――――行ってしまった。

 ゆっくりと色彩を変えていく、玉虫色の〈盾〉の中から、フィロルは、彼方を眺めていた。白い変異体たち、そして、黒服の少女が向かった先を。

 墓地。死者たちの眠る場所。病が産声を上げた場所。

 村が壊れ始めた場所。

 フィロルは、歪んだ家々の上へ、かつての村の姿を幻視するかのように目を細めた。

 そして、ふと、シスカが話していたことを思った。

 変異体を追いかける前に、シスカは、フィロルに、この村での発症経緯をもう一度話してほしい、と頼んだのだ。

 今さら協力などしない――そう、頑なになっていたはずなのに、気づくとフィロルは、ことの一部始終を話し始めていた。

 残暑の日差しの中に響いた悲鳴。現れた変異体。

 不安に満ちた毎日。

 次々と村を出る村人たち。

 そして、村長と、二人だけの日々。

 じっとうつむいたまま、シスカは話を聞いていた。

 その時、フィロルは、言った。

「馬鹿な奴らだ――って、思ってるんじゃないの。墓地を、村の中に置いておくなんて、自殺行為だって。だから Sign にやられたんだって。そうだろ」

 しかし、シスカは、静かに首を振り、

「いいえ。地方村にとって、機構の改築がどれだけの負担になるかは、存じています。政府の勧告通りの処置をとっている村のほうが、少ないくらいです。――それよりも」

「……何?」

「――あの、多数の変異体は、墓地の他の遺体が、 Sign に感染した結果だ、と、そう仰いましたね」

 真剣な顔で、そう聞いた。フィロルは、なぜ改めてそんなことを…と思ったが、頷いた。

「父さ…村長は、ずっと悔やんでたよ。こんなことなら、無理してでも墓地を移しておくべきだった、って。そんなの、実際は、できたわけないのにさ」

「……そうですか……」

 シスカは、考え込むようにうつむいた。そして、沈痛な面持ちになった――何かを続けて言おうとして、躊躇している、そんな表情に。

 訝しく思ったフィロルは、尋ねた。

「どうしたの?」

 しかしシスカは、うつむいたまま、

「………いえ」

 向こうへ向き直った。そして、遠く、白い点のようになった変異体を眺めやると、ちょっと振りかえって、

「ありがとうございました……それから」

 フィロルに頭を下げた。

「ごめんなさい。辛い出来事を、また思い出させるようなことをしてしまって」

「………」

 ―――別に、どうでもいい。

 喉から出かけた言葉を飲み込んで、フィロルはシスカをじっと睨んだ。

 それは意地かもしれなかったし、また、得体の知れない存在に対する恐怖から来るものかもしれなかった。

「………」

 ただ黙っているフィロルに、シスカは、矢張り少し哀しそうな顔をして、自分の胸に手を当てた。

「…抹消には、発症源と、その場所と、其処に住む人々に関する情報が必要不可欠です。発症源の思いを―― Sign を形作る根源を、この『心』で理解しなければ、シスカは、抹消を行えませんから」

「……理解?」

 フィロルは鼻白んだ。

「 Sign を、抹消者の君が?冗談でしょ?」

「……矛盾した理論であることは、わかっています」

 シスカは言った。

「けれど、少なくとも、知ろう、理解しようという姿勢であらねばならない、と思うのです。そうでなければ、きっと、『人』が『人』の存在を消滅させることなど、許されません」

「……」

「だから、無理を言って、話をしていただいたのです」

 ごめんなさい、と、もう一度頭を下げてから、シスカは、

「……ここで、待っていて下さい。三十分後には、戻ります」

 転がっていたトランクを拾い上げ、変異体を追って行った。

 フィロルは、自分が何を思っているのかよくわからぬまま、ぼんやりと、その後ろ姿を見送った。


 ……それから、五分ほどが経つ。


 息を一つ吐いて、フィロルは立ち上がった。決意は、固まっていた。

 周りを覆う、〈盾〉の境界まで歩いて行き、足元を見下ろす。

 そして、七色の光を放ちながら起動している、半球形の装置に触れた。思った通り、村長の家にある大型の〈盾〉発生装置と同じ造りだった。

 村長がやっていたのをこっそり盗み見て、やり方はわかっている。起動と違って複雑な操作だったが、苦労して覚えていた。

 記憶の通り、慎重に指を動かしていくと、やがて、カチリ、と音を立てて――――装置は停止した。同時に、七色の光が、揺らぎ、薄れて行く。

 フィロルは、あっけなく消滅した〈盾〉から、外に出た。

 変異体たちの向かった方向に目をやる。シスカは追いながら確認すると言っていたが、発症源があるのは、村内墓地にほぼ間違い無かった。

 いや、そもそも、その事自体は、早い段階でわかっていた。しかし、対処法を持たなかったために、フィロルたちにはどうしようもなかったのだ。しかし、執行員ならば、発症源がどこなのか、詳しい位置までも特定できるだろう。そうしておいて、抹消を行うはずだ。

 フィロルは、発症源を、自分の目で見たかった。できれば、抹消され、土に還るその瞬間まで。

 たとえ、危険にさらされるとわかっていても、自分で手を下せないとわかっていても――この村を壊した、全ての元凶の最期を見届けなければ、どうしても気が済まなかった。

 ――死ぬ事になってもいい。一目、発症源を見てやる――。

 歯を食いしばって、フィロルは、走り出した。


 歪んだ、腐った、村の中を走る。息を切らして。

 頭の中を巡る今までの思い出――――村での日々。

 村長の笑顔。ユリの笑顔。村人たちの笑顔。

 ぐちゃぐちゃの頭で、無我夢中に走っていると、諦め悪くも、もしかしたら、今こうやって走っている事も、周りの景色も、悪い夢なのではないかという考えが、また、立ち返ってくる。あの、蒸し暑い日からの出来事全てが、悪夢の中の幻ではないかと。

 本当は、 Sign なんて存在していないのではないか。もちろん、変異体も、〈ドーム〉も無くて、人形のような顔の、黒服の少女が現れることもない――村は、みんながいる村のまま。

 長い悪夢から、うなされて目を覚ましたら、皆が忙しそうに働いたり、喋ったりしている広場の木陰で……。正午の鐘の音に追われて家に帰ると、背を丸めて昼食の用意をする村長と、手伝うユリが、扉を開けたフィロルに微笑みかける――――――――。

 ………。

 ほんの束の間、フィロルの前に広がったそんなイメージは、走り出た先の、現実の風景にかき消された。

 倒れかけたいくつもの墓標。十字架。

 その合間に、黒服の少女と、それを取り囲む、大量の、白い異形たち。

 ――――ああ、やっぱり。

 ――これが、現実だ。

 フィロルはもう一度歯を食いしばって、自分に言い聞かせた。

 シスカが、足音に振り返り、走ってくるフィロルの姿を認めて、叫んだ。

「なぜ……!」

 驚愕の面持ちで、しかしとにかく変異体から守ろうと、シスカは、フィロルの元に駆け寄った。

「どうやって、来たのですか」

「……〈盾〉の装置、解除したんだ」

「!!……しかし、それは」

「……きみ一人で、勝手に終わらせるなんて許さない」

 フィロルは、シスカの顔を見つめた。

「僕の村の事だ……最後まで、見届ける」

「危険です」

 シスカは言って、周りの変異体を見回した。

「……考えられない事ですが、変異体が、あの三体に加えて、まだ残存していたのです」

「そんなの、見ればわかるよ」

「いいえ、わかっていません。あなたにとって、これがどれだけ危険な事か……」

「関係ない」

 フィロルは、シスカの言葉を遮った。

「死ぬ事になってもいいんだ。何も知らないまま、終わるくらいなら」

 言葉に偽りは無かった。どの道、村が壊れた時点で、フィロルは、死んだも同然だったのだから。

「きみには、この気持ち、わからないかもしれない。でも、僕は本気だ。無理やりここから離れさせようとするんなら、自分で、あの群れの中に跳び込む」

 言い放ったフィロルを、シスカは、少しの間、じっと見つめていたが、やがて諦めたように、

「……わかりました」

 そう言って、翼となっている腕を構え、フィロルの前に回った。

「シスカの傍から離れないようにして下さい。発症源自体の Sign 感染力は弱まっていますが、万が一、変異体に直接傷つけられれば、即、感染します」

「わかってるよ」

「あなたはシスカが守ります」

 祈りの言葉と共に、硝子の翼が羽ばたいた。変異体が数体、氷に覆われて、抹消された。

 シスカは、少し向こうの、ある一点を指差した。

「――発症源は、おそらく、あそこに。早急に抹消を実行しなければなりません」

 フィロルもつられて、見た。

 折り重なった墓標の間から、暗みを帯びた緑の光が洩れていた。集まってくる変異体のせいで見え難いが、地面が発光しているらしい。

「あれが………」

「待って下さい。先に、周囲の変異体を」

 シスカは言いながら、翼を振るった。氷の羽根が舞う。水晶の柱が立つ。行かせまいと立ちふさがる変異体たちがどんどん減らされて行く。やがて、発光する地面への道が開け始めた。

「もう少しです」

 シスカは、フィロルの手を握ったまま、じりじりと前に出た。ゆっくり、発症源へと近づいて行く。暗い、緑の光が、大きくなって行く。

 その時、向こうの、朽ちた十字架の陰から――ふいに、あまりにも唐突に、人影が現れた。

 シスカは反射的に翼の腕を向けた。しかし、フィロルが止めた。それは、変異体ではなかった。

「父さん!」

 村長だった。

 背を丸め気味にして、片手に何かを抱え、こちらへと歩いて来る。

 フィロルは、シスカの後ろから、ぽかんとしてその姿を見ていたが、やがて、抑えきれない喜びが込み上げてきて、

「父さん――無事だったんだね!」

 叫んで、走り寄った。村長が抱えているのが、娘の人形だということにも気づいたが、今は、気にならなかった。

 ――あの状況下では、当然、すでに、殺されるか感染するかしたものだとばかり思っていた。暗黙の内の事実だったが、確認するのが怖くて、口には出さないでいた。

 それが、今、目の前にいる。

 無事でいる。

「――何で、社屋に来なかったの。待ってたのに。僕、もう駄目かと思った。でも、そんなこと、どうでもいいか。無事だったんだから」

 フィロルは、とにかく嬉しくて、続けてしゃべりかけた。

 村長は、いつもの悲しげな顔ではなく、不思議な笑みを浮かべて、フィロルを見ている。

「シスカ。父さんが、無事だった。早く一緒に」

 フィロルは、振り返って、シスカに言った。

 シスカは怪訝な顔をしていたが、頷いて、村長に声をかけた。

「…ここは危険です。早く、こちらへ」

 しかし村長は、その言葉にも、曖昧な笑みを浮かべるだけで、こっちに来ようとしない。

「どうしたの、父さん――」

 尋ねたフィロルは、その時、見た。

 村長に抱えられた人形の――動かないはずのその唇が、

 かちゃり、という音と共に、つり上がるのを。

 村長が何かを呟いた。

 足元がぶくぶくと揺れ、フィロルの背後の地面から――いきなり、土くれと共に、真っ白な触手が飛び出して、シスカを直撃した。

 シスカは、吹き飛ばされ、地面に叩きつけられた。

「シスカ!!」

 振り返ったフィロルは、背後から、

「……駒は残しておいた……」

 そう村長が言うのを聞いて、信じられない気持ちで振り返った。

「父さん……?」

「…油断したな、抹消者」

 村長は、いつもの、あの、疲れたような表情のまま、続けた。

 その言葉とともに、倒れたシスカの体を、地面から生え出た触手が包んでいき――声を上げる暇もなく、シスカは、異形の腕の虜となった。

 フィロルは、慌てて駆け寄ろうとした。しかし、村長が、その肩を掴んで引き止めた。

「やめろ、フィロル……助ける必要はない」

 表情を変えずに言う村長に、フィロルは、声を震わせて、

「な――なに言ってるんだよ、父さん」

 すると村長は、細めた眼差しでフィロルを見つめ、それから、ゆっくりとした手つきで、墓地の一点―発光していたあの場所―を指差した。

 そっちを見たフィロルは、あっ、と、声を上げた。

 地面が、光とともに盛り上がって行く。そして、やがて、土の中から、変異体が融合した塔のようなものがいくつも生え出てきた。外で動き回っていた変異体たちも、ぴたりと動きを止めて近辺に群がっていき、最後に、その中心から、いくつもの白い腕と、光輝く糸に包まれた、真っ白な少女が出現した。繊維は集まって繭に似た形状となっていて、その中に、少女は、眠るように横たわっていた。

「紹介させてくれ――――娘の、ソフィアだ」

 目を見開くフィロルに、村長が言った。

「むす、め……?」

 その言葉の意味が理解できず、フィロルは、呟くように聞き返した。

 娘――フィロルの生まれる前に、病で死んだ村長の娘。目の前に現れた少女がそれだと、村長は言っているのか。

「ソフィア、フィロルだ。話していたろう。挨拶しなさい」

 村長は、眠る少女に話し掛けた。

 しかし、少女の様子に変化は見られず、代りに村長の腕の中の人形が、

「こん、にちは…」

 少女の声で言って、こくり、と、頭を下げた。

 フィロルは、それを、口を開けたまま眺めた。そして、人形を愛おしげに見つめている村長に尋ねた。

「どういう――こと、なの―――それに――」

 震える指で、光を放つ繭の中に横たわる少女を指差す。

「――あれは、 Sign の、発症源なんだろ――僕たちの村を、襲った――」

「…そうだ」

 村長は、頷いて、

「私の娘だ」

 そこで初めて、村長は、横たわる少女のほうを見た。

 そして、おもむろに、語り始めた。

「ソフィアは――病弱だった。いつも、床の中にいた。小さな頃にかかった病気でな、手足が麻痺して動かせなくなって、それから体が徐々に死んでいくのだ。結局、死ぬまで寝たきりだった。だからソフィアは、毎日、床の中から、窓の外を眺めていた。そして、私に、何度も呟いていた。『悔しい』――そして、『妬ましい』、とな。村人たちを羨んで、嫉妬していたのだ、ソフィアは。自由に外を駆け回って、体を動かして、床の中にいる自分に、憐れみの目を向ける者たちを――」

 村長は、そこで、抱えた人形を見やって、

「せめてもの慰めに、と思って、これを買って与えたのだがな。私は何もわかっていなかった。人形は、娘の心を傷つけただけだった。娘は、あてつけだろうと私をなじった。体を動かせず、ベッドに寝かせられているだけの自分への厭味にしか思えないと。唯一動かせる顔で、私をにらみつけ、ヒステリックにわめき、叫び――汚い言葉を吐きつづけた。……そうやって、興奮しすぎたのがいけなかったのだろう。そこから昏睡状態に陥って、そのまま目覚めずに、次の日の朝、息を引き取った。死に顔は、不思議に安らかで、それこそ人形のようだったよ」

 そこで、村長は、大きなため息をついた。

「結局私は、娘に何もしてやれなかったのだ…………十数年を経て、 Sign という形で、再び会うまではな」

「……わからない、わからないよ、父さん」

 フィロルは首を振りながら言った。

「父さんは――――知ってたの、発症源が、その子だって」

 村長は頷いた。

「ああ」

 あまりにあっさりとしたその動作が、信じられなかった。

「――そんな、嘘だ――だったら、何で、早くそれを――」

「フィロル、わからないのか。これは、神が下さったチャンスだったのだ。娘に何もしてやれなかった私に、ふがいない親である私に、娘のために何かをしてやることのできる、な……」

 村長の言葉に被せるように、人形が、カタカタと口を鳴らして、

「――にんぎょうに―――みんな、にんぎょうに、なっちゃえば、いい。わたしみたいな、にんぎょうに――――」

 にんぎょう。

 わたしみたいなにんぎょう。

 フィロルの脳裏で、映像が暗示的にフラッシュバックした。

 ねじくれた四肢と、全く同じ整った顔を持つ、変異体たちの姿――そして、その、不自由で苦しげな動き。

「うそだ――」

「娘の望みをかなえてやるために、できるだけのことをやったよ、私は」

「うそだ――――」

「できることは全てやった」

「うそだ――父さん――」

「わかってくれ。私はもう二度と、娘を失いたくない」

 人形を抱きしめるようにして、村長は、少し目をそらした。その動作が意味することを、フィロルは察した。

「………でも、確かに、父さんは、〈ドーム〉へ連絡を……」

 フィロルの言葉に、村長は目をそらしたまま、

「〈ドーム〉……娘を消そうとする忌々しい使者どもか……来て欲しくなど無かった。信じて待っている、お前や、村人たちを前にするのは辛かったが……欺くしかなかった」

 そう言った。

「連絡して、なかった……?」

「わかってくれ、フィロル」

 その一言は、すなわち、肯定だった。

「もう二度とできないと思っていた償いの機会を、私は与えられたのだ――」

「……う、そだ、嘘だ……!」

 村長の言葉を、振り払おうと、さらに首を振る。

「僕は、信じないぞ!父さん、父さんは、 S病にあてられておかしくなってるんだ!それで、そんなこと言って……」

「フィロル」

 フィロルは思わず、口を噤んだ。村長の声は―――恐ろしく静かだった。

「もう一つ、私はお前に、大きな嘘をついていたな………謝らなければならない」

「…大きな、嘘……?」

 カタカタカタカタ、と、人形が、嬉しげに口を鳴らした。

「『墓地の遺骸が、変異体になった』――私はそう言ったがな」

 苦しげな顔で、村長は、言った。

「…… Sign が変異体に変えるのは、あくまでも生物――生きているものだけなのだよ。命を失い、既にただのモノになっている骸は、『感染』して変質こそすれど、『変異体』として動き出しはしない」

 そして、ちょっと、フィロルの事を見た。

 しかし、フィロルは、その言葉の意味がわからなかった。ただ、なぜか、村長の話すこと一つ一つが、不思議な冷たさを持って耳朶を打つのを感じていた。

「…それって、いったい……」

「やめて…」

 突然、背後から声が響いた。フィロルは振り返った。

 シスカだった。変異体の拘束から、辛うじて顔だけを出している。

「やめて…下さい」

 もがきながら、シスカは叫んだ。

「そんな残酷な事を…」

「まだ息があるのか」

 村長が言った。同時に、シスカの体を包む変異体が、捩じれた。

 ごぎっ、ぼぎっ、と、生々しく骨の折れる音がして、シスカの口から血泡が零れた。

「シスカ!!」

 フィロルは悲鳴を上げた。

「ぶらんかー、なんて、しんじゃえ」

 人形が嬉しげな声を立てた。白い触手が蠢いて、項垂れたシスカの顔を、再び覆って行く。

「父さん、やめさせて!」

 フィロルは村長に言った。村長は、しかし、無表情に首を振った。

「無理を言うな。ソフィアは聞かん気だ。私の言うことはなかなか聞いてくれない。……それよりも、なあ、フィロル。お前が、きちんと話を聞いてくれ」

 フィロルは言葉を失って、村長の顔を見つめた。少女が無残に甚振られるのを、『それよりも』で片付ける―――それは、自分の知っている義父の台詞ではなかった。

 村長は、そんなフィロルの思いを知ってか知らずか、無表情な顔で続けた。

「……つまり、つまりな、フィロル。後から涌いてきた、あの、たくさんの変異体の前身は、遺体などではないのだよ。れっきとした生きものだ――――わかるか?」

 しかし、フィロルは困惑した顔で、喋る村長を見つめている。村長は、深くため息をついて、

「これ以上の説明は、私には苦だ……いずれにせよ、見ればわかるだろう」

 そして、ひょいと向こうを指差した。

 フィロルは、促されるまま、そちらを見た。

 ――地面から生えている、変異体の集合塔のひとつ。白い腕が、足が、枝の如く突き出ている。その中に、トラックのものらしき真っ白く変色したタイヤ、服の切れ端、そして――――――見覚えのある、髪飾り。

 その瞬間。


 フィロルの脳裏に、その髪飾りをつけて、嬉しげに笑う幼馴染の顔が浮かんだ。


 中央の都のものだと言って渡したそれは、すぐに、手作りだと見抜かれてしまい、フィロルはしょげ返った。けれど彼女は、そんなフィロルの手を取って、嬉しい、大事にする、と言ってくれた。

 ――――りん。

 飾りの中央の白い鈴が、澄んだ音を立てる。

 同時に、今度は、髪飾りをつけて、涙を零している彼女の顔が、淡い光景を伴って、脳裏に浮かんだ。

 弱々しい蝉の鳴き声。門の向こうで排気を上げ停車しているトラック。

 泣き続ける彼女の向こうで、せかすようにクラクションが鳴る。何度も鳴る。

 ごめん、ごめん、と、彼女は繰り返す。

 フィロルは、その目を見つめて、頷く。

 そして、手を振る。

 トラックと共に、小さくなっていく彼女の姿へ。

 そう、鈴は、あの日も。

 あの日も、同じように。

 ユリの涙と共に、澄んだ音を響かせて――――――。

「うわあああああああああああああッ!!!」

 膝を折って、両手で頭をかきむしりながら、フィロルは声の限り、叫んだ。

 絶叫が、目の前の現実を粉々に壊してくれることを望んで。

「ああああああああああ……っ……!」

 頭の中を、嵐のように、声と情景と事実とが駆け巡っていた。それがあまりに激しすぎて、涙は出なかった。フィロルは、這いずるようにして、白い髪飾りへと手を伸ばした。

 その背へ、村長が、言った。

「娘は、 を、人形にすることを望んでいた……『みんな出て行った』……それは間違いだ……誰も村から出てなどいない……」

「あ、あああ…」

 フィロルは叫び続けていた。

「……本当にすまない、フィロル……私は………」

 村長は、ゆっくりと、人形を抱えたまま、フィロルに近づいた。

「……いや、もう、わかってくれとは言うまい。わかってもらえるはずもないのだからな…」

 そう呟いて、人形を見やった。人形は、かたかた、と口を鳴らした。

 変異体たちが、それに反応して、集まって来た。

「……お前も、娘の友達になってやってくれ。頼む」

 白い異形たちに囲まれて、村長は、肩を震わせるフィロルを見下ろした。

「大丈夫だ……私も、全てが終わったら、すぐに……だから…」

 変異体たちが、フィロルへと近づいて行く。フィロルは、表情を失った顔で、それを眺めた。白い腕が、いくつも伸びて来た。

 ――ところが、それらは全て吹き飛んだ。フィロルに届く前に、閃光と共に。

 フィロルは、ぼんやりと振り返った。そして、はっとした。

 シスカが――――黒服の抹消者が、口の端にどす黒い血をこびりつかせ、立っていた。人形のような顔に、紅蓮の両眼を灯して。

 硝子の眼を見開いて、ソフィアの人形は、ぶらんかー、と叫んだ。

「させない…」

 シスカは、よじれた腕をかざしたまま、言った。

「……よく、生きていたな……全身の骨を砕いたと思ったが…」

 村長は、その姿を眺め、言った。

 シスカは、よろめきつつ、フィロルの側に来ると、村長の顔をまっすぐに見て、

「もう、やめてください…」

「こわれろ、ぶらんかー!!」

 ソフィアの人形が叫び、変異体と、地面からの白い触手が、シスカを襲った。

 しかし、シスカが腕を振ると、それらは氷に覆われ動きを止めた。

「なんで、こわれないの!」

 人形の叫びにはかまわず、シスカは、村長に話しかけた。

「…… Sign は、人の思いを肥大化させ、歪めて、最も哀しい形で解き放つのです。これ以上、こんなことを続けてはいけません――――歪んだ願いを暴走させることなど……。お願いです。本当に、娘さんのことを思うのなら――」

「お前達はどうなんだ」

 さえぎるように、突然、村長は言った。

「 Sign をそんな風に、呪われた病、抹消すべき歪みなどと言うが……どうだかな」

 村長は、疲れたような、しかしどこか皮肉げな笑みを浮かべて、黒い少女を見た。

「……私は、この村の村長として赴任する以前は、中央の都で仕事についていた」

 それは、フィロルの知らない事実だった。村長は、義父は、ずっとここの村長だと思っていた。

 では、義父も、もともとは、村の人間ではなかったのか?

 当惑を重ねるフィロルに構わず、村長は続けた。

「だから………知っているんだよ。〈ドーム〉の隠している事実を。お前達抹消者の用いる兵器も、 Sign の生み出したものだと」

 フィロルは頭を殴り付けられたような感覚を覚えた。

 いいかげん麻痺した神経が決定的に引き裂かれるように思いながら、シスカを見る。

 シスカは、村長の前に、じっと立っている。その顔を、村長の空ろな瞳が、射通すように見つめる。

「…… Sign に感染したものの、発症源の意思に囚われず、逆に、拒絶反応によって、発症源への抗体形状を成した生物の躯……ごく稀に起きる、突然変異の成れの果て。〈ドーム〉は隠しおおせていると思っているようだが、完璧な秘匿など不可能だ」

 村長は言った。

「………」

「さあ、どうだ。それが、お前達の兵器の正体だろう。違うか?」

 その問いから、ややあって、

「……仰るとおりです」

 シスカは、答えた。

 フィロルは、その姿をまじまじと見つめていた。変異体を狩る抹消者たちの兵器が、変異体のなりそこない――――?

「やはりか……まったく、 Sign を消し去る救世主のような面をしておきながら、用いる力も Sign が産み落としたものなのだからな……お前達と、お前達の言う『悪しき病』とは、一つの環として繋がっているのじゃないか。そんなお前達に、抹消者などと名乗る資格があるのか。娘を消す資格があるのか」

 村長は口元をゆがめながら言った。

 しかし、シスカは、目をそらさなかった。

「…確かに、シスカたちは、発症抗体を加工した兵器を用います。ですが、そのことを負い目であるとは思いません」

 きっぱりと、黒服の少女は、言い切った。

「 Sign の悲しさを、 抗体兵器これは、何よりもよく知っているのですから」

 これ、というシスカの視線が、自分自身を見つめる。

「悲劇と根源を共にした――生きている、苦しみを宿している兵器を用いるからこそ――そして、それに代価を支払うからこそ、抹消者という存在は、 Sign という病の哀しさを理解できるのだと――――そう、シスカは思っています」

 言いながら、シスカは、ひび割れた腕の翼を、村長――その先にある、眠る少女へと向けた。

「迷いはありません」

 シスカは、もう一度、きっぱりと言った。

「どうか、そこを退いて下さい。特務を執行します」

 村長は、目をそむけて、下を向いて、言った。

「結局、エゴだよ、お前の言っていることは……お前も、私と変わらない」

「ええ。変わりません」

 翼を構えたまま、シスカは言った。

「シスカもあなたも、それからあなたの娘さんも、人の形を成したものは皆、同じだけの強さと弱さを持った存在です」

「………」

「退いてください」

 村長は、ふっ、と顔を上げた。

「………できるわけがないだろう。もう……もう、戻れはしない」

 その顔は、悲しげに笑っていた。

「……私は決めたんだ。もう一度帰って来てくれた娘のために、全てを捧げると……」

 そして、抱えた人形を、抱きしめて、囁いた。

「…ソフィア」

「はい、おとうさん――――」

 人形の口が、がばりと耳まで裂け上がった。

 瞬間、変異体たちが、集合体の塔が、さらに地面の下から物凄い数の触手が、フィロルめがけて襲い掛かった。

 シスカが、フィロルを突き飛ばした。同時に、硝子の羽を放ったが、相手の数が多すぎて、全てには対応し切れなかった。

「シスカッ!!」

 突き飛ばされたフィロルは、シスカが、殺到する変異体たちに飲み込まれていくのをただ見ているしかなかった。

「……やはりな。庇うと思ったよ……」

 村長が、白い異形の塔に磔にされたシスカに、話しかけた。

「この数は予想外だったろう?」

 シスカは必死で抜け出そうとして羽を放っているようだったが、抹消した先からどんどん変異体がその上に融合して、戒めを堅くしていた。

「………長引かせはしない。首を落とす」

 残っていた変異体が集まって、地面から生えた巨大な刃のような形状となった。

 口の裂けた人形が、ガチャガチャ笑う。

「父さん!!」

 フィロルは立ち上がって、走り寄った。

「父さん……お願いだ!!やめてよ!」

 しかし、村長は、シスカのほうを向いたまま、何も言おうとはしない。フィロルは、シスカの元へ向かった。

 めきめきと締め上げられながら、シスカが、走ってくるフィロルを見て、言った。

「……来ないで……に……げて、くだ…さい……いま、なら、村の周りの変異体もいない……裏門から、にげられ、ます…」

「いやだ!」

 フィロルは叫んだ。

「逃げない…!」

「にげて、ください……」

「いやだ…逃げない……諦めたくない……!」

「…にげて……」

「どの道、逃がさないつもりだ」

 フィロルのほうを見ないまま、村長が言って、変異体が三体、動き出した。

 迫ってくる変異体たちを前に、フィロルは、涙が溢れ出してくるのを感じていた。ここ数日で、何度も溢れてきた涙とは、別の涙だった。


 ――――悔しい。

 ――――まだ、死にたくない。死ねない。

 ――――まだ。



 ――りん――。



 ふいに、また、澄んだ鈴の音が響いた。


 フィロルは、音のした方に振り返った。


 ―――薄紅い、幽かな光が、シスカを戒める塔の中から洩れている――。


 ――――りん――――。


 二度目の鈴の音と共に、幽かな光は波動となって、塔の一角、振りかぶられた刃、さらには、フィロルに迫っていた変異体たちを溶かし、吹き飛ばした。

「な……ッ!!」

 村長は、人形を庇いながら、地面に尻餅をついた。

「これは………!この光は……」

 ――りん――。

 ―――りん―――。

 鈴の音に導かれるように、フィロルは、ふらふらと、傾いた塔へと近づいていった。

 そして、上を見上げた。

 ぼろぼろになったシスカの傍らで紅い光を放つ―――――髪飾りのついた、輪。それは、周りの変異体から剥がれて、浮き上がっていた。

 ―――りん―――。

 ――りん――。

「ユリ―――?」

 思わず口を突いて出たフィロルの問いかけに、鈴の音はまるで答えるかのように、

 ――――りぃん――――。

 と、鳴った。

 村長が、それを見上げて、驚愕の声音で、呟いた。

「まさか………抗体に……!?」

「おとうさんおとうさんおとうさんおとうさん」

 人形がガチャガチャとわめいた。

「ぶらんかーがっ、ぶらんかーがっ」

 村長は、はっとして、シスカの方を見た。


 白い塔の戒めから解かれた 黒い抹消者シスカは、光輪を帯びて、空にいた。

 そして、その胸元には、いつの間にか、ルビーの如き色と輝きを放つ、 心臓ハート型の彫刻が現れていた。

 光の輪を纏ったシスカが、呟く。


『虚ろの胸に“ ココロ”満ちたり』

『其は刑場を洗う血汐、 くゆる日の黄昏、眠り齎す紅き籠―――』


 それから、暖かな輝きを増していくそれを、両手で覆うようにして、

「ソフィアさん――この中に、シスカが知った、 あなたの思いが記録されています。その記録、私に与えられたかりそめの心臓の血を用いて――あなたを解放します――病の戒めと、悪夢から――」

 すると、心臓から、幾つもの、輝く赤い手が生まれ、ゆっくりと、白い糸の床に横たわるソフィアの躯に、伸びて行った。

「いやあああああああ、だめええええええ」

 手の接近を見た人形が、甲高い悲鳴を上げた。

「ソフィア!!」

 村長は、顔色を変えて、発症源の元へ駆け寄った。

「おとうさんおとうさんおとうさん」

 周りを覆う純白の繊維は消え、シスカの“手”が、赤子をかき抱く母の手のように、優しくソフィアをくるんでいく。

「たすけてた、すけ、て、たすけ…」

「ソフィア……!!」

 叫び、村長は、幾多の手の中で眠る娘に、飛びついた。

「義父さん!!」

 フィロルは、発症源に飛びついた村長の身体が、少しずつ白く変色し、捩れていくのを見た。直接接触による、不可避の変異だった。

 一方、真っ白だったソフィアの身体は、手の抱擁によって色を取り戻して行き、まるで本当にただ眠っているかのような姿へと変わって行った。そして、暖かな光の中で、ゆっくり、薄れ始めた。

「おとう、さん、おとう、さん……」

 人形が、かしゃかしゃと力なく言った。

「……おとうさん…………」

「ソフィア…」

 村長も、同時に、炭のように黒ずんでいく。しかし村長はその身体で、震えながら、ソフィアに寄り添った。

「…………駄目だ…ソフィア……」

 村長は、薄れる娘の身体に、呼びかけた。

「まだ……消えないでくれ……わたしは、まだ、お前に……」

「おとうさん………」

 崩れていきながら、人形が呼んだ。

「ソフィア」

「………さみしいよ……」

 村長は、はっと目を見開いた。

 真っ黒になった人形が、ぼろり、と崩れて、地面に落ち、ソフィアの声は、目を閉じたソフィア自身の唇から洩れ始めた。

「……さみしい……お父さん……さみしいよ……一人で…ずっと、ベッドの中なんて……嫌だよ………」

 泣きそうな声だった。

「……さみしい……さみしい……一人は、いや……一人は……」

 ソフィアの閉じられた目から、すうっ、と、涙がこぼれた。

「……さみしいよ……」

 それはもはや、発症源ではなく、ただの、一人の幼い少女だった。

 それを見て、村長は、言った。

「……ソフィア………ソフィア……一人じゃない……一人じゃないぞ……父さんが、父さんが、ここにいる………」

 そして、ソフィアを、抱きしめた。壊れていく両手で、思い切り。

「…………お父さん………」

 ソフィアが、泣きながら、呼んだ。

 抱きしめる村長の目からも、涙が溢れ出して―――落ちる先から、黒い煙として蒸発していく。

「……わ、たし……」

「……すまない……ソフィア……私は、お前に、謝りたかった………もう一度、何かしてやりたかった………何か……だから……

……しかし、駄目だった……ソフィア…すまない……私は……」

「お父さん……」

 村長と、シスカの“手”に抱きしめられながら、発症源は、ソフィアは、安らかな口調で、

「……あたたかい………」

 そこまで言うと、語尾が薄れ、声は、途切れた。

「ソフィア!!」

 村長は、もうほとんど消えかけたその身体に顔をうずめると、

「……すまない……私は、私は………」

 そして、崩れていく合間から、顔を上げ、側に立っているフィロルの方を向いた。

「……フィロル…」

「父さん……」

 村長は、どんどん崩れながら、何かを言おうとして、口をつぐんだ。フィロルは、どうしようもない苦しい気持ちを抱えながら、それを見ていた。

 ソフィアの身体が、消えてゆく。そして、村長も、何かを言いかけた姿のまま、一塊の黒となって―――――――砕けた。

 その瞬間、フィロルは。

 自分の胸の中で、何かがぐしゃりと押しつぶれる音を聞いた。

 そして、呼びかけていた。

 とうさん。

 ぼくは――――。

 しかし、言葉はそこで途切れた。

 そして、フィロルは、うつむいた。

 光が、優しい腕が、ゆっくりと空気に溶け込んでいく。

 とうさん――――。

 さよなら。

 フィロルは、もう一度、口の中で呟いた。

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