉まれ、ちょっとやそっとじゃ動じることもない、実に飄々とした青年になってしまった。

 微笑みの下で、彼が何を考えているのか? レイラには読めたことがない。 

 この理由だって真偽は怪しい。

 最愛の人なんていないのかもしれないのだ。本当の悩みなんて、レイラには打ち明けてくれたことがない。

 だから、レイラは彼の言葉を表面だけでしか受け止められない。

 本心を探ろうと、色々考えてみる。


 たとえば――

 どこかで、レイラの縁談話を聞きつけて落ち込んでいるとか……などと、ひそかに期待してみる。だいたい、久しぶりに来たというのに今夜というのはタイミングがよすぎないだろうか?


 しかし、セラファンの受け答えは、本気なのか冗談なのか、わからないものだった。

「失礼だった? でもねぇ、今の私には同族の優しい慰めが必要なんだよ。心優しいエーデム族とは一緒に歩めないって言われて……傷つくよね」

 セラファンのお相手は、どうやらエーデムの人ではないらしい。それで……。

「荒地を吹き抜ける風だって、たまには心休まる場所が欲しい。心優しきエーデムの姫が傷心の私を癒してくれて、代わりに一緒に歩んでくれるってのはどうだろうね?」

 歌うたいらしいあまりにふざけた言い方だ。

 レイラは顔が熱くなった。

 やはり、この男はてんでレイラのことなんか、気にも留めていないのだ。

「わ、私ならばダメよ! だって、お嫁に行くんですもの!」

 つい、むきになって縁談話をしてしまった。

 もちろん、本気で嫁に行きたいわけではない。


 ――だめだよ、結婚しては……。

 そう言ってほしかった。


「結婚? 君が?」

 セラファンは驚いたようだった。

 時間が一瞬止まり、間延びしたように再び動き出す――

 しかし、レイラが望んでいた言葉は、ついに彼の口からは出なかった。

 それどころか、彼は極上の微笑を浮かべ、

「おめでとう」

 と言ったのだ。

 その時の笑顔に、何ひとつ嘘はなかった。

 彼は本当に、レイラの結婚を心から喜んでいる。

「ふさわしい相手が見つかったなら、私は安心できるよ。君は、貴族の姫として幸せな人生を約束されたのだから」

 想い人の微笑が、その時ほど冷たく見えたことはない。

 心臓までも凍りつきそうになりながら、レイラは最後まで高慢だった。

「幸せですって? 当然ですわ」


 言葉が出たあと、自分を罵りまくった。

 ばかばかばかばかばか! と。

 セラファンの毒気のない笑顔が、レイラの心に毒を盛った。

 その後、手を振って別れるときも、ずっと心が叫んでいた。

 私のばかばかばかばかばか……と。


 ――どうして素直になれないの? 私の大ばか!




 エーデム王国に【鎖国令】が出たのは、それからわずか十日後であった。

『十日の猶予の後、エーデムへの何人もの出入国を禁ず』

 最近増えつつある異国の悪徳商人を排除するための厳しい法の制定である。この王令は、善人悪人を問わず異邦人の追放であり、エーデム王国内に住むすべての異邦人を青くした。

 しかし、なぜか貴族の姫であるレイラも真っ青になってしまった。

 それもそのはず、セラファンは、エーデム国にはめったにこない。リューマの国あたりにいるはずなのだ。

 とすれば、鎖国後はもう二度とレイラのもとへ来る事ができなくなるのだから。

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