第3話


 レイラの元に、東からの便りが届いたのは、王の結婚式から一週間ほど過ぎた頃だった。

 なんと王が飼っているムンク鳥の一羽が、ベルヴィン家の鳥舎に舞い降り、レイラ宛の手紙と箱を残して飛び去ったのだ。

 いぶかしみながらも、レイラは手紙を手に取った。


『銀薔薇の時間のお礼に――メルロイ』

 と、書かれていた。


 あの恥ずかしい時間を、セラファンも少しは心に留めてたらしい……などと思い、レイラの心はときめいた。

 一緒に運ばれてきた箱に目を落してみる。木製でスカスカした感じがいかにも安っぽかった。

 王子とはいえ、地位を捨てた貧乏人である。

 はたして、貴族の姫君にどのような贈り物をするつもり? などと、レイラはいたずらっぽく笑ってみた。

「私をびっくりさせてくれる代物なんて、めったにないわよ」

 レイラは、蓋に手をかけた。

 だが、なかなか蓋が開かない。はじめは軽く、しかし、そのうちにレイラは唸りながら箱と格闘していた。

「な、なんで、こんなに開かないのよ!」

 うーんうーんと、唸り、汗をかきかき……やがて、ぱかっと蓋が開いた。

 その勢いで、箱はレイラの手からすべり落ちた。が……。

 中のものは、床に落ちることなく、きれいな色をはためかせて、レイラの目の前を舞った。

 美しい蝶が何匹も――エーデムでは見たこともない七色の羽を持つ蝶だった。

 ひらり、ひらり……と、レイラの部屋を飛び回る。

 レイラは驚いて声も出なかった。

 そのうち、蝶たちは開かれた窓に気がつき、美しい舞いを踊りながら、群れで窓から外に飛び出していった。

 きっと――生まれ故郷に帰ったのだろう。

 呆然として、レイラは蝶を見送った。



 それから数週間後、再び東からの便りが届いた。

 今度は鳥ではなく馬でやってきた。

「贈り物は気に入った?」

 なんと、にこにこ笑顔を見せる歌うたい本人がふらりとレイラを訪ねてきたのである。

 こうして、レイラとセラファンの奇妙な交流が始まった。

 とはいえ、セラファンは気まぐれでいつくるかさっぱりわからず、レイラはぼっと待つことが多かったのだが。




 貴族の姫であるレイラが、たかが歌うたいを好きになるはずがない。

「そう、絶対に好きになんかなるわけないわよ! あんな変わり者!」

 ぼけっと窓辺にたたずみながらも、急にレイラは叫び出す。

 ベルヴィン家の飼い鳥であるムンク鳥が、レイラの語気に驚いて、空中を更に高く飛びまわった。

 だいたい、持ちうる力をないがしろにして王位を捨て、ふらふらと放浪の旅に出かけてしまった王子など、レイラには信じられない存在だった。

 歌うたいなる職業は、お抱え宮廷楽師になればまだしも、旅から旅への安定しない職業であり、乞食とたいした変わらない。

 確かに結婚式の時の歌は素晴らしかった。

 だからといって、貴族のご婦人たちがなぜ、キャーキャー言いながら彼を待つのだろう? 男たちも王子時代の儀礼を欠かさない。

 王族でそこまで身を落とした男を、なぜ、エーデムの民は英雄視するのだろうか? 恥ずかしいだけである。

 しかも彼は、ちやほやされるエーデムではほとんど活動せず、辺境の東の地を中心に回っているようだった。

 下賎な民の間で歌っていては、それこそ乞食なみの生活にちがいない。

 それに比べて、レイラは日々、豪華な生活を謳歌しているのだ。

 昨日も今日も、城でのパーティにお呼ばれしていて、殿方とダンスを踊ったり、見識人と会話を楽しんだり、おべっかを言われたり、お世辞を言ったり……。

「ほほほほ」

 と笑ったとたん、レイラは突然虚しくなった。

 一人こっそりと中庭に降りてみる。

 イズー城の庭に咲く銀薔薇は、棘を持たない優しい薔薇。まさにエーデム族そのもののような存在。

 レイラは、何気なく手を伸ばし、手折ってみる。そして香りをかいでみた。ふっと、絡みつく銀の髪とあの微笑を思い出してしまう。

「外の世界って、危ないんじゃないの?」

 一人、薔薇に話しかける。

「大丈夫なの? 無事でいるの?」

 セラファンの噂を聞くたび、レイラは馬鹿にしていた……はずだった。

 それが、いつのまにか、いつ吹く風かわからぬようにあらわれる男を、待ち焦がれる女になっていた。

「のたれ死んだら、エーデム人の恥だわよ」

 そう呟きながらも、レイラは東からの風を待った。



 セラファンはイズーへはめったに顔をあらわさず、むしろ避けているようであった。

 だが、王には会いに行かなくても、なぜかレイラの元へは顔を出した。

 きれいなものを見つけたから……といって、贈られる物は相変わらず何の価値もないものばかり。

 変わった色の石ころだったり、珍しい花の押し花だったりで、貴族の女性への贈り物としては寂しいものだった。

「何よ? これ?」

 と、レイラはいつも奇妙な顔をしてばかりだが、セラファンはそれが楽しいらしい。

「ね? エーデムにはない珍しさでしょ?」

 などと言って、微笑むのだ。

 その毒気のない笑顔を見ていると、レイラはドキドキしてしまう。

「なぜ、私に贈り物なの?」

 他の男ならば、愛を込めて……などというかもしれない。

 でも、セラファンは違った。

「レイラはエーデムの世界だけで生きてゆく人だから。だから、少しだけでも、他の世界の風を運んであげたいと思ってね」

 そして、セラファンは優しく微笑む。レイラのほうは、今度は悲しくなってしまう。

 今まで、自分が籠の鳥だとは思ったことがない。だが、彼と比べてしまうと、籠に押し込まれたような気持ちになってしまう。

 セラファンは自由な羽で飛び回るのに、レイラは籠の中にいるだけ。二人の間には檻があり、かすかな風のみが通り過ぎる。

 レイラにとって、彼は風みたいな存在なのだ。


 異国の風は、吹いてまた去ってゆく。


 セラファンは、たまに馬で連れ出して歌などを聞かせてくれたりすることもあった。

 だがその美しい歌は、遠い世界の風景や空気の香り、土の匂いを運ぶだけ。愛の歌など、一度もない。

 不自由な籠の鳥に、異国の風を運ぶだけ。

 憐れみなのかもしれない。

 つまり、レイラの勝手な片思いで相手は何とも思っておらず、顔を出してくれるのは単に暇だから……なのかも知れないのだ。

 それに、セラファンはレイラだけのもとに吹く風ではないかもしれない。

 その土地、その国ごとに風の吹き溜まりがないとも限らないではないか? レイラは不安になってしまう。

 それだけではない。

 貴族の姫であるという高い自尊心が、レイラにいつも高慢な態度を取らせてしまうのだ。

「好きです」

「あなたのことが心配です」

 とも言えず、かわりに、

「根無し草!」

「のたれ死んだらエーデム王族の恥ですわ!」

 とか、ひどい言葉ばかりを投げつけてきた。

 しかし、セラファンはいつもニコニコ笑っているだけ。それがまた腹立たしかったりもした。


 ――あまりに優しい微笑みしか残さないので。


 風のように彼が去ってゆくと、まさに無風状態のわびしさがレイラを襲う。


 ――なんだか……空気を必死に籠に詰め込もうとしているみたい。


「お願い。側にいて欲しいの」

 そう思っても本人には言えず、レイラは愛の歌の主人公になれない。

 虚しい恋心ばかりが募って月日は流れた。


 

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